2017年08月17日

マリンピアむさし海の駅・大分



 大分空港に接近したところで事務所に連絡したが、着岸するまで、誘導灯の数え方が不明でした。最初のものが数本並列して設置されていて、それを数にいれるのか分からず、下図を見るとそれより1号・2号と数えるようです。マストの高さにより進入ル−トが違うので注意が必要です。

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 ここでゲストを乗せるのなら空港に近いので便利なマリ−ナです。レンタカ−手配もマリ−ナに乗り捨て出来て配車もしてくれます。電気・水・上架・シャワ−設備あり。 1f100円の料金です。このあたりはから揚げがおいしいところです。。

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マリンピアむさし と 安岐港

 台風の時は陸揚げし、大型艇は隣の漁港に移動するようです。その時は思ったよりウネリが入るのかもしれません。

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  2017-8-17

 卒業クル−ズ 豊後水道
 http://hayame.net/custom13.html#spb-bookmark-328

 香川県坂出を中心としたクル−ズ  まとめ
 http://hayame.net/custom13.html#spb-bookmark-337





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2017年08月16日

かわうそ村海の駅・愛媛愛南町


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 佐伯大入島海の駅より快調な横風で豊後水道を横断しました。入口にさしかかって湾内を望むと、いかだが一杯である。海の駅を探しながらそれを避けて航行する。ついに一番奥まで来てしまった。それらしいポンツ−ンがあったので着岸した。事務所も見当たらないので電話してみる。ここは間違いで保安庁の船が付く桟橋でした。オ−トバイでこちらへ向かうというので待っていると、水上オ−トバイであった。そのあとに従っていかだの間を抜け、無事ここの海の駅に着くことができた。湾奥は浅いということで、同じように迷った2隻のヨットが最近に浅瀬へのしあげたといいます。危ないところでした。

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 グ−グルマップやニュ−ペックにも記載されています。ついつい2人で乗っていると楽でもあり、甘えてどうにかなると下調べがおろそかになっていました。反省です。
湾にさしかかったところで電話して場所の確認をオススメいたします。ヨットでも先に着岸していてマストでも見えない限り防波堤の陰にかくれて分かりずらいでしょう。 スタッフの人は大変親切でありがたいです、おまけに美人さんです。電気もとれます。しかし買物は不便です。
 真珠養殖や巻き網漁をしている水産会社がボランテイア精神でやってくれているのだと感じます。おいしい海産物のバ−ベキュ−を併設しているレストランで食せます。

   2017-8-16


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2017年08月15日

大入島海の駅・大分佐伯


 別府北浜ヨットハーバーから佐伯の大入島にある海の駅に行く。

 濃い海霧になるとは予想していませんでした。上関からマリンピア武蔵に向かう時も、0600に出港してすぐにガスになり、一旦引換して、0900頃視界が開けて再出港したことがありました。 同様に別府を0600に出ましたが、最初は視界が良かった。佐賀関近くに行くと急に四国側からの風に乗って霧が到来、みるみる視界不良になりました。霧笛が近くで聞こえます。佐賀関へ行くフェリ−のようです。 友人佐野のヨットに乗ってる時に、霧中で地中海のスペイン沖に座礁したこともあり、前の艇でも北海道でさんざん苦しめられました。その時に今度のヨットはレ−ダ−が欲しいと思いつつも設置できていません。一時は佐賀関に向おうとも考えましたが、何とか速吸の瀬戸を通ることができました。 今度からニュ−ペックを使い始めて、ノ−トパソコンで常時位置が分かるところが昔と違うところです。他船との衝突だけを気にするだけと言っても怖いことです。半分は楽になったとはいえ、レ−ダ−ほしいですね。

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 地元のヨットマンによれば、台風避難には最適だそうです。大分や別府に逃げる位ならここだそうです。台風がどのコ−スを通っても安心と太鼓判です。
 しかし、この海の駅のバ−スはマリンバスが使用している空きへ着けている関係でそれの影響での引き波で大きく動揺します。多めのフェンダ−は必要です。それが沖を通るときでも驚くほどの引き波です。

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バ−スの先端はマリンバス専用になる。

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食彩館 ここで入港手続き 無料です。

  2017-8-15

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2017年08月11日

宿毛城・松田城


 愛南町・愛媛県にある海の駅へ佐伯・大分県から豊後水道をヨットで横断して着きました。その地は高知県との県境でもあり、バスで宿毛に行く。

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 宿毛城は松田城とも称し、土佐一条家の支配下にあった。長宗我部元親は松田城を落城させた。関ケ原合戦の後に長宗我部氏は改易になり、山内一豊の土佐入国で甥の山内可氏が六000石で入城する。その後に一国一城の幕命により破壊される。

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 天守跡にある神社 勢いが感じられない

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宿毛城・松田城跡碑

 高知県は幕末に活躍した藩だけあって、浅学で古楽好きな小生にはソプラニスタの岡本知高しか知りませんでした。大きくはない町ですが興味を引く人物がいました。

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林有造(1842-1921)

 林有造は幕末に土佐藩の松山征討軍の斥候として、また、北越戦争に活躍。普仏戦争の視察に大山巌、品川弥次郎と一緒に中浜万次郎を通弁として同伴させて渡仏した。高知県の初代長官となる。征韓論の時に板垣退助とともに辞職する。西南戦争の前に西郷隆盛や江藤新平と通じる。土佐出兵計画で逮捕され入獄。
 兄の岩村通俊は西南の役に鹿児島県令で弟の岩村高俊は佐賀の乱の佐賀県令で政府側にあったのは皮肉である。
 出獄後は自由党の領袖となる。議員となり大臣として国政に参画した。引退後は宿毛に帰って郷土のために尽くす。日本最初の真珠養殖事業を手掛けたが、災害により挫折。それがなければ伊勢志摩に先んじていたでしょう。
 来年の大河・西郷どんにどこかで登場するでしょうね。

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 宿毛歴史館に展示されている書

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 林有造宅

  2017-8-11

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2017年08月10日

広告 キンドル本を発売


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 友人の佐野夫妻がキンドルより本を発売することになりました。

 1.西部劇のアンテイヒ−ローシリ−ズ

  ジェシ−ジェイムス、ブラックハ−ト、ビリ−ザキッド、
  ワイアットア−プ、  ブッチとサンダンス。

 2. 貿易風の吹く島から
    ヨットによるカリブ海周航

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 3. グレ−トプレ−ンズのそよ風
     中西部の大草原のおはなし

   https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_ime_i_1_6?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Ddigital-text&field-keywords=%E3%81%AE%E3%82%89%E3%82%8A%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8&rh=n%3A2250738051%2Ck%3A%E3%81%AE%E3%82%89%E3%82%8A%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8

   2017-8-10


   
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2017年08月08日

安岐城・豊後



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大友家の3家のひとつ田原家により築城されたという。大友宗麟が次男親家に田原家の家督を継がせようとして争いが生じ落城した。
 豊臣秀吉により大友義統は改易になり、馬廻衆であった熊谷直実の血筋という熊谷直陳が1万5千石で城主となる。彼により近世城郭として改修され、関ケ原では西軍に属して敗戦後に大垣城内で謀殺された。その合戦中に黒田如水の軍により落城した。
 

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安岐城跡

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 熊谷氏による改修想像図

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現在が神社になっている天守跡

 この時は、マリンピアむさし海の駅に停留しています。実はヨットの停泊場所さがしで、安岐城跡の案内を見つけて、ここに来ることになりました。近くに銭湯もあり穴場的なヨット停泊地と思われます。


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ヨット停泊地

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安岐港 大分空港の工事で使用したと思われるスペ−ス

 2017-8-8





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2017年08月07日

上関 その1  室津

瀬戸内の海上交通の拠点



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 上関大橋



 山口県上関は今では原発反対の地で、福島の事故以来、原発を作らなくてよかったと安堵した地として有名なのかもしれません。陸の孤島状態でJRの柳井駅にでるまでバス便しかなく1000円以上のバス代がかかります。中学生も通学にこのバスを利用しています。

 上関海峡には橋がかかり本土と陸続きとなった。帆で航行していた時代は瀬戸内航海の重要拠点であった。現在のヨットでも九州に向かう際には弓削島と同様によく立ち寄る停泊場所といえる。おまけに鳩子の湯・温泉があり言うことなしです。

 江戸時代は室津地区ではなく対岸の長島に上関が栄えた。今回は室津地区の紹介になります。

 ヨットを室津につけるとすぐに陸の駅があり、近くの4階建ての建物が目につきます。レストランかと思っていましたが、国指定重要文化財の四階楼です。この建物は第2奇兵隊参謀となり大島口の戦いにでた小方健九朗が建築。維新後に室津に帰り回漕店や汽船宿を営んだ。接待のために建てたといわれる。またスキ−や航空事業の育成でしられる長岡外史の父といわれる。

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四海楼

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その内部


 吉田松陰が1853年に長崎に行くときにここを訪れ、長州藩が築造した砲台を見学した。ここで詩を詠みました。

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 吉田松陰句碑  下記は現代訳

 「故郷に帰っている夢をみて涙をこぼしていた時、船頭が「上関についたぞ」と大声を出したので目が覚めた。夢が夢だったので船室から起き上がるのが遅かったといって怪しまないでほしい。それに、今晩は、室津に泊まって明日は九州。これで長州の土地も見おさめになる。ふるさとの山に未練がないといえばうそになるが、くにを捨てたのだから故郷の山を見るのは忍びなくつらい。」

 これを読んで松陰の気持ちが伝わってきて、凡人の我でもこみあげてくる感慨がありました。




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橋の両岸に砲台があった

 ヨットの停泊場所ですが、海の駅近くの岸壁で階段があるところ、または入り口の右手にある外防波堤になる。階段の間に着けると干満の差が大きいのでロ−プを長くすることが必要で、その間にハルが挟まることにも注意が必要です。

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 防波堤に着岸

  2017-8-7





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2017年08月01日