2017年08月07日

上関 その1  室津

瀬戸内の海上交通の拠点



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 上関大橋



 山口県上関は今では原発反対の地で、福島の事故以来、原発を作らなくてよかったと安堵した地として有名なのかもしれません。陸の孤島状態でJRの柳井駅にでるまでバス便しかなく1000円以上のバス代がかかります。中学生も通学にこのバスを利用しています。

 上関海峡には橋がかかり本土と陸続きとなった。帆で航行していた時代は瀬戸内航海の重要拠点であった。現在のヨットでも九州に向かう際には弓削島と同様によく立ち寄る停泊場所といえる。おまけに鳩子の湯・温泉があり言うことなしです。

 江戸時代は室津地区ではなく対岸の長島に上関が栄えた。今回は室津地区の紹介になります。

 ヨットを室津につけるとすぐに陸の駅があり、近くの4階建ての建物が目につきます。レストランかと思っていましたが、国指定重要文化財の四階楼です。この建物は第2奇兵隊参謀となり大島口の戦いにでた小方健九朗が建築。維新後に室津に帰り回漕店や汽船宿を営んだ。接待のために建てたといわれる。またスキ−や航空事業の育成でしられる長岡外史の父といわれる。

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四海楼

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その内部


 吉田松陰が1853年に長崎に行くときにここを訪れ、長州藩が築造した砲台を見学した。ここで詩を詠みました。

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 吉田松陰句碑  下記は現代訳

 「故郷に帰っている夢をみて涙をこぼしていた時、船頭が「上関についたぞ」と大声を出したので目が覚めた。夢が夢だったので船室から起き上がるのが遅かったといって怪しまないでほしい。それに、今晩は、室津に泊まって明日は九州。これで長州の土地も見おさめになる。ふるさとの山に未練がないといえばうそになるが、くにを捨てたのだから故郷の山を見るのは忍びなくつらい。」

 これを読んで松陰の気持ちが伝わってきて、凡人の我でもこみあげてくる感慨がありました。




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橋の両岸に砲台があった

 ヨットの停泊場所ですが、海の駅近くの岸壁で階段があるところ、または入り口の右手にある外防波堤になる。階段の間に着けると干満の差が大きいのでロ−プを長くすることが必要で、その間にハルが挟まることにも注意が必要です。

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 防波堤に着岸

  2017-8-7





posted by はやめ at 18:36| Comment(0) | 日記
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