2019年07月11日

ホンダワラのスクリュ−への絡み

   
 温暖化の影響か?、今年のホンダワラの繁殖が異常に多く、他のヨットマンも同じ考えのようだ。 瀬戸内海では、まだそうでもなかった。別府に入るころより、プロペラに絡み始めて、1日おきの頻度で潜りそれを取り除く事態に陥る。

 今年のクル−ズプランでは、昨年は九州一周を西回りで計画し、台風の影響で長崎で断念したところから、東回りをすることにした。 別府から佐賀関を回って豊後水道を日向灘へむかった。 もし、昨年と同じ航路を取ったとしても、玄界灘でスクリュ−大量に絡みつき、洋上で潜って取り除いたというヨットマンの体験を聞かされたので、同様に難儀したであろう。

 シングルハンドであると、なかなか前方をワッチするのは完璧にはいかず、舷側にそれが流れていくのを見てハットすることも多い。また、それを取り除くにも、洋上で潜ることはシングルハンドでは、はなはな危険な行為である。体をロ−プで縛って流されないようにヤルとしても、波で船体に頭部をブツけたり、潜って浮き上がった時には船体から離れていることがある。 ヨットの事故で意外と多いのは、泳ぎと飛び込みに自信があるの人なのでしょう、かっこよくヨットから飛び込んで泳ごうとして、船上に上がることができずに遭難することです。 というのは、舷側がクル−ザ−では予想以上に高く、デインギ−と違いハシゴなしでは上がれませんから。 小生は港に着岸して潜ることにしています。若い頃にはオホ−ツクの海でロ−プがからみ、震えながら潜った経験がありますが、それ一度キリです。

 大分佐伯・大入島から宮崎細島を目指して航行中、豊後大島と鶴御崎の間の元ノ間海峡通過までは順調でした。前日に海の駅桟橋で潜って取り除いていたので、ペラの絡みは無しで出港した。速度が4ノット3ノットに下がっていき、深島をなかなか交わせない。日向市沖のやっと枇榔島近くまでやっと来たら、エンジン音が変わり止まりそうになる。 4-5mの大きなウネリの中でした。 また、藻が絡んだなと考えました、入港して潜らねばなるまいと。 エンジンが止まるとなると、メインセ−ルを揚げていないので、ジブだけではセ−リングが満足でない。おまけに二馬力の船外機は取り付けておらず、それにそれの始動が気ままです。大きな揺れのなかで船尾に船外機を取り付けるのは難しい。 毎日のように海藻取で潜るため、船尾ハシゴを使うことを想定して、船外機を取り付けてなかったのです。どちらかしか使えない装備です。  メ−ンセ−ルは下記写真のようにガンジガラメに縛ってあり、すぐには揚げられない。夕方になり日も暮れそうです。 絶対絶命ではなくても大いにコマッタなと思っていたところ、そこへ「どうかしましたか?」と漁船が近寄ってきて声をかけてくれました。 九死に一生を得る、絶体絶命の危機に「救世主」が間髪を入れずに現れるとは、まさにこのことです。日頃の行いが悪いにもかかわらずに。 地元の元ヨットマンが漁船の廻航業務をしていて、ジブ縁が赤い色の知り合いのヨットだと思い寄ってきたものでした、すぐに異変に気が付いてお声がけしてくれて、助かった次第です。

 今回は事故にならずに済みましたが、起きる時には二三重にミスが重なるのでしょう。 と云うより、今まで、おざなりにしてきたもの、怠けてやっていないもの、不完全や欠けた知識によるもの、こういったものがヨットでは何かのときにキッチリと詰めてくるように思います、思い知らされます。 なにせ、自然相手ですから。

 写真のように延岡・トトロまでえい航してもらい無事着岸しました。土々呂のヨットマンの人々がその後数日にわたって門川にある温泉の送迎をわざわざしていただきました。ありがとうございます。

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 えい航される


 土々呂漁港で翌日に潜り、午前中いっぱいかかって写真のように大量のホンダワラを取り除きました。 潜ったらスクリュウ−の形をとどめないほどまん丸く絡みついていた。 エンジンは12時間ほど回した関係で燃料消費が多くなり、タンクの底の燃料を使った関係で燃料供給が悪くなったのが原因と思われます。えい航中にはニュ−トラルにしていてエンジンは止まらずに回ってました。 ヤンマ−1GMがが新造時の規格で前オ−ナ−が2GMに換装しています。燃料タンクは1GM仕様で30リットルであるので、連続12時間は燃費を考えるとを廻しすぎであった。手持ちの燃料用予備ポリタンクが8リットル容量なので、5時間程度のエンジンを使用して、このポリタンクで補給すれば丁度よいと思われる。以後航海途中でも、5時間で補給することに決めた。

 他のベテランヨットマンに対策を聞きました。いずれも航海中に作業可能なもの。

1. 一番よさそうなものは写真のようにペラの上に穴を空けて、デッキから取り除く方法、ハルの形状により出来ないものもありそう。工事代金が50−60万円ほどかかるといいます。

2. 潜望鏡のような底を覗ける器具を作成して、船尾からそれで覗いて長い鎌を利用して取り除く。 これもスタ−ンの形状ヤヨットの大きさにもよる。

3. 船側からハシゴを固定して、そこに腰かけて水中のスクリュウ−を見ながら、長い鎌で取り除く。

 ご老体にムチ打って潜ることは、季節に限りもあるし、できることではない。 クル−ジングの大きな問題となっています。いろいろ自分のヨットにふさわしい方法を見つけることが必要です。

 釣り客を乗せて営業している釣船の船長さんに尋ねたところ、馬力が大きく、スクリュ−も大きい自分の船では問題になっていないとのことでした。海藻などブチ切っているのでしょう。 30年近くの間隔があるけれど、今までの2隻はロングキ−ルの船体であったのか、ロ−プの絡みいがいで潜る経験は無かった。ハルの形状も関係していそうです。

   

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 絡みついたホンダワラ 少し乾いてカサが減る


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 少量のホンダワラの時 この程度は問題なし


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  コックピットに空けたペラ穴



    2019-7-11



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2019年07月05日

スタンチュ−ブ水漏れ修理


 2019年春のクル−ズを終え、新ホ−ムポ−トへ入った後で、ビルジの点検をしてみるとバケツ2杯で多い。 前日の弓削で冷却水ポンプを交換したばかりです。 そこからの水漏れはなし。 スタンチュ−ブからの水漏れであった。 新しい係留地・岡山に来たばかりなので、修理するところののアテはない。 近くにマリ−ナがあったので、そこで聞いてみると、ここでは修理作業はしていないとのこと。 そのマリ−ナで紹介されたヤンマ−の代理店に行く、状況を見てもらえることになった。 しかし、様子を見た後で、スタンチュ−ブの修理はできないと断られる。どうも、その業者はヨットは得意でないらしい。

 地元のヨットマンの紹介で神戸の業者に修理をしてもらうことになる。 ヤマハ31フェスタのスタンチュ−ブの資料を前のオ−ナ−からは受け取っていない。製品名も分からず。 その部品はヤマハには無いようなので、新しい他社の製品を取付ることになった。 シャフト径とスタンチュ−ブ径が部品注文には必要でした、25mmと2インチと判明して、注文することになる。あいにく土日で今回も冷却水ポンプ交換の時と同じく日数を要した。

 作業はヨットの常で狭いところに頭を突っ込んでの作業。 ハンマ−を振るのにもスペ−スが狭く大変のようだった。小生は見ているだけでしたが。とても根気のいる作業です。それでも、朝から始めて4時ごろには修理を終えて、マリ−ナから係留地に戻ることができました。 費用は部品6万,作業代10万を要し老齢ヨットマンには大きな負担であった。



 作業手順

1. 旧シャフトシ−ルを取り外す

2. プロベラシャフトとエンジンとの接合をはずす

3. 旧をシャフトから抜き, 新をスタンチュ−ブに取りつける。

4. 新をシャフトへ通して、シャフトをエンジンに接合する。

 旧シャフトシ−ルを外すことと、プロペラシャフトをエンジンから抜くことが大変だったようです。シャフトを抜いて30cmほどのスキ間がないと離脱取付ができない。 プロペラと舵は同一直線状に普通はあるので、その距離が短い時は、今回の工事はどうするのだろう。舵も抜かねばならないのであろうか?


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 交換前に使用していたもの 取り外す   製品名不明

 
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 スタンチュ−ブ 2インチ(約51.5mm)、  シャフト25mm

 

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 新シャフトシ−ルを取り付けて、これよりシャフトをエンジンに取りつける


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  新しいPSSシャフトシ−ル( 02-25M-200)


 製品説明サイト

 http://www.samtech-japan.com/product/item03.html


   2019-7-5




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2019年06月29日

冷却水ポンプ交換


   クル−ジング中に、弓削海の駅に着いて、ビルジを抜きだすと、くめどもくめどもバケツにビルジが溜まります、なんと20杯にもなりました。前日の大三島・宮浦海の駅では2杯です。いつもエンジンを止めるとビルジを汲みだしているのですが、それは1杯程度ですので、大三島でも少し多いなとは思っておりました。 5時間艇程機走して弓削に着いた割には多すぎです。 エンジンボックスを上げて点検して見ますと、冷却水ポンプのエンジンに向かう接手からポタポタと海水が漏れていました。 ここだと思いビニ−ルホ−スを外してつないで止め金具を締めましたが状況は変わらず。普通はインペラの破損を疑うのですが、インペラの蓋ボルトには水漏れの気配がありません。

 他の係留しているヨットマンに尋ねると、それはアッセンブリ−の一体交換でないかとアドバイス。 的確な助言で、インペラの交換など無駄なことをしないですみました。 彼はボ−トショ−でエンジン保守の講義をしたことのある経験豊富なベテランヨットマンでした。 クル−ジングをしているヨットマンは、60代でキャリア10年以上のベテランが多く、なんでもできる人が多い。

 ここ弓削には珍しくヤンマ−を取り扱う業者がいません。隣の因島にあるマリ−ナで2GMの冷却水ポンプを取り寄せてもらうことになる。その日は金曜日でしたが、あいにくヤンマ−の研修日にあたり休日、月曜日の部品発注になりました。火曜日の昼にはそれが着いて、因島マリ−ナまでとりにいきました。往きは連絡船を土生(はぶ)で乗り継いで3時間。帰りはバスで土生へ、今治行の連絡船で弓削に到着、しめて5時間ほど要しました。待ち時間が長いので時間がかかります。マリ−ナの人もどうやって来たのだと云われました。 

 交換作業は短時間で終わりました。ビニ−ルホ−スとのつなぎには金具で締めるのみでOK、シ−リング材も必要なしです。 

 旧ポンプは予備にしてとのアドバイスでしたが、児島のヤンマ−に出しましたが、費用が新品が4万8千円なのに、4万ほどかかるということなので、それを断念しています。 冷却水ポンプの本体にはドレンの穴があり、ベアリングやシ−ルの破損でそこから大量の水漏れが生じることがあり、今回の故障の原因です。 冷却水ポンプからの水漏れに注意しなければならないと学びました。 それを取り外してみてびっくり、ベルトが首の皮1枚で繋がっていました。すぐにも切断したでしょう。さっそく交換する。ベルトの締め具合もきつく締めすぎないとアドヴァイスをいただく。本体のベアリングに負担がかかるとのことです。ヤンマ−のインペラも他社と違い1−2年では壊れないとのことです。

 
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 新旧の冷却水ポンプ

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 切れかかったベルト

   2019-6-29


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2019年06月25日

蒲江




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   赤丸 今回停泊位置 、 下の赤丸はウネリの入る時の避難位置・漁船のいないとき



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 係留位置  2−3隻は可能


 蒲江・大分県は、台風で避難したヨットもあると地元の人の話です。 しかし東よりの風が強いときはウネリが入り、今回の停泊位置では動揺する。その時はこの場所ではサイドアンカ−が必要でしょう。大きなフェンダ−を持っており助かったが、岸壁との間に浮かせていたフェンダ−が岸壁のハシゴにひっかかりライフラインを切断した。 船具屋でワイヤ−クリップを購入できて修理できた。

 東風が続いて5日ほど出られませんでしたが、ここは買い物、洗濯が便利です。おふろは近くのレストランを利用すると入浴できるという。利用しませんでした。

 佐伯にバスで行けるようですが、午後の便が見つからず行くことはなかった。

   2019-6-25


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2019年01月25日

三浦按針・ウイリアム・アダムス



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 1564-1620

 ヨットで平戸を訪ねたときに三浦按針のお墓や宅跡があり。どうしてここに足跡があるのか不思議な気がしました。召し抱えられて三浦に領地をもらったことは知っていた。 彼はちょうど関ケ原の戦いの前に「漂着した」といわれるが、そうではなく、豊後を目指してズタズタになりながらも目的地に到着しました。
大阪で豊臣政権の大老をしていた家康と謁見して気に入られ、外交顧問として重用された。英国には妻と子供がいるのだが、日本人女性と結婚して長男と長女がいる。
帰国することもかなわずに平戸で亡くなった。なお按針は水先案内人の意味である。



   三浦按針 年表

1564 三浦按針ことウイリアム・アダムスはエリザベス女王の時代にケント地方の町、ジェリンガムに生まれた。
1576 12歳のころには、船長の資格をもつニコラス・デイギンズの見習いとして12年間過ごした。
1581 オランダ独立宣言
1588 その会社と海軍で働いた後、およそ11年から12年の間アフリカの地中海北岸との貿易船で働いた。
1598年 6月 5隻のオランダ船団の1隻の航海士として乗り組み東インドに向かう。
 アフリカのギニア沿岸に停泊する。壊血病が蔓延して指揮官や乗組員の相当数が死んだ。1599年4月初め   マゼラン海峡まで達した。(注. 喜望峰周りではなく困難な航路を航海した)冬になっていたので航海が  困難で越冬をおこなう。
 9月まで釘付けになり食料も尽き多くの仲間が飢えで死んだ。やっと海峡を抜けたが、船団は離れ離れにな  る。アダムスの乗ったリ−フデ号(エラスムス号)は仲間を待つために南緯38度チリ・モカ(Mocha) 島に向かう。強風で錨を下ろすことができずに、サンタマリア島に変更した。そこで原住民の策略にかかり 船長や弟のト−マス・アダムスや同僚を失う。錨を上げることさえ難しくなる人数になる。2−3日して僚  船・ホープ号と会うことができた。彼らは同様にしてモカ島で20-30人の仲間を失っていた。このような状況 であったが、スペイン人と交渉して必要な食糧を得た。アダムスの船では互選された船長のもとで協議し、 積み荷の毛織物が売りさばくのがふさわしい地として、日本行が決定された。
1599年  11/29 日本に向けて出帆。数か月にわたって貿易風に恵まれた。北緯16度付近の島で8人が人食い 人種の犠牲になる。北緯27度から28度で風向きの一定しない嵐に遭遇した。
1600年 2/24 僚船を見失う。
 3/24 ウナコロナ島が見えた。このころには這いずっても働けるものは9−10人であった。
 4/11日本が見えた。めざした豊後であった。動けるものは24人中5人にすぎない。出港時は110人。
 4/12 小型の船で日本人が乗り込んできた。1軒の家があてがわれて、食事も供せられ休むことができた。 ポルトガル人が長崎よりやってきて、我々を海賊であり処刑を主張した。我々の事が家康に報告されて、ヤ ンヨ−ステンと2人が会見のため大阪に向かう。
 5/12に大阪に着く。家康に質問攻めにあい、交易目的で布教のためでないと理解を得る。カソリックとプロ テスタントの対立も家康に述べる。
   41日間牢に入り釈放され船に戻る。 その間にリ−フデ号は大阪に曳航さ。積荷・備品などすべてはす べて持ち去られたが、家康が戻すよう命令した。
  5万レアル相当の食糧や必需品を支給される。 江戸に行くよう命令される。
    これから2年間船に戻ること禁止された。お米と生活費を支給される。
    江戸湾に係留されたリ−フデ号が沈没する。
1602    オランダ、東インド会社設立
1603    江戸幕府
1604    伊東で80トンの帆船を完成させる
1605    オランダ、ポルトガルよりモルッカ諸島を奪う
1607    120トンの帆船を完成させる。この船はアカプルコにスペイン人遭難者を送り日本へ戻る。
1609    オランダが平戸に商館設立
1611頃  250石の旗本となる。横須賀逸見に領地を得る。オランダ船ブラック号平戸に入港。オランダが日本と交易するのに貢献した。
1613    イギリス船クロ−ブ号が通商を求めて来航した際に、家康への謁見と朱印状の交付を助けた。
      家康、全国に禁教令
     9/1 イギリスとの通商許可がおりた。 オランダ商館の手伝いを辞めてイギリス商館に勤める。
1614 クロ−ブ号での帰国許可が日英より出たが、司令官と折り合わずに見送る。
1616 4月 家康死去、 秀忠が鎖国体制を敷いたため、不遇となる。
1619  オランダ、ジャワ島にバタヴィア市建設
1620  平戸で死亡


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 貿易風の風向     赤線は三浦按針の想定日本への航路

 
      2019-1-25

 平戸、墓地から出土の人骨「三浦按針の可能性高い」 長崎新聞

  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190402-00000002-nagasaki-l42


   2019-4-2






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2019年01月01日

2019年 元旦


 今年もよいお年をお迎えください。

        速魚


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    2019-1-1
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2018年12月28日

大畠瀬戸 その2  貨物船と橋の衝突

  
 10月22日大畠瀬戸の瀬戸大橋でドイツ海運会社が所有する貨物船「エルナ・オルデンドルフ」マルタ船籍・船長インドネシア人・乗組員21名が橋桁に衝突した。送水管が破断して周防大島の全域で断水している。

 ここで大畠瀬戸で取り上げています。 ヨットで6回ほど通航しました、ここでは500トン程度の内航船と小型フェリ−と行き会うことがほとんどでした。

 かって鳴門海峡を今回のような中国の外航大型船が通航して事故を起こしたことを思い出しました。日本人船員には常識はずれの行動です。 

 日本人外航船員の絶滅した現在では、輸出入の船舶は船籍・船員・所有国が異なる便宜置籍が主力になっています。 おまけに水先法の規制もゆるいようで不慣れな外国人船長の判断で運航されている現状です。 今後も同様な事故は起こるでしょう。


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 赤線が事故船の推定航路
 
   
 ブリッジクリアランスという数値があります。プレジャ−ボ−ト・ヨットの世界でも背丈の高いものにはスペックシ−トに記載されています。大型カタマラン60f以上では70-80fのクリアランスのものがあります。この瀬戸大橋は31.9mの高さですので航行する際には注意が必要です。

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 事故を起こした貨物船 レダ−マストが後方に折れ曲がっている


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 切断され橋から垂れ下がった送水管


 ヨットで柳井へ向かう場合は山口県寄りに航行する。上関に向かう場合は周防大島・屋代島寄りを航行したほうが距離的に近い。


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大畠瀬戸の航法


    2018-12-28
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2018年11月01日

関門海峡と進路警戒船


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 初代「速魚」による通峡

 40年前に初めて関門海峡を通ってから4回目になります。しっかりと潮汐表を準備しての通峡でしたが、サイトで調べられる時代になったので、表なしで今回は通航しました。

 新門司マリ−ナを出て2時間余りで門司埼・関門大橋の近くに着きます。 そこでエンジンの音が変わったので潮に当たったのだと思いました。速度も1ノット落ちて4ノットになる。その後に池島で潜ってその原因がロ−プのスクリュ−への巻き込みだと、2週間も過ぎて判明します。余りスキルのあるヨットマンではないとバレてしまいました。

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 その時に門司埼の方向から真向かいの行き会い状況に作業艇らしきものと衝突の恐れが生じました。法令に従い舵を右に切り避航動作をとる。 相手船はそのまま接近してきて、左に寄るようスピカ−で怒鳴るように
指示される。その船は巨大船の関門海峡通航にまつわる進路警戒船であった。 彼の意図は、海峡の最も狭くて潮流の速い門司埼でのこちらのヨットと巨大船の接近を避けようとするものであったのでしょう。 指示どうり左に針路を向けて、こちらの意図しない門司埼にごく近くを通航するハメになりました。こんなに近くても門司埼を航行できるものだと思いましたが。

 警戒船が自分の意図どうりにしようと思うなら、真向かいの航法が適用されるこちらへの接近は避けるべきでしょう。ヨットに左へ舵をきらせて、右舷対右舷での通航をさせたいのでしたら、ヨットへは警戒船の右舷を見せてヨットに接近すべきである。なぜなら真向かいの航法では互いに右に舵をきるからです。

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 この警戒船ではないが、進路警戒船には赤の吹き流しを揚げているようである。

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 関門海峡 通常は右側航行であるが、100トン未満の船は門司埼に近寄って航行できる特例

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 真向かいの航法

 元船乗りで巨大船に乗ったこともあるので、舵効きが遅くサイズの大きい本船では瀬戸内海などでは、本当に進路警戒船はありがたいと実感したことがある身の上ですが、今度は指示をうける小型船に乗ってみると、適切な行動をとってもらいたいと思うものです。

  帰りにも再度逆から通峡しましたが、ブイ近くを航行していました、後ろから追い越される船にブイの岸よりの浅いところへ追い込まれそうになりヒヤ汗を掻くことになる。 峡水路の通航の際には潮止まりの時刻を狙うことが多いのですが、関門では連れの追い潮4ノットでも行けるようです。

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 下関からみた関門大橋

   2018-11-1





 





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2018年10月03日

上関 その2 長島


 テレビで大阪の拘置所より脱走した男が上関の陸の駅で万引きする場面が放映されました。 自転車旅行・日本一周を掲げていたようです。

 ここで「上関 その1 室津」が見られますが、今回の九州クル−ズでも上関に2度立ち寄りお世話になりました。 その続編となります。

 室津の防長バスの停留所から終点まで乗る。 しかしそこは何もないところで、来た道を徒歩で戻りながら番所跡を捜した。なんのことはない橋を渡ってすぐの場所であった。
室津から徒歩でも行くことができる。昔の上関の面影を期待しましたが、よく見かける瀬戸内の漁師町のひとつ。

 上関大橋で繋がらない昔は長島が上関の中心です。 長州藩の三関、上関・中関・下関の一つで海の重要な拠点であった。上関番所やお茶屋で朝鮮通信使を迎えた。

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 旧上関番所(県指定文化財) 海岸沿いにあったものが移築された


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 お茶屋跡  


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 朝鮮通信使来航図  往時の上関がうかがえる


 ここは海の要地であることから村上水軍の能島水軍の上関城があり、そこへは訪ねることができませんでした。公園となっているようです。

 ヨットの停泊地としては長島地区はスペ−スも狭く、室津地区のほうがふさわしいでしょう。


   2018-10-3
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2018年09月24日

長崎・出島ワ−フ海の駅


 長崎のヨット泊地には出島ワ−フマリ−ナがある。 そこは町の中心にあり観光に出かけるのには便利です。1泊5000円近い係留費,この料金は電気代と水道代を含む。

係留ポンツ−ンの目と鼻の先に咸臨丸のような外輪船の姿をした港内クル−ズ船が見える。その隣は大型商業施設の「ゆめタウン」です。
 下記地図にお風呂屋「日栄湯」と「コインランドリ−」を印し。 ここで小生が興味を持って訪ねた場所も表示しました。
 銭湯については長崎駅から送迎バスのあるス−パ−銭湯もあり。観光案内所で時刻表がもらうことができます。

 出島ワ−フは戦前には中国との玄関で往来する客船のワ−フ・船着き場であった。現在はレストランが立ち並びヨットを眺めながら食事をとるオシャレなパッセ−ジとなっています。


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 「ゆめタウン」と外輪船

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 出島ワ−フ地図

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 入り口にある女神大橋 ここを抜けて1時間ほどでマリ−ナへ

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 大型客船が係留


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 三菱造船所で修理中の自衛艦  かって戦艦「武蔵」も建造される



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 出島オランダ商館跡 入り口


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 オランダ商館を望む


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 マリ−ナから見た夜景


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 外輪船の夜景


    2018-9-24



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2018年09月22日

宗像 大島


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 沖ノ島と関連遺産群は世界遺産になっています。 ヨットで沖ノ島へ行った猛者もいるようですが、そこへ上陸する許可は普通ではおりないようです。天気の良い日に接近することは出来ると思います、そこへは対馬へ行く途中のプランとなるでしょう。

 関門海峡を抜けて福岡に向かうには大島は良い中継地になる。 「うみんぐ大島・海の駅」もあります。31fで4000円の係留代は高いようにも思えますけれど、そこで他の係留場所をさがすのも大変です。艇長の判断になりますね。「うみんぐ」では電気はとれます。 買い物は農協で可能ですが、品数も少なく弁当も無かったので、無理と思い事前に用意しておいた方が良いでしょう。

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 うみんぐ大島海の駅 桟橋


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 フェリ-乗り場  宗像市神湊−大島

 この島では宗像神社中津宮と沖津宮遙拝所が世界遺産になっています。中津宮には行きましたが、静かなもので他の参詣者はおりませんでした。


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 宗像神社 中津宮


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 宗像三女神の次女神・湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る神社


 散歩がてらに買い物できる場所をさがしていると、夢の小夜島を見つけました。
連歌に歌われた島で恋人たちに何かありそう。
 
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 夢の小夜島  干潮時に陸と続がる


 道を尋ねた子供たちが農協まで私達を連れて行ってくれました。途中で「休みますか?」と、こちら・爺婆へ気を使ったお声がけ。自転車に乗ったばかりなのか左右に揺れながらも先導をして案内する。春前には幼稚園生だったに違いない子どもたちであるのに、やさしい気の使いよう! さすが神の島の子供です。 この島に訪ねて良かったと思えました。

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 神の子たち


   2018-9-22
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2018年08月23日

門司港レトロ地区


 天候待ちでマリ−ナ停泊が3日目になります、マリ−ナからの市内までの交通が不便なので、タクシ−代が毎日6000円余りかかり合わせて高めのマリ−ナ代の支払いは、年金ヨットマンには痛いところです。

 今日はすでに下関と小倉へ行ってきましたので、門司港にあるレトロが売りの場所に来てみました。 今はJR門司港は終着駅になっており、関門トンネルができるまでは、本土から九州への始発駅でした。現在は門司駅から下関方面への直通運転又は乗り継ぎになっています。

 幕末の馬関・維新戦争の華やかしころには門司港はありませんでした。NHKの朝ドラ「あさが来た」の女主人公・あさが炭鉱を買い、その積み出しに門司港を開発したのだといいます。それまでは下関の方が圧倒的に発展していた。 明治22年に国の特別輸出港に指定されて以来急速に発展する。 昭和17年にトンネルが開通したことや大陸貿易が途絶えたこと、荷物のコンテナ化が進んだことで、港がさびれてレトロな建物が残ったのです。

 バナナの叩き売りはドラマの世界でしか見かけませんが発祥の地です。労務者が好んで飲む、酒屋で飲む角打ち商法が今でも繁盛しているといいます。

 観光案内所は駅近くの旧三井倶楽部にあります。そこで地図をもらえば、徒歩1時間ほどで見てまわることができます。

 ヨットマンにはありがたいことに旧JR九州本社ビルに海事広報展示室があり、関門海峡の通狭の相談ができます。潮流速や転流時など航法も教えてもらえます。

 残念なことはレトロなことが点在する建物に限られ、町の一体感が乏しいことです。さらに跳ね橋を抜けると良い泊地があるのだけれど、長崎の出島ワ−フのようにヨットが着けられれば、レトロな建物とヨットとの風景になり、より風情がでるのでは。 ヨットマンには町に近くて便利な潮待の泊地となるのではないかと思います。


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 門司港レトロ地図


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 門司港駅


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 関門海峡と大橋


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 旧門司三井倶楽部


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 旧大阪商船


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 旧門司税関


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 九州鉄道記念館


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 国際友好記念館


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 三宣楼


    2018-8-23


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2018年08月07日

壱岐 郷ノ浦フィシャリ−ナ


  福岡と呼子から、また長崎と平戸からの良い係留地です。 少々の時化と強風には安全に停泊できます。 

 連絡先 090-1979-2578 林田さん

 停泊費用もきわめて安価です。 ポンツ−ンは3個あり、中央をすすめられます。入り口近くは大型船を想定しているようです。

 オフロはフェリ−タ−ミナル近くのホテルが利用できる。 ス−パ−はあるけど奥まった感じで、近くにいても見つからず、地元の人に聞きました。

 コインランドリ−はバスで10分ほど、観光案内所の美人のスタッフが親切に教えてくれた、ス−パ−とホ−ムセンタ−と併設されている。


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 壱岐 フィシャリ−ナ ポンツ−ン3台あり


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  郷ノ浦  フィシャリ−ナ 最初のポンツ−ンに着けた


 フィシャリ−ナから町まで徒歩10分位かかるのでフェリ−タ−ミナル横の岸壁を着けることができる。


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 フェリ−タ−ミナル横  別の係留地



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 入浴できる ビュ−ホテル壱岐 500円


 ホテルの裏手に春一番で遭難した記憶を留める碑がある。五島沖の喜三郎曽根へ はえ縄漁船はここから出漁していた。幕末安政6年・1859に春一番で53名が遭難する。冥福を祈るためこの碑を建てた。旧2月13日は休漁にしているという。

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 春一番の海難碑


  2018-8-7


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2018年07月31日

平戸海の駅



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 ポンツ−ンからみえる平戸城


 西日本のヨットの聖地と聞き及ぶ停泊地は弓削・上関・平戸でしょう。それらは料金が安くて便利、しかもオフロがとれるところです。また、中継地としてふさわし地理的な位置を占めるのも聖地としての条件でしょう。

 平戸海の駅は3日間まで利用でき、観光案内所に届けが必要ですが無料です。電気は500円・日で1隻のみ使える。

 ポンツ−ンハメインとサブの2か所ある。 メインは案内所近くで、サブは湾奥になる。
 詰めれば総計10隻ほど係留できる。

 お城や観光ポイントは近くにまとまってあり、ガソリンスタンドやコインランドリ−も近い。
お風呂はオランダ商館の坂を登ったホテルが800円で利用できる。 夜6時より開く、角打ちの酒屋さんで楽しい一時を過ごせた。

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 メインポンツ−ン、 この右側には大型フェンダ−があり大型船に向く

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 サブポンツ−ン  湾の奥に位置する


   2018-7-31



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2018年07月30日

功山寺


 関門海峡を抜けるために、新門司マリ−ナに滞在した。 あいにく東風の強風が続き、玄界灘は海況が悪く4泊することになった。そこで下関、小倉、新門司を訪ねる。

 下関の観光の目玉の一つは思いもよらぬ高杉晋作であった。 功山寺は長府の街にあり、下関からバスで訪れた。 長府は5万石の長州の支藩である。 訪れてみると町並みに風情があり、小さくまとまった、お勧めできる良いところです。


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 国宝 功山寺仏殿

 維新のタ−ニングポインントである高杉晋作の功山寺挙兵については、奇兵隊すら賛同されない中で、わずか80人で挙兵した地である。 詳しくは、ここですでに取り上げています。 
 
 功山寺は長府藩祖毛利秀元の菩提寺であり、毛利元就に追われた大内義長が自刃した地、坂本龍馬の護衛を勤めた三吉慎蔵の墓もある。 また、京都から落ちた五卿はここに滞在したことがある。


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 総門


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 境内にある晋作騎馬像


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 長府藩士 三吉慎蔵の墓

   2018-7-30


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2018年07月12日

池島 旧池島炭鉱跡



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フェリ−桟橋の反対側に係留 2隻のヨット


 平戸と長崎の中ほどにあるので中継港としては良い位置です。小生は五島の有川から出て、ここを利用しました。 軍艦島が有名ですが、ここも同様に池島炭鉱の島として栄えました。2001年に廃坑になる。
 小さな島にもかかわらず、廃墟のビル群が遠くからヨットで眺めることができる。 トロッコで廃坑に入るツア−も行われているようです。

 歩いて坂を登って、住宅跡の中心地を見にいきました。連絡船の到着時間に合わせて、100円のコミュニテイバスがある。バスを利用して高い地点まで乗っていけば、楽をできたと思われる。
 ヨットマンにはありがたいことに、低額(200円?)で夕方から銭湯があります。 買物や燃料は補給できない。 人口100有余人の割には連絡船の便が多いのでそれに乗って買い出しができるかもしれません。

 ビジタ−の係留は連絡船桟橋の反対側になります。工事船や警備船が着くこともあり、一番奥が推奨です。

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往時の説明をした案内板


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積み出しロ−ダ−



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トロッコ



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住宅跡


  2018-7-13
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2018年07月11日

海の浮遊物沈下物の巻き込み


 懸念していたプロペラへの異物の巻き込みが今回の九州クル−ズで2回起きました。昨年も三机の港内でありました。 

 関門海峡を通峡するため門司埼に近付いたその前に、急にエンジンの音が変わり速度が落ちました。機関の後進と前進を繰り返し、応急措置をして海峡を通過する。追い潮の時期での通航プランを立てていましたので速度低下は気になりませんでしたが、振動がいつもと違います。まだ、巻き付いたのかの確信が持てませんでした。玄界灘は潮の影響が強いのかと考えていました。潜るのがイヤで都合の良いように思っていたのでしょうね。

 40年前にオホ−ツクで取り除くために潜ったときの海水の冷たさが今でも憶えています。シングルハンドだと沖合で潜ることは危険といえます。70才を過ぎた体力が落ちている身ならのさらでしょう。 雨の後や春から夏の海藻が根を離れて浮遊している時期などは避けたいものです。しかし、この時期はク−ル−ジングに良い時ですので難しいところです。

 GPSやレ−ダ−装備などヨットでも近代化が進みました。こればかりは体力勝負の昔のままです。

 考えられるヨット対処法は

1. プロペラカッタ−を取り付けて切断してしまう。
取り付けている艇は見たことありますが、その効果は知りません。
2. プロペラシャフトを折り曲げにして、引き揚げて取り除く。
漁船でやっているものがありますが、大型化していますので、最近はどうでしょう。
3. エンジンをインアウト又は船外機にしてペラを持ち上げ取り除く。
インアウトのヤンマ-はあるが新造時でなければ無理か。30Fを越えると船外機は珍しい。
4. ペラの上にあたるコックピットにバウスラスタ−シェルを利用した穴をあけ、そこから取り除く。
取り付けているヨット有り、工事費と設置場所が可能化の検討が必要。
5. 予備の船外機の利用や帆走でハ−バ−まで引き返す。ハーバ−で取り除く。

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絡みついたロ−プ

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絡みついた海藻とビニ−ル

 夏の時期以外だと、潜るにはウエットス−スが入りますが、まだ購入していません。地獄をみるぞと言われそうです。

 瀬戸内では冷却水取り入れ口からの海藻のツマリも他のヨットマンより指摘されていますが、ストレ−ナ−取付も必要ですが、これも未対処です。

 他にも良い方法があると思います。

  2018-7-11
posted by はやめ at 06:24| Comment(0) | 日記

2018年07月05日

下関の白石正一郎宅を訪ねる


玄界灘の東風に悩まされマリ−ナに3泊することを余儀なくされた。そこで下関・小倉・新門司を訪ねる。

JR下関近くの中国電力のビルの一角に白石正一郎の宅跡がある。そこには奇兵隊発祥の地の石碑と白石の石碑があるのみです。

最近の大河ドラマ「西郷どん」の放映されたなかで西郷弟の信吾が白石から三〇両の資金を得ることが描かれていました。信吾、後の西郷従道はそれを遊興に使ってしまうのですが、白石は求められれば志士に支援をしていた。
維新後に政商にもならず、自宅も残ることはなかった。

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中国電力敷地内

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白石正一郎の石碑

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奇兵隊発祥の地の石碑
 正一郎は弟とともに奇兵隊に加入する。

 維新後には赤間神宮の宮司になるのだが、訪れてみても彼記を記載したものや顕彰したものはみつけられなかった。

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赤間神宮


 2018-7-5
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2018年07月03日

熊本城・震災復旧工事中


 台風の発生と鹿児島の梅雨入りなので、ヨットの南下クル−ズを断念した。 6月17日に長崎からJRで熊本に行き、熊本城を見に行く。 20日に「元太鼓櫓」が倒壊したとの報道がありました。 城内にはまだ見学に入ることができず、周りから眺めるだけの現況になっています。 加藤神社から天守の工事の様子がよく見えた。
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 石垣の高さといい、本丸以外の櫓にも他城では5層の本丸かと思えるようなものがありその城規模と造りには驚かされた。現存する宇土櫓の他に5基の五階櫓があったという。
その堅城ぶりは他には大阪城しかないように思われる。 復旧に何年かかるかわからないけれど終えた時には再訪したいものである。

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宇土櫓

以下震災被害の写真です。

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戌亥櫓

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今度崩れた元太鼓櫓・西大手門

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飯田丸3階櫓

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未申櫓


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北十八間櫓

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長塀  西南戦争で活躍した塀が崩壊していた

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       2018-7-3
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2018年07月01日

潜伏キリシタン関連遺産 世界遺産に登録 ヨットでいきたい!


 昨6月30日に世界遺産登録決定しました。 ヨットでの今回のクル−ズで五島列島の目標は4つの登録された教会をヨットで訪れることでした。

1. 野崎島旧野首教会
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 無人島にある教会でヨットで訪れました。潮位と進入方向に注意。
小値賀島より2便の連絡船あり。

2. 頭が島(かしらがしま)天主堂
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 入域制限を実施しており、事前の申請が必要。1日3便の路線バスで行く。
連絡先0959-42-8118 ヨットでの訪問は行政の許可があれば可能かもしれない。


3. 奈留島 江上天主堂
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 タクシーと海上タクシ−を使用したツア−が有川と福江より行われている。
半日コ−スで1万円弱。天候不順のためこのツア−を利用。

4. 久賀(ひさか)島 旧五輪教会
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 タクシーと海上タクシ−を使用したツア−が有川と福江より行われている。

 宇久島より野崎島に立ち寄り有川にヨットで到着。北風の天候不順が続いて、3と4はツア−を利用しました。

 おそらくヨットでの世界遺産初訪問をねらいましたが、断念することになりました。

   2018-7-1


posted by はやめ at 09:35| Comment(1) | 日記

2018年06月30日

九州クル−ズ 2018年


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 関門海峡

 昨日広島から長崎へのクル−ズを終えて我が家に帰りました。 道中連れ合いも同乗しましたが、もう我慢の限界とかで、3週間で平戸より下船して帰りました。船酔いするなかで少しは楽しんでくれたことを祈ります。他のヨットマンから「乗ってくれるだけ良い」とお言葉をいただきましたが。

 九州一周を目指して出たのですが、台風やら梅雨入りで長崎で断念して引き返すことになりました。全期間四〇日あまりですが、帰りは八日で帰る。七一歳の体力の限界なのか、到着した日には半日ほど両足がけいれんして大変でした。 それは、前方確認のために立ち上がってその姿勢で艇の動揺を支えるからでしょう。 二度潜ってスクリュ−にからまったロ−プ・海藻・ビニ−ルを取り除いたこともあります。ヒヤリハットは何度もあり、無事に事故なしですんだことも幸いであった。

 日程

  下記のHPでは個別の話題にリンクされています
  http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-465



2018年

5/17  広島発 柳井着  柳井港泊 柳井観光
 18  柳井発 上関着 陣屋跡見学
 19  上関発 下松着 グリ−ンヤマトマリ−ナ泊
 20  下松発 新門司着  新門司マリ−ナ泊
 21            新門司マリ−ナ泊  下関観光
 22            新門司マリ−ナ泊  小倉観光
 23            新門司マリ−ナ泊  新門司観光
 24  新門司発 関門海峡 宗像大島  うみんぐ大島泊
 25  宗像大島発 博多着 マリノアマリ−ナ泊
 26            マリノアマリ−ナ泊 博多観光
 27  博多発  船越着  船越漁港泊
 28            船越漁港泊 唐津城見学・姫島訪問
 29  船越発  名護屋着 名護屋漁港泊 名護屋城見学
 30  名護屋発  壱岐着  郷の浦フィシャリ−ナ伯
 31             郷ノ浦フィシャリ−ナ伯
6/1  壱岐発  平戸着  平戸伯  平戸城見学
 2            平戸伯  生月島観光
 3            平戸伯  平戸観光
 4  平戸発  宇久着  宇久フィシャリ−ナ伯 妻下船
 5            宇久フィシャリ−ナ伯
 6            宇久フィシャリ−ナ伯 佐世保市宇久島観光
 7  宇久発  有川着  有川港泊 野崎島観光
 8            有川港伯 頭が崎教会見学
 9            有川港伯 青方大曾教会見学
 10           有川港拍  観光ツア−・旧五輪教会・江上教会参加
 11           有川港泊 青砂浦教会見学
 12           有川港泊 鯛の浦教会見学
 13  有川発 池島着  池島泊 旧池島炭鉱見学 
 14  池島発 長崎着  出島ワ−フマリ−ナ泊
 15           出島ワ−フマリ−ナ泊 長崎亀山社中見学
 16           出島ワ−フマリ−ナ泊 近藤長次郎墓見学
 17           出島ワ−フマリ−ナ泊  熊本城見学
 18  長崎発 池島着  池島泊
 19  池島発 平戸着  平戸泊
 20           平戸泊 宝亀教会・紐差教会見学
 21  平戸発 博多着  博多漁港泊
 22  博多発 宗像大島着 うみんぐ大島泊
 23  宗像大島発 関門海峡 新門司着  新門司マリ−ナ泊
 24  新門司発 上関着 上関泊
6/25 上関発 広島着  

   2018-6-30
posted by はやめ at 15:20| Comment(0) | 日記

2018年02月12日

家庭用蓄電池の価格破壊

  驚くべきことが起こっていました。 太陽光発電と絡めて蓄電池4kw程度を家庭に設置できれば、電力問題解決して、原発段階廃止に持ち込めるとのではと。 4kwのバッテリ−で50万位に値下がりすればできるとも思っていました。


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テスラ パワ−ウオ−ル2


 テスラの電気自動車のために、パナソニクスとテスラが米国に大規模な電池工場を設備増設しています。テスラの普及型タイプがイマイチ売れていなくて、バッテリ−が余剰になっているのでしょうか? 13.5kwで61万7千円で直販モデルがあるという下記サイトを目にして驚いています。

 家庭用蓄電池 価格破壊
 https://www.tainavi-switch.com/contents/37434/

 比較サイトで日本のメ−カ−の価格が分かります。30万から70万くらいの補助金を差し引いても平成26年度の購入価格はメ−カ−で違いがありますが、100万から200万です。4.4kwで1,024,000が最安値になります。テスラは13.5kwで61.7万ですので4.4kwに換算すると20.1万ですので他社と比べて問題にならず、しかし太陽光の問題解決となりました。

 電力各社が送電網につなぐことを余力がないと抑えにかかっていますが、最近の報道で余力有りとされています。 例え送電網につないで風力・太陽光の不安定な発電を懸念しなくても、各家庭で蓄電池とソ−ラ−をつないで家庭での余力を送電網につなぐようにすれば、解決できるのではないでしょうか? 


 比較サイト 家庭用蓄電池
 http://www.shouene.com/battery/maker.html

 予算の使い方も各メ−カ−の生産を支えることが目的で、効率的な運用・戦力の集中になっていない。行政も考えてほしい。テスラ応援はパナソニックの合弁電池企業なので国産イジメになっていない。この価格なら補助金も必要ないですが。

  今後太陽光を考えている人、すでに設置されている方には考えられてはいかがでしょう。

 また、北朝鮮のミサイルを心配されている方がおられるでしょう。原爆を撃ち込まれなくても通常弾頭で日本の原発を破壊されたら、それで日本は終わりますが、家庭に蓄電機能を持たせて、原発を無くす方向にすることは意義があります。明るい日差しが垣間見えました。

  現在ヨットで100wと60wのソ−ラ−パネルの接続に悩んでいる程度の小生が述べることではありませんが、専門家の方の世間へのこれらの周知を望む次第です。

 ヨットでも小型の1kw程度のものが製品化されれば革命的です。現在120kgの重さがあり、これの低減も望まれますね。

    2017-2-11





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2018年01月02日

岩城島


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高速艇 今治−岩城−弓削−因島・土生など島々を結ぶ

 弓削から320円で高速船に乗り岩城島に着きました。現在はフェリ−で行く孤島ですが平成30年代前半には「ゆめしま海道」とつながる架橋工事がおこなわれている。

 さっそく自転車を借りて島を回りました。レモンの島とも云われ青いレモンが有名です、春には桜の名所でもある。村上海賊の砦・亀山城や甘崎城の支城と言われる岩城新城といわれる城跡も見た。


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温泉ホテルと造船所の宿泊施設 入浴は夕方より

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いわき海の駅  冬の季節風を防ぐには良い係留場


 江戸時代には伊予松山藩の島本陣が置かれていた。現在は岩城郷土館として見ることができます。

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岩城郷士館

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邸内1

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邸内2



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岩城造船 他にも3社があり


 今回は冬で見られませんでしたが、桜の季節には積善山に3千本の桜が見られるという名所がある。

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    2018-1-2
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2017年12月29日

木江・きのえ


 ゆたか海の駅で冬の季節風・西風が強く出発を伸ばして、ここ大崎下島より隣の島大崎上島へ行きました。フェリ−320円で明石へ渡れます。徒歩で温泉のある中の鼻灯台隣接の清風館に向かいました。沖浦にある大崎上島海の駅も見てみようと思う。ここは料金が高いのでパスですが。まだまだ距離がありそうなのでバス100円に乗りました。入浴時間まで間があり、清風館で自転車を借りて木江を見てきました。

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大崎上島海の駅


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中の鼻灯台 清風館隣  明治20年築造


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清風館駐車場より大崎上島と大三島との海峡を眺める





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 木江は先代のヨットで40数年前に停泊したことがあります。若いころで元気もあり、ここの歴史も知りませんでしたが。夜にフェリ−が終わったころにヨットを岸壁へ着けて、始発のフェリ−が使用するまでに出発するチョイ借りでお邪魔しました。しまなみ海道が出来てフェリ−が廃止されたところがあり、今となってはどこなのか確認できませんでした。

 大崎上島にある木江をご存知の人はすくないでしょう。大三島にある大山祇神社の対岸にある。古くは御手洗のように潮待風待ちの港としてにぎわった。明治30年以降にできた造船所が木江に25軒もあった。最もにぎわいの有った時期は大正のころで、第1次大戦中の造船バブルでこの島の造船業はロンドンタイムスに広告を掲載するほどであった。その名残として木造3階建て大きいのは5階建てのたてものが現存する。

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往時のにぎわい


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木江の造船所


 ご多聞に洩れず潮待風待ちの港町には御手洗のように遊郭が栄えた。3階建ての建物はそれだといわれている。ここは国指定の町並み保存地区にはなっていない。空き家も目立つので行政の保存活動を惜しまないように望みます。
 大正6年の造船ブ−ムで鋼材が不足し木造船の需要が高まり、木造船技術が木造5階建てを可能にしたといえよう。 また木造船の板をつなぐ防水材料としてのマキハダの生産も日本一であった。

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木江の街並み



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往時の木造5階建て様子 造船所が船主の接待に建てたもの


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現在も残る木造5階建て



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ふれあい郷土資料館




   2017-12-29
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2017年12月28日

鼻栗瀬戸


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 瀬戸内海を東西に航行する場合に、大型商船は主に来島海峡を、数たまに三原瀬戸を通峡する。ヨットの場合は上図で赤字で表したように、4航路がある。

1.三原の瀬戸 潮の影響が少ないが距離が長くなる
2.鼻栗瀬戸  500トン位までの小型船舶
3.船折れの瀬戸 急潮であるので100トン位が航行
4.来島海峡  大型船が順中逆西により航路規則がある。

 今度の年末クル−ズで鼻栗瀬戸を往復しました。幸い最狭部で行会い船に合うこともなく、無事通峡できました。どちらも2ノット位の追い潮をねらって通航する。帰りの弓削から御手洗に向けて通峡したときは、冬の季節風の強い日で、通過すると海面が真っ白の向かい風になりました。通常なら機帆走でも2ノット程度に下がり、引き返す判断になりそうな状況でした。連れ潮で4ノット程度GPSが示していたので続行、30分くらい頑張ると少し収まり、予定より少し遅れる程度で目的地に到着できました。 真向かいの風でのヨット航行で自分にとっては貴重な体験となりました。さすが瀬戸内の潮流です。

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鼻栗瀬戸

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手前の大三島にある 潮待に使えそうなポンツ−ン

 いつも潮流推算を使用して潮流時をサイトで調べますが、ここ鼻栗瀬戸は、それでははっきりしないので
MIRCマリン情報の潮流予測を見ました。

 4つの瀬戸を航行しましたが、ここはオススメです。

   2017-12-28







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2017年12月27日

弓削海の駅


  冬の季節風と繁忙期対策

 ヨットマンの聖地と言われて愛されている泊地です。瀬戸内の中央に位置していることから絶好の中継地となっています。 古くは町立で商船学校を設立し、今では国立の弓削商船高専学校になりました。伝統的に船に理解がある行政が海の駅を支援しています。今年には海の駅の建物を新築しました。トイレ・シャワ−・ランドリ−を設備しています。

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新築された事務所


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満杯になったポンツ−ン

6隻の停泊スペ−スがありますが、大型艇が2隻分を占めることがあり、折角訪れても満杯でポ−ンツ−ンに着岸できないこともある。
 実際冬の12月に訪ねたときは1隻分しかなく、わがヨットでフルでした。夕方に空きが無いとなると困った事態です。 そこで周辺の泊地を調べてみました。

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1.岩城島海の駅  2隻ほどのスペ−スだが空いていることが多い
         冬の西風強い時は弓削よりこちらが良い
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2.佐島港 ポンツ−ン  1隻ぐらいなら置けそう
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3.生名島東岸 物揚場  4−5隻のスペ−スあり
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4. 生名島スポレク公園 ポンツ−ン  1隻分あり うねりがはいりそうです
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5. 弓削島東岸 日比漁港  温泉に行くと眼下にみえる。
              3隻ほどヨットが停泊、 この東海岸には漁網が全域に
              渡って設置されているので航行に注意
              西風強い時には良い泊地
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 弓削の海の駅の冬の天候は季節風が強く西風系が吹く。ポンツ−ンにつけていてもうねりもあり、気持ちよいものではありません。ぐる−と見渡すと小山が周囲を囲んで防ぎそうなものですが、海の駅には防波堤が無い構造ですのでそうさせるのでしょう。
 万一の場合は錨泊スペ−スもあるようですのでアンカ−を打って、エンジンスタンバイでしのぐい手もあるかもしれません。 小生の場合風速6-7m(予報だから実際はもっと強い))の状況で風下側の着岸でしたので、ありたけのロ−プをつないでしのぎました。

 夏の混雑時だったら上記のすべての泊地は調子が良いといえます。冬には岩城島がオススメです。

  2017-12-27
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2017年12月23日

ゆたか海の駅


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  穏やかな安芸灘はセ−リングを愉しむのには最適です。ここには航行を邪魔する養殖いかだや航行船も少なく、存分に楽しめます。

 安浦海の駅が廃止になった今ではここはオススメの泊地になります。 ただし35F以下で喫水の深くないヨットの利用になります。
 スペ−スは2席ほどで限りがあり、今回利用したバ−スの他は水深が50-60cmほど浅いので注意が必要です。事前に予約したほうがよいでしょう。 無料で給電も無料です。潮の影響も少なく、諸風を防ぎ冬のに風の季節風の待機には都合が良い。おまけにスタッフも親切です。

 徒歩10分ぐらいで歴史的町並み保存地区の御手洗の見学もおすすめです。 時間があれば320円のフェリ−で大崎上島へ渡りバス100円で温泉につかりに行くこともできます。
 海の駅とびしま館では昼食・宿泊とシャワ−が利用できる。

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左のボ−トは常時占有しているようで、ヨットと隣のバ−ス2隻が利用できます。


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中の島を挟んで2つの橋はヨットで通航できます。


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干潮時には旧港設備が見え、そこは浅いので避けて航行する。

    2017-12-23





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2017年12月22日

呉 安浦海の駅 廃止

安浦再訪

 2017年12月2日に安浦へ再度訪れました。予約をしなかったので知りませんでしたが、ホテルの倒産で経営者が代わり、今は海の駅は廃止され運営していない。 フロントへ手続に行って驚きました。 入浴サ−ビスはやっています。 着岸の時にすでにモ−タ−ボ−トが係留していました。 オフロを済ませてヨットに戻るとボートは出ていませんでした。桟橋を利用しての入浴はできるのでしょう。

 どうりで桟橋から先への立ち入り禁止の看板が立てられていました。子供の遊園地やキャンプのスペ−が有るのですが、ペンペン草が生えておりさびれた雰囲気でした。

 国民の保険や年金の積立金を流用して広大な土地に建てられた施設でしたが、時代に合わない施設や経営で無駄にしてしまいました。お役人さん責任がありますよ。 山頂の宿泊施設のみ債権者・購入者は利用しています。

 ここの海の駅は無料でありがたかったです。まあ海の駅は採算的にはうまみのある施設ではありません。オ−ナ−がボ−トを所有して海に理解のあるなどのボランテイア精神のある民間か、あるいは海に理解のある地方自治体でしか成り立たないのでしょう。どちらも上手くやっている駅はあります。

 桟橋は電灯の無い暗闇でしたが翌日まで利用させていただきました。冬の季節風西風が強い時には避けるためには利用したい桟橋です。利用を黙認していただけるとありがたい施設です。

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 桟橋より

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元キャンプ地 ジェットコ−スタ-も見える

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 桟橋の横にある 案内板のない彫像 どなたでどこを眺めているのでしょうか?
 ローマ帝国のカエサル(シ−ザ−)ですかね。

    2017-12-22

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2017年10月25日

VHFのヨット開局申請


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VHFの変更許可書が、申請からほぼ1か月の期間を要して自宅に届きました。 昨年に機器を購入してから1か年ほど経ていますが、それを使用していませんでした。
 申請書はカタログと同梱されています。書き方のサンプルも入っています。郵送でもそれはできますが、今回は地方の総務省管轄のお役所に出向いて提出しました。
 中古艇の購入で申請に行く場合は、前のオ−ナ−が開局していると、開局ではなく変更手続になります。
 開局したいとの問い合わせで、電話をしたので、7000円余の印紙を購入するように指示されて、印紙を持っていきました。 しかし、変更の場合は無料でした。 幸い郵便局が閉まるまでの時間に返却にいったので、返金してくれました。余分な印紙を持つことにならず幸い。印紙の返却は、当日でも、郵便局が閉まってしまうと返金出来ないので注意が必要です。
 その日は、手続きの記入に必要事項が、機器を調べなければ分からないという不備があり、翌々日に再度申請に行きました。
 変更には、前のオ−ナ−の情報が必要で、個人情報の洩れを防ぐために教えてもらえないこともあります。中古艇購入の際にはVHF開局の有無を聞いておかねばなりません。すでに開局しているようですとその免許状のコピ−でも貰っておくとよいでしょう。何度もオ−ナ−が変わっていると難しい事態に陥ることもあるかも。 VHFの開局は艇に対して行われるもので個人に対してのものではないということでした。
 申請書の内容はとても複雑でお役所で、担当者に聞きながらでないと、とてもできない感じです。 2級のVHFの免許を所持していますが、その程度の知識では役立ちません。 今回のように申請に、その都度お役人が対応しているようでは、担当者は大変だと思います。携帯程度のハンデイVHFの申請には葉書き1枚程度にしていただきたいものです。 お役所はメ-カ-と連携をとり、複雑なこと申請者が記入することを省いてください。
 前のオ−ナ−の申請している地方局にいったん申請書を送って、それを戻して変更する手続のようで、時間もかかります。 お役所にしては珍しく自宅へ発送したとの電話がありました。親切な対応でしたが申請システムに変更が必要ということでしょう。

    2017-10-25
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2017年08月17日

マリンピアむさし海の駅・大分



 大分空港に接近したところで事務所に連絡したが、着岸するまで、誘導灯の数え方が不明でした。最初のものが数本並列して設置されていて、それを数にいれるのか分からず、下図を見るとそれより1号・2号と数えるようです。マストの高さにより進入ル−トが違うので注意が必要です。

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 ここでゲストを乗せるのなら空港に近いので便利なマリ−ナです。レンタカ−手配もマリ−ナに乗り捨て出来て配車もしてくれます。電気・水・上架・シャワ−設備あり。 1f100円の料金です。このあたりはから揚げがおいしいところです。。

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マリンピアむさし と 安岐港

 台風の時は陸揚げし、大型艇は隣の漁港に移動するようです。その時は思ったよりウネリが入るのかもしれません。

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  2017-8-17

 卒業クル−ズ 豊後水道
 http://hayame.net/custom13.html#spb-bookmark-328

 香川県坂出を中心としたクル−ズ  まとめ
 http://hayame.net/custom13.html#spb-bookmark-337





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2017年08月16日

かわうそ村海の駅・愛媛愛南町


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 佐伯大入島海の駅より快調な横風で豊後水道を横断しました。入口にさしかかって湾内を望むと、いかだが一杯である。海の駅を探しながらそれを避けて航行する。ついに一番奥まで来てしまった。それらしいポンツ−ンがあったので着岸した。事務所も見当たらないので電話してみる。ここは間違いで保安庁の船が付く桟橋でした。オ−トバイでこちらへ向かうというので待っていると、水上オ−トバイであった。そのあとに従っていかだの間を抜け、無事ここの海の駅に着くことができた。湾奥は浅いということで、同じように迷った2隻のヨットが最近に浅瀬へのしあげたといいます。危ないところでした。

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 グ−グルマップやニュ−ペックにも記載されています。ついつい2人で乗っていると楽でもあり、甘えてどうにかなると下調べがおろそかになっていました。反省です。
湾にさしかかったところで電話して場所の確認をオススメいたします。ヨットでも先に着岸していてマストでも見えない限り防波堤の陰にかくれて分かりずらいでしょう。 スタッフの人は大変親切でありがたいです、おまけに美人さんです。電気もとれます。しかし買物は不便です。
 真珠養殖や巻き網漁をしている水産会社がボランテイア精神でやってくれているのだと感じます。おいしい海産物のバ−ベキュ−を併設しているレストランで食せます。

   2017-8-16


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2017年08月15日

大入島海の駅・大分佐伯


 別府北浜ヨットハーバーから佐伯の大入島にある海の駅に行く。

 濃い海霧になるとは予想していませんでした。上関からマリンピア武蔵に向かう時も、0600に出港してすぐにガスになり、一旦引換して、0900頃視界が開けて再出港したことがありました。 同様に別府を0600に出ましたが、最初は視界が良かった。佐賀関近くに行くと急に四国側からの風に乗って霧が到来、みるみる視界不良になりました。霧笛が近くで聞こえます。佐賀関へ行くフェリ−のようです。 友人佐野のヨットに乗ってる時に、霧中で地中海のスペイン沖に座礁したこともあり、前の艇でも北海道でさんざん苦しめられました。その時に今度のヨットはレ−ダ−が欲しいと思いつつも設置できていません。一時は佐賀関に向おうとも考えましたが、何とか速吸の瀬戸を通ることができました。 今度からニュ−ペックを使い始めて、ノ−トパソコンで常時位置が分かるところが昔と違うところです。他船との衝突だけを気にするだけと言っても怖いことです。半分は楽になったとはいえ、レ−ダ−ほしいですね。

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 地元のヨットマンによれば、台風避難には最適だそうです。大分や別府に逃げる位ならここだそうです。台風がどのコ−スを通っても安心と太鼓判です。
 しかし、この海の駅のバ−スはマリンバスが使用している空きへ着けている関係でそれの影響での引き波で大きく動揺します。多めのフェンダ−は必要です。それが沖を通るときでも驚くほどの引き波です。

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バ−スの先端はマリンバス専用になる。

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食彩館 ここで入港手続き 無料です。

  2017-8-15

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2017年08月11日

宿毛城・松田城


 愛南町・愛媛県にある海の駅へ佐伯・大分県から豊後水道をヨットで横断して着きました。その地は高知県との県境でもあり、バスで宿毛に行く。

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 宿毛城は松田城とも称し、土佐一条家の支配下にあった。長宗我部元親は松田城を落城させた。関ケ原合戦の後に長宗我部氏は改易になり、山内一豊の土佐入国で甥の山内可氏が六000石で入城する。その後に一国一城の幕命により破壊される。

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 天守跡にある神社 勢いが感じられない

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宿毛城・松田城跡碑

 高知県は幕末に活躍した藩だけあって、浅学で古楽好きな小生にはソプラニスタの岡本知高しか知りませんでした。大きくはない町ですが興味を引く人物がいました。

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林有造(1842-1921)

 林有造は幕末に土佐藩の松山征討軍の斥候として、また、北越戦争に活躍。普仏戦争の視察に大山巌、品川弥次郎と一緒に中浜万次郎を通弁として同伴させて渡仏した。高知県の初代長官となる。征韓論の時に板垣退助とともに辞職する。西南戦争の前に西郷隆盛や江藤新平と通じる。土佐出兵計画で逮捕され入獄。
 兄の岩村通俊は西南の役に鹿児島県令で弟の岩村高俊は佐賀の乱の佐賀県令で政府側にあったのは皮肉である。
 出獄後は自由党の領袖となる。議員となり大臣として国政に参画した。引退後は宿毛に帰って郷土のために尽くす。日本最初の真珠養殖事業を手掛けたが、災害により挫折。それがなければ伊勢志摩に先んじていたでしょう。
 来年の大河・西郷どんにどこかで登場するでしょうね。

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 宿毛歴史館に展示されている書

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 林有造宅

  2017-8-11

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2017年08月10日

広告 キンドル本を発売


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 友人の佐野夫妻がキンドルより本を発売することになりました。

 1.西部劇のアンテイヒ−ローシリ−ズ

  ジェシ−ジェイムス、ブラックハ−ト、ビリ−ザキッド、
  ワイアットア−プ、  ブッチとサンダンス。

 2. 貿易風の吹く島から
    ヨットによるカリブ海周航

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 3. グレ−トプレ−ンズのそよ風
     中西部の大草原のおはなし

   https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_ime_i_1_6?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Ddigital-text&field-keywords=%E3%81%AE%E3%82%89%E3%82%8A%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8&rh=n%3A2250738051%2Ck%3A%E3%81%AE%E3%82%89%E3%82%8A%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8

   2017-8-10


   
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2017年08月08日

安岐城・豊後



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大友家の3家のひとつ田原家により築城されたという。大友宗麟が次男親家に田原家の家督を継がせようとして争いが生じ落城した。
 豊臣秀吉により大友義統は改易になり、馬廻衆であった熊谷直実の血筋という熊谷直陳が1万5千石で城主となる。彼により近世城郭として改修され、関ケ原では西軍に属して敗戦後に大垣城内で謀殺された。その合戦中に黒田如水の軍により落城した。
 

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安岐城跡

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 熊谷氏による改修想像図

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現在が神社になっている天守跡

 この時は、マリンピアむさし海の駅に停留しています。実はヨットの停泊場所さがしで、安岐城跡の案内を見つけて、ここに来ることになりました。近くに銭湯もあり穴場的なヨット停泊地と思われます。


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ヨット停泊地

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安岐港 大分空港の工事で使用したと思われるスペ−ス

 2017-8-8





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2017年08月07日

上関 その1  室津

瀬戸内の海上交通の拠点



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 上関大橋



 山口県上関は今では原発反対の地で、福島の事故以来、原発を作らなくてよかったと安堵した地として有名なのかもしれません。陸の孤島状態でJRの柳井駅にでるまでバス便しかなく1000円以上のバス代がかかります。中学生も通学にこのバスを利用しています。

 上関海峡には橋がかかり本土と陸続きとなった。帆で航行していた時代は瀬戸内航海の重要拠点であった。現在のヨットでも九州に向かう際には弓削島と同様によく立ち寄る停泊場所といえる。おまけに鳩子の湯・温泉があり言うことなしです。

 江戸時代は室津地区ではなく対岸の長島に上関が栄えた。今回は室津地区の紹介になります。

 ヨットを室津につけるとすぐに陸の駅があり、近くの4階建ての建物が目につきます。レストランかと思っていましたが、国指定重要文化財の四階楼です。この建物は第2奇兵隊参謀となり大島口の戦いにでた小方健九朗が建築。維新後に室津に帰り回漕店や汽船宿を営んだ。接待のために建てたといわれる。またスキ−や航空事業の育成でしられる長岡外史の父といわれる。

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四海楼

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その内部


 吉田松陰が1853年に長崎に行くときにここを訪れ、長州藩が築造した砲台を見学した。ここで詩を詠みました。

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 吉田松陰句碑  下記は現代訳

 「故郷に帰っている夢をみて涙をこぼしていた時、船頭が「上関についたぞ」と大声を出したので目が覚めた。夢が夢だったので船室から起き上がるのが遅かったといって怪しまないでほしい。それに、今晩は、室津に泊まって明日は九州。これで長州の土地も見おさめになる。ふるさとの山に未練がないといえばうそになるが、くにを捨てたのだから故郷の山を見るのは忍びなくつらい。」

 これを読んで松陰の気持ちが伝わってきて、凡人の我でもこみあげてくる感慨がありました。




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橋の両岸に砲台があった

 ヨットの停泊場所ですが、海の駅近くの岸壁で階段があるところ、または入り口の右手にある外防波堤になる。階段の間に着けると干満の差が大きいのでロ−プを長くすることが必要で、その間にハルが挟まることにも注意が必要です。

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 防波堤に着岸

  2017-8-7





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2017年08月01日

2017年07月31日

三瓶 海の駅


 三瓶・愛媛県西予市の海の駅を訪ねました。 海の駅といってもHPではゲストバ−スの説明はありません。
三瓶支所に問い合わせてヨットをつけることになりました。ヨットを荷揚げ用岸壁に着岸しましたが、ほかにポンツ−ンで2隻着けるところがあります。こちらのほうがヨットにはベストです。

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 三瓶ゲストバ−ス 左側と後ろ側の2隻

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 三瓶荷揚げ用岸壁に着岸した

 佐田岬の影に隠れるようにして切れ込んだ奥にある波静かな町が三瓶・西予市です。三つの瓶が流れ着いた伝説からその名が由来するという。

 地元のヨットマンに聞いたことによれば、こんな静けき泊地でも台風の南西風が強いときは他へ移すということです。鉄道の駅もなく不便なところですが、明治よりの文楽の歴史があり、専用の上演用会館をもつ。

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 朝立会館 文楽を演じる

 また、海の駅の対応で初めての経験をしました。停泊の無料や10円程度で済むところは他にもあるのですが、10円の停泊料で82円もかけて我が家に停泊許可つきの領収書が送られてきました。お役所とはいえキッチリしなければならないのでしょうが、やりすぎの気もします。でも大変ヨットにはありがたいことです。 地方の事務所へヨットを前もって停泊したいと訪ねると断られることが多いです。岸壁は閑古鳥がないているにもかかわらず。お役人にとっては得にもならず、余分なことをしたくないからなのでしょう。


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 西予市 港湾施設使用料領収書

  2017-7-31



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2017年07月30日

三机


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 三机の4−5隻着岸できる岸壁

 三机は先代の「速魚」から40数年ぶりに停泊した港です。その時は冬の季節風の強い時期で、その強風で艇が動揺するので岸壁から離して錨泊、エンジンを前進にし、アンカ−ロ−プの負担を少なくして耐えた記憶が今でも憶えています。

 今度訪ねてみてそこの場所がみつからない、岸壁に変更があったのでしょう。空いている岸壁につけて、近くの漁協に連絡に行くと、奥の岸壁への移動を指示される。そこからが大変でした。シフト作業中にエンジンが黒煙を出す、プロペラに何か絡まった模様。エンジンをスロ−にして移動して指示された岸壁に無事着岸。 それを取り除くために、40年ぶりに足ひれとマスクをつけて潜ることになる。包装用の大きなビニ−ル資材がからんでいる。息を切らしながらであったが、それを取り除くことができた。前回の潜りは、オホ−ツクの夏とはいえ冷たい肌感覚が思いだされた。それに比べれば愛媛の海は暖かい。


 三机で出会った2人のおばあちゃん(爺がこういうのもなんですが)

 1. 戦時の思い出を語るご婦人

 この三机は特殊潜航艇の訓練基地があったところで、その訓練要員は真珠湾・シドニ−湾・マダガスカル攻撃に加わった。真珠湾攻撃の9軍神の碑が須賀公園にある。この地区は戦前は立ち入り禁止地区であった。終戦近くになると米軍にもこの基地が知られて空襲で銃撃されたとのこと。この湾での上空で空中戦も見られたと語られました。

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 9軍神の碑

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 「旅館まつもと」 岸壁の前の旅館で4−5人ならオフロの予約ができる。近くの岩宮旅館は9軍神が泊まった宿で記念品があるという。

2. ヨット応援隊のご婦人

 ここに立ち寄ったヨットにいろいろな支援をしてくれるご婦人がいます。いつのまにかヨットを見つけて訪ねてくれました。初対面にもかかわらず夕食をヨットまで運んでくれる。コンビニ弁当ばかりの飢えたヨットマンにはありがたい家庭料理です。”福ちゃん”ごちそそうさまでした。

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 伊方原発の隣だが山に架る陸橋が大きな入港目標となる


   2017-7-30



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2017年07月29日

中津城


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 中津城 (コンクリ−ト製模擬天守 萩城天守がモデルという)

 ヨットで中津を訪ねるプランでしたが、あいにく上関・山口県を出港したとたんに濃霧におおわれて、港に引き返すハメになりました。霧が晴れて9時ごろに再出港する。入港時間の関係で行き先を変更して大分県・ムサシのマリ−ナへ(大分空港近く)行く。翌日レンタカ−で中津に行ってきました。

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 中津川(山国川)を天守から望む

 中津城は黒田 官兵衛(如水)が築城した。山国川の河口にある平城であるが堀に海水を引き込み海への交通に配慮した城である。大阪へは早舟で3日で行けたという。

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 城割図

 その後細川氏がこの地を領したことにより改築されて、石垣に黒田と細川の跡が残る。

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石垣にある黒田と細川の継ぎ目 左が黒田で右が細川

 細川氏の次は幕府譜代の小笠原氏から奥平氏になり幕末まで続く。

 黒田如水の息子長政は如水が熊本の一揆成敗で留守の間に敵対していた城井氏をだまし討ちした。その家臣も待機していたお寺で斬殺された。その後寺の壁を塗り変えても赤くにじむので、赤壁にしてしまったという。

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 赤壁合元寺

 家康と握手を重ねたという長政に、その時の左手が何をしていたのかと問い詰めた如水の逸話があるという。
秀吉も如水にわずか12万石しか与えなかった。石田三成にも20万石の両雄であった、両者ともその2−3倍の領地を秀吉が与えていたのなら歴史も変わり、豊臣家は残ったのであろうにと思います。 息子の長政は関ケ原の働きで筑前52万石になりこの地を去った。
 
 奥平氏になり蘭学が盛んになり解体新書の翻訳なり、福沢諭吉が輩出した。行かなかったが福沢記念館もあります。

    2017-7-29




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2017年05月11日

推測航法

  陽明丸の時代の大洋航法


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 陽明丸 乗組員63名

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 陽明丸と救出子供たちの航跡

 ソ連ができる内戦の時代にウラルに疎開していた子供たちが困窮し、米国赤十字社が救出して、陽明丸で地球一周して無事に親元に帰還させました。その時代の大洋航法です。ヨットでもGPSの無い時代の航法になりますね。

  第1次世界大戦の頃は海軍船は石炭から石油に船舶燃料は変換されていました。 陽明丸のような貨物船は、日露戦争の時と同じで石炭を使用して航行していたとわかります。 船長の茅原基治さんの「露西亜小児輸送記」によりますと、日本の寄港地・室蘭よりサンフランシスコまで太平洋を横断しました。夏の時期の北太平洋は霧の多発が起きる季節です。 陽明丸もサンフランシスコ到着の前日まで天測による位置決定ができていません。 今のようにGPSが容易にできる時代ではないので、それまでは海図に針路と航程を記入した推測位置で航行することになります。問題は時間の経過とともにどんどん誤差が拡大していきます。陽明丸は2週間ほどで到着していますが、実位置(天測による)と推測位置との誤差はどれくらいあったのかは記されていませんので不明です。100マイルあってもおかしくないでしょう。 ランドフォ−ルというのは大洋航行中に初めて陸地(ランド)を視認したことを言います。 経験の有るかたなら大きな感動的な出来事です。

 筆者は70−80年代に船乗りでしたが、私の時代はこの当時と比べてレ−ダ−を備えていたくらいで、大洋航行中は天測によっていました。 ランドフォ−ルはレ−ダ−によりましたので、陽明丸にくらべれば安全で楽なものになっています。  陽明丸の航程を記録するには、もちろん今のようなスピ−ドログは存在せず、4時間おきに砂時計を利用して、抵抗物にロ−プをつけて、その流されていくロ−プの長さで船速を測ったと思われます。 少し進歩してスクリュ−タイプのものになっていたかもしれません。 陽明丸は1929年7月に大船渡市沖で座礁沈没しているので、このころの霧中航法はいかに難しいものであったかと思われます。

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 茅原元治船長の手記

   2017-5-11

 陽明丸と800人の子供たち
 http://hayame.net/custom7.html#spb-bookmark-300



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2017年02月06日

ヨットと難民



 トランプ大統領の入国規制が,連邦控訴裁の仮処分で一時のスキマができました。続々と影響を受けた人々が飛行機に乗り込んでアメリカに殺到しているでしょう。 ドイツは難民を引き寄せる政策をとりましたが、今となっては、そのハシゴをはずしてしまい、ドイツまでの通過国で移動してきた人々は極寒にテントを張り滞留しています。報道は少ないけれど。

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 マジョルカのマリ−ナでの上架「PING906」 52fケッチ

 かって地中海のマジョルカに友人とヨットを購入して置いていたことがあります。当時の欧州はまだ問題が今とは違いました。スペインでは国内に居るヒタ−ノ(ジプシ−)、国際的には赤色テロの問題でした。プラド美術館では館内で絵画を見ている時に私服からパスポ−トの提示を要求されたことがありました。日本赤軍が問題になっている時だったので。
 
 夢がかないませんでしたが、ヨットでのエ−ゲ海クル−ズは、今となっては警戒が厳しく航行するのに無理のあるものになっているでしょう。 当時でもイタリアの刑務所のある島の沖で錨泊したとき、またスペインのアリカンテ沖を航行していた時には警備艇が接近してきて、機関銃の銃口を向けられて尋問されたことがあります。語学の達者な友人が同乗していましたので、問題はありませんでしたが。軽い職務質問だったのでしょう。友人のカミさんが米国人で一緒だったので、その姿を警備艇から目にし、貧相にみえる東洋人がヨットに乗っていても、クル−にしか思えなくて不審に思われなかったのかもしれませんね。
 マジョルカ島のパルマ湾にリビアを空爆した米空母が停泊していてヨットで接近して見にいっても自爆テロの時代ではなかったので問題になりませんでした。

 友人が新しいヨット39fケッチ「アトランテイス号」を買い、大西洋を横断することになり、ジブラルタルに立ち寄る。 多分水の補給が必要だったのでしょう、詳しくは忘れましたがそこからジブラルタル湾内にあるスペイン本土の港の岸壁に停泊しました。まだ東ドイツは日本のパスポ−トには入国規制が記入されていた時代で、東西ドイツに壁で隔てられるときでしたので、どうして東ドイツの青年が出国したのかわからないけれど、彼がヨットの横まで訪ねてきて、同乗させてくれないかと申し込まれました。 かって、我が塩野七生さんもエ−ゲ海をヨットに同乗してクル−ズされた体験があったように、欧米でのヨットヒッチハイクの習慣は、日本では考えもしませんが、耳に聞く話でした。 友人は狭い船内に知らない人を乗せる気にはならないので断りました。爺も同意見です。彼はヨットの横の岸壁で一晩過ごしたようで、翌朝にも見かけました。それに気が付いて、かわいそうな気分にもなりましたが、こちらの気が変わりませんでした。今ならイスラムの人達が同乗を望む状況なのでしょうか?

 少し話が変わるけれど、マジョルカではチェコスロバキアの若いカップルに出会いました。地中海で小型ヨットを自作し、あちこちクル−ズしてそこに来て、マリ−ナで船底塗料を塗るバイトをして稼いでいました。彼らから自転車を購入しました。我々は彼らよりも、もっと貧しい東洋人であったのかもしれません。 彼らは後にアメリカに渡り「自由への逃避」ということで有名になったと聞いています。

 当時の欧州は冷戦とはいえ同じ文明どうしの問題で、今から比べれば異文明・異宗教の問題ではなかった。
 昨日の報道でシリアの難民を300人を日本が受け入れるということです。よほど慎重な行動が必要でしょう。安易に人道に走っても、後日に大きな禍根を残します。

       2017-6-22



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2016年12月17日

松山 堀江海の駅




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 松山堀江海の駅は目の前に時間に2本程度のバス便があり便利です。道後温泉や松山城などの観光施設を訪ねるにはふさわしいヨット泊地でしょう。  水・電気もあります。
 ここのポンツーンは他のヨットマンより最近沈んだのではないかと言われましたが、何もなかったように復旧しています。 港の入り口が両方にあいていることから絶えずウネリが入ります。多めのフェンダ−が必要でしょう。
 燃料は300mくらいのところにガソリンスタンドがあり、自分で運ぶのならキャスタ−が必要です。 コンビニは100mくらいのところにあります。少し足を伸ばせばス−パ−もあります。 手続きはみなと食堂で行います。もちろんそこで食事もとれます。
  ウネリを除けば良いところです。6隻ほどのスペ−スも有りますし。

   2016-12-17



  


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2016年12月12日

広島・くらはし海の駅


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 地図

 倉橋島の北は音戸の瀬戸で、西は能美島・江田島です。現在は呉市ですが海の駅のある南はほとんどどんずまりの場所になります。 古くから泊地に適した地形に恵まれて遣唐使船が立ち寄る海の拠点でした。また造船も古い歴史があります。

 現在の海の駅は防波堤の陰に隠れて外からはうかがいしれません。接近して確認できたらヨットがいたりしたら残念です。スペ−スが少なく横抱き係留の覚悟がいります。海から見た右側は漁船が占有しており、通常は左側を利用します。漁師さんに許しを得て先端側に着けることができました。あとでボ−トが来て計3隻つけることになりましたが。 北風系統のときはよき泊地です。
 温泉もあります。博物館もあり遣唐使船もごらんになれます。

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この桟橋の海から見て左側に着岸



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 宮島神社の祭礼船の保管場所


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 遣唐使船 再現されたもの


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 ドッグ案内板


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 乾ドック 江戸時代から潮汐の差を利用した造船が行われた

   2016-12-12


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2016年12月07日

柳井の街とヨット泊地



 ヨットで旅をしていて、町並み保存地区のある街が海沿いにあれば、必ず立ち寄りたいものです。 ここ柳井には海の駅がないので、事前に電車で下見に行きました。海上保安署や港務所で聞いても良い返事はいただけません。幸いマリン業者の前の岸壁にメドが立ちました。1週間ほど後にやっとアンカ−を打って着けました。 岸壁の下にスキマがあり潮位が下がった時にはハルが潜りこまないような注意が必要です。従い沖に錨を打ち着岸となります。アンカ−ロ−プの調整で岸壁との距離を保ちます。
 空いた岸壁や使われていないポンツ-ンがあります。行政にもっとボ−ト・ヨットに使う工夫を求めたいところです。

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 ありったけのフェンダ−をつけています

 保存地区では白壁の街並みが続きます。古い港町には醸造業が多く見受けられるのですが、甘露醤油が有名です。その醸造所もごらんになれます。

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 赤いものは提灯金魚で名産です

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 路地

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 川から見た街並み

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 甘露醤油 醸造所


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柳井の語源となった柳と井戸

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 国木田独歩の旧宅

 ここにも源範頼のゆかりの地がありました。壇ノ浦合戦前に周防の合戦があったとか言われます。阿月で合戦があり平氏のお墓があるという。(訪ねたときには気が付きませんでした)またここまで来て窮して当地の豪族に援助を求めた言い伝えがあります。本陣跡がありました。
 

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誓光寺  源範頼の本陣があったという

     2016-12-7 

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2016年12月03日

大畠瀬戸


 
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 大畠大橋 第3と第4橋脚の間を通航

 大畠瀬戸を3回抜けましたので、書いています。 最初は柳井から広島に向けての航行で、橋に接近するにつれて1.5ノットまで減速してしまい、反航船もなく通過しましたが、どっこい潮波かと思っていた白波がだんだんと増え、前方よりの強風と伴っているのが判明しました。 しばらく真向いの風に立ち向かいましたが1ノット程度の航速では無理と断念し、反転して柳井に帰ることにしました。 今度は6ノットを超える速さで難なく橋の最狭部を通過です。 3回目は潮流のたるみを選んで航行しましたので、橋近くも4ノットを超える速さで通航しました、柳井−松山のフェリ−と橋付近で遭遇する恐れがあったので、事前に左舷対左舷の航法をとるように調整しました。音戸の瀬戸のような悪い見通しではないので、行き会い船がなければ音戸よりは容易でしょう。

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狭水路での右側通行の原則を守り、橋付近での行き違いを回避して、大磯灯標付近には浅いところがあるので本土側を意識して航行すれば良いように思います。5トン以上のヨットには海上交通安全法による航法規定があります。灯標間のC線を挟んでの右側航行を守ることになります。ただしB線付近の浅瀬に注意することになります。

   2016-12-3




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2016年11月04日

来島海峡

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本船乗りでしたが、瀬戸内の航行上での問題地は、関門海峡とこの来島海峡です。実際に在籍した船会社の6000トンの船が、退職後ですが、来島海峡で衝突して沈没しました。気をつけねばなりません。下記は来島海峡のポ−タルサイトで現在の視程や設置された航路標識一覧表、緊急情報などご覧になれます。
http://www6.kaiho.mlit.go.jp/kurushima/

 現在のボ−トは20−30ノットで走行できますので、本船の来島海峡の航法に従い西水道や中水道を通行することは可能です。 ここではヨットで4−5ノットの速さで航行するケ−スを述べます。

本船の航法
 順中逆西の航法といい、北流(南風)は中水道を航行、南流(北風)に西水道を航行。 船は元来右側通航が基本です。一般的な狭水路そのようになっています。だが例外的に南流時には左側通行になります。この航法の趣旨は西水道が屈曲しているので、逆潮で舵が効きやすいのでそこを航行させようというものでしょう。潮流の現況は信号所にSとかNとか電光表示されます。

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下記は 順中逆西の航法の説明サイト
 http://www6.kaiho.mlit.go.jp/kurushima/succor/guide/index.html


ヨットの航法
 大きいときには10ノットの潮流がある来島では転流時の潮どまりのときに通狭することになります。潮汐表ないしサイトでその時間を確認しておきます。

 今回今治海の駅に停泊して、そこから来島海峡までは4マイルの距離ゆえに、転流時の1時間前に出港して来島にむかう。潮流信号所の電工表示で潮流を確認しながら、西水道にかかる四国側に一番近い橋を通過。ポ−ト・左に転針して小島と来島の間の水路を航行して抜ける、このように航行しました。上蒲刈島にある広島県民の浜にある海の駅でその日は停泊しました。
 ヨットでは本船の使う水道は避けたいので、先の西航と違って東航して関西に向かう場合は大島寄りにある東水道を夜間に通ったことがあります。ここは500トンくらいの内航船も利用しますので、それに対する注意も必要です。この東航の場合は航路に沿って走航して来島に向かうのに航路横断がないのが取り柄でしょう。
 転流時は本船が西か中のどちらへ行くのか見当がつきませんので、他船の動向に注意する必要があります。

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 今治海の駅 ここを1時間まえに出る

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 来島海峡大橋 前方の船首12時方向の島が小島

  2016-11-4



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2016年10月31日

音戸の瀬戸


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音戸の瀬戸を上から見る

 マリ−ナ探しで広島へ行くのに、最初は音戸の瀬戸の通航を断念、三原の海の駅でヨットを係留して、JRで行きました。 その後3回ここを通狭したので、少ない経験ですがご参考までに書いています。

 基本の法的な航法は右側通行です。音戸の瀬戸北口浮標と南口浮標の間は右側を航行すればよいでしょう。詳しくは下記をご覧ください。
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 ヨットのような4−6ノットくらいしか速度がでない遅い船は潮流の時間が大切になります。 潮の滞留時をねらったつもりでも2−3ノットしかでない経験もしました。 呉港の低潮時と高潮時から1.5−2時間後が潮の止まる時間です。その時間に通航を考えます。 下記サイトに詳しい説明があります。

 呉の潮汐リアルタイム サイト
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/TIDE/real_time_tide/sel/6101.htm
 呉の潮汐予報 サイト
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/2_kaisyo/tide2/yohou2014/kure.html
 呉の潮汐と音戸の瀬戸の潮流関係 サイト
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/5_sodan/mame/topic35.htm

 また、難しい問題は狭いところでの追い越される問題です。実際に前に気をとられていて、気が付くのに遅れて、松山−呉のフェリ−に追い越し信号で注意喚起されて追い越されました。確かに遅いヨットに合わせて速度を落として航行するのは大きい船にとっては危険で無理があります。

 南側から通航する際には、瀬戸の入り口は屈曲しているので、南側浮標近くまで行かなければ見通しが効かずに中の様子は確認できません。後で知りましたが、海峡カメラがネットで見られます。ヨットはなるべく船のいないときに通行したいものです。
 ライブカメラのサイト
http://180.43.117.132/mics/


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南側から航行する際にはこの黄色のクレ−ンが目印になります。

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   手前が南側の橋で奥が北側の橋

  2016-10-31














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2016年10月30日

輸入代行ブログ開設


 輸入代行・ヨット・ボ−トのブログを開設しました。

  http://gbdaikou.sblo.jp/

 今までのこのブログはヨット・クル−ジング専門ブログになります。

よろしくお願いいたします。

弊社HP  http://gentlebreeze.sakura.ne.jp/
メ−ル    gbyachts@gentlebreeze.sakura.ne.jp
gbyachts@japan.interq.or.jp








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2016年10月29日

瀬戸内マリ−ナ事情


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 広島にあるボ−トパ−ク ここに置いています

 9月から広島にヨットを置くことになりました。 マリ−ナ探しで兵庫、岡山、広島の各県にあたることになりました。 個人的な見解と感じたことです。 ご参考のために書いています。

 所有する 31fの要目 ; L 9.45m B 2.86m D 1.83m 登録長 8.9m

 県     係留代(約)        条件
1.兵庫    9万       住民票が必要
2.岡山     7万       9m以下、 すでにマリ−ナに置いていないこと
3.広島    22万       審査に合格すること、 県外でもOK

香川県仁尾マリ−ナでは40.5万(県外)です。 

 ボ−トの放置艇対策で予算がつきボ−トパ−クが整備されたようです。県が管理責任を一切持たない駐船場です。管理人も常駐せず、台風にも自分で対策をするこになります。
 兵庫県は都会に近い割には安いです。岡山が一番安いのですが、30fを越えると難しい、キャンセル待ちが多い。広島は民間のマリ−ナよりは安いし、県外の人も可能なので、利用しやすい。だが、少し高い。
 どこも桟橋ができていてそこに直接係留したり、4点どりで杭より2点とる係留もあります。水道・電気は個別でなく共用です。
 関東なら30fのヨットをマリ−ナに置くことは、個人でサラリ−マンには無理です。それなのに瀬戸内にあるようなボ−トパ−クをあまり耳にしません。あっても高いものなんでしょうか?
瀬戸内だと庶民がヨットを持つことは可能です。うらやましい環境です。それでも現在のところで500隻余りのボ−トがありますが、ヨットは60隻程です。圧倒的に魚釣りのボ−トが多いです。ヨットは高齢者ばかりでこれだと絶滅の恐れありです。 瀬戸内だと無理ではないのですが。

 これからも九州に置くつもりです。 何かわかれば報告いたします。

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 我が桟橋のお友達 アオサギ?



   2016-10-29
posted by はやめ at 05:50| Comment(0) | 日記