2017年05月11日

推測航法

  陽明丸の時代の大洋航法


youmei 00.jpg
 陽明丸 乗組員63名

youmei 03.jpg
 陽明丸と救出子供たちの航跡

 ソ連ができる内戦の時代にウラルに疎開していた子供たちが困窮し、米国赤十字社が救出して、陽明丸で地球一周して無事に親元に帰還させました。その時代の大洋航法です。ヨットでもGPSの無い時代の航法になりますね。

  第1次世界大戦の頃は海軍船は石炭から石油に船舶燃料は変換されていました。 陽明丸のような貨物船は、日露戦争の時と同じで石炭を使用して航行していたとわかります。 船長の茅原基治さんの「露西亜小児輸送記」によりますと、日本の寄港地・室蘭よりサンフランシスコまで太平洋を横断しました。夏の時期の北太平洋は霧の多発が起きる季節です。 陽明丸もサンフランシスコ到着の前日まで天測による位置決定ができていません。 今のようにGPSが容易にできる時代ではないので、それまでは海図に針路と航程を記入した推測位置で航行することになります。問題は時間の経過とともにどんどん誤差が拡大していきます。陽明丸は2週間ほどで到着していますが、実位置(天測による)と推測位置との誤差はどれくらいあったのかは記されていませんので不明です。100マイルあってもおかしくないでしょう。 ランドフォ−ルというのは大洋航行中に初めて陸地(ランド)を視認したことを言います。 経験の有るかたなら大きな感動的な出来事です。

 筆者は70−80年代に船乗りでしたが、私の時代はこの当時と比べてレ−ダ−を備えていたくらいで、大洋航行中は天測によっていました。 ランドフォ−ルはレ−ダ−によりましたので、陽明丸にくらべれば安全で楽なものになっています。  陽明丸の航程を記録するには、もちろん今のようなスピ−ドログは存在せず、4時間おきに砂時計を利用して、抵抗物にロ−プをつけて、その流されていくロ−プの長さで船速を測ったと思われます。 少し進歩してスクリュ−タイプのものになっていたかもしれません。 陽明丸は1929年7月に大船渡市沖で座礁沈没しているので、このころの霧中航法はいかに難しいものであったかと思われます。

youmei 04.jpg
 茅原元治船長の手記

   2017-5-11

 陽明丸と800人の子供たち
 http://hayame.net/custom7.html#spb-bookmark-300



posted by はやめ at 08:04| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: