2016年05月29日

大圏航路と日本開国


 大圏航路と言っても誰もわかる人はいないと思われます。まして外航船員が絶滅した今となってはなおさらです。
 商船も経済上の理由で最短距離を航海してコストを下げることが求められます。 宇宙飛行士が地球が丸かった、と述べるまでもなく、地球は球体です。そこでの2点間の最短距離はスイカを斬ったように結ぶ必要があります。直線ではなく曲線になります。 船はそれに合わせて毎度変針しながら航行するのは難しいので地点地点を直線で結びそこで変針して疑似曲線を航海することになります。


   1848  カリフォルニアで金鉱発見、カリフォルニア購入
   1853  ペリ−浦賀に来航 翌年に日米和親条約締結

 学校で学んだ米国からの開国要求は捕鯨船の寄港・補給と海難救助だったと記憶しています。八幡和郎さんの日本人の知らない日米関係の正体によれば、当時の米国の中国貿易は、米国東海岸から日用品を南米南端のホ−ン岬を経て西海岸に運び、金やラッコの毛皮を積みフィリッピンを経由して中国で茶と陶磁器の交易をしていました。帰りは大圏航路をとり西海岸に至るのが自然条件を考えるとベストの選択でした。その途中に日本があったのが開国を求められるひとつの理由でした。

    peri kouro.jpg
  ペリ−が航海してきた航路


    地球的自然条件とは

  下記のウインドマップをご覧ください。北東の貿易風が吹いており西海岸・メキシコからフィリッピンに向かうのは帆船では追手になり容易だとわかります。

  windmap.png

   https://earth.nullschool.net/jp/#current/wind/surface/level/orthographic=-213.13,-5.
27,642

  また、大圏航路を通って日本を経由して北東に針路をとり北太平洋を航海して西海岸に至ることも同様です。

  taikenkouro map.jpg

    2016-5-29


 
posted by はやめ at 17:57| Comment(0) | 日記
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