2022年08月10日

下松散歩


 

  末武城

  

  下松からタクシ−で護国神社に向かう、末武城が近くにあるのだが、近くの人に聞いても判明しない。 護国神社に登るが結局みつけることは出来なかった。 下調べが大事であった。



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  護国神社入り口



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  護国神社





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  維新13人墓 馬関戦争、禁門の変、戊辰戦争のこの村の戦死者13名を祀る



  登城成功例は下記に詳しくあります   城郭放浪記をご覧ください

  https://www.hb.pei.jp/shiro/suo/suetake-jyo/



  失意?のうちに歩いて花岡八幡宮をめざす。





  花岡八幡宮



 奈良時代からある古い神社である。 重要文化財の多宝塔を見ました。



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  花岡八幡宮 入り口



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  花岡八幡宮



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  多宝塔 重要文化財



  下松古地図散歩

 タクシ−にて下松へ帰り。 市内を散策する。 観光案内所でもらった「下松で古地図さんぽ」商業と塩田で栄えた下松を歩こう編により、歩いてみた。 下松はコンパクトに近代的な産業と昔が混在した町である。 下記地図と写真のところを散策した(1時間ほど)。 お寺の説明はここでは省略する。 パンフレットを現地でもらって読んでほしい。 1度くるっと廻った程度で述べるには厚かましい気持ちがしますので。


 


  下松古地図散歩  古地図にある場所を主に廻った

 
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  周慶寺





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  妙見宮鷲頭寺(じゅとうじ)





 

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  普門寺





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 淨西寺

 

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  庵跡  現在は老人集会所

 

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 弁財天社 古地図にはない



 

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  埴常社・はにとこしゃ  



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  磯部・矢嶋邸跡  会社敷地内で見学できない 案内板の裏側




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 日立製作所  新幹線を製作している



 

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  大地の森





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  妙法寺





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 正立寺



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  西教寺





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 東光寺 観音堂





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  泉所寺 跡  





     2022-8-10


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2022年08月09日

下松

    



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  赤丸は停泊地


  上関から新門司マリ−ナにヨットで向かう時には姫島に寄るケ−スがほとんどだと思われる。 逆コ−スで潮に恵まれれば8−10時間で行けたこともある。 また、かって徳山グリ−ンヤマトマリ−ナに入ったことがあるが、山間のマリ−ナでたいそう不便なところであった。 本土側の適当な立ち寄り場所は山口のヨットに尋ねても無いようである。 今度、下松に行きポンツ−ンを見つけたので係留してみた。

 下記写真の後方位置に着けたが、翌日に前方へ移動するように指示された。 漁船の荷揚げが早朝にあるようである。 その作業に不都合がなければ利用できるようだ。 ここは諸風を防ぎ良い係留場所である。 安心してここに2泊し町を散策することができた。 コインランドリ−は駅前にあり、コンビニ、ス−パ−も近くにある。

 

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 漁協の荷揚げポンツ-ンに係留した、 前方にシフトした位置



    2022-8-9

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2022年08月08日

須佐





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 須佐湾  赤丸に停泊  青丸はおもしろそうな停泊候補地



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  須佐  防波堤の内に停泊

 江崎を出港してしばらくすると3ノットくらいに減速した。 ホンダワラのペラ絡みを想定して予定を変更して須佐に停泊した。 予想どうり潜るとホンダワラが絡んでいた。

 ここはス−パ−で買い物ができガソリンスタンドにて給油ができる。 JR須佐駅も近いが便数が少ない。

 須佐はスサノウノミコト(須佐之男命)の伝説にちなむ名前の地である。 長州の地でもあり、幕末に第1次長州戦争で三家老が切腹させられたが、その一人の益田親施(ちかのぶ)の領地であった。益田家の墓地を訪ねた。親族のそろった珍しい墓地だという。

 須佐歴史民俗資料館も覗いた。 その展示で知った心光寺に興味を持つ。久坂玄瑞と、僧 月性がここに集い密談をしたという。



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  益田家の墓地



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  心光寺



      2022-8-8



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2022年08月07日

ホンダワラのプロペラへの絡み  その2



  今春の隠岐へ行くクル−ズでは、関門海峡を抜け山陰沖を往復した。 まず、新門司マリ−ナでペラの点検して潜り,そこまでの瀬戸内での航海でプロペラにホンダワラが絡んでいないことを確認した。

 我がヨットは関門を抜けて蓋井島をめざした。潮の影響を受けているのかと2−3ノットにスピ−ドが落ちていても気に留めなかった。向かい風の影響も受けていたので。 蓋井島が真近に見えても接近できない、1ノット過ぎしか航走していない、さすがにあきらめて南風泊へ反転した、追手になったので2−3ノットで無事そこへ入港することができた。 それでもペラの絡みにに気が付かず、翌日は角島へ向かう。朝5時出たのに機帆走で3ノット程度であった。夕方にになってやっと着くことが出来た。さすがに、ホンダワラのペラ絡んだのが原因だとして潜って取り除くことになった。 ペラの形が見えないほど絡んでいた。

 それ以来走るたびに点検も兼ねて潜るハメになった。ひとつかみで済むこともあるが通常5ノットの艇速が1−2ノットの減速を余儀なくさせるほどの量であることが多かった。 

 取り除く方法も進化した。 ロ−プを両舷から伸ばして錘を結び、それを船底のプロペラ下に置く。そのロ−プをたどってペラにたどりつく方法で潜っていた。 老人には体力のいる作業であった。 ソフトウエットスキンを着てウエイト無で潜るので浮力が増えて、泳ぎのヘタな小生にはこのロープをたどる方法でしか上手く潜れない。 従い今までは5回も潜るハメになると、気力が失せ、その先のクル−ズを諦めることになったことがある。

 今回は縄はしごを用意し、それを舷から吊るし、そのハシゴを下りてぶら下がり、サイドから覗いて長柄のカマやカギ手でホンダワラを取り除く方法を試した。それにはハシゴが安定しない欠点があった。 ハシゴに錘を着けると少しは作業がし易くなった。 試していないが、アルミの脚立だと良いと思われるが、それを使わない時にヨット上に脚立を収納するのには難がある。

 今回たどりついた結論は、船尾にあるスイミングラダ−から下りて潜り、ラダ−をつかんでひと押しするとちょうどその反力でプロペラにたどりつくことである。これだと、体力を要しないので潜ることが気にならないことになった。今回の15回以上の潜水に耐えられた。

 ホンダワラが絡むことが多い原因は、今年は例年になくホンダワラが多いからか、瀬戸内では気にならないので、九州と日本海の生息場所が問題なのでしょうか、 また、ロングキ−ルやセイルドライブだと少ないようなので、わが艇のようにフィンキ−ルとシャフト艇ではキ−ルに当たった藻がちょうどペラに絡みやすいのであろうか。

 機走中の減速は特に春先にはホンダワラによるものと思うべきであろう。瀬戸内と狭水道でもない限り潮が原因ではないと思い知らされた。
 

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  温泉津で取り除いたホンダワラ



 

      ホンダワラのプロペラへの絡み その1      2019-07

    http://endyachts.sblo.jp/article/186259852.html?1659809916


    2022-8-7

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2022年08月06日

松江城



 ヨットにて隠岐からの帰り七類に停泊中に、隠岐フェリ−の連絡バスに乗り松江に行く。松江駅近くのホテルに1泊して市内を見学した。 


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 松江城


 関ケ原の戦いで家康に貢献した堀尾吉春が息子忠氏に24万石をもらい、出雲松江を領した。 月山富田城より移りこの松江城を築城した。

 
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 堀尾吉春  1543-1611

 尾張に生まれ岩倉織田氏に仕え信長に敗れて浪人となる。そのご信長に仕えて秀吉に付属された。秀吉と転戦して段々と加増されていく。 浜松に12万石を得る。秀吉死後は家康に接近した。



  まずは堀川めぐりの遊覧船に乗った。

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 大手前 遊覧船のりば  

 堀は思ったより浅く、底が見える。 橋を通過するにもギリギリのところが3か所もある。 堀端はすべて石垣で囲まれているのではなく、土手造りのものがある。 明治以前は堀の管理で土砂を除去する役人もいたという。それで堀の深さは維持されていた。

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 遊覧船で堀めぐり



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 縄張り図

 遊覧船を下船するとすぐに大手門木戸へ行ける。 

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 大手木戸門

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 太鼓櫓と大手櫓門跡

 わざわざ木戸門は簡単に破れるようにして攻め方を桝形虎口の中に誘い込み、もう一つの堅牢な大手櫓門でその行き足を止め、高石垣とその両側にある太鼓櫓と中櫓で殲滅すると言う強い防御の作りである。

 ここを抜けると2の丸下の段に至る。 

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 2の丸下の段より 三の門へ  中櫓と太鼓櫓が見える

 三の門を抜けると二の丸上段にいたり、ここには藩主の御殿があったが、狭いために三の丸(現在市役所がある)にも建てられていた。

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 三の門跡

 

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 二の門跡



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 一の門を抜けて本丸と天守へ


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 天守

 現存天守12のうちの1つで姫路城のように見ごたえがある。 


 城見学を終え大手門にもどり、堀端の風情のある塩見縄手通りを歩く。そこは街並み保存地区の武家屋敷版の代表のような街並みです。 小泉八雲邸や記念館もある。

 武家屋敷
 500−1000石程度の上級藩士の屋敷と言われる。 1733年の大火焼失より再建されたもの。屋敷門に中間の部屋がある大きなものである。

 

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 武家屋敷

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 武家屋敷の台所



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 小泉八雲邸


   2022-8-6




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2022年08月05日

萩のヨット泊地


  萩へは20代の時に訪ねたことがある。当時は船乗りをしていて、下関造船所へ乗組みしていたフェリ−がドックに上架すために行った。その時休みを利用して山陰線に乗り萩を訪ねた。 それから半世紀近くにもなるのかと時の流れの速さに驚く。

 ヨットで今回そこへ行くことになった。初めは越ケ浜漁港へ係留した。漁協脇で作業していた女性に係留許可を尋ねると、ここは厳しく停泊を禁止している吉であった。釣りさえも禁止である。 その日は土曜日であったので漁協は休みなので、翌早朝にここを出て萩マリ-ナに向かった。 朝9時のマリ−ナ営業開始までの時間に他の係留候補地を訪ねた。




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 越ケ浜 南漁港 ここに最初は停泊








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 越ケ浜 北漁港  ここも空いてはいるのだが



 フェリ−乗場の港は作業船で岸壁がいっぱいでヨット停泊の余地はなかった。次に下関ヤンマ−のある漁港に行き、そこにいったん舫った。日曜日なので問題なさそうであった。その岸壁は漁協の給油所とヤンマ−とで利用を分けているようなので、平日の停泊は難しいかもしれない。

 マリ−ナ以外でヨットが舫えそうなところはマリ−ナ近くのクル−ズ船が使うと思われる商用岸壁の横付けか、美浜公園の地元ヨットが停泊している近くの槍付けかと思えた。 JR山陰線を利用して萩近くの漁港への停泊を考えたが、JR時刻表を見ると通勤時間帯しか列車が無いので無理のようだ。

 マリ−ナは比較的料金が高く、電気もとれなかったので満足のいくものではなかった。 漁協の頑なな態度には、小生は歴史的な長州人への尊敬の念があるのですが、悪い面がでたなと思う。他の山口県の漁港は空いていれば拒むようなことはなかった。 スペ−スが十分にあり税金で作った施設なので柔軟な運用が無いのであろうか。





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  フェリ−乗場の港  作業船が多い 空き無し




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 下関ヤンマ−前に仮停泊




 


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  商用岸壁   大型クル−ズ船用に作ったのか荷役設備は見られない





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  美萩公園前の候補地   





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  萩マリ−ナ   岸壁付けした





 

       2022-8-5





 
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2022年08月04日

源範頼 お墓 5

    

  ヨットで隠岐へ行く途中に仙崎に立寄りました。 近くの三隅に範頼の供養塔とお墓があるということで訪れました。

 ネットで調べてみるが詳しいことは分かりませんでした。

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 長門三隅八幡宮の宮司さんに地図を書いてもらい行くことができました。

 なぜ、ここに範頼の供養塔とお墓があるのかというと、伊豆修善寺で梶原景時に襲われて範頼は亡くなった。部下の当麻三郎と小太郎が首を持って逃れてここに供養したと云われています。



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 三隅八幡宮



 
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 範頼供養塔


 お墓は案内板にたどり着けましたが、そこへ行く経路が分からずに見ることはできませんでした。
案内板のすぐ後ろに獣道のような登り口があって途中まで行くが不安になり戻りました。他の道も探りましたが行くことが出来ません。 案内の説明不足でしょうか? 

 範頼はこの地では大事にされていないようですね。 せっかく大河ドラマで登場しているので殺されるシ−ンが過ぎてしまうと、 ますます、ここを訪れる人は少なくなってしまうでしょう。

 隠岐のクル−ズを終えて自宅に帰って大河の録画を見ると、範頼はもはや殺されてしまっていた。範頼の復権は遠いようです。



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 範頼お墓 案内板



    2022-8-4


  源範頼 まとめ

    http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank057.html




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2022年08月01日

隠岐のヨット泊地 その2  


  
   



  隠岐にてヨットで実際に停泊したところは西郷と菱浦です。その他は写真や図で青丸で記しますが、実際に訪問実見していますが停泊したところではありません。 水深もあるところですが、初めは槍付けして着岸して、確かめてから横着けすべきでしょう。 槍着けでしたらスペ−スが多くあり困らないでしょう。



 1. 島後






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島後のヨット泊地


  中村

 漁港の横は海水浴場になっている。 小さい食堂があり、サザエ丼を食した。  北風系以外は穏やかな港湾である。



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 布施

 横付けできる場所はなさそうである。 槍付けで北の部分に着けるか、錨泊しかなさそうである。




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  布施のヨット着岸不適の桟橋

 

  福浦

 諸風を防ぐ良い湾のように思われる。 ここはロ−ソク島観光の案内船の係留地である。その船が岸壁を使用している。防波堤の内側に2隻ほどの係留場所がある。 仮付けして確認してください。 北の奥まった重栖には定置網漁船が多い岸壁があるが、漁民に尋ねる必要があると思う。



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 右側は福良の観光船岸壁、下の防波堤の内側が泊地候補


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 右側は重栖の定置網用漁船が係留する岸壁


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  都万(つま)

 湊が充実していない時代に舟を陸揚げして保管した船小屋群が日本で少数になって残っているのが見られる。 南風系のときにはウネリが入るようである。


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  都万の船小屋群





  蛸木



 北風系の風のときには良い泊地となる。 漁協の前には空スペ−スがあるが、荷揚げに使用されるようなのでここは避けた方が良いでしょう。


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 蛸木の係留予定地







 2. 島前・どうぜん





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 島後と島前の間はフェリ−によるかジェット船での交通になる。しかし、島前の3島・仲の島、西の島、知夫島には300円の交通船が便利である。



    仲の島

 菱浦

 西郷よりヨットで仲の島・菱浦に向かう。西の島戸の水道では向かい風になり,ここへの風が収束して強まるようなので難儀して菱浦へ入港した。ここは風が通るようだが湾内の波は静かで良い避難港になると思われる。

 事前に西郷よりフェリ−にて菱浦に往復して観光案内所にてヨット係留地を尋ねた。湾奥に公民館がありその前を勧められた。そこへ係留した。

 お風呂はホテルEntoで入浴するすることができる。週に3日ほど可能でタ−ミナルにその日程が張り出されていた。係留場所の前には小ス−パ−があり買い物ができる。給油は諏訪湾の方にスタンドがあった。



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 赤丸は係留地





  諏訪(湾)

 菱浦から東へ隠岐神社方面にいくと比較的大きな湾がある。ゴミ焼の施設が有りそこの岸壁も利用できそうだ。 実際に事前に確認が必要です。



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  青丸は係留候補





    西の島



  別府



 別府へは連絡船やフェリ−にて菱浦や来居より10分ほどである。 下図で候補地を2か所を実見したが、今回の南西の風が続いた時点ではウネリが入りヨット係留には適さない。菱浦から別府のヨット移動はしなくて良かった。 ここからレンタサイクルで黒木御所や鶴丸ホテル、浦郷を目指した。

 

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 青丸は係留候補地

 

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  ふるさと館前の候補地  上図A

 

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  上図B





  浦郷

 浦郷には観光船のりばがある。 恐らく隠岐フェリ−のための大型岸壁が整備されている。そこへの配船はされていないので利用できると思う。

西隣の由良比女神社のある湾にも係留候補地が考えられる。



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  青丸は泊地候補





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 写真奥の 浦郷のフェリ−用岸壁 候補地A



  

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 浦郷 由良比女にある候補地B







 隠岐西の島海の駅  シ−サイドホテル鶴丸

 実見したところスペ−ス1隻しか無いように思われた。3隻とあるので予約により調整するのであろう。訪ねるつもりであったが、今回は日程的に断念した。3000円で夕食と入浴がついて留められるようである。 電話08514-6-1111 上図の位置にあるように諸風を防ぐ良い泊地である。

 

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  ホテル鶴丸ポンツ−ン



 知夫島


 知夫島の係留地はフェリ−と連絡船の港になっている来居と南にある知夫里漁港になる。 来居は暴露したフェリ−岸壁の端になるので天候に左右され時期を選ぶ必要が生じる。連絡船の船着き場は少し囲まれた空間があるが、狭くて場所は無い。

 知夫里漁港は漁協の建物前の岸壁かその先の防波堤が候補地と考えられるが、一旦槍着けして尋ねる必要があるでしょう。 ここは七類に着く大型釣り船の母港のようで、後で思いついたのですが、七類に行ったときに知夫島の係留地を尋ねておくのも良い方法かもしれない。

 この島では買い物、お風呂、給油は期待できないでしょう。


 

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  青丸は係留候補地


 

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  来居 A 候補地   



 

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 知夫漁港 B 候補地





   2022-8-3

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2022年07月31日

隠岐のヨット泊地  その1


 隠岐の島に七類から西郷まで渡り、2022年 6/20より7/1まで滞在した。 天候が悪くヨットで隠岐のあちこちの港を訪ねることはかなわなかった。 仲の島の菱浦へはヨットで行き、そこから西ノ島と知夫島へは300円の連絡船により訪ねた。

 西郷ではウネリが入りヨット泊ができずに一部はホテル泊となった。そこでは8日ほどいたので、レンタカ−や町内バス、レンタサイクルにて島後島の北部・東部・西部の漁港を実際に見て回りヨット泊地を探った。満足ではないけれど今後ヨットで訪れる人のための参考になればと、ここに記した。

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 隠岐諸島


 島後島 その1

 西郷  本土の七類よりフェリ−やジェット船が頻繁に到着する。飛行場もあり隠岐の玄関口となっている。 かっては北前船の風待ちの港として繁栄したこの湊である。 しかし、フェリ−岸壁の端に停泊したけれど、南西風が続きウネリが入りヨットが動揺して、ここでは快適とはいかなかった。
 連絡船がフェリ−に代わってから旧桟橋にもヨットが付けられるがここも同様でしょう。 

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 青丸 最初に着けた位置(小田地区 )、 赤丸 ここで滞在した

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 赤矢印側に着さん可能  反対側は公共の船がよく利用する

 西郷の停泊届けはフェリ−タ−ミナルの1階に港湾事務所へ、親切に対応していただく。

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 西郷の(上図の赤丸)停泊地、  隠岐フェリ−荷物取扱所の横


 ウネリ対策では上図にある最初に着けた小田地区や黄色丸の海幸海運から秋鹿鉄工所までの水深のある岸壁を下調べして移動する手もある。 また、下図にある西郷大橋を抜けた湾奥にアンカ−するのも良いかも?

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 赤丸は 避泊地(事前調査必要)


  2022-7-31

   続く


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2022年07月29日

2022年 春巡航




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 2022年の春のクル−ジング報告です。 今回の開始時期が、連休明けになり予定より遅れた、それが季節的な影響が悪い方に作用して盛夏にまで運航することになる。 今年の予想外の早めの梅雨明けにより、キャビン内の温度は35度にも達する、大汗をかいて疲れのとれない浅い眠りが続いた。これでは続行できるのかと弱気になることもあった。

 クル−ジング中には、フェリ−にぶつかりそうになったり、霧になっての運航を迫られたり、時化てオートが使用できずに7時間余りも手足で舵を握る羽目になる。 また、目的の隠岐は天候にも恵まれず、期待していたところは、それほどでもなく満足するものではなかった。 2か月余に及ぶシングルハンド航海はさすがに長く、今後の計画は1か月程度のプランにしたいものだ。 それでも全体的には満足感を得られたものだった。


   2022年 春のクル−ジング

5/14  埼玉自宅より岡山県児島へ
5/15  これよりホ−ムポ−ト児島泊
5/16  下津井船具屋でアンカ−ロ−プ60m購入
5/17  
5/18  エンジンオイル交換
5/19
5/20  上架  船艇塗料作業開始
5/21  ペラクリン塗装
5/22
5/23  下架  船艇塗料作業終了
5/24  前部ハッチ修理
5/25  岡山JCIで隠岐へ航行できるように母港を変更
5/26  クル−ジング児島出発  弓削着
5/27  弓削泊  因島 一の城見学
5/28  弓削泊  連絡船で伯方島往復 伊予金ヶ崎城、伊予木浦城見学
5/29  弓削発 下蒲刈着  丸山城見学
5/30  下蒲刈発 上関着
5/31  上関泊  上関城見学
6/1   上関発 下松着
6/2   下松泊  花岡八幡、末武城、下松古地図散歩
6/3   下松発 新門司マリ−ナ着
6/4   新門司マリ−ナ泊  風待ち
6/5   新門司マリ−ナ泊
6/6   新門司マリ−ナ泊  門司城、丸山城見学
6/7   新門司マリ−ナ  潜水ペラ点検
6/8   新門司発 関門海峡通過 蓋井島めざすが反転して南風泊着
6/9   南風泊発 角島着  潜水 
6/10  角島発 仙崎着
6/11  仙崎泊  金子美鈴記念館、源範頼供養塔と墓へ行く
6/12  仙崎泊 風待ち
6/13  仙崎発 江崎着
6/14  江崎発 浜田着  かって、えい航してくれた恩人の秋美さんに会う
6/15  浜田泊  風待ち 浜田城へ
6/16  浜田発  温泉津着  潜水  元湯につかる
6/17  温泉津発 鷺浦経由(工事により入港拒否) 十六島(ウップルイ)着
6/18  十六島発 七類着
6/19  七類泊  風待ち 境港へ
6/20  七類発 西郷・島後着
6/21  西郷泊   五箇温泉へ
6/22  西郷泊   カミさん飛行機で着
6/23  西郷泊  レンタカ−で島後東地区へ
6/24  西郷泊  ウネリが強くホテル泊
6/25  西郷泊  同じくホテル泊
6/26  西郷泊  隠岐国分寺、バスで島後北地区へ
6/27  西郷泊  フェリ−で仲の島・菱浦往復、国府尾城見学。 カミさん菱浦泊
6/28  西郷発 菱浦着  隠岐神社、村上家、田屋城
6/29  菱浦泊 
6/30  菱浦泊  カミさんフェリ−で境港へ、皆生温泉泊
7/1   菱浦発 七類着 カミさん皆生温泉より着
7/2  七類泊  バスで松江へ、 松江城見学、 ホテル泊
7/3  七類泊  松江より米子経由で七類帰着、 カミさん米子より帰京
7/4  七類発 十六島着  台風準備作業
7/5  十六島発 温泉津着 沖泊見学
7/6  温泉津発 浜田着
7/7  浜田発  江崎着
7/8  江崎発  須佐着
7/9  須佐発  越ケ浜着
7/10  越ケ浜発  萩マリ−ナ着 萩城見学
7/11  萩マリ−ナ泊  萩城下町見学
7/12  萩マリ−ナ発 角島着
7/13  角島発 関門海峡経由 新門司マリ−ナ着
7/14  新門司マリ−ナ泊
7/15  新門司マリ−ナ発  姫島着
7/16  姫島発  上関着
7/17  上関発 濃霧に会う 上蒲刈向港着
7/18  上蒲刈発  弓削着
7/19  弓削泊
7/20  弓削発 母校児島着 クル−ジング終了

7/21  児島泊  
7/22  児島泊 メインセール修理発送
7/23  児島泊  ド-ジャ−修理
7/24  児島泊   ド−ジャ−修理
7/25  児島泊 ド−ジャ-修理
7/26  埼玉の自宅に帰る

  この後で、1か月ほどかかると思いますが、その詳細を報告できればと思ます。

   2022-7-29



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2022年05月06日

熊野古道 伊勢路 波田須の道


 熊野市新鹿に住んでいる友人を訪ねました。その彼は定年を迎えて、雪の積もる新潟より田舎暮らしを求めて棚田に新居を構えて生活をしている。 イノシシ、シカ、サルの野生動物に悩まされながらも楽しんで暮らしているようだ。

 ここら辺にある世界遺産の 熊野古道 伊勢路 を歩いて来ました。熊野古道は高野山に続く道だと思っていましたが、それは他にもあり、お伊勢さんにお参りをした人が熊野大社を訪ねるための参詣道が古くから整備されていたようだ。 この紀伊の地は国鉄紀勢線が開通したのが昭和39年でそれまでは交通の不便な地で岬岬にある集落は孤立していて連絡船により他と往来していた土地であった。


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 上図の熊野古道を歩く、二木島峠・峰紙坂峠登り口(出発)より波田津の密登り口南側(帰着)まで


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 案内図


 新鹿(あたしか)から歩き始めた。 さすがに世界遺産に登録されてから大きな整備が行われたのであろう。案内板や表示が整備されていて道に迷うことも少なく歩くことができる。 といっても狭い坂道を上ることになり、行き交う人も見当たらないさみしい道ではある。 小生が行っている ヨットでの城探訪のようにヤブをかき分けて道を探すようなことはありません。 道は石畳のような整備がされています。 熊野古道の伊勢路の中で鎌倉時代に築かれた重厚な石畳の道もこの経路にはあります。 波田須神社の地点(波田須のみち南側)で今回の帰着としてた。そこは国道311号に出ることになるのですが、ここには徐福茶屋があり、その崖下への道を下ると徐福の神社がある。 徐福は不老不死の薬を求めて秦の時代に中国を出たのだが、ここ波田須には徐福が訪れた記憶が伝わっており、徐福の神社の発掘の折には秦の古銭が見つかっておりその伝説の信憑性が高いものになっている。


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 新鹿にある二木島峠へ向かう古道が左手へ。 ここから波田須の道へ出発


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 311号のトンネルを抜けずに左側の石段が古道になる


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 鎌倉時代の造営道

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  徐福茶屋  手前は国道311号


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 茶屋の下に見える徐福神社



  東紀州観光手帳   波田須の密
https://kumanokodo-iseji.jp/spot/8424/ 


       2022-5-6


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2022年04月12日

大洋横断  まとめ

 




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 先人の世界周航  月日は主要地点のもの







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  世界の熱帯性低気圧


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 大洋横断について述べるには大西洋しか経験のない小生には資格がないのかもしれません。これから後期高齢者になった爺にはもう他を望むべきもない。最近に堀江さんが80を超える年齢にもかかわらずに太平洋を西航されています。 また、昨年は辛坊さんが太平洋を周回されました。 最初の太平洋横断で使用したブリストルチャネルカッタ−28は、縁があって小生がそのヨットを海外から持ってくるお手伝いをしました。

 日本や大陸の東岸より東航する大洋横断は、気候の関係により最初の大陸を離れる段階で難航が予想されます。それゆえ横断に冒険を望むのでなければやりたいものではありません。貿易風に乗って追手でスイスイ航海する安易な航海を小生のようなナマケモノには向いています。

 この資料を作った30年前には、それまでの帆船乗りが長きにわたって記録してきた気象情報よるパイロットチャ−トを参考にして小生が考えてみたものです。 ここ5年ほどは異常気象が続き台風の到来時期も違ってきました。計画を考えておられる人は最近の気象情報を吟味してプランしてください。長い目でみたら地球温暖化は本当であろうかと思っていますけれども。

 日本から出港するのは難しいものになるので、欧米でヨットを購入したケ−スになると思われます。考えておかねばならないことは米国でのハリケ−ンなどの熱帯性低気圧の時期です。 日本でも台風発生の時期が早まってきており、日本近海に差し掛かる時期は注意する必要があると思います。

  大洋航路とクル−ジングル−ト

  ヨット天文航法


  世界距離表

 http://endyachts.sblo.jp/article/189418903.html?1650390185


 

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 大西洋横断    カリブ海のハリケ−ンの時期に注目





  大西洋横断

  大西洋横断ル−ト



 

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 太平洋横断   ハリケ−ンと台風の時期に注目



   ヨットの大圏航路

   温暖化によるフロリダからの廻航







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 インド洋横断  モンス−ンの時期と風向に注目

 

  東南アジアから欧州へのクル−ズル−ト 12月





oudann  10.jpg
 太平洋横断



  パイロットブック

  パイロットチャ−ト



2022-4-12



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2022年04月10日

世界距離表  8. 太平洋・豪州

 



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  横浜・銚子―ロサンゼルス       5669  大圏航路

  銚子―パナマ              5669   大圏航路 

  潮岬―シドニ              3919

  佐多岬・鹿児島―シンガポ−ル      1657

  銚子―ハワイ              3235

  ハワイ―パナマ             4352

  潮 岬 ―フィジ−             3891



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  東京―グアム            1350

  種子島―コスラエ 大圏航路     2500

  グアム―ムサウ            940

  コスラエ―ナウル           430

  グアム―ウエ−ク           1350





kyori 91.jpg
 季節別航路



  銚子―サンフランシスコ      大圏航路 東航 5−9月

  サンフランシス―ハワイ―沖縄       西航  11−3,6月

  パナマ―沖縄   21N,107W経由  西航   1−12月  

  銚子―シドニ−   13.5N,144.3E 経由 南航  12−2月

  シドニ−沖縄           北航  11−3月


     2022-4-10


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2022年04月08日

世界距離表 9. 南太平洋・オセアニア

 



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  注) Distanceは直線の距離・海里・マイルです



  ハワイ―フィジ−       2919

  パナマ―タヒチ        4616

  ハワイ―タヒチ        2400

  タヒチ―イ−スタ−      2400

  パナマ―ガラパゴス      850



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   ブリスベ−ン―ニュ−カレドニア      750

  シドニ−オ−クランド        1299

  シドニ−―フィジイ−       1690

  タスマニア―シドニ−      614




kyori 101.jpg
  (数字)は島の中の最高高さを示し、ヨットからの視認と航路選択の助けとなる



  シドニ−―ヌメア       1100

  ヌメア―バヌアツ        480

  バヌアツ―フィジ−      600

  シドニ−―ノ−ス岬     1200

 

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  シドニ−―オ−クランド        1450

  シドニ−―ウエリントン        1200

  ブリスベ−ン―ノ−フォ−ク      820

 


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  ヌメア―バヌアツ―フィジ−      1080

  フィジ−―アロレ          1360

  ナウル―フレドリック        1460 

        

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  ハワイ―クリスマス            1150

  ハワイ―カントン             1950

  トンガ―カントン             430





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  サンフランシス―タヒチ            3400

  タヒチ−マゼラン海峡  大圏航路       4010

  イ−スタ−―ガラパゴス           2000

  ラパ―ニュ−ジランド北岬          2540

  ヒヴァ・オア―ガラパゴス          3000



  世界距離表を終えるにあたって、もうヨット健康寿命が迫ってきた年頃になり、30年以上前に作った資料を載せました。パソコンも無い時代でGPSはもちろんありません。図表は読みにくいものとなっており、少しパソコンで文字を加えましたが本当に役に立てるのであろうかと思います。

 若いころに考えていたヨットプランではエ−ゲ海や南太平洋は外せない夢でしたが、もう無理でしょう。これからそこを目指す方々に1里の助けになれば幸いです。



         2022-4-10

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2022年04月06日

世界距離表 7. インド洋

   

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  スエズ―シンガポ−ル    4898

  アデン―ボンベイ      1641

  アデン―コロンボ      2193




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  ダ−バン―パ−ス        4141

  コロンボ―ソコトラ       1560

  ソコトラ―パ−ス        4458            




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 インド洋季節別横断航路  南半球ゆえに季節・暑さは逆になる



  ソコトラ―シンガポ−ル       3305  11−3月  西航

  パ−ス―ソコトラ         5520  5,9月 西航

  ポ−トエリザベス―パ−ス     3270  12−2月  東航

  ポ−トエリザベス―ソコトラ    3100   北航 12−2月、  南航  5月


      2022-4-6



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2022年04月04日

世界距離表  6. 大西洋  カリブ海   




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 ジブラルタル―カナリア          712

 カナリア―バルバドス          2600

 バルバドス―パナマ           1216

 ニュ−ヨ−ク―パナマ          1946

 ジブラルタル―マイアミ         3805 


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  ジブラルタル―ラス・パルマス          680

  ジブラルタル―ダカ−ル            1400

  リスボン―カサブランカ             340 

  ウエルバ―アゾレス              524





             カリブ海



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  カリブ海クル−ズ     シリ−ズ   全157回

       第1回から第101まで
    http://norari.net/carib/back_carib.php

      第102回から第157まで
    http://norari.net/carib/back_carib02.php   削除された模様

   ご興味のある方はAmazonにて発売中  400円


    2022-4-4



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2022年04月02日

世界距離表  5. スカンデイナビア





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 スカンジナビア西部



 

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L.Hは灯台、L.Vは灯台船、 L.Byは灯標ブイ



  キ−ル−コペンハーゲン               177

  イエテボリ・ゴ−ゼンバ−グ―コペンハーゲン     139

  オスロ―イエテボリ               159          

   



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 スカンジナビア東部





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L.Hは灯台、L.Vは灯台船、 L.Byは灯標ブイ





  グダニスク―サンクト―ペテルブルグ     552

  ストックホルム―ヘルシンキ        244

  グダニスク―ストックホルム        372


2022-4-2



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2022年03月31日

世界距離表 4.オランダ・ドイツ

 
     オランダ・ドイツ



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 北海沿岸諸、 大きな赤丸はダンケルク





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  L.Hは灯台、L.Vは灯台船、 L.Byは灯標ブイ



  ダンケルク―ロッテルダム        106

  ロッテルダム―ハンブルグ     264

  ブレ−メン―キ−ル運河経由 キ−ル    172


   2022-3-31


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2022年03月29日

世界距離表  3.  英国・ドーバ−


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サザンプトン―グラスゴ−     598

ロンドン―グレンジマウス    411

ビショップロック―ダブリン     227


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 ロンドン―フォ−クストン            100

 フォ-クストン―ル・ア−ブル          109

 サザンプトン―ビショップロック         253

 ル・ア−ブル―ビショップロック         286

 シェルブ−ル―ダンケルク           179


    2022-3-29


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2022年03月27日

2. 世界距離表  地中海東部

   

            地中海東部




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 赤丸は都市、 青丸は変針点、       数字は海里・マイル





 
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 アテネ―ポ−トサイド       645

 アレキサンドリア―マルタ     810

 アレキサンドリア―アンタルヤ   340





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  ヴェネツイア―ピエステ               290

 トリエステ―ドウブロブニク              290         

 ヴェネツイア―トリエステ               75



 

kyori 23.jpg


 ドウブロブニク―コルフ            225

 コルフ―アテネ(コリントス経由)       210

 ケファロニア南―メッシナ           255



 


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  アテネ―イクラリオン           180

  イクラリオン―ロ−ドス          180

  アテネ―アンドロス            75

  アンデイキテイラ―アテネ         135





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  アテネ―イスタンブ−ル       355

  アンドロス―イズミ−ル        145

  



       2022-3-27

    





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2022年03月24日

ヨットのための世界距離表  1.地中海西部


   世界距離表

 30年以上前に外航航海士をしており、スペインで友人とヨットを所有して乗っていた時代です。本船にあった世界の海図をもとにしてヨットのための距離表を作成しました。まだパソコンが普及していない時代であったので、手書きの読みずらいものになっています。 もう、古くなったかもしれませんが、少しはロングを目指す方にはこれが役に立つかもしれません。間違いがあると思いますのでご参考としてください。

  今の欧州では難民のあふれる激動の時期を迎えました。 あれほど穏やかで落ち着いたあの頃のヨ−ロッパはどうなったものでしょうか。 ウクライナ戦争の平和が訪れますように願っています。

 もうひとつ、これから外洋クル−ジングをめざされる方に、本船との衝突を避けるためのアドバイスを申し上げます。 本船は夜間の大洋航海中には他船・大型船との衝突の恐れが無い限りレ−ダ−を作動していません。 目視による監視により航行しています。 それゆえに夜間は全周を照らす燈・アンカ−ライト・停泊燈をひとつで良いので点灯しておくことをお勧めいたします。 
小生のような不真面目な航海士が夜間当直をしているときには、チャ−トル−ムに引きこもって今回のようなプライベ−ト作業・距離表作成に専念して見張りをおろそかにしていました。 視界が悪くなければ灯火ひとつで充分にヨットを大洋の中も確認できますので。
 
   付録   ヨット天測


1. 地中海西部
2.  地中海東部
3.  英国ド−バ−
4.  オランダ−ドイツ
5.  スカンジナビア 1
6.  スカンジナビア 2
7.  大西洋
8.  アフリカ北西部
9.  カリブ海
10.  太平洋
11.  南太平洋 オセアニア
12.  インド洋

  1 地中海西部

kyori 05.jpg
 赤丸は都市、   青丸は変針点の 緯度経度
 図をクリックすると拡大します

kyori 10.jpg
 マジョルカ−イビザ    70
イビザ−ジブラルタル   290



kyori 11.jpg
 マジョルカーバルセロナ   130
 バルセロナーマルセイユ   189
ヴァレンシア−バルセロナ   162


kyori 15.jpg
 マルセイユ−ジェノバ      228
 ジェノバ−ロ-マ        190



kyori 15.jpg
ロ−マ―ナポリ        100
ナポリ−メッシナ       175
カグリアリ―マルタ      350



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 メッシナ―ターラント      220
 カグリアリ―メッシナ      345


      2022-3-24



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2022年03月08日

スーパ−ヨット制裁


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 ウスマノフ氏の豪華ヨット(建造費が約850億円ともいわれている)日経新聞より


 米国はウクライナ戦争においてロシアのオルガルヒの所有するス−パ−ヨットを制裁対象として資産凍結した。

  米、ロシア富豪8人に制裁
  https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-03-04/R873I9DWLU7201

  オリガルヒとはソ連が崩壊して資本主義になっていく過程で国家の財産・企業を一部の人が占有したものだと思われるが、プーチンになってからそれが再改変されて彼を支える支持者になっていると云う。

 オリガルヒは塩野七生さんの「ギリシャ人の物語」オリガルキア(寡頭政)からきた言葉であることを最近それを読んだので知る。

super 03.jpg
  博多湾に停泊しているロシア豪華ヨット

 2018年に長崎にクル−ズした折に北九州沿岸に沖アンカ−していたロシアのスーパ−ヨットを見かけた。新門司マリ−ナにはテンダ−を寄せてゲストの乗り降りをしていた。 ロシアの富豪と聞き及んだが、今回の制裁の対象となり、日本に来れば資産保留になるのであろうか?


    2022-3-8



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2022年02月04日

スエ−リンク全集 その1



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 Jan Pieterszoon Sweelinck  1562-1621

 オミクロン風邪が全盛の折り、ヨットに乗れない時期になっています。 この時を利用して、ヤン・ピーテルスゾ−ン・スウェ−リンク全集の作成を始めました。 聞きながら作っていますので数か月かかると思います。 スウェーリンクは古楽の鍵盤好きな人でないと馴染みのない人かも知れません。

 彼はオランダ生まれで、父も息子も音楽家である一家に生まれました。後期ルネッサンスと初期バロックの時代に活躍してその時代の代表をする人物になります。 

 小生は20代でオルガン紀行をしたいものだと夢見た時期がありました。死期まじかのこの年齢になっても未だにかないません。パイプオルガンはその頃と比べて、日本にはバブル時代のハコモノ建設が盛んな時代があったせいで、各ホ−ルに設置されるようになっています。 現物の音を聞けるようになりました。 それでも今までに多く聞けた分けではありません。

 パイプオルガンはオーデイオで聴いても、なかなか満足することはできません。古楽好きの老生ですが、このジャンルはそれゆえ得意でないと自覚しています。もう、欧州へオルガンを聞きに行けそうもないと思いますが、少しはこれで慰めになるのでしょうか?

 彼のオルガン作品は小生にはバッハと区別ができません。バッハのオルガン曲は彼の曲より、より壮大になったようにしか聞こえません。 オルガン音痴のせいでしょう。 バッハが彼の作品の上に建ち、それほど近い存在ゆえかもしれません。 

  スウェ−リンク作品番号・SwWVにより整理してYouTUBEで聴けるものを取り上げていきます。

  その1  鍵盤曲  SwWV 253-298
     http://hayame.net/custom40.html#spb-bookmark-811

     鍵盤曲 コラ−ル編曲  >SwWV 299-316
     http://hayame.net/custom40.html#spb-bookmark-812



     2022-2-4


  速魚の古楽全集

 1. バッハ
 2. ヘンデル
 3. モンテベルデイ
 4. シュッツ
 5. パーセル
 6. ダウランド


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2022年01月31日

ヨット 狭水道 まとめ


  瀬戸内の狭水道(ヨット)



 

kyousuido 00.jpg
  ヨットで通峡したことのある瀬戸内の狭水道



 「ヨットによる狭水道」をまとめました。 それについてはブログやHPに2013年以来の原稿があります。その中の狭水道に関するものを選びました。 そこには本船に関するものもありますが、ヨットにも関係していますので、それも取り上げます。

 40代まで本船の船乗りでしたので、本船では関門海峡と来島海峡には一段と注意を向けています。ここを通る本船船長には特別の水先手当が当時は支給されていました。

 また、残念なことに来島海峡では所属していた船会社の船舶が2隻が外国船と衝突して沈没しています。乗ったことのある船では怒和島水道で、これも外国船と衝突して沈没。 それでボ−スンが亡くなりました。 その事故は小生が休暇で下船した後の事故です。

 自身がの経験した本船の狭水道の航行で一番大変に思ったのは、ドイツ、デンマ−ク、スウエ−デン、ドイツからユカタン半島を1週間で回るコンテナ−フィ−ダ−サ−ビスに従事していた時でした。 その理由はいくつかあります。 そこの海域へは大西洋から暖かいメキシコ湾流が流れ込んでいるせいか、海の温度と大気の温度に違いがあり、春秋夏には霧が発生して視界が悪いこと。 また、当時は欧州と言えども日本程には航路標識設備が充実していないこと。 おまけに、冬には海が凍って砕氷船のサ−ビスを利用する時があることです。

  そこの一番の問題は、この海域は瀬戸内のように島が多く狭水道が多かったことです。 そこには思わぬ潮流が有り、流されて船位を求めると予想外の位置にいる時がよくあった。 船位を求める間隔を短くすることでその偏位に対処した。 これらのことで船乗り人生で狭水道航行に一番苦労したスカンジナビア航路であったと思う。

 話がそれました。 ヨットの狭水道のことでした。  初めてクル−ザ−を買い、処女航海での母港へ廻航の時です。 まだ着岸作業にに自信がないのでそれを避けて、夜はアンカ−を打ち、停泊し睡眠した。 若さにまかせて、毎日1kgの減量を余儀なくされた我武者羅航海となった。  弓削商船高等専門学校が見える沖に停泊し、さて、これから狭水道の航海だ。 来島海峡を避けて船折れの瀬戸(宮窪の瀬戸)に挑む。 そのころは潮流表で流速と転流時を調べて航海する時代であった。 ビギナ−故の間違いか流向を反対に読み水道に出たがヨットは一向に進まない。 それを見かねた地元の人が陸から声掛けしてくれて、反流を教えてくれる。 小さな船溜まりに停泊して転流時を待っことになった。 再挑戦は事なきを得て通狭した。 最初の狭水道の通峡の経験であった。 それ以来この水道は忌避して今日に至る。 とんでもない昔話を聞かせてしまった。 狭水道の航行は、人にもよるけれど、それだけ記憶に残るものになる経験とも言えよう。 船折れの瀬戸にはいずれ挑戦するつもりだ。


  最近、ここに書いたように、狭水道でヒヤリハットをしてしまう。 いろいろ狭水道について取り上げてきたが、このことで大して当てにならないとバレてしまいそうである、この「まとめ」が何かの参考になれば幸いです。



 下記の「まとめ」をクリックすると詳細に飛ぶことができます。



   ヨットと狭水道まとめ

    

   
http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank059.html

    2022-1-31

 
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2022年01月27日

ヒヤリハットの大畠瀬戸



 2021年の秋巡航では来島海峡、上関海峡、大畠瀬戸、音戸の瀬戸及び下津井瀬戸を通航した。今思い出すと、ヒヤリハットしたのは大畠瀬戸であった。

 慣れは怖いもので、昔なら潮止まりの前後に橋下を通るように時間調整をしていた。  最近は4−5ノットの連れ潮なら関係は無いということで、今回の北航は笠佐島と大島の間を航行して大畠大橋の中央部を目指して針路をとっていた。 橋の近くでは7ノットに上る連れ潮だグングンと橋桁に接近する。 慌てて橋と並行するようにまで左舷に思いきり舵を切りぶつからずに終えた。リ−ショアに気をつけろとはこのことでした。 流されることを計算にいれて橋の中央を目指すことなく左側に寄って航行すべきであった。


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  大畠瀬戸  我が通航図



 おまけに先に通った内航船の500トン以上もある思われる本船が橋の通過後不自然に右に大きく寄せられたのを目撃していた。 先例があったのです。事故なく幸いにも今回は終えることが出来たが小生のような凡人には予見や先例を後になって気が付くものです。


      2022-1-27


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2022年01月23日

更新 ヨットのための海の駅と泊地

 
 昨年の秋巡航の後、更新いたしました。

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   http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-41

    2022-1-22
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2022年01月16日

大西洋横断





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 今となっては30年を過ぎた昔話である。佐野所有のニコルソン39ケッチにてペペと小生の3人で大西洋を横断した。

 佐野との共有していた52fケッチを売り、小生は日本で家にそのお金を使う。 佐野は米国人より39fのヨットを購入した。 それをアメリカに持っていくのにスペイン・マジョルカ島のアレナルヨットハ−バ−より出発した。



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 マジョルカ島 アレナルとパルマ



 スペインの南岸をジブラルタルへの航行中、当時はGPSという便利なものは無かった。チャ−トと灯台頼りの夜間航行中、灯台を目指して航行中であった、崖の上の道路上を車のライトが飛行機のように見え不思議な光景を目にした。 霧の視界が悪い中なので、今思えば灯台よりの離間距離をとって航行しなければならなかった。 突然ドスンと止まってしまう。 のし上げたようだ。 朝まで待ち、そこは灯台近くの位置であった。なんとか離礁して近くにあったフェンヒロ−ラのマリ−ナに行き、そこで修理作業を行った。 ロングキ−ルのハルであったので船底に小さい穴があいたのみで浸水はなかった。 その修理はガラス繊維で覆うだけで良かった。



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 赤丸は座礁地点



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 赤丸はジブラルタルマリ−ナ



 ジブラルタル海峡を抜け地中海とは別れて大西洋に突入。 ジブラルタル空港隣のマリ−ナへ停泊した。 ジブラルタる要塞や飛行場横にあるスペインとの入国検問所を通りアルジェシラスを訪ねた。



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 ラス・パルマス


 ジブラルタルよりアフリカモロッコ西岸沖を航行してカナリア諸島のラス・パルマスに停泊した。
30年もたつとすっかり港の様相が一変していて、前の停泊場所を探すことができない。 当時は公共岸壁にこれから大西洋に向けて旅立つヨットが縦付けに停泊していた。 地図の赤地点はカジノがある場所であるがその近くに停泊する。 おまけにそこで散財するために3日も出港を延期した。

 ここと同じように地中海の諸港はマリ−ナが整備されていて、港内にアンカ−で停泊したり、公共岸壁に停泊する場所が少なくなっているように思える。



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 ラス・パルマスよりしばらく南下してトレ―ドウインド(貿易風)をつかみ西航してウインドワ−ド諸島のひとつフランス海外県マルテイニ−ク島をめざす。

 貿易風の風は予想外に強くビュ−フォ−ト階級の風力4-5であった。 追手ゆえにヨットはロ−リングをくりかえし左右に艇体をゆらしながら快調にすすむ。 正中時の天測で正午位置を求めてサテライトナビゲ−タ−で求める船位の確認をした。 ヨット天測はこちらのペ−ジをご覧ください。

 ペペは日本の武道の名手でありすぐれたコッックであったので、動揺する船内でテンプラなども作ってくれて、彼のおいしい料理のせいで、25日の横断中に太ってしまった。

 マルテイニ−クに近ずいてからは夜が明けて午前中にそこへ到着するようにセ−ルを縮帆して時間調整を行う。 マルテイニ−クのランドフォ−ルは感動ものである。 その経験は横断したものの特権でしょう。



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 マラン沖の赤丸にアンカ−停泊



 マルテイニ−クの南端の岬を回った湾は貿易風を押さえた理想的な湾である。 そこは横断を終えたヨットが多く停泊していた。 その中に仏人と結婚した日本女性や日本人家族で32fのヨットでやってきた人もいます。

 小生のカミさんもNYから飛行機を乗り継いでここにやって来ました。 島内めぐりをして楽しんだ。 小生はここで下船してパリ経由で日本へ帰る。 パリではル−ブル美術館を3日間堪能した。

 このあと佐野夫妻は数年に渡ってカリブ海を周航した。 ハリケ−ンに会ってこの艇が80mも飛ばされて陸揚げされ、それを佐野は再び航行できるように就航させた、後日談がある。


 老年の乏しい記憶をたどりながらの昔の横断話でした。 今は変わってしまってお役に立つことは少なくなりましたけれど。



        2022-1-16


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2022年01月13日

人名政の島




 江戸時代の特異な制度の人名政は塩飽諸島の島々に適用されました。 そこは瀬戸内交通の要の地であるゆえ、古くから塩飽海賊の地であった。 秀吉の時代になって朱印状が与えられて、租税を免除され、公儀の海上輸送義務を負った。徳川幕府にも引き続かれた。 四人の年寄を設け自治を許される。政務は塩飽勤番所で行われた。 「人名」はなじみが無いが大名、小名、人名と続くことばであるのが分かる。 人名は1250石高を領有し、650人の加古役のものを呼ぶ。人名は個人に与えられたものであるが、株と同様に取り扱われた。

 それらを訪ねることができたのでまとめてみました。


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 赤丸は人名政の島々とその集落




1. 与島

2. 本島

3. 広島

4. 手島

5. 佐柳島

6. 高見島

7. 沙弥島 (しゃみじま)

 今は陸続きになっていますが、かっては島でした。 柿本人麻呂がこの沖で遭難して流れ着き、歌が万葉集にあるとかで、歌碑があります。


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 またこの島は弘法大使の弟子の理源大師がこの島の生まれたました。彼の胎盤を大きな石でフタをしたということで、それに触れるとたたりがあると、今でも漁港の入り口にふさぐように岩あり、それを残して漁港整備されました。


  
  
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  真ん中の大きな石  瀬戸大橋が見える


8. 瀬居島

  今は陸に続がって坂出市の一部になっている。


9. 牛島

 本島の南にある島。 丸亀市から連絡船2便/日。
豪商であった丸尾五左衛門の住居が残る。咸臨丸の乗組員も他の島と同じようにこの島より出ている。

10. 櫃石島・ひついし島

 下津井の南にある島で最も本土側に近い島である。 島へ行くには、島民しか車で入れないので、バス便を利用することになる。

  咸臨丸の乗組員50名のうち35名が塩飽諸島の出身であるのでこの島も3名が乗り組む。


   2022-1-13


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2022年01月10日

イビザとマジョルカ

   


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 PING 906



  スペインにいた友人の佐野と共同でマジョルカ島のパルマのマリ−ナにあったオランダ人家族が乗っていた52fのステイ−ルケッチ「PING906」を購入した。

 二人で1か月余り英国とスペインにある中古ヨットを探した。 今から振り返っても楽しく懐かしい旅でもあったと思える。 ロンドンではレコ−ドで聞いていた古楽の合奏団やヘンデルのメサイヤの演奏会をを聞くことが出来た。

 2夫妻が乗るということで大き目のヨットを選んだが、スエ−デンヨット42やホルベルグラシ−42などを買うチャンスがあった。

 マジョルカ島のアレナルヨットハ−バ−に係留することになる。 船乗りをしていたので7−8か月の乗船で2か月余りの休暇のときにスペインへ行き、ヨットを楽しむことになった。 要するにこの時期は年中海の生活をしていた。

 海賊の城のある島カブレラやマジョルカ島の南岸、イビザ島を楽しむ。 長いものはイタリアのサルデイニア北岸まで足を延ばした。


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  パルマからササ−リまで


 今思えば40歳代のことになり、30年以上の前のことである。当時にはブログも無い時であり記帳して残してもいなかった。 老人の記憶によるものですので、多少のことは許されたい。

 共同オ−ナ−の佐野が一部を残してくれています。 詳しくはこちらもご覧ください。


   地中海クル−ズ  佐野による
 http://hayame2.sakura.ne.jp/details1044.html#%E5%9C%B0%E4%B8%AD%E6%B5%B7%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA

    2022-1-11


   我がヨット巡航
  http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank055.html

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2022年01月07日

芸予諸島の村上水軍城


 瀬戸内にある村上水軍やその城の位置ををまとめてみました。


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  青字は訪れた芸予諸島の海賊城、  赤丸数字は城位置


  下記のクリックで個別の城へ


 @ 備後茶臼山城
 A 岡島城
 B 余崎城
 C 馬神城
 D 青木城
 E 青陰城
 F 長崎城
 G 俵崎城
 H 茶臼山城・生口島
 I 甘崎城
 J 能島城
 K 来島城
 L 鹿島城
 M 美可崎城
 N 千守城
 O 亀山城
 P 岩城新城

     2022-1-7

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2022年01月06日

手術後6年を経過して

  

  2021年 12/3-28まで入院をする。 6年ほど前に脱臼骨折の手術をした肩の「術後感染慢性骨髄炎」との診断を受けて手術をすることになる。 先の手術で肩に2本のピン・ボルトが埋め込まれていた。 今度のレントゲン検査で2本のピンを繋いでいたワイヤ−が切れていたのが映っていました。 それが原因で菌を呼び込み体内で悪さをしたのでしょう。 外傷による菌の侵入ではありません。

 2021年の秋巡航の時には肩に水が貯る症状があり、そのリンパ液が染み出てシャツを汚していました、痛くもなく腕も90度くらいは持ち上がるし、これはリハビリ終了後と同じ可動だったので、気にかけずに小生は満足の行ったクル−ズを楽しんでいました。 帰宅してクリニックへ行ったらすぐ病院行きで、手術をすることになる。 病院では「ピンを抜くようにといわれませんでした?」と問われても施術をした医師はそれを言わずに最近退職していた、リハビリをした地元のクリニックも1年余りのリハビリ期間にそれを云われなかった。 今となればピンを抜く処置は医療の常識であったようだ。

 手術では肩を10cm位切り開いて、ピンを抜きよく中を洗浄しその穴に抗生薬を入れて、また、腐った部分を切除した。 切り開いて現状を見てみないと症状の進み具合を判断できない、最悪には人工関節の手段を取ることもあり得ると病院の医師から聞かされる。 幸いにも洗浄だけで済んだようだ。 再発しやすいので今後は注意が必要とのことである。 寸止めで助かったようだ。 この後、形成外科で穴の開いた部分の治療がある。

  ここやブログで「爺爺のリハビリ治療 卒業」を書いていますが、卒業とはいかなくて再入学となりました。 今度の手術は切ったり貼ったりしたところが少なかったのでしょう。 術後1週間ほどの間に2回の院内リハビリで元に戻れそうな気がしています。 やっぱり再発が怖いなあ。

 問題点は中核医療の病院と地元のクリニックとの連携・連絡がうまくいかないとこのような事態が起きるのではと思われる。 米国の友人は日本にもヤブがいるのだなと...言っていましたが。

 中核病院はすぐに地元へ返したがる傾向があるように感じている。ここ病院の整形外科も紹介がないと診療が受けられない、このような別の問題もあるのですけれど。



      2022-1-6

 
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2022年01月05日

馬神城

    


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 馬神城、青木城,重井港



  生口島にある茶臼山城からの弓削への帰りはタクシ−で金山まで行き、そこからフェリ−で因島赤崎まで行った。ここでバスに乗れば土生まで行き連絡船で弓削に帰ることができるが、時間があるのでバスにて逆方向の重井まで行き馬神城を訪れることにした。 そこはかって青木城を探索したことがあるが、その時は支城にあたる馬神城を知らなかった。

 ここは永禄十年(1567年)青木城を築城した因島村上水軍新蔵人吉充の命により築かれ、側用人頭で第五(付)家老・末長有馬介景光(矢治馬介景親)が城将となった。そこには用人四家、小柱二家、使番五家及び大目付二家と十八(横目付)連中を率いて居城したと伝えられる。

 上の衛星写真で青木城と馬神城の位置関係や馬神島であったことが良くわかる。


 


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  馬神城


 

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 道降寺、  除虫菊ロ−ド脇に建つ




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  登り口と案内表示




 

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 門があったと思われる




 

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 本郭にある祠など

 



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  重井港方向を望む、 土生−重井−三原を結ぶ連絡船もある



 ここへ行くには除虫菊畑の入り口から車で行く方法と海岸沿いを歩き道隆寺へ行く階段を上がると先の道に着くものがある。 まもなく、登り口の案内板を目にする。



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  除虫菊畑の入り口



            2022-1-5





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2022年01月04日

俵崎城と茶臼山城    生口島

    




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 訪れた海賊城



 生口島は個人的には思いで深い町である。  初めての船員として乗船する時に、品川からブル−トレインに乗り尾道で下車。 当時は島々への連絡船のにぎわいのあるなか、瀬戸田造船へ行くためにそれを利用した。 ほどなく本船に乗船して北海道へ向かった。人生の初航海であった。


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 瀬戸田 連絡船降り場、 海の駅でもあるようだ




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 古い街並み風のモダンな建物




 瀬戸田と言えば耕三寺が有名である。そこは好みでは無いのでスル−する。 駐車場の隣に俵崎神社があり、そこが俵崎城跡である。





     俵崎城

 



 


 現在は海から離れた土地にあるが、海賊城にふさわしく岬の先の海城である。 瀬戸田は尾道に次ぐ湊町であった。この城主と考えられている生口氏は織田信長と毛利の戦い、第1次木津川口海戦で毛利方の武将です。


 

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 俵崎城登り口





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 1郭にある俵崎神社 




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  1郭にある高い部分  登れなかった



 

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 2郭を見る







  茶臼山城 生口島



 俵崎城は茶臼山城の支城ではないかと云われている。 観光案内所で尋ねて、そこへタクシ−で向かう。この城を訪れる人が少ないのか余り情報をもらえなかった。

 タクシ-を下りてからは舗装された山道を登っていく。ため池のあるところに手作りの案内板がありため池横を登ることになる。途中で行政の案内板があった。かっては整備されていたのであろう。 タクシ−でため池あたりまで行けるので、乗れれば楽です。


 

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 タクシ−下車 左へ向かう




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  ため池横にある手作りの案内プレ−ト  




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 案内板 



 水タンクのようなもので行き止まりとなり、さらに頂上を目指して道の無いところを登って行くと、、それらしくの一番高い場所についた。標識も無いところであった。これより下り路を探したが見当たらない。 より低い位置で通れそうなところを下っていく。往路に出会うとともっていたが1時間ほどしても無い。 焦りを生じた。 途中で土塁に囲まれた郭のようなところへも到達したが、それに続く道も無い。山で迷ったようだ。


 



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  水タンク

 


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  最も高い場所





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 土塁のある名も知らない郭






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 農場、・「ごちそうの森」の奥にたどりついたようだ。





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 ため池のむこうが「ごちそうの森」



 広島観光連盟のペ−ジより

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  守護神     広島観光ナビより転載

 「標高187メートル、中世の模範的な山城と言われています。周辺には寺跡、居館跡、石風呂跡が残っていたと伝えられています。頂上の一の郭には城の守護神がまつられ、二の郭には井戸跡があり一の郭の南側に三の郭の遺構が残っています。この城はお茶を碾く臼によく似ているところから茶臼山城と呼ばれたと言われる。」

 以上のような山頂の守護神なども見つけられなかった。 案内表示が朽ちていたのかもしれないがたどり着けずに、暴走老人のヨット乗りが山で遭難騒ぎを起こす寸前であった。 今後も注意しなければと......



       2022-1-4


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2022年01月03日

余崎城と岡島城


  余崎城



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 向島, 余崎城、 岡島城



 午前中に備後茶臼山城を訪ねて、午後は因島でレンタサイクルを借りて向島にある余崎城と岡島城へ向かう。 今日の3つの城はすべて村会海賊関係の城である。 因島でもらった海賊関係のパンフレットに載っていたものである。

 尾道から自転車込みで90円という安いフェリ−にて迎島に行く。 余崎城は向島の南岸にある城である。 そこへ行くには自転車で一山超えなければならなかった。 海賊にふさわしい立地で余崎城は海に突き出た岬にある。

 当時の栄えた湊町・尾道を押さえるには最適な場所と思われる。地元に人に尋ねながらお城の登り口へ来た。 しかし登って行くと何かの郭があったと思われる民家のある平地に着いた。 本丸へと続くはしごがあったけれど、不安定な構造で民家の敷地でもあり登ることを断念した。

  登り口の近くには船隠しのある小弯がある。



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 余崎城



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 登り口



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  行き止まりの民家



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 本丸へと続はしご?



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 船隠し


 後で知ったのですが、もう一つの経路があり、それは岬の反対側を通るル−トのようで残念だがその時には気が付くことができなかった。 城跡の整備はされていないもよう。




   岡島城




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 岡島城


 余崎城の帰り・岡島城への往路は1時間余りも峠の頂上まで自転車を押し登りで辛い作業であったが、そこからは向島のフェリ−乗場まで一気に下った。 この近くの造船所の敷地内に岡島城はある。 造船所の守衛さんに尋ねたがご存知なかった。城のふもとの民家の女性に聞いてみると、かってそこには邸宅風の建物があり現在は住んでいないということでした。 登り口を探したが通行禁止の模様。 またしても断念した。

 休止していたフェリ−乗場があり、そこを降りると尾道水道がわの城斜面が見える。

そこには城へ上がる道や船を繋ぐ雁木があったかもしれない。



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 造船所の敷地にある



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 登城口とおもわれる?



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 休止していた尾道―向島のフェリ−


 今日の3城訪問はいずれも満足するものではなかった。 因島の観光案内のパンフレットに載っていたものだが、単なる城の位置を示すものだけであったのでしょうか。 観光施設としての整備はされていない。


    2022-1-3


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2022年01月02日

備後茶臼山城



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 青線、 乗船した連絡船航路




弓削海の駅にヨットを置き備後茶臼山城を訪ねた。 実は尾道にも海の駅がありそこにヨットで停泊したことがあります。 尾道水道は狭く潮流が強い時がある。 それゆえ、そこを出港しようとしたところ、もやいを離すとすぐに自船が隣の船に寄せられていき、シングルハンドで対処するには辛い思いをした経験が有り、一人の時は尾道を避けている。



 面倒なことだが、百島にある村上海賊の備後茶臼山城へ行くのに、弓削から連絡船で因島の土生へ、そこで尾道行きのバスに乗り、尾道から百島へ再び連絡船に乗った。



 その城跡の近くの脇の道に来ているのは確かと思われたが、地元の2人に尋ねたが市への確かな道は分からなかった。 尾道市は瀬戸内では有名な観光地なので近くの島の城跡には興味も予算付けも無く。 遺跡整備に熱心ではないようだ、遊歩道の整備も案内板も無かった。 この城訪問は断念した。





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 尾道よりの連絡船




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 百島案内板





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 備後茶臼山城





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 行き止まりの廃車。 ここより道があれば城跡にいけるのだが





    2022-1-2


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2022年01月01日

我がヨット巡航


  2022年 元旦

   あけましておめでとうございます。

     本年もよろしくお願いいたします。

  http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank055.html


 我がヨット人生はY15に始まり半世紀余りを過ぎました。 かすれ行く記憶をたどって巡航の記録をここに取り上げてみました。

 ヨット泊地は最近のものは、できるだけ詳しく取り上げたつもりです。個別のペ−ジをごらんください。参考になれば幸いです。


                        2022-1-1


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2021年12月30日

青陰城



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 2021年秋巡航で訪れた城(赤字)

 因島村上海賊は長崎城、余崎城、青木城、青陰城と居城を移した。 そのすべてを数回に渡って訪ねたが、今回でそれらを見ることができた。 青陰城以外はすべては、海沿いに建つ海城で近くの船隠しに襲撃船を置いて、いつでも目標に向けて出撃で来た。青陰城は山城でそれを持たない。ここは海賊の地位が確立したので、今までの城立地と違ったのであろう。 本丸から眺めると分かるのだが、近くの島々とその瀬戸がここからは見通せる。ここから出撃命令や発見報告を、狼煙を使用して指示したのであろう。

 本当にここからの眺めは絶景そのもので、これぞ瀬戸内という感じである。 日本のまた、個人的に眺めた絶景のベスト3に入ると確信が持てる。オススメポイントであります。
 


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 青陰城の案内標識、  所々にある。 左端の小屋が宝寿寺

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 一時置きした自転車

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 ここから登山口

 南北に2つの登山口があるようですが、北はメンテが悪いと言う情報があるので、小生が登った南ル−トが良いようです。 小生はレンタサイクルでいったのですが、登山口までズット登坂で自転車を押して登るハメになった。だが、帰りは「楽チン」そのものであったが。

 南ル−トとしては、田熊郵便局横の道を登って行く。 所々に日本遺産の案内標識が設置してある。地図では宝寿寺(小さな祠のようなもの)を目指していく。

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 分岐点


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 曲がり角には石垣が残っている


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 2の丸


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  本丸の石垣へ続く道


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  本丸


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  絶景、  写真のウデと機材が悪くてゴメン、 本物を見よ!


 村上水軍城(博物館)をかって訪ねた時に、「あれが青陰城よ」と教えていただいたが、今度は反対にそこ青陰城から博物館を見下ろすことが出来た。

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 博物館を本丸より見下ろす

   2021-12-14


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2021年12月12日

新高山城

信高山城・にいたかやまじょう

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 信高山城 


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 縄張り図  現在地表示はは匡真寺跡です


三原海の駅に5年ほど前に訪れた。その時は三原城を見た。 そこに移る前の小早川隆景が本拠にしていた今回は信高山城へ行く。

 三原駅からタクシ−に乗ったのだが、費用もかかるしJR本郷駅よりそれに乗っていけば十分であった。

 登山口には下記の写真のように登山中止勧告の掲示があった。 行けるところまで行くつもりでしばらく行くと、 崩落現場に着いた。

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  注意書き


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 通行止め現場

 沢に降りて工事パイプをつかんで現場を避けて続行した。 途中で2−3人の人とすれ違ったので同じ考えの人もいたようだ。 ただし雨が降っている時や翌日の地面が湿っている時にはこのような行動を、おすすめいたしません。

 そのまま登って行くと、番所跡や匡真寺跡にたどり着いた。

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 番所跡



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 匡真寺跡  小早川一族の菩提所があったが城廃止ともに移設した。

 ほどなく中丸跡に着く。右手に行くと本丸である。

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 中の丸(2の丸)

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 本丸

 本丸より一段高い詰め丸へ行く。 沼田川をはさんで以前の本拠・高山城がすぐ近くに見える。 ここはその城の副塁であったものを大きく改築した。

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 高山城、  今回は予定していたが、諦めて訪問できなかった

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 詰めの丸より見た沼田川

井戸廓の井戸を見て、中の丸に再び行き西の丸を訪ねて北の丸へは整備ができてないようなので断念して下山した。 

 城の規模も大きく大分整備されているので崩落個所が無ければ良い所だと思いました。

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 井戸跡


三原へ帰り西国街道沿う宗光寺山門を見た。新高山城から移築されたものという。


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 宗光寺山門



   2021-12-12

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2021年12月10日

丸谷城・丸屋城


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丸谷城・丸屋城は下蒲刈港にヨットで訪れた時、ガソリンスタンドへ軽油を買いに行く途中に偶然そこへの看板を目にした。

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 城への登り口は案内板がないのでわかりにくい。上の写真の道路標識のすぐ近くに下写真の登り口がある。

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 本丸への登り口

 ミカン畑に沿った細い坂道を登って行くと本丸・本廓へ着く。 そこには神社のような建物と石碑がある。

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 本丸,左端に石碑が写っている




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丸谷城 本丸

 縄張りは本丸から天神鼻に向かって段々と降下して廓があったようだが、今回は確認していない。 ここは公園になっているので、天神鼻まの岬の突端まで探索が必要でしょう。

 村上海賊が隆盛するまでの時期に、多賀谷氏がここを築城し、倉橋島にも城を持ちその両方でここの一帯を海賊として支配していた。 

 西風の強風の時にここへヨットで停泊したので、実感したのですが、風が強く吹き抜けても波立つこともなく、安全に係留できた。 昔も風待ち潮待ちの湊として利用されたことと思う。 また、海賊城には舟隠しが必要ですが、その良い施設となったことでしょう。


    2021-12-10


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2021年12月08日

下蒲刈




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 安芸灘とびしま海道図

 ここで「真珠の首飾り」と勝手に名前を付けて「とびしま海道」を取り上げています。 この道と本土に囲まれる海域は穏やかでセーリングにはもってこいの場所です。それでヨット乗りとして以前から安芸灘を注目していました。
 安浦海の駅は温泉もあり、ヨット泊地には良いところでしたが、公共の宿と思われるホテルが売却されたか営業を縮小した関係で海の駅は廃止された模様です。 従い近くのそれに代わる泊地を探していて、下蒲刈島を見つけて停泊しました。


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案内図

 ここを散歩していると日本では珍しい石畳の道に出会いました。 予想外に洗練され整備された観光地の三之瀬を見つけました。
 歴史的には鞆の浦、尾道、御手洗と江戸時代の帆船航路の湊として栄えたところでした。 己の勉強不足です。 福島正則は関ヶ原の後に広島の地を家康からもらったのですが、ここを重要視して長雁木の係留施設を造成し、その跡も残っている。また、朝鮮通信使の宿としても使われた。

 美術好きの人には美術館や関連施設もあります。 風情のある街並みがあるので、訪れてはいかがでしょう。


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 三之瀬案内図



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観瀾閣・かんらんかく、 満州で土木で財を成した人の別荘

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 丸木家住宅、 番所の役人の家という


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 3の瀬本陣跡


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 長雁木、  潮位が高いが階段状になっている


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 蒲刈大橋


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蘭東閣美術館



   ヨット泊地

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 停泊写真

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 赤丸 停泊位置、  青丸 停泊可能性のある位置

 東西の強風を防ぐ良い避難港だと思われます。 最近クル−ズ船が就航するようになったので、その日程をチェックしておく。それがポンツ-ンのどちらに着岸するか不明ですので。 今回は赤丸に着岸した。 青丸のポンツ−ンにも着岸可能だと思われる。

    2021-12-8

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2021年12月03日

内子町と卯之町



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 松山、伊予市、内子町、卯之町、長浜



 ヨットで停泊した伊予市より宇和島行きJR特急に乗り歴史的町並み保存地区のある内子町と卯之町を訪ねた。


   内子町


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   内子町 見どころ


 内子はろうそくの生産が盛んであった町である。江戸時代の藩政改革の特産品として知られている「ろうそく」であるが、特に内子産は世界でも知られていた。それゆえに町の資産家の有志が内子座を建て、現在までこの建物は残る。


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 内子座、  1916年に立てられた


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 内子座を舞台より撮影、   まだ現役の芝居小屋である


 八日市・護国の街並み保存地区には需要文化財 本芳我家住宅や木蝋資料館・上芳我邸など古い町並みが見られる。


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 需要文化財 本芳我家住宅(内最大の製蝋業者だった)と木村家住宅(手前の建物)  




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 旭館  映画館として使用された




     卯之町


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 案内図


 卯之町は北の大洲藩と南の宇和島藩を結ぶ街道の宿場として栄えた町である。 シーボルトの娘・楠本イネを養育した二宮敬作邸跡や高野長英をかくまった隠れ家などが残る。
予想よりもこじんまりとした街並みであった。 バレ-を習っているカワイイ少女に教えてもらい開明学校へ行く。明治15年に町民の寄付により建築された小学校があるが、外観を見ただけで拝観料を払ってまでの努力は省いた。




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 街並み


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 高野長英のかくれ家



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 開明学校



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 二宮敬作 住居跡


    2021-12-3


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2021年12月02日

伊予港

    

      

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 伊予港  赤丸 停泊地、  青丸 ポンツ−ン


 松山堀江から伊予港へ航行し、そこに停泊した。 予定泊地は上図の赤丸で商業岸壁である。 一応サイドアンカ−を打って岸壁に寄せた。 しかし、潮位が低く船より岸壁にはよじ登れない。小1時間待って通りすがりの人に頼んでロープをビットに固定してもらう。 強めの南西風が吹いていたが、構内はその影響無いようだ。北風系が吹いてもよさそうで、良い避難港にはなる模様。岸壁のカキ対策で大き目のフェンダ−が2個ばかり必要でしょう。 もし松山堀江海の駅へ行く予定でウネリの入るようなときには、ここのほうが良いのではないかと思う。伊予鉄道とJRが利用できるので意外と松山に行くのに便利でしょう。 ここから松山観光も考えられる。 松山にはヨット泊地として適当なものが無いので。

 ここより街並み保存地区の内子町と卯之町へ訪れた。  ここから、 伊予長浜に向かう予定でした、長浜は外港に係留するつもりなので、そこでの強風は避けたい、先行きの天候が悪化する模様でそこへの寄港をあきらめた。


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 青丸の予定泊地

 

 このボートは自衛隊の応援グル−プの支援船のようで、このポンツ−ンを管理している。 ここに連絡してここを利用する許可が得られれば最適なヨット泊地になりそうです。


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 赤丸  ヨット泊地


       2021-12-2



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花見山城と宅並城


        


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 堀江海の駅、宅並城、花見山城、葛龍屑城

 今治から中島を計画していたが、東寄りの風のため松山堀江海の駅に停泊した。 かってここから道後温泉や松山城を行ったことがある。 それゆえ、近場の城を散策することにした。


     花見山城

 花見山城はJR堀江駅より予讃線に沿って松山方面に歩き、堀江新池のほとりにある。
お城の立地は川とか岬の鼻とか防御を考慮して立てられている。花見山城の傍にある池は田畑の水不足解消のため19世紀に松山藩に願い出て作ったため池である。この城のためのものではない。川は城のためではあろうと思われるが名前は地図から読み取ることができないので不明である。

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 新池

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 登り口

 登り口を登っていくと本丸にあたるところに祇園神社がある。この南に2の丸、3の丸があったが、それらしいと思われるがはっきりしない。
河野氏が築いて九州ににげ再び取り戻したという。 村上海賊の一族が城主になったこともあるようです。

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 祇園神社


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 名称不明の川(権現川?)より花見山城を望む


      宅並城

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 宅並城


 JR堀江駅より一駅で光洋台駅に至る。 そこよりgoogle マップに導かれて宅並城をめざす。 えんえんと坂道を登り下図の青丸地点にたどりついたようだ。みかん畑で行き止まりであった。作業をしていた人に尋ねると、藪の崖を登れば城跡に行けなくはないけど無理でしょうと云われた。 その人に地図の反対側にある登山口まで軽トラで送って頂いた。 そこから山頂をめざした。
 たどりついても城らしい石垣や土塁を目にすることは無い。 城跡の名称の残る山登りをしただけである。 地元の親切な人々の援助は大変ありがたかった。


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城郭放浪記より   宅並城縄張り


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 半ばで休憩して写す。 中央奥の島は北条城・島

ここは北条城よりの狼煙を受けて松山へ狼煙で知らせる中継点であったと、同行の登山者の女性に教えられた。

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 山頂(201m)にある神社

 光洋台駅まで下ったが老人の気力・体力が衰えて葛龍屑城行きは断念した。 駅のホ−ムよりそこは見えていたのであるけれど。

     

  仁堀連絡船

 旧国鉄が呉線仁駅と予讃線堀江駅との鉄道連絡船を運航していた。この堀江海の駅は1982年に廃止されたこの航路のポンツ−ンを使用している。


       2021-12-2


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2021年11月30日

芸予要塞  小島・おしま

  

    


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 小島・芸予要塞と来島城


 来島へ行く連絡船・フェリ−は来島、小島、馬島へと行くことができる。 来島の他に小島へ寄ってみたのだが、事前に何も知らなかったにもかかわらず芸予要塞を目にするという大きな収穫を得た。 日露戦争に備えて本土防衛用沿岸要塞がそっくり残っているのだ。 旅順攻撃で日本軍が使用した28cm巨大砲砲撃の絵柄を憶えている人は多いでしょう。



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 連絡船・フェリ−から見た小島


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 案内図    芸予要塞 1902-1922


 北部、中部、南部と3つの砲台群があり、それぞれ兵員退去所や発電所がある。 中部には周囲を見渡せる観測所がありそこからの指示で間接射撃を行ったものと思われる。



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 28cm りゅう弾砲のレプリカ、  船着き場近く


船を降りるとすぐに南部砲台に至る。 そこには12cmカノン砲2門が置かれた。この砲座は海から見えない構造である。カノン砲は直接照準の火砲であるが、防御を重視して間接照準での敵艦攻撃をここでは計画したのであろうか。



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  南部砲台 カノン砲座 


 発電所跡がありさらに歩くと弾薬庫跡に至る。 弾薬庫は危険な場所ゆえ周りを崖で囲む地形にあった。



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 中部砲台跡 28cm榴弾砲 この砲座に2門設置


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 中部砲台    28cmりゅう弾砲6門を設置


 ここの2門の28cmりゅう弾砲は203高地の砲撃のために移動され活躍したという。


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 指令所跡  ここで海峡を監視観測して28cm砲へ砲撃を指令する



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 北部砲台

北部砲台には24cmと9cmカノン砲がそれぞれ4門あった。  要塞廃止が決まった後で空爆演習がここで行われた。


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 空爆跡



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 24cm カノン砲

 ここより下に降り海岸沿いの道を船着き場まで帰った。


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 来島海峡中水道を左に眺めながら歩く


 なお、芸予要塞は三原の瀬戸を望む大久野島(うさぎ島)にも対にあたる大久野島要塞があった。

 ロシアの恐怖におびえた明治の指導者は、海軍を育て海岸要塞を築いて対処して、最後には勝利した。 今にも中国が台湾に侵攻しようとしている事態の令和の現指導者はそれに対応すべき何かをしているのであろうか? 日本は30年の大停滞を過ごしたとはいえ、今の日本の経済力は明治のそれとは比べるまでもなく大きくて良いはずだ。いいお湯だと気持ちよくなっているうちにその湯は熱湯へと変わるでしょう、裸でフロから飛び出しても遅い。

 ソ連の中距離核ミサイルの配備に対して、ドイツは米国の中距離核ミサイルを配備すことで対処した。日本はそこまでのことをしなくてもよい。9条の改正を待たなくても良い。 日本は対艦ミサイルや機雷の大量保有で中国に攻められない抑止力を持つことができるのではないでしょうか? 

 芸予要塞を見て、明治の・維新の指導者に思いを寄せる小生には、このような想起をすることを身の丈を越えるものと言えるであろう。


     2021-12-1


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2021年11月29日

来島城


   
     


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 来島海峡の各水道(青字)と来島城、芸予要塞

 来島海峡をヨットで西航するときには今治に停泊し潮流を待って航行する。 本船航路の中・西水道は避けて来島の西にある勝手にヨット推薦水道と名称した水道を小生は航行している。

 村上海賊に強い興味を持っている私としてすでに鹿島城を訪ねているので、念願の来島城へ行きました。

 今治海の駅にある第2桟橋近くのバス停より「渡し場」経由のバス便に乗りそこで降り、波止浜港(観光休憩所)から連絡船に乗船します。10分ほどで来島へ到着です。


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 波止浜にある連絡船乗り場(切符は観光休憩所)の燈明台


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 連絡船から見た来島城

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   案内図


 連絡船を下船して右手報告に数分歩くと、左に上る入り口があります。すぐに石垣が見える。

 
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 来島城入り口


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  2の丸付近の石垣

 そのまま行くと突き当りになり居館跡・心月庵、わかりにくいけれど3の丸へ上がる左の道を往きます。
来島神社、2の丸、本丸へと至る。

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  来島神社

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 2の丸

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本丸跡、  鉄塔がある




  来島 ヨット泊地

ヨットでは行けなかったが、下写真の場所につけられそうである。 フェリ−は連絡船乗場の水道に面している側しか着桟できない。潮流が渦巻いており潮時間と連絡船の空き時間を知っておかないとヨットでそこにつけるのは無理でしょう。 下の漁船の前なら島見学に要する2−3時間なら可能かと思われる。
 
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 停泊位置


  鹿島城と得居通幸
 http://hayame.net/custom27.html#spb-bookmark-26


     2021-11-29


 

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2021年11月27日

佐柳島・さなぎしま

  



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 案内板  人口は2部落で60人という


 佐柳島は長崎港の係留に失敗したので多度津に泊まり、翌日に連絡船でここを訪ねた。 長崎から本浦までは徒歩20分くらいの距離です。 歩いてそこへ行き、帰りの船便を得た。


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 本浦で連絡船を待つ間に足元から離れない子猫


 塩飽諸島に残っている両墓制のお墓近くにもニャ−と呼び掛けてくる猫がいる、島のあちこちで人慣れした猫を多く見かけた。愛猫家には有名な島とのこと。 

 海援隊士であり、いろは丸の紀州藩船との衝突の際には当直仕官であったという佐柳浩高次(さなぎこうじ)はこの地にも長崎集落があるが「出島の長崎」で死亡したけれど、この地元にお墓がある。そこを訪ねた。



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 中央が佐柳高次の墓  前田が本名である

 



  佐柳島 ヨット泊地


 予定していた長崎港の岸壁には階段横から直角にチェ−ンが飛び出していて着岸不可であった。
港も狭く連絡船の反対側も利用できないので、ここより本浦港が停泊には良いように思う。ただし本浦港近くの海域は浅いところがあり、十分な注意が必要である。


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 佐柳島  長崎港入り口
 


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 長崎港  青丸は失敗した岸壁


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 長崎港  チェ-ンの飛び出し



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 本浦港   赤丸は停泊地



    2021-11-27


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2021年11月25日

小手島と高見島


  
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 塩飽諸島


 手島を出港して小手島に立ち寄り佐柳島の長崎で1泊するつもりであった。佐柳島北部にある長崎の港へ入ると予想以上に狭く、予定岸壁に行く、そこからチェ−ンが張り出していて着岸不可能。 発見が遅れると船首をぶつけるところでした。佐柳島の停泊をあきらめ高見島へ向かう。 そこでは連絡船の着桟側の向かい側の利用していない側にヨットを着けた。2時間ほど見学して多度津海の駅に向かい停泊した。 ちなみに、手島、小手島、広島、本島は丸亀から連絡船・フェリ−が来る。 佐柳島、高見島は多度津からそれは来る。


  小手島・おてしま


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 小手島

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 案内図       19所帯33人が住む

 明治のころまで無人島だったが手島、北木島、真鍋島より移住者が来る。親の手島よりも賑わいを感じる。 漁業が手島と違い今でも盛んなようだ。手島よりも小さいにも関わらず人口が多い。
少しの間小手島を見て回ったけれど、帰ってから印象が薄くあまり思い出せない。

  
  小手島ヨット泊地

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 赤丸が停泊地  短時間限定の模様

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  連絡船ポンツ−ンの反対側



   高見島  

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 高見島案内板、  人口は27人という

 高見島は船乗りには備讃瀬戸北航路と南航路に挟まれた島にあり、その島の北を西航し南を東航することから見慣れた馴染みのある島である。でも、訪れた人は少ない。咸臨丸の4人の船員を出した島でもある。 そのお墓があるということで大聖寺へ向かった。しかし、案内板が無くみつけることはできなかった。


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 大聖寺の門にある力士の木像


  竜王山が岸まで迫り平坦地が少ないので山の斜面に沿って家を建てて住む。 塩飽諸島に立ち寄って知ったのですが、両墓制というお墓の制度が残っており、埋葬するところとお参りするところが別になっている制度のようです。 日本古来の様式だという。 

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 両墓制のお墓

 寅さんお映画をテレビで連続して放送している時に、覚えのある映画で題名は忘れました。下の写真の映画です。そのスト−リ−は、引退した船長のところに、港々に女ありというような設定で生まれた娘が病気になりそこで静養をしていた。寅さんが家出したさくらの息子を探しにこの島へ来て彼女に出会う、いつものようにラブコメデイが始まりそして終わる。 この島を訪れてみて船乗り出身者を多く出した島のようには思えなかったが、歴史的にはあり得る設定である。 船乗り稼業に染まったことにある小生にはおもしろかった。

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 寅さんのロケ地となった高見島


 米国で成功した人が故郷に錦を飾った、石垣のすばらしい家が残る。

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 中塚邸  


    高見島  ヨット泊地

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 赤丸は停泊場所

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  泊まることもできそうである


 連絡船は正面を利用するので左右両サイドが利用可能だが沖から見て右側は堤防に近く避けて方が良いように思われる。

     2021-11-25


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2021年11月23日

手島・てしま


     

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 手島を望む

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 手島は15所帯(人口20人)の島です。 一度訪れたくて昨年ヨットで港の停泊場所の事前視察をしています。 江戸時代に人名制で特別な自治制度を認められた塩飽諸島のひとつであり、google マップで見つけた手島城に行ってみたくて今回のクル−ズで訪れてみました。


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 高札場・制札場

 本島にある塩飽勤番所からお触れが出てここに貼られて人名制の手島住民に知らされた。


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 海岸から2つ目の山が城山・手島城跡

 手島城をめざした。 蛇が出る情報があり、事前に長めの長靴を用意して出かけた。 地元の仕掛け猟をしている人に尋ねてみたが、行ったことはなさそうであった。その人によるとエビ対策でキジを放ってあるとのことであった。 そのせいかキジの飛び立つのは見かけたが、幸いにも蛇に出会うことはなかった。 結局、案内板もなかったこともあり城跡にはたどり着けなかった。


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 この石垣は廃墟になった民家のものかもしれない



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  ヨットのつけたポンツ−ンでの撮影風景

 丸亀から来た連絡船でシンガ−ソングライタ−の女性の生歌を聞く機会があった。島内のあちこちで撮影しているのを目にする。カン高いかすれたかよわい声が島内に響いた。

  手島  ヨット泊地



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 手島 ヨット泊地  赤丸係留    青丸 最初の位置


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 最初にもやった位置

 ヨットの停泊場所は先に想定していた場所はフェリ−の着く横であったが、スペ−スが短かったので不適。 写真のように防波堤へもやったがここも3m余りの潮汐には不適。そこで連絡船のキップを売っているおばあちゃんに許可をもらい、ポンツ−ンの反対側に移動して着けた。


         2021-11-23

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2021年11月21日

2021年 秋クル−ズ


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  今年の巡航は10月28日から児島を出て11月17日に帰港するまで3週間の期間で、瀬戸内中部を楽しんできました。 今度は連れ合いは同行することなく、シングルハンドです。

  周航前のプラン

1. 塩飽諸島の手島、佐柳島、高見島を訪ねて、小名政の跡がないのか、また、龍馬の「いろは丸」が鞆の浦近くで沈没した、その時の当直仕官であり海援隊士でもあった佐柳高次(さなぎたかじ)の生まれた島の佐柳島を訪ねること。
2. 伊予と長浜に寄港して歴史的保存の街並みがある内子町と卯之町を、そこから鉄道で訪ねること。
3. 村上海賊のひとつ来島海賊の本拠地にある来島城、因島村上氏の本拠地青陰城とその主要な周辺城を訪ねること。
4. 斉島、青島、中島、津和地島、平郡島、柱島などを訪ねること。

 今までに瀬戸内周航で行けば良かったと思いを残して、落穂拾いのような企画をしてみました。


  実行した航海

10/28  児島から手島へ、   手島城を探す。  手島泊
10/29  手島から小手島を2時間立ち寄り佐柳島へ、長崎港が狭く停泊できずに高見島寄港、2時間ほど散策して多度津港へ。     多度津泊
10/30  連絡船にて佐柳島訪問、   多度津泊
10/31  多度津から仁尾マリ−ナへ。 仁尾泊
11/1  仁尾から今治へ。  今治泊
11/2  連絡船で来島へ、来島城訪問。さらに小島へ、芸予要塞を訪れる。  今治泊
11/3  今治から松山堀江へ。 堀江泊
11/4  花見山城と宅並城をたずねる。葛龍屑城は断念した。 堀江泊
11/5  堀江から伊予港へ。 伊予泊
11/6  JR予讃線で内子町と卯之町へ。 2つの歴史的保存街並みを見る。 伊予泊
11/7  伊予から上関へ。 北東風で時化る。  上関泊
11/8  上関から五日市メ−プルマリ−ナへ。 メープル泊
11/9  なつかしの旧港廿日市を訪ねる。  メ−プル伯
11/10  メ−プルから下蒲刈島へ。 三番瀬の町を見学と丸谷城を見る。 下蒲刈泊
11/11  下蒲刈から三原へ。 三原泊
11/12  新高山城へ、 高山城は断念した。  三原泊
11/13  三原から弓削へ。  青陰城を見学  弓削泊
11/14  尾道へ因島からバスで行く。 連絡船で百島へ。 備後茶臼山城へ。 尾道に帰ってレンタサイクルで向島の余崎城と岡島城へ    弓削泊
11/15  因島からバスで瀬戸田へ。 俵崎城と茶臼山城を訪れる。 因島・馬神城を訪ねた。  弓削泊
11/16  弓削泊
11/17  弓削から児島へ。 秋巡行を終える。

 伊予まで来て天候が悪化の予報が出る。 長浜へ行く予定を取りやめて。内子町と卯之町の見学を1日にまとめた。
 予報よりも早く天候が悪くなり北東風が強い中で上関へ向かう。ヨットを老年にして手に入れて以来の久しぶりの時化であった。

 面白いことに、海で遭難することも無く山で遭難しかけた。 生口島の村上水軍ゆかりの茶臼山城で頂上近くへ行く道が無くなっていたので、一番高いところをめざしてそこには到達した。 帰りは道に迷い来た道に帰れず、遭難しかけた。 ひたすらに下へ向かう平坦な道を探し続けて、無事、事なきを得たが、暴走老人のご迷惑を世間にかけるところであった。 他にもヒヤリハットする場面は3度ほどあった。

 まあ、楽しく満足してクル−ズを終えた。今年の前半はコロナで大人しくせざる負えなかった。 ところで、小生の年になると、老人のロシアンル−レットはいつ来るか分からない、小生はその年ごろに突入した気がしています。


     2021-11-21


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2021年09月22日

高市早苗、   自民党総裁選挙




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 20歳で投票権を得てから、後期高齢者目前になるまで一度も自民党に投票したことはありません。 最近は、誰も支持できなくて白票を入れたこともあります。 小生は総裁選には投票できないけれど、是非とも入れたい人が現れた。 それが高石早苗氏である。 彼女へ投票できるなら、党友にさえなりたい位である。

 彼女の本を読む。 政策の具体的なことが書かれているので小生には分からないことが多い。 けれど、他の候補が抽象性的で具体性のない口当たりの良い言葉に比べれば、彼女が取り上げる対象やその具体性など、小生にはそれらをやってほしいものばかりである。 また。実際にやってきたこともこの本で述べている。

 最近の日本で最も喫緊の対策は何であろうか? これに答えて政策に挙げてくれる政党は無い。 それは夫婦の姓の問題、LGBTの問題、同性婚の問題、環境問題、原発問題では無い。 ワクチンで終息の問題が見えてきたコロナ問題でも、もはや無いでしょう。

 それは「チャイナリスク」である。 最近には、中国の不動産会社に取り付け騒ぎがおきている。すぐにも兆円を大きく超える債務で破綻しそうである。リーマンショックを数十倍にしたものが起きるのではと懸念されています。 それは経済的には大問題で被害の大きさも想定されますが、それよりも、もっと大きいことは台湾問題でしょう。 台湾で負けるようなら沖縄・九州と人命・国土の問題となります。このことを述べているのは高市さんのみ。 国防予算の増額、中距離ミサイルの配備を取り上げています。やっと大事な問題を取り上げてくれる政治家の出現です。


 テレビに向かってそうじゃないだろう、GDPの2%に防衛予算を上げろ、中距離ミサイルを持ち配備しろ、と画面にほざいていたのが、そのことを現実に述べてくれる人が現れました。NATOのような核を持てとまでは言ってはくれませんけれど。 中国に対して冒険をさせないための抑止力を持つのは、今最も必要とされているものと小生は考えています。

 先の米大統領選挙で見られたトランプに対する主要メデイアやSNSの偏向報道が、 アレっ! 日本でも同じではないかと思われることがある。 記者クラブでの候補者の会見をテレビでその後半部分を見ました。 河野・岸田さんばかりに回答を求めて、他の女性には発言を求めない、それが20分ほど続いたので、おかしいと見るに見かねてテレビを切ってしまった。 「高石外し」が始まっているのか? 支持率の発表も意図的な数字を出しているのではないか?と疑っています。 これからも十分にメデイアを監視していく必要がありそうです。


 小生は若いころに船乗りをしていて、イライラ戦争の時にペルシャ湾を航行しました。 その時には日本船が攻撃をされて死者が出ています。 乗船している船体に日の丸を描かされて、それが唯一の安全護符でした。日本国民の人命と財産を守るのは建前だけで、絵空事の時代であった。 最近は、アフガニスタンで1人しか帰国させられなかったけれど、3機の自衛隊輸送機が現地に向かったのとは大きな違いであった。今では当時の状況が起きたのなら自衛艦が船団を組んで商船を守ってくれることが期待できるのでしょうか。 高市さんならできそうな気がします。

 これからの進捗を大いに見ていこうと思う。


      2021-9-20


 
posted by はやめ at 02:35| Comment(0) | 日記