2022年12月03日

宗像大社





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 3度目の宗像大島です。 今度はフェリ−にて神湊へ行き、 バスでJR東郷駅近くのス−パ−にて買い物をし、タクシーで宗像大社を訪ねた。


 宗像大社はさすがに大きな神社で参詣客も多い。 帰りはフェリ−の待ち時間が長く、近くを散策する。 リゾ−ト風のホテルが見られおしゃれな雰囲気があった。 海の見える景色はこのような建物が似合います。 結婚式にどうでしょうか?
 

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 宗像大社

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 エ−ゲ海にあるような リゾ−トホテル

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 左の島は宗像大島



 ここの本宮は沖ノ島にあり、立ち入り禁止のようでヨットで凪のときに行ってみたいきがしていますが、どうでしょうか? 信仰の深くない人間が云ってもバチ当たりなだけかもしれません。 宗像大島には沖ノ島を望む遙拝所や中津宮があります。




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 大島に帰るとボランテイアガイドの方がヨットに訪ねてくれて、龍馬が立ち寄った旅館跡を教えてもらう。 夕暮れだったがすぐそこを訪ねた。 その場所には案内板も無くパンフレットも無いので、教えられなければ気が付かないだろう。 考えてみればここ大島は長崎と下関の良い中継地であり、何度も龍馬は訪れたものと思われる。


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  龍馬が泊まった旅館跡

  2022-12-3


   宗像大島
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2022年12月02日

大村城・玖島城    久原城、三城城


   大村城・玖島城


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 2の丸にある再現された板敷櫓



  大村城は玖島城(くしま)とも言う。 明治まで存続した大村氏・2万7千石の居城である。 大村神社のある本丸と2の丸、3の丸で構成されている。三方を海に囲まれた海城であり、お船倉跡などが残る。 3万石の城なので大きな城ではないが、石垣や桝形で構成された虎口などがよく見られる。

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  船倉



  本丸には西に虎口門、南に台所門、北に搦手門の3つの虎口を持つが、天守は建造されなかった。



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  本丸虎口門



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  本丸 台所門



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  本丸 搦手門

 

  大村氏は時代と供に久原城、三城城から大村城へと移転してきた。 どちらも訪ねたが面だった痕跡を見つけられなかった。



    久原城



  案内板はあるが内部は民家なので入ることはできなかった。



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 久原城跡





    三城城



 大村純忠が1564年に築城、この喜前が玖島城に移る1599年までの居城。 現在は長崎県忠霊塔がある。 石垣の無い土塁の城ゆえか城跡らしさが感じられなかった。 案内説明板は見つけられなかった。



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 三城城跡



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 本丸とおもわれるところにある長崎県忠霊塔


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        2022-12-2


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2022年12月01日

的山大島 神浦(こうのうら) 街並み保存地区

        


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  平戸より大島行きのフェリ−に乗り神浦(こうのうら)に行く。 ここは離島にも拘わらずに古い町並み保存地区になっている。 フェリ−乗場の的山港は新しくできたものらしく、そこに役場はなく、神浦にそれは在る。

 フェリ−を降りるとすぐコミュニテイバス(100円)が待っている。これで往復の交通手段が確保されている。山間の急カ−ブの道を20分ほど走ると保存地区へ着く、 次の時間までの間に見学して、次のフェリ−で平戸に帰ることが出来る。

 今まで好きで訪ねた街並み保存地区は江戸時代にあった特産品の生産地であったり、交通の要になる場所が多かった。 この離島に保存地区があるのは江戸時代に栄えた捕鯨によるものであった。 当時の捕鯨の力は、後で見ることになった福江城は捕鯨による多額の寄付があってできた築城であり、生口島にも捕鯨の大きな組織が存在したことによりその力の大きさを知る。 江戸時代の捕鯨は大きな富を生み、各地に遺産を残したものであったようだ。



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  神浦伝統的建造物群保存地区案内板




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 街並み その1




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 街並み その2



     2022-12-01


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2022年11月29日

下蒲刈 ヨット泊地

 
 下蒲刈(呉市)  3か所のヨット泊地

 弓削から上関に至るヨットハイウエイがある。 この間に大きな潮流にぶつかる来島海峡、船折れの瀬戸、鼻繰りの瀬戸などが存在する。 ちょうど中間地に下蒲刈島があり、昔からの風待ちの湊としての歴史がある。 ヨットマンにはあまり利用されていないようだが、ここの3つの停泊地を探訪したので報告いたします。 ここを出てクダコ水道を抜け上関に向かう。 その水道は先のものより潮流は強くなく潮時は調べなければなりませんが本船も少なくより容易なものとなるでしょう。下蒲刈の3つの停泊利用を考えられてはいかがでしょう。


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 3か所の泊地


 1.  丸谷


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  クル−ズ船用 ポンツ−ン、 観光地近い。 クル−ズ船のスケジュ−ルを把握する。



 2.  見戸代

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  旧連絡船用 ポンツ−ン   ここはいつでも空いている模様



 3.  向


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  上蒲刈島にあり蒲刈大橋の近く、 潮流のある時は着岸しにくい。 食料品店あり。



    2022-11-29



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2022年11月28日

世界遺産のヨット泊地 その1  五島


  赤丸は今回 実際にヨットで訪問した係留場所です。
  念願のヨット訪問できました。


1.  黒島  黒島天主堂



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 赤丸の階段付近

 天主堂は島の中央にある。 小さい食料品店があるが、買い物不便





2.  野崎島  野首教会



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 野首港

 野崎島西部にある。 風浪に晒されるので、凪の時の利用。 旧野首教会には近い



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  野崎港

 小値賀島(おじか)より連絡船あり、ポンツ−ンに着けるので、もう1方のポンツ−ンを利用。 10隻余のヨットで訪問した例があり他のスペ−スもりようできそうである。 補給は一切無理である。 野首協会へは20−30分の徒歩で行く。





3.  頭が島   頭が島天主堂



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 アンカ−を打って槍付けした。 浅いところが多いので着岸は難しいと思われる。 訪問には予約がうるさいところであるが、ヨットでの訪問には問題がない模様。自動車を想定しているようだ。 4年前には有川より路線バスで訪ねた。



4. 久賀島   旧五輪教会



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 写真では観光船が着岸しているがここへ着けた。2隻ほどのスペ−スがある。

 吹きさらしの場所ゆえに天候には配慮がいると思う。



5.  奈留島  江上天主堂


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 江上天主堂は樹に隠れているように見えるので。近くに行くと現れる。

 コロナのせいか施錠されていて内部は見られなかった。管理している神父さんの意見で対応は様々である。 ここは予約をしておいたほうが良いである。 4年前に観光ツア−で訪問したので中は見ているのでガッカリはしなかったが、せっかくヨットで訪ねたのなら世界遺産の堂内は見たいと思うことでしょう。



  五島の世界遺産の4つの教会

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      2022-11-28


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2022年11月27日

2022年 秋巡航   九州一周 その1

  



 台風の本土接近が遠のいたと思われる10月17日に秋巡航を始めた。 春巡航の隠岐諸島行きが3か月近くになり7月末までかかってしまったので、いささか、気持ち的にはもう少し休養が欲しいところであったが、老骨に鞭打つ形で家を出た。

 越すに越されぬ玄界灘というところで、冬将軍の北風を恐れていた。 いつも新門司マリ−ナで4−5日の風待ちの停泊を余儀なくさせられるが、幸いにも待つことも無く関門海峡を抜けた。  11月の五島諸島は、意外であったが、晴天が続き北風に悩まされることも無く良い巡航日和であった。

 4年前に五島の世界遺産の教会をヨットで巡るべき有川まで訪れたけれど、北風の強風が5日ほど続き、そこで滞留してしまったヨットで訪れることが出来ずに、路線バス、レンタサイクル、観光ツア−で4つの世界遺産教会のうち3つを訪れることになってしまう。 今回は悲願がかなって世界遺産の黒島や4つの五島の教会をヨットで訪れることができた。 上五島の教会も全て訪ねることができ満足のゆくものであった。

 来春まで大村に係留して、まで訪れていない、原城と天草の崎津教会を訪ねるつもりだ。 12の世界遺産を全てみることができるでしょう。



    2022年 秋巡航 日程



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  児島−平戸


 10/17  サンライズ瀬戸 夜行寝台で東京発

 10/18  サンライズ瀬戸 児島着

 10/19  UW1にて上架  船艇塗料 塗り

 10/20  上架

 10/21  上架

 10/22  下架 船艇塗料終了

 10/23  メ−ンセ−ルセット

 10/24  バッテリ−交換  シ−デルコMF31 3個

 10/25  出発準備

 10/26  児島発 弓削着

 10/27  弓削発 下蒲刈着

 10/28  下蒲刈発  上関着

 10/29  上関発  姫島着

 10/30  姫島発  新門司着

 10/31  新門司発  宗像大島

 11/1  宗像大島泊  宗像大社へ行く

 11/2  宗像大島発  糸島船越着

 11/3  糸島船越発  平戸着

 11/4  平戸泊  

 11/5  平戸泊  生口島一周、 中江の島、春日集落 見学


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   平戸−大村


 

11/6  平戸発  黒島着   黒島教会 見学

 11/7  黒島発  小値賀島着

 11/8  小値賀協会 見学  小値賀島発  魚目着

 11/9  魚目発  奈良尾着 上五島教会巡り その1

 11/10 奈良尾発 久賀島・五輪教会と奈留島・江上教会経由  福江着

 11/11 福江島一周 友人の案内ドライ 荒川温泉

 11/12  福江泊 

 11/13  福江泊  福江城 武家屋敷 見学

 11/14  福江発  奈良尾着  

 11/15  奈良尾泊  上五島教会めぐり その2

 11/16  奈良尾発  横瀬浦着

 11/17  横瀬浦発 西海橋  大村着

 11/18  大村泊  

 11/19  大村泊  大村城見学

 11/20  大村泊  武家屋敷通り 見学

 11/21  大村泊  JRにて佐世保行き  自衛隊記念館 見学

 11/22  大村泊  冬係留整備

 11/23  大村泊  友人のドライブにて 外海の大野教会、出津教会、黒崎教会 見学

 11/24  長崎空港よりジェットスタ−にて成田着、 自宅に帰り秋周航を終える



     2022-11-27



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2022年10月03日

22世紀の民主主義   成田悠輔さんによる



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 友人から勧められて成田悠輔著「22世紀の民主主義」を読んだ。こちらにITの知識が不足しているので、それを眠気と戦いつつ読み飛ばしただけであった。

 アルゴリズムはこの本では重要なタ−ムであるが、小生には読む前にも読後にも身についていないのであるから、この本について何かを述べる資格はないようである。 ここから得るものが少ないのは、受け取る小生に問題があるのでしょう。

 YouTubeで見かける作者は飄々として「一皮」むけた人物のように見受けられる。彼が何かを持っているような印象を小生は受けた。 作者は東大の卒論で賞を受け、米国の有名大学の教諭をしている。 勉強をしなくて東大に入った天才肌の人物のようである。

 著者が云うような「22世紀はAIの判断で政治家の役割や政策を代替えさせる」考えには大いに不安を覚えます。 AIは受験秀才の知識のように効率よく巨大な知識により最適解を求めたものであると、小生は考えているが、必ずしもそれが最善なものではない。それを抜けた突飛な解は得られるものであろうか。

 大衆は常に間違うものであり、原理原則もせいぜい10年くらいしか賞味期限が無いということを我々は知ってしまった。 柔軟な認識から現状の変化をとらえて、それを修正していくことが大事だと思う。良かれと思っていたことも、常に検証して、時には今までの逆に見えることさえ行わねばならない。

 自分に振り返って、小生は「フリ−、フェア−、グロ−バル」を唱える大前研一さんの会に所属した。それは世の中に何も貢献することはなく、会の名称は政党にパクられ、派遣社員が増大し主力となる社会を創生しただけであった。

 大前さんによる発信が聞こえてこなくなり、今では精彩を失ったように思える、ひとつの時代が終わったと思っている。今となっては残った標語「フェア−」な社会を望むばかり。
 

 民主主義はギリシャのアテネに起きたものである。民主制はローマの時代とは違い短い期間のものであった。 それも奴隷制度のもとで限定されたアテネ市民で構成された。最後はソクラテスを死刑にするようなデマゴ−グに支配されるような不完全なものであった。 ちゃんと機能していた時はペリクレスの戦没者追悼演説のような高らかな時代であった。
 塩野七生さんの「ギリシャ人の物語 3巻」を読んで欲しい。

 そこで小生が学んだのであるが。
 民主主義には衆愚の問題を解決できないものとし、良きリ−ダ−を持つのは民主主義には必須と思う。それは独裁とは紙一重であるので、それを弁える指導者が必要となる。

 その指導者の登場の背景はどのようなものになるのかは分からない。ただ、教育の大きな目的のひとつにリーダ−の養成を掲げて時間をかけて待つしかないのか。 専制による成果は短期に実現できるであろう、しかし、すぐにも腐りはじめるものと知り。 愚昧なわれわれの効率悪い成果を積み上げ、また、改良していくしかないものとしよう。

  
     2022-10-3

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2022年09月22日

航海計画

    

 台風14号が日本列島を縦断した。 935mbの非常に大きい台風であったが、予想されたほどの大きな被害を受けなくて済んだようだ。
 今年の巡航は、2019年に九州一周を半ばで中断したのを再挑戦するプランを立てた。時間的な余裕を持つために、その航程を2つに分け、天草付近のマリ−ナて秋まで短期係留をして、春と秋に実行しようと計画をした。
 しかし、岡山の母港に向かう行きの新幹線の中で、台風時期の保管に不安を覚えて急に考えを変え、隠岐クル−ズを行うことにした。 無事にそれを終えて現在は自宅にいる。 今回の台風は予定していたマリ−ナのすぐ近くを通過したようだ。 このことを恐れてプランを変えたのであるので、結果的には大いなる心配から避けることができた。
 それでも、この決断が遅くなったことによる大変さを、小生は今回のクル−ジング中に味わされることになる。 事前の航海計画が十分に練られていないので、その日その日の行動は、行きあたりばったりのものになった。 その反省のひとつとして「山陰の主要港と補助港」をまとめた。 突発的な出来事による入港予定地の変更には今後に山陰に行かれるヨットマンがこの港リストが参考になれば幸いです。

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 山陰地方の主要港

 山陰地方の人にとっては、冬の強い北西季節風に悩まされていこると思われますが。 ヨットマンにとっては、その寒い時期にそこを航海する人は、まず、いないと思われる。
 山陰地方の春と秋には、北東と南西方向の風が、連続的一方的に山陰の地形に沿うように収れんして吹くようである。 従い、その風向の交替が起きる時期を知ることは、向かい風を避ける航路を選びたいヨットにとって重要なものとなる。九州の北岸・玄界灘もその影響下にあるので平戸方面に向かう時も同様である。間違うと新門司マリ−ナでの長期の滞在の結果が起きる。
 Windyは先の4−5日の天気を知るには必須のものである。それでも航海計画に使用する機能はそれには無いようである。
 昔の古い古い時代であるが、チャ−トのみでクル−ズしていた時には、本船用の水路誌を購入して読んでいた時があった。それには気象傾向が述べられている記事があり、おそろ恐ろしい内容でそれを読めば行く気が失せるような時代があったのである。 今は気象に関してはWindyが十分に役に立つ。
 海外のロングクル−ズではパイロットチャ−トを参考にして大洋横断の時期など検討したことがある。 日本付近のものがあれば役に立つのではないかと思わます。
 過去の気象を長期に渡って見られるものがありそうであるが、私の努力が足りないのであろう、見つかっていない。 また、最近の気候変動で今までの例年パタ−ンが役に立つ時と立たないときがあり、そのことの考慮も必要とされる。 役立つ資料が見つかったとしても、難しいことに、それゆえに個々の艇長判断が重要なものとなる。


     2022-9-22


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2022年09月18日

山陰の主要港と補助港  詳細



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 今回の隠岐巡行では、ホンダワラがプロペラに絡み、毎日のように老体に鞭打って潜るさんざんなめになった。春から夏の時期しか問題がないのかもしれません。 シングルハンドでは航海中に潜る作業をするわけにもいかず、近くの港をさがすことになる。 小生の年では、残り少なくて、もう一度この方面に来ることは無いと思われる。 実際に訪ねた港の報告とはいかないので、今後の参考になればと思いここに取り上げました。


 主要港とは諸風を防ぐ安全と思われる港

 補助港とは北風系や南風系のどちらか一方に対して安全と思われる港

  (注、個人的な見解なので、ご自身でご判断・検討してください)

  下図において 停泊場所 赤丸は実際の係留場所 青丸は候補地  x印は係留にふさわしくない場所   ? は注意

  漁港サイズ LL 巨大、 L 大きい、 M 中ぐらい、S 小さい、 SS 小さい船溜まり

  避ける風向  諸  諸風を防ぐ港、  N  北風系を防ぐ港、(北風で入港) S  南風系を防ぐ (南風で入港)



 港名   港域図   港サイズ ・    各論   ・   避風方向

 は実際に入港した港


      港域図をクリックすると停泊位置が示される


 1. 関門海峡から角島



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 関門海峡から角島



 関門海峡

 南風泊  港域図 、 L ・ 漁期により混雑か? ・  諸

 六連島  港域図   S ・           ・ N            

 安岡   港域図   SS ・  ・ N                         

 吉見   港域図   M ・  水産大学校の泊地もある  ・ N   

 吉母   港域図   S ・ 槍付けになるかも  ・  N 

 蓋井島  港域図   M ・           ・  N      

 室津下  港域図    S ・ 旧フィシャリ−ナ  ・  S

 涌田・黒井  港域図  S ・ 余地がなさそう  ・  N

 川棚     港域図  S ・ 凪のときに利用  ・  S  

 小串    港域図   S ・         ・  N   

 湯玉    港域図   S ・          ・  N

 二見    港域図   S ・ 大雨は不適    ・   N

 矢玉   港域図   S ・  大雨の時は不適  ・  N  

 和久   港域図   SS  ・           ・ S

 特牛   港域図   M ・ 港域は南北2つあり広いが適当なもの少ない  諸 西風弱し

 角島        L  ・              ・   諸





 2. 角島より仙崎、萩



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 角島より仙崎、萩へ



 島戸   港域図    S   東寄りの陸風が適   ・ S

 大浦   港域図    S              ・ N

 伊上   港域図    S              ・ S  

 黄波戸  港域図    S   西風 適      ・ S       

 湊(仙崎) 港域図   S   東風 適      ・ S

 通     港域図   M             ・ 諸  

 仙崎    港域図   LL              ・ 諸  

            M  萩マリ−ナなど    ・  N





  萩より温泉津まで  詳細


 3.  より江崎



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 大島   港域図    M           ・ N

 長戸大井  港域図   S  東風 適      ・ N

 大井浦   港域図   S            ・ S   

 奈古    港域図   M   陸風東 適   ・  N

 宇田郷   港域図   S             ・ N

 尾無公  船溜まり   SS  凪の時       ・ N

 須佐          L            ・ 諸

 江崎         L              ・ 諸  



 4. 江崎より浜田へ 



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 江崎より浜田へ



 飯浦  港域図   SS                ・ S   

 戸田小浜  船溜まり  SS             ・ S    

 益田  港域図   M  川港でお勧めできない、混雑   ・ S 

 石見津田  船溜まり  SS              ・ S

 大浜    港域図   S  西風 不適      ・ 強風はどの風向でも 不適

 三隅岡見   港域図   M   西風 不適       ・  S  

 三隅    港域図    L  顕著な発電所        ・  S

 浜田         LL   広大な港域を持つ      ・ 諸


 5. 浜田より温泉津



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 浜田より温泉津





 浜田国分  船溜まり   SS    西風 不適      ・  N

 波子    船溜まり   SS   西風 不適 槍着け    ・ N

 江津   港域図     s   大雨注意         ・ N

 黒松   船溜まり   SS   西風 注意        ・ N

 福光   船溜まり   SS  西風不適  槍着け     ・ N

 温泉津         S   西風系ウネリ入る      ・ S  

 
  山陰の主要港と補助港 その3   詳細


 6. 温泉津より十六島



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 温泉津より十六島へ





 仁摩   港域図   S           ・ S

 宅野   船溜まり    SS          ・ N

 五十猛  港域図   S   港は狭いが諸風を防ぐ  ・ 諸

 太田   港域図   M  内港は満杯か      ・  N

 久手   港域図   S              ・  S

 久手羽根   船溜まり  SS                ・ N

 田儀     船溜まり     SS・  S 

 多伎     船溜まり   SS  小さすぎる    ・ S

 出雲小田   船溜まり   SS  小さすぎる     ・ S

 出雲大社   港域図    S  槍着け覚悟      ・ N

 日御崎    船溜まり   ss  小さい       ・ S

 宇龍     港域図    S   余地が少ない     ・  諸

 鷺浦            SS              ・ 諸

 十六島           LL              ・ 諸





 7.  十六島から七類



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 十六島から七類へ





 釜浦    船溜まり    SS   小さい         ・ S

 塩津   船溜まり    SS    小さい        ・ S

 三津    港域図    S                ・ S

 小伊津   港域図   S                ・ S

 板浦   船溜まり   SS  時化て他に逃げ場のない時  ・ S

 地合   船溜まり   SS   翌日も凪のときのみ   ・ S

 魚瀬   船溜まり   SS                ・ S

 恵雲    港域図   L   大雨注意          ・ 諸

 片旬   船溜まり  SS                  ・ S

 島根原発             接近禁止

 御津   港域図    S                ・ S

 加賀   港域図    M   ウネリ注意         ・ S

 瀬崎   港域図    S                 ・ S

 笠浦東・西  港域図   S  東西の風向により洗濯   ・ S

 稲積   船溜まり   SS   西風不適         ・S

 菅浦   船溜まり  SS    北風注意     ・ S

 片江   港域図    M  空き少ない、 槍着け  ・ 諸

 七類





 8.  隠岐諸島



     島後


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 西郷         LL  南西風 ウネリ入る      ・ 諸  

  中村、 布施、 福浦、 都万、 蛸木 





   島前


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  島前のヨット泊地



    中の島  

  菱浦         L  風は抜けるがウネリは入らず   ・ 諸

  諏訪         L  北風注意            ・ 諸



    西ノ島

  別府      S   ウネリが入る           ・ N
  浦郷         M  使用されていないフェリ−岸壁   ・ N


    知夫里島  

  来居      S   南西風ウネリが入る        ・  S
  知夫漁港    M                    ・ N 

 




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2022年09月10日

ヴァイキング22

  
 弓削にて停泊中に、懐かしのヴァイキング22・敷島号に出会いました。 そのヨットは50年程も前に小生が初めて購入したクル−ザ−です。 今は亡き明石ヨットがそれを15隻ほど製造したと聞いています。 そのオ−ナ−は関西の方で、元従業員の山崎さんからアドヴァイスを受けながら、彼がリフォ−ム復元されたヨットに出会ったのです。

 製造されたそのひとつのヨットが岡山県玉野にあり、道路わきに展示されているように放置されていて、無残な状態を小生は見ています。 私が同僚に手放した艇は他の人に渡り、それを昔の仲間が見て、私に見ないほうがよいと言ってくれました。そのことは半世紀余りも経たことなので、しかたがないのかもしれません。

 私が所有していた時でもそのヨットは木部が多く、3か月ごとにニスを塗っていないとメンテナンスが大変でした。 自分がヨットを置いているいる現在のハ−バ−には、オール木造ヨットが2隻あります。 それらは大変に良い状態でメンテされております。 いずれもフルカバ−をしています。 従いヴァイキング22もそれをしていれば、長く保たれるのではないかと今は思っています。

  建造時の昔の話です。 当時はマーメイド号の堀江さんの太平洋横断の本に書いてあった影響でしょうか、ヨットを作るときは造船所に泊まり込んで作るのだという話がありました。 当時は長距離フェリ−の乗組員でしたが、会社に願い出て、2週間ほど臨時休暇にしてもらい、兵庫県高砂の船員保険施設に泊まって、造船所に毎日通って作った最初のヨットを手に入れました。


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 建造中、 速魚と小生(若くて別人かとおもわれるのか....)


 その愛艇を4年間ほど九州の日向市に置いて楽しみ、最後は日本周航するために、会社を辞職して、周航を終えて会社の同僚に手放しました。

 小生はデインギ−しか乗ったことが無く、ヴァイキング22。「初代速魚(はやめ)」は初めてのクル−ザ−ゆえに苦労もし、楽しみもしたヨットでした。 2隻目は友人と共同で52fのケッチ「PING906」を買いましたが、それよりも思い入れの深いヨットに「初代速魚」はなっています。 さらにヨットの信頼性という点では、今乗っているヤマハ31フェスタ・「速魚U」よりも、小さいながらも頑丈で時化ても安心して乗れます。

 欠点は腰が弱いことでブロ−が吹くと速やかに傾くこと、長さがないので波やウネリの中に入ってしまうこと位でした。  長所は、機走で現在のヨットとほぼ同じ5ノットで走ります。 また、停泊地の心配はありません、喫水が1.2m強なのでどんな小さな漁港でもスペ−スはあります。 クル−ジング中は、夕方まで走り、それから近くの停泊地を探せば良いことになります。 加えて、ハルの形状はロングキ−ルでしたので、今悩んでいるホンダワラがペラに絡まることは無かった。

 当時は、オ−トもファ−リングもGPSも無い時代でしたが、チャ−トと簡易港湾案内とラジオを聞いて天気図を書くことでクル―ズできました。 そのような、古い時代ではありましたが。


 予期もせずに敷島号に出会えたことは老生にとっては懐かしく嬉しいことでした。その夜は彼と話がはずみ、楽しいお酒が飲めました。

 

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  敷島号




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 初代 速魚


   

         2022-9-10



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2022年09月07日

濃霧

  


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  上関からクダコ水道までの予定航路、  白線に囲まれる範囲に濃霧発生


  2022年7月17日に隠岐巡航の帰りに濃霧に会った。 いつものように朝5時に上関を出港してクダコ水道を経由して下蒲刈を目指した。6時頃になって、平郡島に差しかかる付近より濃霧になり先が見えない。 レ−ダ−は無い。 古い話になるが、北海道を周航した時、さんざん濃霧に悩まされて「レ−ダ−の無いヨットでは北海道には行きたくない」と肝に命じていたのであるが、この時期は瀬戸内でも霧が発生することがある。巻き込まれてしまった。

 たしかWindyにはそのような霧の予報は無かったと思う。 知っていれば出港は取りやめにしたと思う。 また、平郡島の前方で霧の気配がしていたように見えたので、それを感知して、引き返す決断をすべきであった。 そのことは後になって振り返っての話になるので。事故が無くて良かったが、そのような決断はなかなか出来ないのが実状であろう。


 ここまで書いて気が付いたのである、霧情報としてはWindyは役立たない予感。他に何かあるかと言えばラジオ・テレビの天気予報である。これは欧米のものと違って、海のことが意識されていない「洗濯干し情報」のようであるのでこれも役立たない。 そうそう、あったではないのか、それはVHF16チャンネルの海上保安庁の航行警報である。 残念ながら怠慢な小生はVHFの電池切れを放置していて聞くことができない状態であった。 クル−ズに出る時にはこれをメンテしておくべきと知らされた。


 平郡島の北側は小型船、南側は大型船の本船航路である。 従い今回の濃霧中では小型本船との行き会いになった。 レ-ダ−は装備いていないけれどNewPeckスマ−トを持っている。それにはAIS機能があり他船の位置と進航(船首)方向が表示される。霧のなかでも他船を避けるのに、それは役に立った。 

 元本船乗りであったので、昔にレ−ダ−を霧中に使っていたのを思い出した。 それは、ダ−マ−トグラフの鉛筆でレ−ダ−画面に他船の位置をプロットして描き、その位置の変化で他船の動向を把握して避航動作をしていたことである。(今の商船はもっと近代化したレ−ダ−を備えていると思われる) ニュ−ペックでも船首方向は矢印で表示されるので、ヨットの場合は、他船と衝突の恐れがあるとの判断を待たないで、早めの大きな避航動作で他船にこちらの意図を知らせる必要がある。他船は霧中ではそのまま進路と速力を維持したまま航行してもらうのである。 ブイ近くでは他船は次の針路に転舵する予想が重要でその方向を考慮して、こちらも対処しなければならない。 

 幸い10時頃には霧が晴れた。 しかし、行き会い状態のガット船が反航してきた。 それはニュ−ペックでは確認されていない、ということはAIS装備していない本船であった。 霧中でなくて幸いであった。 本船はすべて装備していると今まで思われてきたが、法令で任意になっている船舶もあるのかと知った次第である。 調べてみると。

   AIS 設置義務船

 1. 国際航海に従事する300トン以上の船舶

 2. 国際航海に従事する旅客船

 3. 国内航海の500トン以上の貨物船


  航行中にニュ-ペックを見ていると上の義務よりもっと多くが設置しているようには感じていますが、ヨットにとっては内航船・漁船にもっと多く設置してくれればなあと霧を体験すると願望するものです。




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  AIS位置情報  下記のオケラネットによる

   http://www.okeranet.com/AIS/ais.html

   https://www.bouken-asobi.com/map_ais.html   AISライブ船舶マップ




    2022-9-7


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2022年09月05日

境公共マリ−ナ

  




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  境公共マリ−ナ




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 赤丸は3つの桟橋の先端部分に着けられる



 七類に停泊中にバスにのり境港へ行った。 観光案内所で自転車を借りて、境港を散策した。 ヨットの停泊地を探す。ここは本当に大きな港でどこへ着けたらよいのか分からないほどである。 境水道の両脇は島根側と鳥取側に区分される。 鳥取側にはフェリ−と大型漁船が付ける。島根側は空スペ−スが見られるが着けても不便のようである。




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  境水道大橋、  境港側(鳥取県)から島根県側を写す



 境公共マリ−ナ(0859-45-4151)へ着けることができればヨットにとってはベストであろう。 しかし7月の繁忙期であったのか3回トライしてもいずれも満杯であった。 そのうち1回は、台風が来る恐れもあり是非ともそこで避難したいところであったが、無理であった。結局は七類からも逃げて十六島へ行くことになった。

 公共マリ−ナの近くには大きなガソリンスタンド、DIYセンタ−、ス−パ−がある。  観光としては「水木しげる」が有名である。



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   ポンツ−ンの先端はゲストバ−スになっている  





      2022-9-6
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2022年09月04日

上蒲刈向




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  赤丸はヨット係留地



 上蒲刈島のヨット係留地は向港の他に県民の浜に[かまがり海の駅]がある。そこはむき出しの地形ゆえに風浪の問題があり、天候の良い時にしか利用できない。 最近はそこを避けて下蒲刈に着けることが多い。今回は新しいチャレンジで上蒲刈島向港に停泊した。 ここは安芸灘大橋が架橋される以前の連絡船が運航していた時のポンツ−ンである。 今回は南系の風が吹いていた時で、それが収まるまでは係留していてもウネリが入りヨットは動揺していた。



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  ポンツ−ンに着けた


  小さな食料品店があり総菜を買うことができた。 給油、銭湯は不明です。


          2022-9-5



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門司城、 丸山城



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  門司城と丸山城


 新門司マリ−ナではいつものように5日も風待ち待機となった。 その間マリ−ナの自転車で門司城と丸山城を見に行く。 門司までは時間もかかる行程で、トンネルを3つほどくぐることになる。 トンネルにサイドに歩道が設置されていないものを抜ける時にはハナハナ危険な走行になった。


   丸山城


 門司へ行く途中にある丸山城を先に訪れる。そこは白野江植物園の近くにあるということなので、園内で作業をしている地元の人に丸山城のことを尋ねた。 すぐ隣のはずなのに「ご存じない」ようだ。小生は付近を探索したが、残念ながら案内板などを見つけることができなかった。 うむ、断念した。


 丸山城は門司城の支城であったという。




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  白野江植物園


 下は無事に丸山城へたどり着いた熱心な方です。


     丸山城、  福岡県の城  ピグの部屋


  https://ameblo.jp/fukuokakennosiro/entry-12478525943.html




    門司城


 続いて門司城をめざす。途中に田ノ浦のヨットを係留している場所を通った。


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 田ノ浦ヨット泊地


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  門司城 遠景





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  門司城の地図



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  案内板



 門司城は関門橋の近くにある。和布刈第2展望台を目指して登って行き、そこで関門海峡の景色を眺め、さらに少し行くと門司城跡の案内板がある。



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  門司城跡石碑


 門司城は平知盛が築かせたという。大内氏、大友氏、毛利氏がこれを争い、最後は毛利氏に属した。関ケ原の戦いが終わると、細川忠興が城代をここに置き1617年に廃城となった。

 帰りは、また、トンネルを抜けるのかと気力を無くして、タクシ−を探した、折り畳み自転車でなかったので,載せてくれるタクシ−が少なく、何台目かのタクシ-に乗ってマリ−ナまで帰った。


       2022-9-4

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2022年09月03日

丸谷城・丸屋城 再訪





 
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  隠岐巡行で再び下蒲刈を訪れたので、丸谷城を再訪した。 




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  銚子に置いている仲間と着岸した



 前回は本丸跡を訪れただけであったのでそれから続くと思われる天神鼻まで行ってみる。

  ヨットは天神鼻のある半島状の土地(丸屋城域)東側に着けた。ここはここ10数年前に整備された港域である。 昔は西側に大津泊・湊がありそこは地乗りの航路・沿岸よりの航路の風待ち湊として栄えた。また、水軍城の船隠しもあったという。



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  大津泊、現在は面影なし、養殖設備が浮かぶのみ。  右には安芸灘大橋



  尾根伝いに歩いてゆくと曲輪と曲輪の間には堀切が散見されるのですが、詳しくは分かりません。


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  堀切 1



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 堀切 2と土塁



     丸谷城・丸屋城     2021-12-10

   http://hayame.net/custom27.html#spb-bookmark-792



    2022-9-3



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2022年09月02日

一の城





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  因島周辺の城、   赤字城は訪問済み、青字城は未訪問



 弓削海の駅にヨットを停泊させ,せとうち交流館内の観光協会で自転車を借りて「一の城」へ行く。  上弓削からフェリ−(190円)に自転車を 乗せて因島の家老渡に着いた。 海岸沿いの道を北に三庄湾方面を走る。 ほどなく登り路になり、下車して1時間ほど登る。 掠浦休憩所で少し休み、その先を少し行くと峠になったのか下りになる。 案内板が見つからない。 不安になり引き返す。 分岐する交差点があったので今度は反対に登ってみた。

 長戸庵近くで案内板を見つけた。 しかし、近くにあるはずの登り口をに見つけられず。 断念した。



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 案内板





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 長戸庵 近くの休憩所





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 三床湾を望む



 下記は見事に成功された「備後一の城放浪記」です。 弓削に来る機会は多いので、再トライする機会があるでしょう。

  https://www.hb.pei.jp/shiro/bingo/ichino-jyo/



     2022-9-2


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2022年09月01日

上関城

 



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  上関城、番所跡、茶屋跡、  赤丸はヨット係留地


 上関は九州へ行くのによく使う中継地である。 弓削がヨットの聖地と人気になっていたが、ここにポンツ−ンが整備されて利用しやすくなり、今では弓削を抜いて上関が一歩リ−ドしたようである。 夕方近くのここへの入港では、係留余地がない可能性がでてきたので、昼頃の入港を考えるようになった。

 今までの訪問で四海楼、御茶屋跡、番所跡、台場跡などを見てきた。今回は上関城へ行くことにした。




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   上関城


 能島村上氏の村上吉豊によって築城された。村上義顕(よしあき)が、この地に海関を設け、代々居城しました。帆別銭をめぐる争いで陶氏と戦いがあった。秀吉の海賊禁止令により廃城になったと推定される。

 模擬の見張り櫓と冠木門をみることができる。 遺構は見当たらない。




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  案内板





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 模擬物見櫓





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 模擬冠木門



     2022-9-1


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2022年08月31日

国府尾城 (こうのじょう)

 

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 島後 隠岐の島町、  国府尾城と後醍醐天皇行在所跡・隠岐国分寺



  何も予備知識がないまま、レンタサイクルで西郷湾の西郷大橋付近で,通りすがり偶然に国府尾城跡案内板を見つけた。 国府尾神社の裏山にその城は位置する。

 後知恵ですが、この城は隠岐一国を統一した隠岐清政(宗清)によって築かれた。清政は尼子氏の力を借りて統一。後に毛利氏に攻められて吉川氏の傘下となる。 江戸時代には堀尾氏の支配となるが、一国一城の令により廃城となる。



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  国府尾神社・城  登り口



 

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 国府尾城地図



  階段を何か所か登っていくと国府尾神社にいたる。 ここは2の丸か本丸かは不明である。 さらに奥の細い道を進むと井戸や堀切が見られた。



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  国府尾神社





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 井戸跡







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 堀切



          2022-8-31


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2022年08月30日

隠岐国分寺



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 島後 隠岐の島町、  国府尾城と後醍醐天皇行在所跡・隠岐国分寺


 レンタカ−を借りて島の東側を回った。 その時に隠岐国分寺に立ち寄る。

 奈良時代に日本各地建立された国分寺は現在でもその地名として残っているところが多い。本堂は明治と昭和に再建されたが、二度とも焼失して、また、建て直されている。 消失の後に発掘調査をして、旧本堂跡とされるところが見つかった。 近くに隠岐国分尼寺跡も発見されている。


 
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 隠岐国分寺  明治の廃仏毀釈で焼け、1950年再建しまた消失、 2014年本堂再建




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  後醍醐天皇行在所跡、  黒木御所も後醍醐天皇行在所と言われるが判然としない





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  山門


 国分寺の隣に牛突きの会場Oki Momo Dome がある。 ニュ−ス等でそれを知るのみで、実際には目にしたことはない。


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  Oki Momo Dome





        2022-8-30


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2022年08月29日

黒木御所と由良比女神社  西の島





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  黒木御所と由良比女神社 


 係留している中の島・菱浦から内航フェリ−・連絡船(200円)に乗り西の島・別府へ行ってきた。 そこではレンタサイクルを借りて、黒木御所と浦郷の由良比女神社を訪ねる。

  黒木御所

 

  黒木御所は連絡船やフェリ−を降りてすぐ徒歩5分位でいくことができる。 黒木御所碧風館では20分程度の解説が聞いた。 そこから少し登って行くと黒木御所に至る。

 後醍醐天皇が元弘元年(1332年)に討幕の戦いで敗れ、後鳥羽上皇の先例に習い隠岐へ配流になり、黒木御所に移された。 約1年後に脱出して「建武の中興」となる。





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  黒木御所案内板




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 黒木御所碧風館、  展示と説明がある



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  黒木御所跡



  由良比女神社



  西の島の別府から山越えの道を抜けると橋があり、その手前を降りてゆくと鶴丸ホテルへ出る。海の駅も併設されていてヨットが係留できる。



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   隠岐シ−サイド・鶴丸ホテル、   海の駅桟橋   




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  西ノ島大橋



 トンネルを抜けて西ノ島大橋(21m)を通ると浦郷地区へ出る。 ここは観光船に乗ることができる。 由良地区へ行くと由良比女神社がある。そこは平安時代には隠岐一の宮であった。 千夫里島からここに移築されたとかで、その時のイカにまつわる云われがある。 神社の下の浜にイカの大群が押し寄せるようになり「イカ寄せの浜」と名付けられた。 イカ長者が何人も生まれたという。



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  由良比女神社、 一の鳥居と本殿




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   イカ寄せの浜


        2022-8-29



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2022年08月28日

隠岐神社

    




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  菱浦と隠岐神社、   赤丸は菱浦ヨット係留地



  中の島の菱浦にヨットを係留した。 そこからフェリ−乗場にある観光案内所で自転車を借りて、隠岐神社に向かった。 フェリ−の到着時間に合わせてそこへ行くバスもある。 菱浦から諏訪湾沿いに海士町の役場を経由して隠岐神社に行くことができる。 所要時間は15−20分位でしょう。  

 隠岐神社は後鳥羽上皇を祀った神社である。 後鳥羽上皇が1221年(承久3年)執権北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れて隠岐に流された。NHKの大河ドラマで、もうすぐ承久の乱について放映されると思う。 御在所跡、御火葬塚、資料館を見た。




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  隠岐神社 鳥居




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  隠岐神社 拝殿



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  後鳥羽上皇 御在所跡



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 後鳥羽天皇御火葬塚、  1236年後鳥羽上皇が崩御され火葬



 ここの帰りに村上家と因屋城を訪ねた



  村上家と因屋城中の島

 

 後鳥羽上皇をお世話した村上家である。 資料館で案内の方に村上海賊とは関係があるのかどうかと尋ねた。 その関係した資料は見つからないと答えられた。 しかし村上海賊に関係した子孫の方はこの島にいるということです。 江戸時代であるのか明治なのか定かではないが、全国長者番着けにこの村上家は載っている。かなりの有力者であったのでしょう。  というより敷地から因屋城に行ける。 敷地の中に祖先が作った城跡の遺跡を持つ。 有力豪族であったのだろう。





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 村上家・資料館



 戦国期には毛利に味方し1566年尼子についた丹後・但馬の海賊衆が攻めよせてきたが撃退した。




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  因屋城の案内板





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  本丸跡、(標高20m)  朝霞神社の祠




    2022-8-28



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2022年08月26日

仙崎

  

 角島から仙崎に行く。青海島と大島の水道を抜けて仙崎湾に入り仙崎漁港へヨットを着けた。 大きな漁港なのでどこに着ければと迷うところだ。

 仙崎人口島の一角(下図の赤丸)に着けた。 土曜日で漁協が休みなので近くの漁師さんに了解を得た。この位置は先に遊漁船が定留しているが空いているようだ。 他の係留候補を青丸で3か所示した。1はタグボ−トの後ろ、2は水産高校の漁業練習船の後ろ、3はセンザキッチンのある岸壁である。 x印は地形的にはよさそうな入り江であるが、ボ−トが利用していて余地はない、錨泊なら可能でしょう。

 観光施設のセンザキッチンでは海の駅が付属していて、1隻くらいのバ−スがありそうです。 また仙崎では買い物や給油は可能です。ここにはコインシャワ−や観光案内所があります。

 

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 仙崎   赤丸は停泊地  青丸3か所は係留候補



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 仙崎   ヨット係留場所



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 1の泊地候補



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 3の泊地候補

 

  ここ仙崎では「金子みすゞ記念館」と「源範頼のお墓」を訪ねた。



   金子みすず

 テレビの連続ドラマで彼女を放映していた。 10年も前になろうか。  記念館ではそのドラマで使った仙崎の本屋のセットを使って内部を再現している。 

 

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 元にあった地に再現された金子文英堂書店、 この奥に本館がある



  彼女のやさしい人格の詩が大好きです。



 『私と小鳥と鈴と』

 「みんなちがって、みんないい」

 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
 地面(じべた)を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のように、
 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい



 ヨットを係留した仙崎人口島の一角に弁天島がある。そこを「みすず」さんが詠んだ。

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  弁天島



  金子みすず通りを奥の方に歩いてゆくと彼女のお墓がある遍照寺がる。



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 金子みすず  お墓  遍照寺


      2022-8-27



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鷺浦

   





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   鷺浦と十六島




 鷺浦は泊地の面積が小さい漁港ですが、奥まった湾で諸風を防ぐ良港です。 しかし、その港の入り口まで航行したが、防波堤の先端で合図を受けて入港拒否にあいました。 港内では作業船が工事をしていたが、予定していた防波堤の端の係留地は空いていてヨットを係留できる状況であった。 納得のいかない気分で、取り急ぎ次の係留地を決める。 十六島へ行くことになった。




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  青丸は停泊予定地



     2022-8-26
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2022年08月25日

南風泊 (はえどまり)




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 南風泊     赤丸は停泊地



  新門司マリ−ナにて日本海北上への好天気を5日も待つた。 このマリ−ナでは運が無く、訪れるたびに多くの待機の日を過ごすことになる。 Windyを眺めつつ機会を待つ。 それまでの北西系統の向かい風がやっと収まった。 翌日からは待望の南東系の風が吹くことになる。

 出港当日は、まだ期待の風は吹いてはいなかったが風力2-3の向かい風の状況であった。 関門の潮を待って転流から追潮で通狭、船も少なく無事通過した。 六連島を通過したころから船足が3ノット程度に減速した。 潮が変わって向かいになったか、親潮の影響でも受けているのかと思っていた。

 今日の予定は室津である。 北西の風が吹いているので室津ではウネリが入り、 停泊に不安を覚えたので、蓋井島へ行こうと考えを変えた。 午後を過ぎて向かい風が強まって白波が立つようになった。
 蓋井島に1マイル程にやっと接近したが、船速は1−2ノットである。 いつまでたっても島にたどりつけない。 いよいよ諦めて反転する、追い風にして南風泊(はへどまり)漁港に向かうことにした。

 今回は下調べが不十分であったのでそれに変わる漁港を知らない。 古い話になる、南風泊は30の時に、はや45年も前になるのであるが、その記憶にすがって訪ねることにした。 追手3ノット強で夕方までにはそこに着くことができた。

 しかし、昔の面影があるはずもない。 ニュ−スを見て憶えておられる方もいると思いますが、ここは漁協でのトラフグのセリで有名です。 袋に手を突っ込んで見えないように指値を知らせてセリを競う画面がフグのシ−ズンの見せ場である。南風泊は日本のフグの集散地である。 フグの加工工場が漁港近くに多くあるようでその匂いが立ち込めている。

 シ−ズンで無かったのでしょう。 近代的に改修された岸壁は大きく空があった。 給油にスタンドまで空タンクを抱えて20分ほど歩いて行ったのですが、帰りは親切にも店員さんが来るまでヨットまで送っていただきました。 買い物と銭湯は不明です。



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  関門海峡から蓋井島





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  六連島    ここに停泊できるという



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 南風泊の港入り口







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 南風泊  停泊地



   2022-8-25

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2022年08月24日

角島

 



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 角島漁港    赤丸は停泊地



 角島は今回の隠岐巡行で2度お世話になった。 最初は南風泊からホンダワラのペラの絡みの減速で悩まされながらも午後に入港した。給油を終えると夕方になった。 それからソフトスキンを着て潜ったのだけれど、ホンダワラをプロペラより取り除く作業が終わった時には寒さを感じて震えがきた。 15回近くも潜った中で今回は一番キツイ思い出になる。

 角島は本土と橋(18m)で続がっている。 橋を航行したことがないけれどNew Peck スマ−トで見てみると浅いところに注意が必要です。 沖は吹かれていても港近くに来ると収まるので、良い避難港になると思われる。 関門を抜けて潮が良ければ一気に角島へ来ることができる。2度目の寄港の時にはここを出て、新門司マリ−ナまで行くことが出来た。

 角島漁協では給油ができる。最近は給油できる組合は少なくなった。 購買所があるけれど、付近に商店が無い割には品数が少ない。 パンと牛乳を買ったのみ。 弁当もなし。 ここへ来るまでに買い物をしてくる必要があるようだ。



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  角島   夕暮れの係留地


 

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  ホンダワラの他に青いビニ−ルシ−トがペラに絡んでいた


        2022-8-24




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2022年08月22日

七類







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  七類港、 沖から入り口を探すのに苦労した、フェリ−が出入りすれば容易に見つかるが。





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  フェリ−乗場、   タ−ミナルに入浴施設有り



 七類港は隠岐諸島へ行くのに拠点として利用した。 港湾局の事務所があり、そこに連絡する。 皆が云っているのですが、その係員の人は大変親切な人であると。 飲み水補給可能。 200円で入浴施設あり。 買い物と給油は不便である。

 町内バスが有り、乗り継いで堺港までいける。また、フェリ−の入港に合わせて松江や境港へ行く連絡バスがある。

 港が大きいのですがウネリが入る。3−4隻の遊漁船の停泊場所の後ろの限られたスペ−スに着けることになる。遊漁船の出入での引波の影響を受ける。 ここでの台風避難を考え港内の漁港のスペ−スを探したが適当なところが無かった。



 

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 係留地、  遊漁船の後方になる



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  七類港ヨット停泊、   赤丸は停泊地 xは余地なし 紫丸は台風向け



  

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 ここの台風避難場所は特別に許可がいるように思えます



 幸い台風は左半円になり大したことはなかった。 小生は七類港をあきらめて十六島で対策を取ることに決めてここを出港した。



    2022-8-23


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江崎

  



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 江崎   赤丸は停泊地

  江崎へは隠岐行き帰りに2度立ち寄る。 諸風を防ぐ良い港である。 ウネリが入り込むこともない。 港のスペ−スも広く空を見つけやすいと思う。 おまけに近くに温泉がある。 買い物は少し不便であるが、30分歩くことを覚悟すればできる。 燃料は量にもよるが持って来てくれるガソリンスタンドがある。



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  漁船の前に着けた。 作業船は2度ともあの位置で作業をしていた



  買い出しに行く途中で橋を渡るとき変わった建物を目にした。 西光寺六角堂という。 身を投げた娘の供養のために作られたという。



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  西光寺六角堂



       2022-8-22

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2022年08月21日

温泉津

      

 

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 赤丸は2回の停泊地 青丸はお勧め停泊地、  温泉津と沖泊、 付近の3つの城跡



  温泉津の温泉はヨットマンにも良く知られていて、山陰へクル−ズに行くと話すと温泉津への訪問を勧められます。 20代のはるか昔にいったことがあるので温泉のことは既に知っていました。 今回は隠岐への巡航で2回行き帰りここを訪ねる。 最初は温泉津港灯台を過ぎてホンダワラが絡み減速を強いられた入港となった。湾奥の漁協近くの防波堤の先に着岸した。そこで潜ってホンダワラの除去を行なった。 南寄りの風でここはウネリが入った。 帰りは入り口近くの物揚岸壁に着岸した。 温泉津は泊地に悩むところであるが、漁協との相談の上物揚岸壁と漁協岸壁の間にある防波堤の内側がウネリも防ぎ良い係留地になると思われる。 そこは漁具がたくさん置いてあるようですが、着けてもよいということです。  地図の青丸の位置。 


 
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  ホンダワラを取り除いた



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  1回目の停泊地



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  2回目の停泊、  後ろはジャリの積み出しをしている




   沖泊湊、 鶴丸城、櫛山城、笹島城


 帰る間際になって、近くに城跡があることを知り。探して見た。ここは毛利氏の時代に石見銀山の銀を積み出す港に使われていた。 そこは現在の温泉津港ではなく湾先にある沖泊湊になる。 

 2回目に係留した物揚岸壁からトンネルを抜けて徒歩5分の近くに沖泊湊がある。 そこには細工の手の込んだ飾りがある恵比寿神社があった。それを見た時には、それが打ち捨てられたような集落にふさわしくないように思えた。ここが銀の積み出し湊であったことを知れば、往時の盛況さゆえに、その神社はここに在るのは納得のいくものである。 

 温泉の入り口に内藤家・庄屋屋敷がある。 関ケ原合戦の敗戦により毛利家が30万石に減封になった時に、ここの管理を担されていた内藤家は土着して庄屋を務めた。


 

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  内藤家 庄屋屋敷



 

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  恵比寿神社



 日本は江戸時代の前期の最盛期には世界の銀の産出量の1/3を算出した。その大部分を石見銀山が占めたという。大内・尼子・毛利とこの銀山を取るのに戦い、最終的には毛利氏に銀山は属した。 毛利氏はここを守るために内藤氏に鶴丸城を築かせた。


 下図のように、鶴丸城跡は温泉津港灯台のある岬にある。櫛島にある櫛山城と鶴丸城、また入り口の対岸にある笹島城の3つでこの沖泊を守っていた。いずれも時間的な制約があり、訪ねることができなかった。

 沖泊はヨット泊地として訪ねたいところである。櫛島の東側Aに小さい防波堤がありその内側にはつけられそうである。 錨泊や槍着けならもっとできそうである。 2回目の訪問ならここへ行けば良かったと思う。 年齢的にはもう無理そうなので、 若い方のここの訪問記でも読みたいものです。



 

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  城跡と沖泊   赤丸はヨット停泊候補地 AとB






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  恵比寿神社近くの停泊候補地 B





          2022-8-21





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姫島  九州への良い中継地

  



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  姫島 赤丸は停泊地



 九州の東側や関門海峡を抜けて北側に行く機会があったが姫島には今回の隠岐行きの帰りに初めて立ち寄った。 フェリ−岸壁の横に階段だ設置されている漁協前の岸壁に下記写真のように着けた。 日本海で20-30cm位の潮汐にここのところ慣れてしまったので、瀬戸内の2-3mもある潮汐には忘れていた記憶を思い出さされた。 その岸壁が高いという感想を覗けば、小ス−パ−、銭湯、ガソリンスタンドがあり不便はないようだ。


 

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 姫島の係留地




 暗くなるまでの間、姫島を歩いてみた。 ロ−カルな偉人の像や記念碑があった。 けれどこれにはよそ者には興味が湧かない。 庄屋さんの建物があった。 明治の時に村の有力者は郵便局長になったのでしょう。 その趣のある建物を見る。 ここは杵築藩の領地であり、その保護を受けていた大帯(おおたらし)八幡社がある。 その大松が目に留まったので写真を撮った。 この神社の祭礼に船曳行事にしようされる御神舟八幡丸の収納庫が見られた。




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  古庄家  村の郵便客を営んでいた元庄屋




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  大帯(おおたらし)八幡社にある松




      2022-8-20




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2022年08月20日

萩城下町 その2

    
 JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。


 参照   ぶらり はぎ散歩  地図    この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。


 これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。





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 @ 御船蔵

 A 旧山村家旧宅

 B 野山獄、 岩倉獄

 C 女台場

 D 繁沢家長屋門

 E 木戸孝允旧宅

 F 青木周弼旧宅地

 G 高杉晋作誕生地

 H 旧益田家物見櫓

 I 旧周布家長屋門

 J 北の総門

 K 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋

 L 口羽家住宅

 M 旧児玉家長屋門

 N 村田清風別宅跡

 O 久坂玄瑞誕生地

 P 旧田中別邸

 Q 井上剣花坊誕生地

 R 渡辺萬蔵旧宅

 S 山形有朋誕生地

 ㉑ 旧湯川家屋敷

 ㉒ 桂太郎旧宅

 ㉓ 井上勝旧宅

 ㉔ 前原一誠旧宅

 ㉕ 堀内鍵曲

 



  街並み保存地区 浜崎



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  浜崎保存地区 @ A





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 @ 御船蔵  藩主の御座船や軍船を格納した船倉、現在は埋め立てがあり川岸と離れている。4つの船倉   があったという。




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 A  旧山村家旧宅   江戸時代後期の大型の町屋である。



 

 200石取りの岩倉が西隣の野山200石取へ酒に酔い切り込み殺傷事件を起こして、両家が取り潰しになりそれぞれ監獄となった。



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 B 野山獄  士分のあるものの監獄となる。 吉田松陰がここに投ぜられた





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 B 岩倉獄  庶民が入獄し待遇も悪かった、松陰と渡米に失敗して捕えられた金子重輔はここで獄死した




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 C 女台場  海防のための土塁築造に武士の妻や奥女中が参加したので女台場とよばれる




  重要伝統的建造物保存地区  堀内地区  侍屋敷地区

 三の丸のほぼ全域で藩の上級武士が住んだ。 明治になり多くの人が東京に住んだという。 今でも地元の人は堀内の住所だと上流の人だと思われるという。 L M I H J M 


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  堀内地区 三の丸




  同  武家屋敷区

 北の総門から堀之内を出て、菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁に囲まれた地域. 200石程度の中級武士の居住区

  G F E 

 

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  武家屋敷地区



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 D 繁沢家長屋門  1094石取りの藩の要職




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  E 木戸孝允旧宅  



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 F 青木周弼旧宅地  蘭学医、シ−ボルトに師事、高杉晋作が痘瘡にを治療


 

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 G  高杉晋作誕生地
 



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 H 旧益田家物見櫓  須佐に領地を持つ永代家老、禁門の変で切腹





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  I 旧周布家長屋門  永代家老益田家の庶流、1530石取り





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 J 北の総門  3の丸(堀内)に入るための門、他に中の総門と平安古の総門とで城下町を分けた



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 K 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋  萩城の南すぐちかくにある、厚狭毛利家の武家屋敷、8371石を領す、





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  L 口羽家住宅  江戸藩邸の門を移築した、永代家老に次ぐ家柄





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  M 旧児玉家長屋門  2243石取り、




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 N 村田清風別宅跡  藩政改革を行い、その財力が維新への原動力となった





 

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 O 久坂玄瑞誕生地  松陰に学び絶賛されたが禁門の変で死す




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  P 旧田中別邸  26代総理の田中義一の別邸  





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 Q 井上剣花坊誕生地  明治3年に生まれ川柳で活躍



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  R 渡辺萬蔵(わたなべこうぞう)旧宅  天野清三郎ともいい、松陰に学び、尊王攘夷の運動に加わる、米英に留学して造船を学ぶ、  

http://hayame.sblo.jp/article/168843234.html


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  S 山形有朋誕生地



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   ㉑  旧湯川家屋敷   藍場川が邸内に流れている、城下に行く水を管理していたという




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  ㉒ 桂太郎旧宅  桂太郎が少年時代にここで過ごした、建物は明治42年に移築されたもの




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  ㉓ 井上勝旧宅   長州ファイブとして英国に渡り、鉄道の父として活躍



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  ㉔ 前原一誠旧宅  前原の表札があったが、見学できないようです。静かな佇まい




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  ㉕  堀内鍵曲 (かいまがり)  侵入した敵を迷わせるもの




   2022-8-19

 萩城下町 その1




posted by はやめ at 03:45| Comment(0) | 日記

2022年08月18日

萩城下町 その1

      

  JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。



    参照  ぶらり はぎ散歩 地図   この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。

     これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。  



   松本川の右岸地区 松陰神社など



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  松本川右岸地図  松陰神社など



  以下を自転車で見てきました。


 @ 松陰神社、松下村塾、吉田松陰旧宅

 A 松浦松洞誕生地

 B 品川弥二郎誕生地

 C 吉田稔麿誕生地

 D 伊藤博文別邸

 E 玉木文之進旧宅

 F 東光寺

 G 山田顕義誕生地

 H 楫取素彦旧宅

 I 郡司鋳造所跡

 J 萩反射炉

 K 恵美須ケ鼻造船所跡

 L 吉田松陰誕生地

 

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 @ 松陰神社、 ここに塾や旧宅がある



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  @ 松下村塾 半世紀前に訪ねたがこの場所にあったのであろうか?



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  @ 吉田松陰幽囚の旧宅



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  A 松浦松洞誕生地、  松下村塾生、 松陰の絵を残す、 尊王攘夷志士の弾圧に抗議して切腹した

  



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  B 品川弥二郎誕生地、 見逃して通り過ぎる、  松下村塾生、高杉晋作、木戸孝允、山田顕義らと維新に貢献、明治になり欧米に6年間留学



 

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 C 吉田稔麿誕生地 池田屋事件で討ち死に、 松門4天王




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  D 伊藤博文別邸  



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 E 玉木文之進(たまきぶんのしん)旧宅、  松下村塾創立者、松陰の叔父、松陰と乃木希典を厳しく教育、前原一誠の乱で責任を取り自害。



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  F 東光寺  毛利家の菩提寺





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  G 山田顕義誕生地、 松下村塾生、大村益次郎から学ぶ、禁門の変で敗北、高杉晋作の功山寺挙兵に参加、戊辰戦争、西南戦争に活躍、司法大臣に就任し法典整備に尽くす、伯爵、 日大の学祖、



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  H 楫取素彦旧宅



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  I 郡司鋳造所跡、 幕末には大型大砲の鋳造


 

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  J 萩反射炉, 試験炉であった模様、




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  K 恵美須ケ鼻造船所跡、 1853年の大型船建造の解禁により、1856年に伊豆戸田村の棟梁が萩に派遣されここに造船所を建設、丙辰丸、庚申丸、


 


 
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  造船所見取り図


  




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  K 吉田松陰誕生の地









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  萩焼の登り窯があちこちで見られる




     2022-8-18





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2022年08月16日

浜田城

  


 浜田城は吉田重治が大坂の陣の功により伊勢松坂より石見浜田5万4千石へ転封されてこれをを築城した。 現在の浜田の町は浜田川を越えた地域に大きく発展している。 当時は北前舩の寄港地松原湾・外ノ浦を北の備えとし、西と南は浜田川に囲まれ、東に内堀と外堀を設け侍屋敷と城下町を置いた堅固な城であった。 古田家は1648年に改易になりその後は譜代の大名が幕末まで続いた。 長州藩の抑えとして福山城とともに役割を担った。

 第2次長州戦争の戦いで大村益次郎に攻められ、城を自ら焼いた。




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  浜田城と北前船の寄港地外ノ浦・とのうら 



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 浜田城の資料館の奥には本丸へ行く登城口がある。 登っていくと護国神社がある。 司馬遼太郎が書いた碑文があるけれど、後で分かったことでそれを見ず。 門があるがこの城とは関係のない県庁から移築されたもの。 本丸跡にたどりるける。 3重櫓の天守があったという。 少し下って2の門跡にでる。 井戸跡と中の門跡をみると山を下った感じだ。 大手門跡は見なかった。


 

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 浜田城資料館、  御便殿(ごべんでん)、大正天皇の宿泊にたたられた  




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 護国神社



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  本丸 説明板



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  2の門跡  2の丸にはこの門と焔硝蔵があった




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  井戸跡




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  中の門跡  東正面の重要な門




 松原湾は天守より眺めることができて、その地形を見ると外ノ浦は北前舩の風待ちの湊であり、城も近く交易と防御を兼ねた重要な地点であると分かる。




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  浜田城から見た 松原湾・外ノ浦




    2022-8-15




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2022年08月15日

浜田





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  浜田 大きな港湾スペ−スがある



 江崎を出て次は浜田だ。 浜田の港はとてつもなく大きい。 どこへ着けるか迷う程である。 浜田マリン大橋(高さ 18m)を抜けて神社前の予定係留地をめざした。 行ってみると、そこは漁船がゆったりと岸壁に着けているので、窮屈な操船を迫られる覚悟をした。 その時にその漁船から手招きで横抱きしろと合図を受けた。 ありがたいお招きなのでさっそく横付けさせてもらう。 その人と一緒に夕方一杯やることになり名刺交換をすると、廻航業務をしているのヨット乗りの方であった。 小生は余ほど恩知らずのようで、2019年春巡航のの折、ホンダワラがペラに絡み、アップアップしていたところを彼が見つけて延岡・土々呂までえい航していただいた秋実さんであった。私はすっかりそのお顔を忘れていた。 彼は鹿児島から鳥取まで漁船を廻航している途中に浜田で風待ちをされているところであった。 翌日天候が回復して朝出発して、その日のうちに仕事を終えられたと私に連絡があった。



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 秋実さんにえい航された





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  赤丸は停泊地  マリン大橋は白い鉄塔のように遠い沖から見つけられる、顕著な構造物である。








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 2回目はスペ−スが空いていた, 今度は外ノ浦に着けたいものだ


  小生は翌日には浜田を見学するために留まった。 浜田城を見てきた。


         2022-8-14


   
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2022年08月13日

十六島・うっぷるい

    




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 鷺浦と十六島 



 十六島はアイヌ語みたいに「うっぷるい」と呼びます。 想定航路より奥まっているので入港を予定していなかった。 鷺浦へ行くつもりであったが、入港直前になって防波堤の先で手をエックスにしてストップの気配である。 工事しているので入港できないとのことであった。 漁港の奥の岸壁には工事船がいた。 しかし防波堤の先に着桟するもりであったので、そこは空いていてつけられる。納得がいかないまま、次の泊地をさがす。日御碕近くの漁港にするか、十六島にするのか迷う。どちらも下調べがしていなかったのでこのように急な判断を求められると困る。

 十六島は大きな漁港故にどこか着けるところがあろうと、そこへ向かう。 下図の写真の位置に着けた。 大きな港だが、買い物も給油も不便であった。 隠岐からの帰りにも寄ったので2度になるが、自動販売機で缶コ−ヒ−を飲んだのみである。



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 最初の着岸地

 帰りの十六島はあいにく台風が接近していた。 七類ではここで凌ぐには不安であったので十六島へ向かう。 台風対策としてサイドアンカ−を打ち、岸壁の突端からももやいをとりエックスのよなもやいで台風をしのぐ用意をした。 幸いにも四国へ上陸したので左半円の位置になったので、雨も風も大したことはなかった。


 

 入港進路は2回目は1回目の航路を行こうとしていたら、警戒船が寄ってきて下図の2回目の航路を指示された。 ロ−プが張り巡らされていて危険だとのことであった。

 奥に漁港船溜まりがあるが少し浅いようである。 漁協事務所から離れた岸壁で漁船が近くにいないようなら着岸できるようである。2回目は漁協で許可をもらった。




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 赤丸は係留地  青線は2回の入出港航路



    2022-8-13


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2022年08月12日

西郷・隠岐騒動

  



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 隠岐諸島



 ヨットの航海において、隠岐諸島へは何か行く目的がないと、本土側を航行してそこをスル−されてしまう。 小生も何度かチャンスがあったが行けずしまいであった。

 今回の春巡航は、母港岡山に向かう新幹線の中で、九州へクル−ズする予定を急に変更して、何も下準備のないまま隠岐へ行くことを決めた。 その理由は九州一周をするプランのなか、その航程が長いのでレグを春と秋に分けることになる。春レグの終わりに天草のマリ−ナに、秋まで短期係留になることに不安を感じたからである。 そのことは、マリ−ナ係留中に台風シ−ズンにぶつかり、天草に本人が滞在しないで台風に対処するのは難しいかなと不安に思ったのが大きな変更の理由となった。

 それゆえ隠岐に行くことにした。また、ここでもよく維新のことを取り上げている。その中に長州などで結成された諸隊をアップしている。

  神機隊と芸州の諸隊

 諸隊について調べていると隠岐正義党のことを知り、ここでそれを取り上げた。 現地の隠岐を訪ねれば、もう少し何かわかるのではないかと考えてヨットで訪ねることにする。他にも海士町での先進的な漁業の取り組み、島留学と島移住の話とか興味をもった。



 本土の七類で隠岐に渡る風待ちをした。日和を見て隠岐へ航海する。 

  さて、西郷に着いた。観光案内所で隠岐騒動のことを尋ねる。 隠岐正義党に関しての資料は持っていないようだ。 観光案内所でもそのことに詳しくない。 自分で探すしかなく、レンタサイクルで市内を廻った。 現在のドラッグストアの近くに隠岐騒動勃発碑の石碑を見つけた。ここは松江範の陣屋跡でここに島民が囲んで明け渡しを求めた。

 日露戦争でのロシア人墓地をさがしているなかで、運動公園に報国記念碑があるのを見つける。 それは隠岐騒動で14名の同志や日清戦争までの戦死者祀っている。 この地は幕末の頃の練兵所があったところだ、騒動の時に島民3000人が集合した地である。 小生が騒動に関して見ることができたのは、この2つのみであった。



  自宅に帰って調べてみると、「隠岐騒動の史跡を訪ねて」というパンフレットを見つけた。これこそ現地で欲しかったものだ。 西郷で風待ちで8日余りも滞在したので、このパンフレットに載っている各地とその付近には行っている。 惜しいことをしたものだ。

 仙崎では「金子みすず」、隠岐は「ジオパ−ク」1本に染まっていて他のテ−マには目もくれない一辺倒の状況だ。観光政策も幅広さをもっと持ってほしいものだ。 ジオパ−クと言っても、ぶらタモリではあるまいし、地学好きの人がここへ集まるわけではないと思う。 観光案内所は知識が浅いことが多いようなので、やはり歴史的なことについては教育委員会で尋ねてみるべきだったと後になって思う次第である。

 隠岐クル−ズは少しの不満を残すことになった。急遽航海計画を変更した調査が不十分な計画にもその責任がある。 ホンダワラの絡みに苦しんでも、目的港以外の避難港が考えられていないので、難儀な航海をするハメになったも自分のせいである。。

 

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 隠岐騒動 西郷         自宅に帰って見つけた資料



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 隠岐騒動記念碑、  松江藩の陣屋があった



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 記念碑説明板



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 報国記念碑  同志14人が祀られている



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  日露戦争 ロシア軍人戦没者墓地



 

     2022-8-12


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2022年08月11日

伯方島の城、  ヨット泊地

   
   金ヶ崎城、木浦城、伯方本城  



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 伯方島にある城跡、伯方本城、木ノ浦城、金ヶ崎城   青丸はヨット泊地 




  ヨットを停泊させている弓削海の駅より連絡船で伯方島を訪れた。 伯方本城,木ノ浦城、金ヶ崎城をめざす。


  伯方本城


 この城は村上師清により築かれた。2代義顕は能島・来島・因島の3家に分立させて、嫡流が能島村上でここを本拠とした。金ヶ崎城、木ノ浦城、能島城はこの城の詰め城である。

  芸予諸島の村上水軍城  

  今治市の伯方支所近くで訪ねたが木ノ浦城は知られているが、満足な回答を得られなかった。この支所の北側あたりにあったと思われるが石碑や案内板は見当たらなかった。 後で調べると近くの禅興寺に案内板があった。


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  今治市伯方支所

 

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 禅興寺にある 案内板


 


   木ノ浦城


 海から模擬天守はよく見える。 そこへ行くのは少し長い坂道を登っていかなければならない。 天守は現在閉館中の歴史館である。 隣接して岩がヶ峰古墳跡がある。



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  木ノ浦城  模擬天守




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  岩ヶ峰古墳




    金ヶ崎城、


 上図にあるように湾先の岬の先端に金ヶ崎城は築かれた。 


 手前の3差路の真ん中を登るようにして歩いていく。最初は間違えて右を下ったけれど間違いであった。


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  真ん中を行く



 みかん畑の先にお堂があり城跡の石碑があった。 ここが本丸になるのであろうか。 そこへ行くまでに石垣が少し残っていたり掘割みたいなものがあるようですが、開墾されているので正確かどうかは分からない。 


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  金ヶ崎城、 石碑



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  金ヶ崎城

 





  伯方島 木浦のヨット泊地



  伯方島油槽所の前は工事をしているが、ポンツ−ンが作られていて、ヨットが利用できそうである。 まだ、漁船は着けられていない。

 連絡船の利用していないポンツ−ンの両側も一時的にはヨットがつけられそうである。



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  連絡船ポンツ−ン



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  石油施設前の新港工事中の岸壁・ポンツ−ン





      2022-8-11


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2022年08月10日

下松散歩


 

  末武城

  

  下松からタクシ−で護国神社に向かう、末武城が近くにあるのだが、近くの人に聞いても判明しない。 護国神社に登るが結局みつけることは出来なかった。 下調べが大事であった。



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  護国神社入り口



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  護国神社





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  維新13人墓 馬関戦争、禁門の変、戊辰戦争のこの村の戦死者13名を祀る



  登城成功例は下記に詳しくあります   城郭放浪記をご覧ください

  https://www.hb.pei.jp/shiro/suo/suetake-jyo/



  失意?のうちに歩いて花岡八幡宮をめざす。





  花岡八幡宮



 奈良時代からある古い神社である。 重要文化財の多宝塔を見ました。



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  花岡八幡宮 入り口



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  花岡八幡宮



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  多宝塔 重要文化財



  下松古地図散歩

 タクシ−にて下松へ帰り。 市内を散策する。 観光案内所でもらった「下松で古地図さんぽ」商業と塩田で栄えた下松を歩こう編により、歩いてみた。 下松はコンパクトに近代的な産業と昔が混在した町である。 下記地図と写真のところを散策した(1時間ほど)。 お寺の説明はここでは省略する。 パンフレットを現地でもらって読んでほしい。 1度くるっと廻った程度で述べるには厚かましい気持ちがしますので。


 


  下松古地図散歩  古地図にある場所を主に廻った

 
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  周慶寺





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  妙見宮鷲頭寺(じゅとうじ)





 

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  普門寺





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 淨西寺

 

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  庵跡  現在は老人集会所

 

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 弁財天社 古地図にはない



 

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  埴常社・はにとこしゃ  



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  磯部・矢嶋邸跡  会社敷地内で見学できない 案内板の裏側




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 日立製作所  新幹線を製作している



 

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  大地の森





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  妙法寺





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 正立寺



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  西教寺





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 東光寺 観音堂





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  泉所寺 跡  





     2022-8-10


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2022年08月09日

下松

    



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  赤丸は停泊地


  上関から新門司マリ−ナにヨットで向かう時には姫島に寄るケ−スがほとんどだと思われる。 逆コ−スで潮に恵まれれば8−10時間で行けたこともある。 また、かって徳山グリ−ンヤマトマリ−ナに入ったことがあるが、山間のマリ−ナでたいそう不便なところであった。 本土側の適当な立ち寄り場所は山口のヨットに尋ねても無いようである。 今度、下松に行きポンツ−ンを見つけたので係留してみた。

 下記写真の後方位置に着けたが、翌日に前方へ移動するように指示された。 漁船の荷揚げが早朝にあるようである。 その作業に不都合がなければ利用できるようだ。 ここは諸風を防ぎ良い係留場所である。 安心してここに2泊し町を散策することができた。 コインランドリ−は駅前にあり、コンビニ、ス−パ−も近くにある。

 

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 漁協の荷揚げポンツ-ンに係留した、 前方にシフトした位置



    2022-8-9

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2022年08月08日

須佐





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 須佐湾  赤丸に停泊  青丸はおもしろそうな停泊候補地



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  須佐  防波堤の内に停泊

 江崎を出港してしばらくすると3ノットくらいに減速した。 ホンダワラのペラ絡みを想定して予定を変更して須佐に停泊した。 予想どうり潜るとホンダワラが絡んでいた。

 ここはス−パ−で買い物ができガソリンスタンドにて給油ができる。 JR須佐駅も近いが便数が少ない。

 須佐はスサノウノミコト(須佐之男命)の伝説にちなむ名前の地である。 長州の地でもあり、幕末に第1次長州戦争で三家老が切腹させられたが、その一人の益田親施(ちかのぶ)の領地であった。益田家の墓地を訪ねた。親族のそろった珍しい墓地だという。

 須佐歴史民俗資料館も覗いた。 その展示で知った心光寺に興味を持つ。久坂玄瑞と、僧 月性がここに集い密談をしたという。



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  益田家の墓地



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  心光寺



      2022-8-8



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2022年08月07日

ホンダワラのプロペラへの絡み  その2



  今春の隠岐へ行くクル−ズでは、関門海峡を抜け山陰沖を往復した。 まず、新門司マリ−ナでペラの点検して潜り,そこまでの瀬戸内での航海でプロペラにホンダワラが絡んでいないことを確認した。

 我がヨットは関門を抜けて蓋井島をめざした。潮の影響を受けているのかと2−3ノットにスピ−ドが落ちていても気に留めなかった。向かい風の影響も受けていたので。 蓋井島が真近に見えても接近できない、1ノット過ぎしか航走していない、さすがにあきらめて南風泊へ反転した、追手になったので2−3ノットで無事そこへ入港することができた。 それでもペラの絡みにに気が付かず、翌日は角島へ向かう。朝5時出たのに機帆走で3ノット程度であった。夕方にになってやっと着くことが出来た。さすがに、ホンダワラのペラ絡んだのが原因だとして潜って取り除くことになった。 ペラの形が見えないほど絡んでいた。

 それ以来走るたびに点検も兼ねて潜るハメになった。ひとつかみで済むこともあるが通常5ノットの艇速が1−2ノットの減速を余儀なくさせるほどの量であることが多かった。 

 取り除く方法も進化した。 ロ−プを両舷から伸ばして錘を結び、それを船底のプロペラ下に置く。そのロ−プをたどってペラにたどりつく方法で潜っていた。 老人には体力のいる作業であった。 ソフトウエットスキンを着てウエイト無で潜るので浮力が増えて、泳ぎのヘタな小生にはこのロープをたどる方法でしか上手く潜れない。 従い今までは5回も潜るハメになると、気力が失せ、その先のクル−ズを諦めることになったことがある。

 今回は縄はしごを用意し、それを舷から吊るし、そのハシゴを下りてぶら下がり、サイドから覗いて長柄のカマやカギ手でホンダワラを取り除く方法を試した。それにはハシゴが安定しない欠点があった。 ハシゴに錘を着けると少しは作業がし易くなった。 試していないが、アルミの脚立だと良いと思われるが、それを使わない時にヨット上に脚立を収納するのには難がある。

 今回たどりついた結論は、船尾にあるスイミングラダ−から下りて潜り、ラダ−をつかんでひと押しするとちょうどその反力でプロペラにたどりつくことである。これだと、体力を要しないので潜ることが気にならないことになった。今回の15回以上の潜水に耐えられた。

 ホンダワラが絡むことが多い原因は、今年は例年になくホンダワラが多いからか、瀬戸内では気にならないので、九州と日本海の生息場所が問題なのでしょうか、 また、ロングキ−ルやセイルドライブだと少ないようなので、わが艇のようにフィンキ−ルとシャフト艇ではキ−ルに当たった藻がちょうどペラに絡みやすいのであろうか。

 機走中の減速は特に春先にはホンダワラによるものと思うべきであろう。瀬戸内と狭水道でもない限り潮が原因ではないと思い知らされた。
 

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  温泉津で取り除いたホンダワラ



 

      ホンダワラのプロペラへの絡み その1      2019-07

    http://endyachts.sblo.jp/article/186259852.html?1659809916


    2022-8-7

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2022年08月06日

松江城



 ヨットにて隠岐からの帰り七類に停泊中に、隠岐フェリ−の連絡バスに乗り松江に行く。松江駅近くのホテルに1泊して市内を見学した。 


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 松江城


 関ケ原の戦いで家康に貢献した堀尾吉春が息子忠氏に24万石をもらい、出雲松江を領した。 月山富田城より移りこの松江城を築城した。

 
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 堀尾吉春  1543-1611

 尾張に生まれ岩倉織田氏に仕え信長に敗れて浪人となる。そのご信長に仕えて秀吉に付属された。秀吉と転戦して段々と加増されていく。 浜松に12万石を得る。秀吉死後は家康に接近した。



  まずは堀川めぐりの遊覧船に乗った。

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 大手前 遊覧船のりば  

 堀は思ったより浅く、底が見える。 橋を通過するにもギリギリのところが3か所もある。 堀端はすべて石垣で囲まれているのではなく、土手造りのものがある。 明治以前は堀の管理で土砂を除去する役人もいたという。それで堀の深さは維持されていた。

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 遊覧船で堀めぐり



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 縄張り図

 遊覧船を下船するとすぐに大手門木戸へ行ける。 

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 大手木戸門

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 太鼓櫓と大手櫓門跡

 わざわざ木戸門は簡単に破れるようにして攻め方を桝形虎口の中に誘い込み、もう一つの堅牢な大手櫓門でその行き足を止め、高石垣とその両側にある太鼓櫓と中櫓で殲滅すると言う強い防御の作りである。

 ここを抜けると2の丸下の段に至る。 

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 2の丸下の段より 三の門へ  中櫓と太鼓櫓が見える

 三の門を抜けると二の丸上段にいたり、ここには藩主の御殿があったが、狭いために三の丸(現在市役所がある)にも建てられていた。

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 三の門跡

 

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 二の門跡



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 一の門を抜けて本丸と天守へ


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 天守

 現存天守12のうちの1つで姫路城のように見ごたえがある。 


 城見学を終え大手門にもどり、堀端の風情のある塩見縄手通りを歩く。そこは街並み保存地区の武家屋敷版の代表のような街並みです。 小泉八雲邸や記念館もある。

 武家屋敷
 500−1000石程度の上級藩士の屋敷と言われる。 1733年の大火焼失より再建されたもの。屋敷門に中間の部屋がある大きなものである。

 

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 武家屋敷

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 武家屋敷の台所



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 小泉八雲邸


   2022-8-6




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2022年08月05日

萩のヨット泊地


  萩へは20代の時に訪ねたことがある。当時は船乗りをしていて、下関造船所へ乗組みしていたフェリ−がドックに上架すために行った。その時休みを利用して山陰線に乗り萩を訪ねた。 それから半世紀近くにもなるのかと時の流れの速さに驚く。

 ヨットで今回そこへ行くことになった。初めは越ケ浜漁港へ係留した。漁協脇で作業していた女性に係留許可を尋ねると、ここは厳しく停泊を禁止している吉であった。釣りさえも禁止である。 その日は土曜日であったので漁協は休みなので、翌早朝にここを出て萩マリ-ナに向かった。 朝9時のマリ−ナ営業開始までの時間に他の係留候補地を訪ねた。




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 越ケ浜 南漁港 ここに最初は停泊








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 越ケ浜 北漁港  ここも空いてはいるのだが



 フェリ−乗場の港は作業船で岸壁がいっぱいでヨット停泊の余地はなかった。次に下関ヤンマ−のある漁港に行き、そこにいったん舫った。日曜日なので問題なさそうであった。その岸壁は漁協の給油所とヤンマ−とで利用を分けているようなので、平日の停泊は難しいかもしれない。

 マリ−ナ以外でヨットが舫えそうなところはマリ−ナ近くのクル−ズ船が使うと思われる商用岸壁の横付けか、美浜公園の地元ヨットが停泊している近くの槍付けかと思えた。 JR山陰線を利用して萩近くの漁港への停泊を考えたが、JR時刻表を見ると通勤時間帯しか列車が無いので無理のようだ。

 マリ−ナは比較的料金が高く、電気もとれなかったので満足のいくものではなかった。 漁協の頑なな態度には、小生は歴史的な長州人への尊敬の念があるのですが、悪い面がでたなと思う。他の山口県の漁港は空いていれば拒むようなことはなかった。 スペ−スが十分にあり税金で作った施設なので柔軟な運用が無いのであろうか。





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  フェリ−乗場の港  作業船が多い 空き無し




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 下関ヤンマ−前に仮停泊




 


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  商用岸壁   大型クル−ズ船用に作ったのか荷役設備は見られない





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  美萩公園前の候補地   





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  萩マリ−ナ   岸壁付けした





 

       2022-8-5





 
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2022年08月04日

源範頼 お墓 5

    

  ヨットで隠岐へ行く途中に仙崎に立寄りました。 近くの三隅に範頼の供養塔とお墓があるということで訪れました。

 ネットで調べてみるが詳しいことは分かりませんでした。

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 長門三隅八幡宮の宮司さんに地図を書いてもらい行くことができました。

 なぜ、ここに範頼の供養塔とお墓があるのかというと、伊豆修善寺で梶原景時に襲われて範頼は亡くなった。部下の当麻三郎と小太郎が首を持って逃れてここに供養したと云われています。



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 三隅八幡宮



 
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 範頼供養塔


 お墓は案内板にたどり着けましたが、そこへ行く経路が分からずに見ることはできませんでした。
案内板のすぐ後ろに獣道のような登り口があって途中まで行くが不安になり戻りました。他の道も探りましたが行くことが出来ません。 案内の説明不足でしょうか? 

 範頼はこの地では大事にされていないようですね。 せっかく大河ドラマで登場しているので殺されるシ−ンが過ぎてしまうと、 ますます、ここを訪れる人は少なくなってしまうでしょう。

 隠岐のクル−ズを終えて自宅に帰って大河の録画を見ると、範頼はもはや殺されてしまっていた。範頼の復権は遠いようです。



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 範頼お墓 案内板



    2022-8-4


  源範頼 まとめ

    http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank057.html




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2022年08月01日

隠岐のヨット泊地 その2  


  
   



  隠岐にてヨットで実際に停泊したところは西郷と菱浦です。その他は写真や図で青丸で記しますが、実際に訪問実見していますが停泊したところではありません。 水深もあるところですが、初めは槍付けして着岸して、確かめてから横着けすべきでしょう。 槍着けでしたらスペ−スが多くあり困らないでしょう。



 1. 島後






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島後のヨット泊地


  中村

 漁港の横は海水浴場になっている。 小さい食堂があり、サザエ丼を食した。  北風系以外は穏やかな港湾である。



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 布施

 横付けできる場所はなさそうである。 槍付けで北の部分に着けるか、錨泊しかなさそうである。




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  布施のヨット着岸不適の桟橋

 

  福浦

 諸風を防ぐ良い湾のように思われる。 ここはロ−ソク島観光の案内船の係留地である。その船が岸壁を使用している。防波堤の内側に2隻ほどの係留場所がある。 仮付けして確認してください。 北の奥まった重栖には定置網漁船が多い岸壁があるが、漁民に尋ねる必要があると思う。



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 右側は福良の観光船岸壁、下の防波堤の内側が泊地候補


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 右側は重栖の定置網用漁船が係留する岸壁


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  都万(つま)

 湊が充実していない時代に舟を陸揚げして保管した船小屋群が日本で少数になって残っているのが見られる。 南風系のときにはウネリが入るようである。


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  都万の船小屋群





  蛸木



 北風系の風のときには良い泊地となる。 漁協の前には空スペ−スがあるが、荷揚げに使用されるようなのでここは避けた方が良いでしょう。


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 蛸木の係留予定地







 2. 島前・どうぜん





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 島後と島前の間はフェリ−によるかジェット船での交通になる。しかし、島前の3島・仲の島、西の島、知夫島には300円の交通船が便利である。



    仲の島

 菱浦

 西郷よりヨットで仲の島・菱浦に向かう。西の島戸の水道では向かい風になり,ここへの風が収束して強まるようなので難儀して菱浦へ入港した。ここは風が通るようだが湾内の波は静かで良い避難港になると思われる。

 事前に西郷よりフェリ−にて菱浦に往復して観光案内所にてヨット係留地を尋ねた。湾奥に公民館がありその前を勧められた。そこへ係留した。

 お風呂はホテルEntoで入浴するすることができる。週に3日ほど可能でタ−ミナルにその日程が張り出されていた。係留場所の前には小ス−パ−があり買い物ができる。給油は諏訪湾の方にスタンドがあった。



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 赤丸は係留地





  諏訪(湾)

 菱浦から東へ隠岐神社方面にいくと比較的大きな湾がある。ゴミ焼の施設が有りそこの岸壁も利用できそうだ。 実際に事前に確認が必要です。



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  青丸は係留候補





    西の島



  別府



 別府へは連絡船やフェリ−にて菱浦や来居より10分ほどである。 下図で候補地を2か所を実見したが、今回の南西の風が続いた時点ではウネリが入りヨット係留には適さない。菱浦から別府のヨット移動はしなくて良かった。 ここからレンタサイクルで黒木御所や鶴丸ホテル、浦郷を目指した。

 

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 青丸は係留候補地

 

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  ふるさと館前の候補地  上図A

 

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  上図B





  浦郷

 浦郷には観光船のりばがある。 恐らく隠岐フェリ−のための大型岸壁が整備されている。そこへの配船はされていないので利用できると思う。

西隣の由良比女神社のある湾にも係留候補地が考えられる。



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  青丸は泊地候補





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 写真奥の 浦郷のフェリ−用岸壁 候補地A



  

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 浦郷 由良比女にある候補地B







 隠岐西の島海の駅  シ−サイドホテル鶴丸

 実見したところスペ−ス1隻しか無いように思われた。3隻とあるので予約により調整するのであろう。訪ねるつもりであったが、今回は日程的に断念した。3000円で夕食と入浴がついて留められるようである。 電話08514-6-1111 上図の位置にあるように諸風を防ぐ良い泊地である。

 

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  ホテル鶴丸ポンツ−ン



 知夫島


 知夫島の係留地はフェリ−と連絡船の港になっている来居と南にある知夫里漁港になる。 来居は暴露したフェリ−岸壁の端になるので天候に左右され時期を選ぶ必要が生じる。連絡船の船着き場は少し囲まれた空間があるが、狭くて場所は無い。

 知夫里漁港は漁協の建物前の岸壁かその先の防波堤が候補地と考えられるが、一旦槍着けして尋ねる必要があるでしょう。 ここは七類に着く大型釣り船の母港のようで、後で思いついたのですが、七類に行ったときに知夫島の係留地を尋ねておくのも良い方法かもしれない。

 この島では買い物、お風呂、給油は期待できないでしょう。


 

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  青丸は係留候補地


 

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  来居 A 候補地   



 

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 知夫漁港 B 候補地





   2022-8-3

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2022年07月31日

隠岐のヨット泊地  その1


 隠岐の島に七類から西郷まで渡り、2022年 6/20より7/1まで滞在した。 天候が悪くヨットで隠岐のあちこちの港を訪ねることはかなわなかった。 仲の島の菱浦へはヨットで行き、そこから西ノ島と知夫島へは300円の連絡船により訪ねた。

 西郷ではウネリが入りヨット泊ができずに一部はホテル泊となった。そこでは8日ほどいたので、レンタカ−や町内バス、レンタサイクルにて島後島の北部・東部・西部の漁港を実際に見て回りヨット泊地を探った。満足ではないけれど今後ヨットで訪れる人のための参考になればと、ここに記した。

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 隠岐諸島


 島後島 その1

 西郷  本土の七類よりフェリ−やジェット船が頻繁に到着する。飛行場もあり隠岐の玄関口となっている。 かっては北前船の風待ちの港として繁栄したこの湊である。 しかし、フェリ−岸壁の端に停泊したけれど、南西風が続きウネリが入りヨットが動揺して、ここでは快適とはいかなかった。
 連絡船がフェリ−に代わってから旧桟橋にもヨットが付けられるがここも同様でしょう。 

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 青丸 最初に着けた位置(小田地区 )、 赤丸 ここで滞在した

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 赤矢印側に着さん可能  反対側は公共の船がよく利用する

 西郷の停泊届けはフェリ−タ−ミナルの1階に港湾事務所へ、親切に対応していただく。

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 西郷の(上図の赤丸)停泊地、  隠岐フェリ−荷物取扱所の横


 ウネリ対策では上図にある最初に着けた小田地区や黄色丸の海幸海運から秋鹿鉄工所までの水深のある岸壁を下調べして移動する手もある。 また、下図にある西郷大橋を抜けた湾奥にアンカ−するのも良いかも?

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 赤丸は 避泊地(事前調査必要)


  2022-7-31

   続く


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2022年07月29日

2022年 春巡航




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 2022年の春のクル−ジング報告です。 今回の開始時期が、連休明けになり予定より遅れた、それが季節的な影響が悪い方に作用して盛夏にまで運航することになる。 今年の予想外の早めの梅雨明けにより、キャビン内の温度は35度にも達する、大汗をかいて疲れのとれない浅い眠りが続いた。これでは続行できるのかと弱気になることもあった。

 クル−ジング中には、フェリ−にぶつかりそうになったり、霧になっての運航を迫られたり、時化てオートが使用できずに7時間余りも手足で舵を握る羽目になる。 また、目的の隠岐は天候にも恵まれず、期待していたところは、それほどでもなく満足するものではなかった。 2か月余に及ぶシングルハンド航海はさすがに長く、今後の計画は1か月程度のプランにしたいものだ。 それでも全体的には満足感を得られたものだった。


   2022年 春のクル−ジング

5/14  埼玉自宅より岡山県児島へ
5/15  これよりホ−ムポ−ト児島泊
5/16  下津井船具屋でアンカ−ロ−プ60m購入
5/17  
5/18  エンジンオイル交換
5/19
5/20  上架  船艇塗料作業開始
5/21  ペラクリン塗装
5/22
5/23  下架  船艇塗料作業終了
5/24  前部ハッチ修理
5/25  岡山JCIで隠岐へ航行できるように母港を変更
5/26  クル−ジング児島出発  弓削着
5/27  弓削泊  因島 一の城見学
5/28  弓削泊  連絡船で伯方島往復 伊予金ヶ崎城、伊予木浦城見学
5/29  弓削発 下蒲刈着  丸山城見学
5/30  下蒲刈発 上関着
5/31  上関泊  上関城見学
6/1   上関発 下松着
6/2   下松泊  花岡八幡、末武城、下松古地図散歩
6/3   下松発 新門司マリ−ナ着
6/4   新門司マリ−ナ泊  風待ち
6/5   新門司マリ−ナ泊
6/6   新門司マリ−ナ泊  門司城、丸山城見学
6/7   新門司マリ−ナ  潜水ペラ点検
6/8   新門司発 関門海峡通過 蓋井島めざすが反転して南風泊着
6/9   南風泊発 角島着  潜水 
6/10  角島発 仙崎着
6/11  仙崎泊  金子美鈴記念館、源範頼供養塔と墓へ行く
6/12  仙崎泊 風待ち
6/13  仙崎発 江崎着
6/14  江崎発 浜田着  かって、えい航してくれた恩人の秋美さんに会う
6/15  浜田泊  風待ち 浜田城へ
6/16  浜田発  温泉津着  潜水  元湯につかる
6/17  温泉津発 鷺浦経由(工事により入港拒否) 十六島(ウップルイ)着
6/18  十六島発 七類着
6/19  七類泊  風待ち 境港へ
6/20  七類発 西郷・島後着
6/21  西郷泊   五箇温泉へ
6/22  西郷泊   カミさん飛行機で着
6/23  西郷泊  レンタカ−で島後東地区へ
6/24  西郷泊  ウネリが強くホテル泊
6/25  西郷泊  同じくホテル泊
6/26  西郷泊  隠岐国分寺、バスで島後北地区へ
6/27  西郷泊  フェリ−で仲の島・菱浦往復、国府尾城見学。 カミさん菱浦泊
6/28  西郷発 菱浦着  隠岐神社、村上家、田屋城
6/29  菱浦泊 
6/30  菱浦泊  カミさんフェリ−で境港へ、皆生温泉泊
7/1   菱浦発 七類着 カミさん皆生温泉より着
7/2  七類泊  バスで松江へ、 松江城見学、 ホテル泊
7/3  七類泊  松江より米子経由で七類帰着、 カミさん米子より帰京
7/4  七類発 十六島着  台風準備作業
7/5  十六島発 温泉津着 沖泊見学
7/6  温泉津発 浜田着
7/7  浜田発  江崎着
7/8  江崎発  須佐着
7/9  須佐発  越ケ浜着
7/10  越ケ浜発  萩マリ−ナ着 萩城見学
7/11  萩マリ−ナ泊  萩城下町見学
7/12  萩マリ−ナ発 角島着
7/13  角島発 関門海峡経由 新門司マリ−ナ着
7/14  新門司マリ−ナ泊
7/15  新門司マリ−ナ発  姫島着
7/16  姫島発  上関着
7/17  上関発 濃霧に会う 上蒲刈向港着
7/18  上蒲刈発  弓削着
7/19  弓削泊
7/20  弓削発 母校児島着 クル−ジング終了

7/21  児島泊  
7/22  児島泊 メインセール修理発送
7/23  児島泊  ド-ジャ−修理
7/24  児島泊   ド−ジャ−修理
7/25  児島泊 ド−ジャ-修理
7/26  埼玉の自宅に帰る

  この後で、1か月ほどかかると思いますが、その詳細を報告できればと思ます。

   2022-7-29



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2022年05月06日

熊野古道 伊勢路 波田須の道


 熊野市新鹿に住んでいる友人を訪ねました。その彼は定年を迎えて、雪の積もる新潟より田舎暮らしを求めて棚田に新居を構えて生活をしている。 イノシシ、シカ、サルの野生動物に悩まされながらも楽しんで暮らしているようだ。

 ここら辺にある世界遺産の 熊野古道 伊勢路 を歩いて来ました。熊野古道は高野山に続く道だと思っていましたが、それは他にもあり、お伊勢さんにお参りをした人が熊野大社を訪ねるための参詣道が古くから整備されていたようだ。 この紀伊の地は国鉄紀勢線が開通したのが昭和39年でそれまでは交通の不便な地で岬岬にある集落は孤立していて連絡船により他と往来していた土地であった。


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 上図の熊野古道を歩く、二木島峠・峰紙坂峠登り口(出発)より波田津の密登り口南側(帰着)まで


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 案内図


 新鹿(あたしか)から歩き始めた。 さすがに世界遺産に登録されてから大きな整備が行われたのであろう。案内板や表示が整備されていて道に迷うことも少なく歩くことができる。 といっても狭い坂道を上ることになり、行き交う人も見当たらないさみしい道ではある。 小生が行っている ヨットでの城探訪のようにヤブをかき分けて道を探すようなことはありません。 道は石畳のような整備がされています。 熊野古道の伊勢路の中で鎌倉時代に築かれた重厚な石畳の道もこの経路にはあります。 波田須神社の地点(波田須のみち南側)で今回の帰着としてた。そこは国道311号に出ることになるのですが、ここには徐福茶屋があり、その崖下への道を下ると徐福の神社がある。 徐福は不老不死の薬を求めて秦の時代に中国を出たのだが、ここ波田須には徐福が訪れた記憶が伝わっており、徐福の神社の発掘の折には秦の古銭が見つかっておりその伝説の信憑性が高いものになっている。


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 新鹿にある二木島峠へ向かう古道が左手へ。 ここから波田須の道へ出発


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 311号のトンネルを抜けずに左側の石段が古道になる


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 鎌倉時代の造営道

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  徐福茶屋  手前は国道311号


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 茶屋の下に見える徐福神社



  東紀州観光手帳   波田須の密
https://kumanokodo-iseji.jp/spot/8424/ 


       2022-5-6


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2022年04月12日

大洋横断  まとめ

 




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 先人の世界周航  月日は主要地点のもの







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  世界の熱帯性低気圧


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 大洋横断について述べるには大西洋しか経験のない小生には資格がないのかもしれません。これから後期高齢者になった爺にはもう他を望むべきもない。最近に堀江さんが80を超える年齢にもかかわらずに太平洋を西航されています。 また、昨年は辛坊さんが太平洋を周回されました。 最初の太平洋横断で使用したブリストルチャネルカッタ−28は、縁があって小生がそのヨットを海外から持ってくるお手伝いをしました。

 日本や大陸の東岸より東航する大洋横断は、気候の関係により最初の大陸を離れる段階で難航が予想されます。それゆえ横断に冒険を望むのでなければやりたいものではありません。貿易風に乗って追手でスイスイ航海する安易な航海を小生のようなナマケモノには向いています。

 この資料を作った30年前には、それまでの帆船乗りが長きにわたって記録してきた気象情報よるパイロットチャ−トを参考にして小生が考えてみたものです。 ここ5年ほどは異常気象が続き台風の到来時期も違ってきました。計画を考えておられる人は最近の気象情報を吟味してプランしてください。長い目でみたら地球温暖化は本当であろうかと思っていますけれども。

 日本から出港するのは難しいものになるので、欧米でヨットを購入したケ−スになると思われます。考えておかねばならないことは米国でのハリケ−ンなどの熱帯性低気圧の時期です。 日本でも台風発生の時期が早まってきており、日本近海に差し掛かる時期は注意する必要があると思います。

  大洋航路とクル−ジングル−ト

  ヨット天文航法


  世界距離表

 http://endyachts.sblo.jp/article/189418903.html?1650390185


 

kyori 71.jpg
 大西洋横断    カリブ海のハリケ−ンの時期に注目





  大西洋横断

  大西洋横断ル−ト



 

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 太平洋横断   ハリケ−ンと台風の時期に注目



   ヨットの大圏航路

   温暖化によるフロリダからの廻航







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 インド洋横断  モンス−ンの時期と風向に注目

 

  東南アジアから欧州へのクル−ズル−ト 12月





oudann  10.jpg
 太平洋横断



  パイロットブック

  パイロットチャ−ト



2022-4-12



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2022年04月10日

世界距離表  8. 太平洋・豪州

 



kyori 90.jpg



  横浜・銚子―ロサンゼルス       5669  大圏航路

  銚子―パナマ              5669   大圏航路 

  潮岬―シドニ              3919

  佐多岬・鹿児島―シンガポ−ル      1657

  銚子―ハワイ              3235

  ハワイ―パナマ             4352

  潮 岬 ―フィジ−             3891



kyori 106.jpg




  東京―グアム            1350

  種子島―コスラエ 大圏航路     2500

  グアム―ムサウ            940

  コスラエ―ナウル           430

  グアム―ウエ−ク           1350





kyori 91.jpg
 季節別航路



  銚子―サンフランシスコ      大圏航路 東航 5−9月

  サンフランシス―ハワイ―沖縄       西航  11−3,6月

  パナマ―沖縄   21N,107W経由  西航   1−12月  

  銚子―シドニ−   13.5N,144.3E 経由 南航  12−2月

  シドニ−沖縄           北航  11−3月


     2022-4-10


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2022年04月08日

世界距離表 9. 南太平洋・オセアニア

 



kyori103.jpg
  注) Distanceは直線の距離・海里・マイルです



  ハワイ―フィジ−       2919

  パナマ―タヒチ        4616

  ハワイ―タヒチ        2400

  タヒチ―イ−スタ−      2400

  パナマ―ガラパゴス      850



kyori  100.jpg


   ブリスベ−ン―ニュ−カレドニア      750

  シドニ−オ−クランド        1299

  シドニ−―フィジイ−       1690

  タスマニア―シドニ−      614




kyori 101.jpg
  (数字)は島の中の最高高さを示し、ヨットからの視認と航路選択の助けとなる



  シドニ−―ヌメア       1100

  ヌメア―バヌアツ        480

  バヌアツ―フィジ−      600

  シドニ−―ノ−ス岬     1200

 

kyori 102.jpg


  シドニ−―オ−クランド        1450

  シドニ−―ウエリントン        1200

  ブリスベ−ン―ノ−フォ−ク      820

 


kyori 104.jpg


  ヌメア―バヌアツ―フィジ−      1080

  フィジ−―アロレ          1360

  ナウル―フレドリック        1460 

        

kyori 105.jpg


  ハワイ―クリスマス            1150

  ハワイ―カントン             1950

  トンガ―カントン             430





kyori 109.jpg



  サンフランシス―タヒチ            3400

  タヒチ−マゼラン海峡  大圏航路       4010

  イ−スタ−―ガラパゴス           2000

  ラパ―ニュ−ジランド北岬          2540

  ヒヴァ・オア―ガラパゴス          3000



  世界距離表を終えるにあたって、もうヨット健康寿命が迫ってきた年頃になり、30年以上前に作った資料を載せました。パソコンも無い時代でGPSはもちろんありません。図表は読みにくいものとなっており、少しパソコンで文字を加えましたが本当に役に立てるのであろうかと思います。

 若いころに考えていたヨットプランではエ−ゲ海や南太平洋は外せない夢でしたが、もう無理でしょう。これからそこを目指す方々に1里の助けになれば幸いです。



         2022-4-10

posted by はやめ at 09:30| Comment(0) | 日記