2017年02月06日

ヨットと難民



 トランプ大統領の入国規制が,連邦控訴裁の仮処分で一時のスキマができました。続々と影響を受けた人々が飛行機に乗り込んでアメリカに殺到しているでしょう。 ドイツは難民を引き寄せる政策をとりましたが、今となっては、そのハシゴをはずしてしまい、ドイツまでの通過国で移動してきた人々は極寒にテントを張り滞留しています。報道は少ないけれど。

ping906.png
 マジョルカのマリ−ナでの上架「PING906」 52fケッチ

 かって地中海のマジョルカに友人とヨットを購入して置いていたことがあります。当時の欧州はまだ問題が今とは違いました。スペインでは国内に居るヒタ−ノ(ジプシ−)、国際的には赤色テロの問題でした。プラド美術館では館内で絵画を見ている時に私服からパスポ−トの提示を要求されたことがありました。日本赤軍が問題になっている時だったので。
 
 夢がかないませんでしたが、ヨットでのエ−ゲ海クル−ズは、今となっては警戒が厳しく航行するのに無理のあるものになっているでしょう。 当時でもイタリアの刑務所のある島の沖で錨泊したとき、またスペインのアリカンテ沖を航行していた時には警備艇が接近してきて、機関銃の銃口を向けられて尋問されたことがあります。語学の達者な友人が同乗していましたので、問題はありませんでしたが。軽い職務質問だったのでしょう。友人のカミさんが米国人で一緒だったので、その姿を警備艇から目にし、貧相にみえる東洋人がヨットに乗っていても、クル−にしか思えなくて不審に思われなかったのかもしれませんね。
 マジョルカ島のパルマ湾にリビアを空爆した米空母が停泊していてヨットで接近して見にいっても自爆テロの時代ではなかったので問題になりませんでした。

 友人が新しいヨット39fケッチ「アトランテイス号」を買い、大西洋を横断することになり、ジブラルタルに立ち寄る。 多分水の補給が必要だったのでしょう、詳しくは忘れましたがそこからジブラルタル湾内にあるスペイン本土の港の岸壁に停泊しました。まだ東ドイツは日本のパスポ−トには入国規制が記入されていた時代で、東西ドイツに壁で隔てられるときでしたので、どうして東ドイツの青年が出国したのかわからないけれど、彼がヨットの横まで訪ねてきて、同乗させてくれないかと申し込まれました。 かって、我が塩野七生さんもエ−ゲ海をヨットに同乗してクル−ズされた体験があったように、欧米でのヨットヒッチハイクの習慣は、日本では考えもしませんが、耳に聞く話でした。 友人は狭い船内に知らない人を乗せる気にはならないので断りました。爺も同意見です。彼はヨットの横の岸壁で一晩過ごしたようで、翌朝にも見かけました。それに気が付いて、かわいそうな気分にもなりましたが、こちらの気が変わりませんでした。今ならイスラムの人達が同乗を望む状況なのでしょうか?

 少し話が変わるけれど、マジョルカではチェコスロバキアの若いカップルに出会いました。地中海で小型ヨットを自作し、あちこちクル−ズしてそこに来て、マリ−ナで船底塗料を塗るバイトをして稼いでいました。彼らから自転車を購入しました。我々は彼らよりも、もっと貧しい東洋人であったのかもしれません。 彼らは後にアメリカに渡り「自由への逃避」ということで有名になったと聞いています。

 当時の欧州は冷戦とはいえ同じ文明どうしの問題で、今から比べれば異文明・異宗教の問題ではなかった。
 昨日の報道でシリアの難民を300人を日本が受け入れるということです。よほど慎重な行動が必要でしょう。安易に人道に走っても、後日に大きな禍根を残します。

       2017-6-22



posted by はやめ at 22:33| Comment(0) | 日記