2023年09月15日

山本五十六  凡将論2


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  真珠湾攻撃は米国は予知されていた。 それを大統領府は知っていながら、先制攻撃を日本にさせる。 在米日本大使館の怠慢ゆえに宣戦布告通知が遅れ、卑怯な攻撃だと米国民を激怒させた。 米国民はそれまで参戦に消極的であった状況が一変する。 米国政府は望んだ参戦を真珠湾攻撃によりなし遂げた。


 後になってこれらのことは云われるようになったが、確かに真珠湾攻撃は戦術的には大勝利で太平洋の米国主力艦を壊滅させた。 しかし、米国海軍は日露戦争以来の大鑑巨砲主義を捨て空母を主力にする方針に変えさせた。 米国は10倍にも及ぶ建造能力を生かし、週に1隻の空母を進水させるようになり、その後の戦争にそれをを使い大活躍させた。 真珠湾攻撃の戦術的成功だけでは戦略には勝てない例となった。


 日本は、米国を参戦させずに南下して石油を確保して、インドへ向かい英国を屈服させて勝利する勝利戦略を持っており、真珠湾攻撃により放棄することになる。 また、それまでの日本海軍大戦略・漸減邀撃戦略・待ち伏せ戦略が役にたたないものになった。 その戦略による建艦計画で、日本海軍が営々と造り上げた戦艦大和が役に立たないものとなる。


 山本五十六は開戦から1−2年のみは暴れて見せると云いながら、避戦には失敗して、真珠湾をやらせてくれないなら、辞任すると脅迫して海軍戦略を変更させた。

 ミッドウエイ海戦では勝てる戦力差がありながら空母のはるか後方の戦艦部隊に座上して指揮して大敗を喫した。 これらのことにより山本凡将論に小生は与する。


林千勝によると五十六は赤い官房長官と云われる風見章と繁く手紙の交換をしていたようだ。風見と米内光政とはとても親しい間柄でさかんに行き来や文通をしていた。風見が米内のもとへ出向くといつも山本五十六がいて、三人で策を練っていた。長男の風見博太郎によると、風見は近衛文麿、山本五十六、米内光政と数多くの手紙のやり取りをしており、終戦後すぐにすべてを焼却した。 それゆえか、何を協議していたかは、戦後明らかになることはなかった。


     2023-9-14

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2023年09月14日

追補 ヨットマンのための天測航法 KH法



ヨット天測



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  六分儀



 天測歴が廃止された。何を海上保安庁がや所管官庁が考えているのかと疑いたくなります。 いったん事あればGPSは停止したり大幅な狂いが生じるのは自明のことである。 ウクライナ戦争において盛んに電磁攻撃が双方によりされています。 中国の台湾進攻が近いと云われているのに。

 書籍版の発行は売れないであろうことから、それは無理でしょう。 インターネットで天測歴を利用できるようにすることぐらいは大いに可能であり、しなければならない責務である。 再考を願うばかりである。



  民間の有志がアマゾンで2023年版を発行しています。 継続していただけることを願うばかりである。

   「ぬくもりがらす」による   歴計算研究会  2023年版  4400円  アマゾン



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 英国版の天測歴は販売されており、日本水路図誌販売の神戸で10,900円です。  078-331-4888 、関東には売っていないのに注意



 Soft222さんによる天測暦・天測及び地文航法エクセルのページでは残念なことにダウンロードできないようです。

           

           2023-9-12


 
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2023年09月13日

2023年 春巡航の仲間たち

      

  お城や歴史的なものを見学して回るのがクールジングの楽しみではあるが、もう半分は現地の人と知り合いになることである。 実際は地元ヨットマンから一方的にお世話になるばかりですけれども。 ここに写真に残っている人は少数で、他にも多くの人にお世話になっています。

 特に、UさんとFさんはクル−ジング中にも関わらずに、油津に入院中の小生を枕崎からレンタカーでお見舞いに来ていただきました。 Uさんは冬期の大村での越冬係留や退院後の母港行きの付き添い同乗していただくなどお世話になり過ぎなほどです、ありがとうございました。


 

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 Uさん、Nさん、小生  「ヨットひなせ」にて飲み会




 

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  Nさん、 2回目の世界一周準備中  44fジャニューヨット


 Nさんや串木野のヨットマンの皆さまには座礁後のクレーン吊上げ船底チェックにお世話になりました。 Nさんは串木野から枕崎まで出向いていただき坊津などに案内していただきました。 また、偶然に喜入でお会いしてヨット「ひなの」で楽しい飲み会をし、彼の家に泊めていただきました。 彼は2回目の世界一周準備中です。2回目も難しい東回りで行くそうです。チャレンジ精神がとてつもない。



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  串木野のヨットマン  お世話になりました



      2023-9-11


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2023年09月12日

鹿児島のヨット泊地  鴨池

   
 錦江湾の奥にヨットを持って行き停泊をしたかったのであるが、適当なところが見当たらず、かないませんでした。従い指宿を起点にしてあちこち行く。志布志にまでも行きました。

 地元のヨットマンに尋ねても良い返事が得られなかった。 鴨池からフェリーにて垂水に往復したので、帰りに徒歩で近くの岸壁を探してみました。 参考になれば幸いです。



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  マリンポートかごしま付近地図



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  A停泊候補



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  B停泊候補



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  C停泊候補


 

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   ポンツ−ンD   入り口に浅いところがあるので注意

  ポンツーンの利用を勧めていない模様



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  クルーズ客船専用岸壁        



  2023-9-10

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2023年09月11日

田子島台場  長崎福田



 田子島台場はサンセットマリーナの境界部分にある。 そこは海岸でマリ−ナ部分は埋め立てにより造成された。 ペリー来航、プチャーチン来長崎以降に大村藩が4つの台場を築いた。

 一の台場  18ポンド砲1門、12ポンド砲1門、1貫目砲1挺  計3門
 二の台場  12ポンド砲2門、1貫目砲1挺  計3門
 三の台場  12ポンド砲1門、1貫目砲1挺、5百目砲1挺  計3門
 四の台場  12ポンド砲1門、1貫目砲1挺、7百目砲1挺  計3門
 硝煙蔵1棟、武具蔵2棟、番手小屋1棟、硝煙小出蔵4ヶ所




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  田子島台場、 1の台場から4の台場 @からCの台場





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   台場由来碑



 福田小中学校南道路沿いの石垣があるところに1−4までの台場が築かれた。



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  1の台場




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  2の台場




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  3の台場、  異人井戸跡





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  4の台場



    2023-9-9

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2023年09月10日

日中友好侵略史  門田隆将さんによる



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過去の日本の首相や現役の外相が中国のハニートラップにかかったと云われている。現実にそんなことが起こるのか?というようなマユツバ話のように聞こえます。
 高橋洋一さんによると、中国に行ったときに、自分の好み女性を彼らは事前に調べて、現地でそれに合わせた美人を差し向けて来たと云ったエピソ−ドを話されていた。 彼が大蔵官僚の地位も高くない時代のときである。 高位の政治家ばかりではなく、公務員ですら中国に狙われているのである。 今では中国出張には妻を帯同して行くようにとのセオリーがあるようだ。

 日中国交回復の行われた小生の20代の時、当時にニュ−スで聞き覚えのあることが、この本の半数以上を占めて詳細に語られる。そうだったのかと認識を改めさせられる。 当時の若いころは魯迅やスノーの本を読んでおり、中共の指導者をスゴイと思っていた。何千万の人民を殺していたとは知らなかった。いわゆる洗脳されていた自分があった。

 中共のウイグル人の弾圧の非難国会決議をぼやけたものしかできなかったことを踏まえ、与党自民党や公明党のなかに親中議員が多数を占める事態が明らかになる。他書のアンドリュ−・トムソンも中国の侵略を警告している。 豪州は中国によるサイレント・インベーションに気が付いて路線を変えた。

あと2年もすれば中国の台湾進攻が起こるのではとよく聞くようになった。 満足な対処ができないで、その事態になったことを思うと恐れるばかりである。



中国の工作にハマった政治家・言論人
https://www.youtube.com/watch?v=smI-mmMCkzY
実名暴露?中国「日本侵略」に協力した日本人たち【WiLL増刊号】
https://www.youtube.com/watch?v=V8Yr5E41LB4

    2023-9-10


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2023年09月09日

伊王島  長崎

 



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  伊王島 地図



  大村の停泊をお世話していただいたUさんの車で伊王島へ連れて行っていただきました。 来週にでも大村を出て春巡航へ行く停泊地の下見を兼ねてのドライブでした。 灯台や教会を見学してきました。

 結局にここに立ち寄ることなく、サンセットマリーナを出港して口之津まで足をのばすことになりました。

 

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  停泊予定候補地



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  馬込教会

 住民の半分は信徒であるという。 明治4年の創建であるが台風などの損壊でにより931年にコンクリ−トで再建された。

 

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  伊王島灯台

 長崎への入港目標にオランダ国旗を掲げた旗立て所がここに有った。



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  伊王島大橋を抜けようとする



         2023-9-8


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2023年09月08日

五大 我が歌姫


 世界の美人さんには、スカンジナビアの北欧タイプ、ヒヨウを思わせる野性的なゲルマンタイプ、白眉な痩せて柔和なロシアンタイプ、アンダルシアでお目にかかったはっとするラテンタイプ、今回お知らせするアングロタイプなどがあります。

 40代の30年前に英国鉄道に乗っていて出会った、ベビカーに赤ちゃんを載せているアングロタイプの美人さんは今でも覚えていて戦慄でありました。 高校生の時に見に行った映画「ロミオとジュリエット」の女優オリビアハッシーには、若い小生を魅了したものです。彼女はアルゼンチンの南米人でしたが、アングロタイプの代表だと思います。

 今回のルーシー・トーマスはオリビア・ハッシーに似てその青い目と歌声は、我が歌姫衆の仲間入りをしました。



    Lucy Thomas

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 ルーシー・トーマス


 14歳で英国のオーデイション番組で絶賛されてデビュー。今のところ彼女のオリジナル曲は分かりませんが、バラード風の曲をカバーして歌っています。
 サラ・ブライトマンの再来かと思わせるけれど、アベ・マリアなど古典の歌を歌っているのが是非聞いてみたいものだ。


Stunning Performance of "Moon River"   2分
https://www.youtube.com/watch?v=_dXWmHR7pPA

Hallelujah 4分  いいね
https://www.youtube.com/watch?v=4hjgkvuKES8

The Greatest Love of All    3分
https://www.youtube.com/watch?v=6BaAADUit_U.

"Never Enough" - With Sensational Lucy Thomas Recording Replacing Original Soundtrack    4分   いいね  これが彼女が歌っているの?
https://www.youtube.com/watch?v=0TT3daSkLI4

Memory - Cats Musical   4分
https://www.youtube.com/watch?v=4v-cJX17xy4

La Vie En Rose     3分
https://www.youtube.com/watch?v=-yI3bOKIZKk

Can't Help Falling in Love -   2分
https://www.youtube.com/watch?v=0siyVtIxu4M

Enhanced "Let It Go" from Disney's Frozen sung  4分
https://www.youtube.com/watch?v=aQr5BAoJYeo

My Heart Will Go On   4分
https://www.youtube.com/watch?v=H-15vIN62PQ

"What A Wonderful World" - Sister Duet - Lucy & Martha Thomas  3分
 姉妹で歌っています
https://www.youtube.com/watch?v=gHenRzcnBOQ


 彼女を探している最中に、もう一つのアングロ美人でロイアルファミリーであるキャサリン姫の日本訪問をなぜか見つけました。 

「なぜこんなところに?」日本の裏路地にいた一人の女性の真実が明らかにされた瞬間、世界中が驚愕した理由とは?    13分
https://www.youtube.com/watch?v=uWxQZgm04Y4

     2023-9-8


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2023年09月07日

トイレポンプ交換



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   ヤブスコのトイレポンプ  

  型番が違ってもポンプは共通していることが多い印象を得た。 少しあちこちウエブを当たってみるとよいでしょう。


 
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  ポンプがスカスカして吸水が上手くいかなかった。 前年の上架の時には船外からホ−スを差し込んで水を入れることでワンシ−ズンは過ごせた。 今春のクル−ズのため、アマゾンでポンプのアッセンブリーを購入して取り換える。 YouTubeで探して2作ほどそれを見つけて視聴して予備知識を得る。 あれこれと繰り返しをしながら1時間ほどの作業で完了した。 4か月あまりのクル−ズで周りの水漏れが無いようなので良かれでしょう。 といっても使用したのは2回ほどです。 出港前には大の喜びを経験するように陸のトイレで済ませるようにした。



        2023-9-7


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2023年09月06日

徳富蘇峰・蘆花生家

        

 水俣から八代に向かう途中で徳富蘇峰・蘆花生家を訪ねる。 まだ開館前の時間であったので中を見ることが出来ませんでした。新水俣へ向かいオレンジ鉄道で八代へ行く。

 水俣出身の徳富蘇峰(猪一郎)(1863-1957)は、明治から昭和にわたり、日本の言論界に大きな影響を与え、また、弟の蘆花(健次郎)は、明治、大正期の文豪として活躍。熊本を代表する偉大な2人の文豪が幼少期を過ごした生家。偉業を物語る著書や遺品などが展示されています。

  浅学ゆえに小生は詳しくないけれど、同志社で新島襄に学んだ明治の人・蘇峰が戦犯に当たるといわれた昭和の時代の人であり、昭和32年に亡くなった人であったとは小生には驚きである。 日清戦争より太平洋戦争まで維新後の時代を生き抜いた人であった。

 

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  徳富蘇峰・蘆花生家地図




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      2023-9-6




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2023年09月05日

桜之城(山之城)  枕崎

   

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 薩州島津家第2代国久が1504−1520年に築いたものとみられる。その4男の秀久の居城とされたが、後に日新公3男尚久その子忠長の居城となり、さらに喜入城から移った喜入氏の居城とされた。1615年1国1城の令により廃城となった。



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  花渡川に接する桜之城



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  本丸   城山センタの裏から登るところにある  赤い屋根は梵鐘



     2023-9-5

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2023年09月04日

水俣病資料館


   
 ヨットで水俣ビジターバ−スに停泊した。 徒歩で行ける距離に水俣病資料館がある。 この病気の重さを考えると足を運ぶのも気が重かった。

 ここらの周辺は、やたらと近代的で広く大きな公園となっている。 今を眺めると過去のことなど想像が及ばない雰囲気である。 下の仕切り設置図によると随分と埋め立てをしたことが分かる。 百阡r水口からチッソは汚染水を排出したのであろう。 ビジターバースは最も汚染された地域であったと思われる。 近代的な岸壁や公園を埋め立てて造ったとおもわれる。 お役所の人は随分と苦労されたのであろう。 ビジターバースの横に自分たちで建てた記念碑があった。





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 現 水俣湾


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 ビジターバ−ス



 

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  水俣港建設顕彰碑




        2023-9-4

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2023年09月03日

今和泉島津家

    
  JR薩摩今泉益を降りて海岸方向へ歩くと、篤姫の幼少期を過ごしたゆかりの地に行くことができる。


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 薩摩今和泉地図 

 島津家の一門で1万5千石を領した。忠剛の娘・篤姫が将軍の正室となり天璋院となる。 この地に別邸があり篤姫はここで過ごしたことが有るという。

 

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   駐車場にある案内板




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  篤姫像





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  今和泉別邸跡、  今和泉小学校に井戸跡などがある、 立入りはできない          



  JR指宿線の車内から薩摩今和泉を眺めると、水産技術センターのある漁港が見える、調査船が係留していて少し大きめの町があるのかと思えました。 実際に降りて行ってみると、いつもの小さな漁港の佇まいであった。



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  水産技術センターの調査船岸壁




     2023-9-3

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2023年09月02日

加世田麓武家屋敷と別府城



 枕崎よりバスにて万世特攻平和祈念館と加世田麓武家屋敷へ行って来た。 南さつま観光協会で自転車を借りてそれらを廻った。



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 南さつま市 加世田地区地図



  別府城(加世田城)


  別府氏がこの城を築き1420年に島津氏が支配する。島津実久が謀反を起し、宗家の島津忠良・日新公がここを落とし、以後は直轄となる。明治になりここを崩して小学校になった。移転して現在は公園になっている。



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  別府城入り口  、  小学校の校門が上に残る



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  別府城跡石碑



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   大手口



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   船待口





    加世田麓武家屋敷


 加世田麓には益山用水路沿いに武家門や武家屋敷が残ります。



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  加世田麓武家屋敷地図




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  地頭仮屋跡




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  武家門




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  旧鰺坂邸




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  益山用水路と武家門のある街並み



      2023-9-2



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2023年09月01日

濱崎太平治・8代 1814-1863

 

 指宿にヨットで立ち寄るまで、フェリー乗り場近くでこの像を見かけるまで、指宿の偉人については何も知りませんでした。 この家は代々同じ名前を引き継ぐ家系です。 この像の濱崎太平治は代8代にあたります。 江戸時代の3傑として紀州の近松門左衛門、加賀の銭屋五兵衛と彼を言います。他に海の豪商と言えば高田屋嘉兵衛が知られています。

 この8代は芋を拾うような少年にまで稼業が傾きます。18歳で家を継ぎ借財して建て直して拡大発展させました。奄美や琉球の交易で利益を得ました。 薩摩藩家老調所広郷の藩政改革の一翼をにない、函館、那覇、長崎、大阪、新潟、佐渡などに支店をおくまでになった。薩摩藩にも多額の献金をあいて、斉彬の機械紡績に貢献し、薩摩英国留学(9代)にも貢献した。亡くなるときには考明天皇が侍医を差し向けるほど維新に貢献した。

 10代目の放蕩により没落したが、大番頭の川崎正蔵(1836-1912)が川崎造船所・川崎重工を設立した。



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 銅像  フェリーのりば近くにある



 
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  案内板



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  誕生の地



       2023-9-1
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2023年08月30日

金価格 1万円突破



  田中金属工業の金価格が8月29日の店頭小売価格が10,001円、翌日8月30日には続騰で10,050円です。 とうとう1万円を超えてしまいました。

  田中金属工業HP   https://gold.tanaka.co.jp/commodity/souba/d-gold.php

小生の住んでいる10万人にも満たない田舎の小都市でもテレビコマーシャルをしている買い取り業者の店が進出しています。 テレビ番組でも大金で買い取られる商品のニュース番組が報道されている。 それは、かって見たバブルの時の不動産報道を思い起こさせます。 中国のバブル崩壊やウクライナ戦争の動静の変化が影響しているのでしょうか。


 日本の財政破綻のウソ報道は財務真理教のせいであると,明らかにされつつあります。そのせいでのハイパーインフレが起こるかの懸念は解消されつつある・認識が広がりつつあると自認しています。


 もう余生がさらに限られてきた後期高齢所帯ですが、その財務省に踊らされて、小生はハイパーインフレに備えて1−2年は耐えられるように少額の現金外貨と少量の金の現物を用意しました。 そのことは杞憂に終わったと今では思っております。


 しかし、外的要因での変動の影響はありそうですね。 中国の負債は日本のバブルの時の数十倍(1800兆円の一部報道)ではないかと云われています。 独裁国ゆえに本当のところは破綻してみなければ分からないでしょう。 現状の金価格の高騰はそのせいでないこと、田舎老人は祈るばかりであります。
 小生の住んでいる10万人にも満たない田舎の小都市でもテレビコマーシャルをしている買い取り業者の店が進出しています。 テレビ番組でも大金で買い取られる商品のニュース番組が報道されています。 それは、かって見たバブルの時の不動産報道を思い起こさせます。 中国のバブル崩壊やウクライナ戦争の動静の変化が影響しているのでしょう。


 日本の財政破綻のウソ報道は財務真理教のせいであると,明らかにされつつあります。そのせいでのハイパーインフレの懸念は解消されつつある・認識が広がりつつあると自認しています。


 もう余生が限られて見えてきた後期高齢所帯ですが、その財務省に踊らされて、ハイパーインフレに備えて1−2年は耐えられるように少額の現金外貨と少量の金の現物を用意しました。 そのことは杞憂に終わったと今では思っております。


 しかし、外的要因での変動の影響はありそうですね。 中国の負債は日本のバブルの時の数十倍ではないかと云われています。 独裁国ゆえに本当のところは破綻してみなければ分からないでしょう。 現状の金価格の高騰はそのせいでないこと、田舎老人は祈るばかりであります。


     2023-8-30


    金の小分け
  http://hayame.sblo.jp/article/115251866.html?1693407609





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2023年08月29日

伊集院散歩


         伊集院散歩  徳重神社、妙円寺、小松帯刀墓所、有馬新七墓



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  伊集院近郊図

  JR伊集院駅からは一宇治城、妙円寺、徳重神社、有馬新七墓などが徒歩で見に行くことができる。 枕崎へ行くには鹿児島中央からJRを使っていくのにも本数が極めて少なく便利ではない。 ここ伊集院から枕崎行きのバス便があり時間的にも早いのではないかと思う。 ここから伊作城と小松帯刀墓所にはバスで行ってきた。

 駅前には島津義弘公騎馬像と観光案内所がある。



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  島津義弘公騎馬像



    徳重神社、 妙円寺

  JR伊集院駅北口からすぐです。島津義弘公の菩提寺であった妙円寺が明治2年の廃仏毀釈で廃寺になり、義弘公を祭神とする徳重神社となりました。ここは、現在も続く鹿児島の代表的な伝統行事「妙円寺詣り」の舞台となっている神社です。関ヶ原の合戦に出陣した島津義弘公が西軍の敗北により、徳川本陣の真っ只中を敵中突破した退却戦を偲んでこの詣りが行われています。大河ドラマでも何度か描かれていると思います。



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  徳重神社




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   現在の妙円寺

  由緒ある妙円寺は鹿児島で行われたすさまじいという程の廃仏毀釈が行われた結果とり壊わされた。 ちなみに鹿児島県では寺跡の案内がやたら多い、他県には見られないほど。 近くに妙円寺中央公園などの大きな敷地があるので、大きな寺院であったと思われる。 現在のものはこじんまりとした昭和の寺院風である。



    小松帯刀墓所



 小松家の菩提寺でもある園林寺跡には、小松家歴代の墓があり、そのなかに29代帯刀も眠っている。墓地へと続く道の入口には、廃仏毀釈の被害にあった仁王像もある。

 帯刀は明治の初めに亡くなったので、忘れられかけましたが、薩長同盟や大政奉還などに貢献しました。



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  小松帯刀墓



 

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 明治2年 廃仏毀釈により壊された仁王像





     有馬新七墓

 

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 写真中央は有馬家代々の墓、 右端にあるのが新七のお墓



 ここ伊集院の郷士の子として生まれる。見られなかったが城近くに誕生の地の石碑があるという。 父が有馬家の養子になり城下士として加治屋町に住む。 尊王攘夷活動を続け寺田屋事件で島津久光の命により粛清される。その後許されて息子は海軍技術習得のため米国留学した。

 

  2023-8-29


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高屋神社  内之浦

 


  内之浦から肝付城へ行くつもりであったがバス便の都合が悪く、タクシーが5000円余もかかるというので諦めた。 それで近場を散策することにした。 由緒ある高屋神社と幕末の砲台跡を見てきました。




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  内之浦地図


 熊襲征伐に来た景行天皇は天子山に行宮を築いて6年滞在したとされる。




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  高屋神社

  高屋神社は景行天皇が国見山上陵(国見山)からヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)を勧請し、高屋神社を創建した。


 

  内之浦砲台は、海岸近くの砂浜に設置されていました。『薩藩海軍史』には、12ポンドカノン1門、 20ドイム臼砲1門、700目野戦砲1門、500目野戦砲門の計4門の大砲が配備されていたと記されています。



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  砲台跡 案内板




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  内之浦砲台跡からの展望



      2023-8-28

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2023年08月27日

調所広郷邸

 



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  鹿児島城と調所広郷邸跡



 幕末の斉昭公の活躍や維新の志士のそれも調所の財政改革なしでは成立しなかったであろう。それほどの歴史的功労者である。しかし、江戸に出仕した調所広郷は幕府に密貿易の件を糾問される。嘉永元年(1848年)12月18日、薩摩藩上屋敷芝藩邸にて急死。密貿易の責任を取り自殺と言われている。



    調所広郷と村田清風

     http://hayame.net/custom32.html#spb-bookmark-423




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  マンションの一角にひっそりと立つ石碑と案内板


 すぐ近くの公園に平田靱負の銅像があり、彼の方が顕彰されているようだ。 大河ドラマの「西郷どん」に搭乗した平田何某の先祖はこの人になるのであろうか? 上級家臣の設定であったので。



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 平田靱負(ひらたゆきえ)1704-1755、 533石の家老、  

 高校の時に木曽三川の治水工事の現場をバスで見学した覚えがある。地元の人々には彼のした宝暦の治水事業には今に至るまで、大変な感謝をされているようだ。


    2023-8-26



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機関給水トラブル

 



 

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  ヤンマー2GM  冷却水ポンプ



  佐賀関を出て上関をめざした。 港の出口の防波堤を抜けてすぐ、エンジンの警報音が鳴りだした。 排水口から海水が出ていない。 何らかの吸水トラブルだ。 次の2つが考えられた

 1. 船底の吸水口がゴミなどで詰まっている。

 2. インペラーの破断

 付き添いクルーで同乗していただいた梅木さんが、潜水して吸水口を探すが見つけられない。 退院したばかりの小生も続いてトライしたが見つけられなかった。 

 インペラーの点検のためポンプを取り外す。 キングストンバルブ(船底についているバルブ)側から冷却水ポンプに繋がっているビニールパイプを咥えて息を噴き出してみる。 別に詰まるわけではなさそうだ、外に出てサイドから吸入口あたりを覗いてみると、ブクブク泡が出ているのが見えた。 このことはポンプまでの詰まりではないようだ。 ポンプを分解してみるとインペラーには欠けるところもなく大丈夫。 ポンプからエンジン側に水が行く排水口を見てみると、ここにゴミが詰まっていてエンジンへ冷却のための行く海水を止めていた。これが原因であった。 ゴミを取り除いてポンプを組み立て取り付けた。 エンジン始動。 排水口から冷却水が出ている。 警報音もならずにOKであった。

 例え、潜って吸水口を見つけてもそこから何かを突っ込んで取り除くことは難しそう。 今回気が付いたのであるが、ポンプのパイプを外して船外へ吹いて外に出ている泡を確認する方法が良いようだ。 キングストンに繋がるビニールパイプを外してそこから取り除く方法は上架でもしている場合でないと、水圧が強く強い圧海水が飛び出てくるのではないかの懸念があります。 エンジンの位置高さにもよるが今回は勢いよく海水が出てくるようなことはなかった。今回はキングストンを締めないで作業をしたが、締めて海水を止めてゴミの取り除く作業をするのが正解でしょう。

  今後の対策として

 1. 予備のアッセンブリーの冷却ポンプを持つ。 4−5万円程度の費用か

 2. 冷却ポンプから外へ長いビニールパイプを用意しそこから海水を汲みエンジンを冷却する

 3. クル−ジングへ行く時にはポンプを分解して清掃しておく。 前回4年前に新品と交換したのでこれくらいの期間が過ぎれば詰まるのか?

 4. 初代のヨットでは1GMであったけれど海水ストレーナーを装備していた、これも一つの手であるかも



  梅木さんが乗っていてくれたおかげで、彼が作業の多くをやっていただけました。 いつもシングルですがダブルもよいものだと思いました。警報が鳴ってすぐに錨泊したのですが、それもラクチンでした。



   冷却水ポンプの交換  2019-6-29

   http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-629

 

     2023-8-27


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2023年08月26日

水俣城

     


  水俣氏により築城とされるが詳細は不明である。戦国期には相良氏、島津氏、小西行長、加藤清正、細川氏と変遷していく。1612年に幕命により廃城となる。



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  水俣近郊図




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  肥薩オレンジ鉄道   川内―八代を運行



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 水俣のゲストバ−スよりたくしーにて水俣城へ行く。 上記にあるように石垣や堀が埋められているのでそれらしい雰囲気を感じるのみである。



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  本丸跡





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  西南戦争 薩軍慰霊碑


  田原坂の戦いに次ぐ激戦の地であった。 薩軍慰霊碑が見られる。



      2023-8-25

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2023年08月25日

鹿児島城(鶴丸城)と麓武家屋敷

    

 JR鹿児島中央駅より市電に乗り市役所前で下車して徒歩5分で鹿児島城御楼門に着く。堀を渡って御楼門を抜けて本丸にある歴史資料館・黎明館に行く。展示物は豊富で1時間あまり時間を要した。 幕府に遠慮したせいか、天守や高石垣は築かれなかった。バックに城山を控えるが、本丸、2の丸、出丸の簡素なつくりである。 それを補うために外城制度を持ち家臣を麓武家屋敷に住まわせた。現在は本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建っている。




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  鹿児島城と麓武家屋敷

  平田靱負や調所広郷などの上級武士はお城近くに住み、西郷隆盛や大久保利通などの下級武士は少し城から遠い加治屋町に居住した。



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  鹿児島城 模型 




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  御楼門  復元



           2023-8-24

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2023年08月24日

山川  ヨット泊地



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  山川、指宿


 JR指宿から電車でJR山川へ行って来た。 JR山川以遠は枕崎の駅まで極めて本数が少ないので時刻表をよく見ておくこと。 駅からフェリー乗場まで徒歩で歩いた。 20分はかかる。 

 ヨットの停泊は余りふさわしいところは見当たらない。 下図で候補地を青丸で示した。 外洋に面した外港があるようだが、探索していない。外防波堤に凪の時は着けられそうな気がしていますが、不確かです。




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  青丸は停泊候補地



 

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  青丸は上図の防波堤の内側位置

 

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  青丸はもうひとつの候補地

 

 2023-8-23
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2023年08月23日

霧島温泉

  

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  6/1に油津にある日南病院を退院して、6/7には付き添いヨット搭乗をしていただける梅木さんが大村からきてくれるまでの間に時間ができた。退院後の静養もかねて霧島温泉に行ってきました。 カミさんほど温泉好きでは小生は無いのですが、そこは坂本龍馬がお龍さんと新婚旅行に立ち寄ったところであるということで気になっていた場所である。

 JR日南線で宮崎に行き1泊して翌日に「特急きりしま」で宮崎駅から霧島神宮駅に乗車する。 きりしま号は特異な風貌と黒色の車両である。JR九州は在来線特急にこの車両を用いており、他所で見かけても注目していた。

 霧島神宮駅からはタクシーで温泉に向かった。前日からネットで宿を探していても空がすくないようで見つからなかった。 コロナ明けで皆さまが動いているようだ。 現地観光案内所で近くのホテルを紹介してもらった。 ビジネスしか最近は泊ったことがないので、いわゆる観光ホテルというものを利用したということは久方ぶりのことである。



  
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  特急 きりしま号  宮崎―鹿児島中央



     

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  泊まったホテル

 カミさんによると泉質は良いとのことで、また、来たい温泉になるのだそうです。 夕食は1品1品テーブルに運んでくれるサービスで全品並んでいるようなものではないけれど、個人的な好みではあるけれど育ちによるのでしょう、そこまでしてもらわなくてもという感じです。朝食はバイキングスタイルでした。



       2023-8-21

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2023年08月22日

細島   ヨット泊地



    


  宮崎から細島へ行く。 ここは先代のヨットでスロ−プ上架にて船艇塗料の作業をしたことがある。 造船所も少し近代化していて50年前の面影はない。

 街も驚くほど近代化していて、江戸時代からの湊の雰囲気はとてもありません。 大駐車場つきの巨大ス−パ−が近くにできており、何でもある感じがします。

 湾奥にある固定ハシゴの付いた岸壁にヨットをつけた。



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  赤丸は停泊地、 青丸は停泊候補地



 

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  細島






      2023-8-20
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2023年08月21日

垂水麓武家屋敷・林之城



 鴨池からのフェリー(500円)にて垂水麓武家屋敷に行って来ました。 徒歩20分位でフェリー乗り場から林之城・麓武家屋敷に行くことが出来る。



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  垂水城と林之城      



     林之城 

 ここ(現・垂水小学校)は、江戸時代に垂水島津家の居城・林之城があったところです。垂水島津家領主四代久信は林之城を築き、慶長16年(1611)、垂水城(荒崎)から家臣団と共に移ってきました。




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   石碑とお長屋



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  お長屋  道路側側面




     麓武家屋敷


 街並みが近代的な感じで武家屋敷が立ち並ぶイメージではない。町割りの雰囲気はあるように思う。


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 麓武家屋敷地図




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  宮迫邸 武家門 





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  垂水島津家の墓地    

 垂水島津家は島津宗家15代・貴久(たかひさ)の次弟・忠将(ただまさ)を元祖とする家柄です。慶長4年(1599)、垂水島津家2代・以久(ゆきひさ)が垂水領主となって以降、以来明治維新まで16代・約300年にわたり垂水を統治しました。

 夫婦の墓碑が並立しています。



   2023-8-19



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2023年08月16日

心筋梗塞で入院  クルーズ中




   

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  宮崎県立日南病院



  2023年 5月10日に内之浦から油津へ入港、昼前に着き、1300頃よりヤンマーの代理店の人が来て、回転計の修理作業をした。 アースの線が切断していただけであったので、1時間ほどで終了。 油津の町で買い物をして夕食を済ます。 明日は飫肥城でも行くつもりで就寝。

 胸が息苦しい感じで目が覚める。 深呼吸をすると気持ちが良い。 胸に違和感を感じるので、朝になったら外来診療を受けようと思う。 入港までは追手の風で帆走していたので、排気ガスを吸いながらの航行であった。 そのせいで呼吸器系統の病気でないかと思っていた。

 どこのクリニックがいいか分からないので早朝にもかかわらずに緊急相談センターに電話してアドヴァイスを求めた。  6年ほど前に脳梗塞をやっているので、3時間以内のMRIのある病院での診断・治療が重要であるということが頭の片隅にはあった。 症状を話すと県立日南病院を紹介される。 さっそく電話して話すと、すぐ病院に来た方が良いとのことであった。

 朝4時頃であったのでタクシー会社ヘ3件ほど電話したが、どこも来てくれるところが無い。 ひょっとして入院になるかもしれない気がして、バックに入院準備品をつめこみJR油津駅まで歩き始めた。途中で看護婦さんから連絡があり救急車の利用をすすめられた。119番に電話して救急車にのり病院に着いた。

 さっそく検査して、脳梗塞になりかかっているということで即手術である。 手術自体は手の部分のみの麻酔で、先生の手術中の会話を聞きながらのもので、痛くもかゆくもなかった。 いわゆるカテーテル手術で狭くなっている血管をけずりステントで補強する手術であった。 術後の安静が必要で、2日は集中看護室それに1日の準集中看護室に入り一般病棟に移った。

 退院までは3週間と告げられた。血管の詰まった先が壊死しているかもしれないので、経過観察が必要なのでその日数を要するという。 退院まで携帯心電図を着けたままであった。 リハビリは徐々に段階を踏んで歩く距離を増やしていった。 ランニングマシンや自転車こぎの装置で負荷実験をした。 退院間際にもう1か所の狭くなっている血管を同様の手術を受けた。 これは詰まっているわけではないので、3日でOKであった。 早く分かれば簡単に終わるということでしょう。70近くになれば一度は心筋梗塞の検査をおすすめいたします。

  心筋梗塞は致死率20%ということだ、痛いわけではなかったし、悪化することも無く、今回も最悪のケースは免れた。それでも、いつまでも幸運が続かないということは覚悟しておくことであろう。 ヨットのトラブルも含めてそう思います。 何がおきても不思議でないという年齢に達したということでしょう。 航海中にこれが起無くて良かった。 感謝。

  日南病院の皆さま、3週間余りの油津係留でお世話になった皆さまありがとうございました。


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  油津で入院中係留させていただきました



             2023-8-18

  2023年 春巡航  九州一周 その2
http://hayame.net/custom41.html#spb-bookmark-1047



posted by はやめ at 08:08| Comment(0) | 日記

宮崎  ヨット泊地

   


  油津より宮崎商業港へ航海した。 梅雨の中、潮汐が思ったよりあるので、昇り降りが楽なように岸壁に固定して設置されているハシゴのある場所を探して着岸する。

 夕方であったが雨中のなか港湾局の人が来られて、手続きをする。 明日の朝5時には出港するので、静かにしておくつもりであった。 手続きにおいて、「強い雨の避難が目的での入港ですね?」と言われ思わず「はい」と答えた。 理由が無いと着岸は認めめられないのかもしれません。

 マリ−ナもあるのですが、入り口が浅く充分な注意が必要です。



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  赤丸は停泊地、、 青丸は停泊地、 



     2023-8-17


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2023年08月14日

蒲生 麓武家屋敷、  蒲生城

     


 鹿児島中央駅よりバスにて姶良市役所蒲生支所のバス停で下りて蒲生麓武家屋敷へ行って来た。 麓武家屋敷に必ずあるというよりお城があってこその家臣の武家屋敷であるのですが、武家屋敷散策後に蒲生城を訪ねたが、登城口が見つからず、断念してしまった。  指宿からはるばるの鹿児島南から北への渡来であったので意気が上がらなかったのでしょう。 いつもの小生の追及の甘さの欠点がでてしまった。反省。

 ここは蒲生川と別府川の2本に挟まれて、9本の馬場と3本の小路にて区切られた町割りです。


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  町割りと馬場通り




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  仮屋門




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   西馬場





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   武家門




     蒲生城 (竜ヶ城)


  後で分かったのであるが公園として良く整備されているようで、お城ファンとしては残念な思いである。

 蒲生氏が代々居城としていた。島津義久がここを落として領した。 本丸、2の丸、3の丸の他に曲輪群で構成されたお城である。



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   蒲生城




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  お城登山口    藪こきを予想され断念した


 

   今後ここを訪れたい人のために   蒲生城 城郭放浪記

  https://www.hb.pei.jp/shiro/ohsumi/kamou-jyo/thumb/




          2033-8-16





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2023年08月13日

八代城と麦島城




  肥薩オレンジ鉄道八代駅よりタクシーにて八代城へ行く。 そこから前川にある橋を渡り麦島城へ行ってきました。 八代城は天守は無いけれども石垣などの構造物がしっかりと残っており、小さいながらも見ごたえのあるものです。



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  八代城と麦島城



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  縄張り図



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  天守跡  若い女性の花見真っ最中




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  欄干橋跡



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  埋み門跡




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   廊下橋跡








        麦島城


  麦島城を1588年に小西行長は築城した。この城の北側は大きな入り江で港であった。 南蛮貿易の拠点・徳淵津でもあった。ここは関ケ原の戦いの後では小西は改易され加藤清正のものとなる。一国一城令が決まっても加藤藩は例外として熊本城とここ麦島城を持つことが幕府より許された。 薩摩対策の一環としてであろう。 一六一九年大地震でここは倒壊した。 麦島城の代わりとして八代城を築き、一国二城体制は明治まで続いた。



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  縄張り図



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  麦島城跡    残っていない



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 八代キリシタン殉教地、 11名の殉教者をだした。


  徳淵津が南蛮貿易の港としてにぎわっていたことを小生は知らずに、麦島城を訪れる途中にこの地を見つけた。 この港があるからこそ秀吉はキリシタン大名の小西行長をこの領主にした



        2023-8-15



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下甑島 長浜   ヨット泊地

     



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  赤丸は停泊地



  長浜診療所近くの岸壁に係留。 すぐ近くにスーパーがある。 この島はタクシーを呼べない。 バスの利用のみ。

 
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         2023-8-14





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2023年08月12日

指宿  ヨット泊地

 


  指宿はヨットにやさしい港で漁港としては珍しくプレジャーボート用の専用ビジターバ−ス3隻分が用意されている。 下図赤丸部分、その外側に2隻程のスペースもある。 小生はここからJRに乗り鹿児島、山川、喜入、志布志へと観光に足を延ばした。

 立ち寄り湯(徒歩10分)がある。 スーパー(徒歩10分)、ガソリンスタンド(徒歩10分)、コインランドリー(徒歩7分)便利に利用できる。


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  ゲストバース案内板





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  突き当り左突堤も係留できる





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 ハシゴはコーナーに一つで、そこへ着けたヨットは乗降の共助が必要です。 潮汐は予想外にあるので。 



     2023-8-13


posted by はやめ at 03:29| Comment(0) | 日記

2023年08月10日

伊作城

   


 JR伊集院駅よりバスにのり伊作城へ行った。 多宝寺口の案内板により登城することになった、

 南北朝時代に島津本家4代忠宗の弟・久長が伊作島津家の始まりでこの城を作った。忠良(日新公)やその子4兄弟・義久・義弘・歳久・家久がこの地で誕生した。 本丸にこれらの人々の石碑がある。





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  縄張り図   本丸は亀丸城



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  伊作城登城口






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  仮屋城跡(曲輪)




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  本丸の誕生石碑



     2023-8-12
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知覧城、亀甲城と麓武家屋敷




  知覧の見たいところ特攻平和会館、麓武家屋敷、知覧城へバスで行くには終点まで乗らずに、行く場所のバス停留所で降りたほうがよい。ちなみに知覧行きバスは鹿児島中央、指宿、枕崎などからの便がある。



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  1.  知覧城



築城年代は不明ですが,記録によれば文和2年(1353)足利尊氏によって島津忠宗の三男,佐多忠光に知覧の領地が与えられています。以後佐多氏の居城として知られています。

城の構造は,本丸・蔵之城などを中心とした曲輪群(平坦地)とそれを取巻く東ノ栫・式部殿城など周辺の曲輪群から形成されています。城と城の間には深い空堀がめぐり,それぞれが独立しているのが特徴です。 案内板は充実していて比較的整備されている。 しかし、他の2つの施設に比べてここを訪れる人は少ないようだ。


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  本丸   虎口付近が崩れて青ビニール





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  蔵之城へ





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   建物跡  蔵之城





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  今城へ   







     2.  亀甲城

  知覧城の出城である。 記録が無いので詳細不明。 

 

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   縄張り図





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  復元された虎口、   麓川の左岸に築かれていた





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   矢櫃橋を渡って左の大手口へ





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 主郭にある知覧忠世顕彰碑  南朝側に属し守護の島津貞久と戦う。



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   らせん状の道を昇る













       知覧麓武家屋敷



 石垣とその上の生垣が並び武家門と庭園が見られる



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  知覧ふもと武家屋敷案合図





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  知覧麓 武家屋敷通リ





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  西郷恵一邸 武家門





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   西郷庭園



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  平山克己庭園



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  知覧型二つ屋





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  森重堅庭園



           2023-8-11

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2023年08月08日

枕崎

    ヨット泊地


 最初は奥にある大きなポンツ−ンに着けた。 しばらくして市役所の人が来て、ここは不適であるという。 確かに明け方に大型トラックが来て漁船からの積み込み作業をしていた。  それで下図にあるすぐ横の階段のある赤丸位置に接岸係留した。



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  赤丸は停泊地、  青丸は候補地

 



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  係留不適ポンツーンと赤いヨットは青丸候補地




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  赤丸に横抱きして係留



  お風呂はJR枕崎駅近くに銭湯がある。 ス−−パ−とコインランドリーあり。 関東出身のヨットマンNさんには大変お世話になった。お土産まで頂いたありがとうございます。 ドイツから来ていたイコールマストの自作風ケッチは対岸の上図青丸位置に着けていた。この位置も広く外来用のスペ−スがあるようだ。 市役所の人が地元漁船に随分と気をつかっているようです。

  JR枕崎線hは指宿以降は日に5−6本の少数の運行なので注意が必要です。


       2023-8-10
posted by はやめ at 21:53| Comment(0) | 日記

一宇治城(伊集院城)、 市来鶴丸城

   
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  市来鶴丸城と伊集院城の地図


  一宇治城はJR伊集院駅のすぐ近くの城山公園にあり、市来鶴丸城はJR東市来駅より徒歩10分にある日置市東市来支所近くにある。




       一宇治城 (伊集院城)



 JR伊集院駅を降りるとすぐに城山が見え、迷うこともないであろう。 観光案内所もロータリ―横にある。

 鎌倉時代に伊集院氏により築城。その後島津配下の城となる。1545年(天文14年)、島津家中の統一を目指していた島津忠良・貴久親子は先祖代々の居城であったが薩摩国西部にあり不便であった伊作城から、薩摩国中央部にあるこの城に拠点を移し、鹿児島の制圧を目指す。貴久は大隅と日向をを加えて家中の統一を果たす。1550年に鹿児島の内城へ写した。

 1549年に貴久とザビエルがここで対面し布教が許された。

 城の縄張りは「神明城」(本丸) 「伊作城」「中尾曲輪」「釣瓶城」「弓場城」「護摩所」「南之城」「上平城」など、大小30個あまりの曲輪で構築された。

 


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   桜の時期であったので花見の宴が見られた。



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   登城口



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  ザビエル像







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  曲輪と空堀

 城という名の郭は堀を挟んで独立しており、公園として芝生を植えてよく整備されている。 案内板もあり曲輪を見ることが出来る。







        市来鶴丸城


 市来鶴丸城は市来氏によって築かれた城です。市来氏は市来家親の代に島津立久によって滅ぼされ、以後は島津氏の所領となります。戦国時代になると島津宗家と対立していた薩州家の島津実久が占拠しましたが、1539年(天文8年)に島津忠良・貴久父子が攻略すると、伊集院忠朗、のちに新納康久が城主をつとめました。なお康久が城主の1550年(天文19年)にフランシスコ・ザビエルがこの地を訪れ布教活動をしています。



 市来鶴丸城は鶴丸小学校の裏にある。



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  春日神社、   登城口がある、登城路は整備されている




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  ザビエルと家老ミゲル、    赤い屋根は小学校



  ザビエルは10日ほど布教したという。 鹿児島で説教を聞いた家老ミゲルが感動してここ鶴丸城へ案内したという。ザビエルはこの後平戸へ行った。




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  主郭


         2023-8-9

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2023年08月07日

下甑 手打麓武家屋敷




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 下甑島 地図



  上甑島の里より下甑島の長浜へヨットで航く。 この島の南端にある手打にバスに乗り訪れる。 麓武家屋敷を見てきました。 麓というからには城跡があるはずであるが、その案内は無かった。  玉石垣とその上の垣根で構成される武家屋敷は武家門や建物は残っていないけれど、風情がある落ち着いた雰囲気は良いように思う。

 バスの時間は良く確認のこと、タクシーを呼ぼうとしたが、ここ下甑はタクシー会社が無いので呼べないとのことであった。 クルージングで島など不便なところに多く行ったつもりであるが、このような事態は一度もありません。 それほど鄙びたところであるということでしょう。上甑では呼べるとのことです。



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  郷土館   休みで中は見られなかった





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  武家屋敷の入り口のたたずまい







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  武家屋敷通り





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  津口番所



               2023-8-8

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2023年08月06日

串木野  海の駅





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  赤丸は停泊地、


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赤丸 ゲストバ−ス


  海の駅は漁協が管理している。 海の駅の受付している売店は閉店した、 500円/日前後の安価な施設である。 電気なし、近くに温泉がある。 地元のヨットマンは大変親切で何かと相談にのってもらる。 台風避難にも使えそうである。

   電話 0996-32-2108


   串木野城と麓武家屋敷


           2023-8-7

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2023年08月04日

大江 大江天主堂、  天草下島

 
       大江   天草下島





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  崎津と大江





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   赤丸は停泊地、

 

  崎津は適当なヨット係留地が無いので、ここ大江に停泊した。 ここから大江天主堂へ行ってきた。 ス−パ−やガソリンスタンドは見当たらなかった。




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   階段のある所に係留





      大江天主堂



  キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会で、現在の建物は昭和8年(1933年)天草への伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父が地元信者と協力して建立した。丘の上に建つロマネスク様式の教会。 



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  大江天主堂





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          2023-8-6


posted by はやめ at 20:24| Comment(0) | 日記

串木野城と麓武家屋敷



       串木野城・亀ヶ城



 串木野城は「関ヶ原の戦い」において「島津の退き口」で奮戦して討死した島津豊久の生誕地とされています。もともとは薩摩郡司・薩摩六郎忠直の三男で串木野氏を称した串木野忠道によって築かれた城で、以後は串木野氏代々の居城となりました。南北朝時代、串木野忠秋が城主のとき、島津氏に攻められると忠秋は城を捨てて知覧へ逃れ、串木野氏は滅亡しました。島津氏の所領となったあとは川上氏が城主となり、戦国時代には山田有信や、島津貴久の四男で島津義弘の弟である島津家久がこの地の地頭に任じられています。1570年(元亀元年)に家久の嫡男・豊久が誕生しています。 

 案内板があり見ることができるが、私有地であり制限されてどこでも入れるわけではない。 代将で6つの曲輪があるという。



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  串木野城跡 



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  土塁と空堀





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  曲輪へ









        串木野麓 武家屋敷



  旧入来邸ぐらいしか武家屋敷は見当たらない、



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  地頭仮屋跡





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  南方神社    室町時代に信濃国諏訪神社を勧請創建したという。





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   旧入来邸 武家屋敷  郷士年寄格屋敷跡  長い塀でかこまれた広い敷地である。







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  串木野氏の墓





      2023-8-5

posted by はやめ at 08:21| Comment(0) | 日記

2023年08月03日

まとめ 薩摩 麓武家屋敷 12



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  薩摩には鹿児島城を本城として、藩内各地に外城(とじょう)を配置し、それは120もあったという。 秀吉に屈服するまでの島津氏は九州を平定するほどの勢いであったので武士を多く抱えていた。領地は削減されたが武士の数は減らさなかった。それゆえに人口の1/4が武士であったという。

 島津氏は独自の外城制度で各地の山城周辺に麓(ふもと)武家屋敷をつくり武士を住まわせた。 仮屋(かりや)と呼ばれる役所を置き、周辺に馬場と呼ばれる何本かの道により町割りをして、武家屋敷が配置された。 各地にそれを見ることができる。

 ヨットで鹿児島を訪れた時に、これを知ることになった。 長崎の世界遺産を見た後は、新たに目標ができ、日本遺産に指定された12か所を訪ねることになった。 


    下記をクリック 個別になります

 1. 鹿児島城

 2. 喜入旧麓

 3. 出水麓

 4. 入来麓

 5. 里麓

 6. 手打麓

 7. 串木野麓

 8. 蒲生麓

 9. 知覧麓

 10. 加世田麓

 11. 垂水麓

 12. 志布志麓



                 2023-6-29



posted by はやめ at 16:15| Comment(0) | 日記

ヨットマンのための海の駅と泊地 その2    更新


 九州を更新しました。

ヨットマンのための海の駅と泊地その2    2023-8-3 更新

    http://hayame.net/custom44.html#spb-bookmark-1039


        2023-8-3
posted by はやめ at 07:35| Comment(0) | 日記

2023年08月02日

霧島神宮





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  霧島神宮 


  天孫降臨神話の主人公であるニニギノミコトを祀った霧島神宮は、創建が6世紀頃と伝わり、数少ない「神宮号」を名乗る神社です。 熱田神宮近くで小生は育ったけれど、神社というのは多いが神宮というのは確かに少ない。 本殿にお参りするのにも行列をしています。 確かに厳かな雰囲気に包まれた神宮でありました。

  今回の巡航では乗上たり入院したりと大事が起きましたが、大した徳を積んでいない小生にしては最悪の事態に陥らずに済みました。 お礼を申し上げて参りました。



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  案内板



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   本殿 国宝





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  さざれ石



     2023-8-4

posted by はやめ at 22:25| Comment(0) | 日記

牛深海の駅 天草




  牛深海の駅は値下げされ、電気もとれるし申し訳ないくらいです。  電話 0960-73-1173  2隻ほどしかスペ−スが無いので空の確認が大事です。 桟橋前のグラスボ−トの観光船事務所で手続ができます。 買い物はス−パ−が近くにある。

 唯一気になるところは橋高で入り口にあるハイタ大橋は17mである。 他の二つは18mと16mである。 ここを抜けられれば西方面に行くのに近道となるのであるが、試してはいない。 ご注意あれ。





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  赤丸は停泊地、  青丸は候補地


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  赤丸 停泊地



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  牛深海の駅ポンツーン

  上の写真の右陸側ポンツーンは観光船の発着に使用される


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   16mの橋高  確認のこと  ここが抜けられれば西へ行くのが容易



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 青矢印は停泊候補地、  ハイヤ大橋をマスト高で抜けられない時



    2023-8-3



posted by はやめ at 01:39| Comment(0) | 日記

2023年07月31日

阿久根 海の駅




  天草牛深より阿久根海の駅に向かった。 ポンツ−ンは小型であるが空いていれば快適だ、 電気はとれる。  電話 0996-73-2141   徒歩5-6分のガソリンスタンドで手続き。  近くにス−パ−や温泉あり。


 ここは旧港にあたるのであるが川向うに大きな新港が存在する。 手狭のときにはそちらの利用も考えられる。

  

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  赤丸はポンツ−ン停泊地



 

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  阿久根海の駅 ポンツーン係留




 

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 クラシカルトットが停泊していた。 余り乗ってはいないようだ。



      2023-8-2

posted by はやめ at 23:15| Comment(0) | 日記

宇土城と古城




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  宇土城と宇土古城  地図


 宇土マリ−ナからバスに乗りグ−グルマップで最寄りのバス停に降り、お城を探しながら現地に向かった。



     宇土城  (近世)


 小西行長は肥後半国17万5千石を受領し、宇土古城の東にこの宇土城を築いた。 関ケ原合戦で西軍に属したことから東軍の加藤清正に攻められ開城した。 清政の隠居城として整備された。 清正の死去に伴い破却される。 その後1632年に加藤家は改易となり細川氏に変わる。1637年島原の乱に小西の浪人が加担したことから、幕府は西国の廃城の徹底的破壊を命じたので、ここの荒廃が進んだ。

 
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  城下町を持つ総構であった



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  石垣、  清正の改修によるものと言われている



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  城跡公園にある小西行長像



          八代城と麦島城        



    宇土古城


 菊池氏か宇土氏により作られたという。 隣の宇土城(近世)よりは城跡らしい。 千畳敷という主郭と三城とで構成されていた。

  
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  虎口



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   横堀 その上は千畳敷といわれる主郭



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  建物跡



       2023-8-1


posted by はやめ at 04:47| Comment(0) | 日記

2023年07月30日

油津  宮崎




  内之浦にてエンジンの回転計の故障に気が付き、油津ヤンマーの代理店に電話して修理を依頼した。 ヤンマーの事務所の前の岸壁に着け、すぐに修理をしてもらい無事回復した。

 夜中より胸に違和感を感じ、すぐに入院して5/10より6/8まで滞在することになった。漁協、ヤンマーエンジニアリング、末永電機マリンの方々に長い間お世話になりありがとうございました。



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  赤丸は停泊地、 青丸AとBは候補地

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 赤丸 停泊地

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 青丸A 候補地

 赤丸の岸壁は20トンくらいのまぐろ・かつお漁をする漁船が休養に使用しているようだ、入院ゆえに長い停泊をしてしまったが、ここには岸壁に梯子が設置されていないので2m以上の潮汐があるのでヨットへの乗り降りは時間制限がかかる。  青丸岸壁にはハシゴが2か所あるので、そこへ付けるのが正解であると思える。 他に内港の白いタンクの後ろ側(青丸)に外来船ようの岸壁がある。ス−パ−、コインランドリー、ガソリンスタンドあり。

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 油津は宮崎県の歴史ある天然の良港です。 飫肥藩の飫肥杉の積み出しのため堀川運河、江戸時代初期に開削された。


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 大正10年建築の赤レンガ館、  競売にかけられていたのを街の有志30人で買取り保護したという

 


              2023-7-31

posted by はやめ at 03:06| Comment(0) | 日記

2023年07月29日

天草 姫戸

2023年07月29日
天草 姫戸
            


  宇土マリ−ナから三角の瀬戸を抜けて八代港には適当な泊地が見つけられなくて姫戸に入った。 フィシャリ−ナ天草へも行きたかったのであるが、これも三角瀬戸を抜け、天草の橋をくぐっていく方法が見つけられずに断念した。 橋高が足りないようで16m以下のところ自艇を抜けた記録が無い。 確かな情報に接することが出来ればあるのかもしれないが。



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  赤丸は停泊地  青丸は候補地


  漁船が利用するポンツーンがある。 漁協の許可がなかなか下りないので避けた。 翌日まで観察していたが、一杯のようでもなかった。また、その横に利用されていない浮桟橋(青丸の位置)があるが、ここも利用はされていないようなので可能な気がする。けれど陸への乗り降りには少し苦労するかもしれない。 近くにス−パ−があり買い物には不便がない。



            2023-7-30

posted by はやめ at 15:49| Comment(0) | 日記

2023年07月27日

日野江城

    


  訪れる人が少ない。 城跡としてはかなり大きく有馬氏の居城であった。 鎌倉時代に時代に築城され、1496年に支城として原城が築かれた。有馬晴信は1582年に洗礼を受けてキリシタン大名となる。近くに有馬セミナリオを建設。晴信の朱印船は数多く渡航したという。晴信は島津氏について龍造寺軍を破り、秀吉に従い安堵される。江戸時代になり日向に転封となり去る。しばらく天領となっていたが、1616年松倉重政が入封した。当初はここを居城としていたが、島原城を築いて廃城とした。



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  日野江城




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  縄張り図    安土城のような階段があった



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  本丸へ



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   本丸




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  二の丸と本丸




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  石碑  日野江城浦口





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  有馬セミナリオ跡




         2023-7-29



posted by はやめ at 22:15| Comment(0) | 日記

志布志城と麓武家屋敷



 指宿から志布志城などへ行ってきました。 前日に鹿児島中央駅の観光案内所でここから志布志までの行き方を尋ねた。 JRで宮崎まで行き日南線に乗り換えて志布志まで行くのが良いと教えられた。 さすがに鹿児島へヨットで初めて来たとはいえ、おかしいと思えた。医者のセカンドオピニオンではないけれど、階段を下りた駅前広場にもう一つの案内所があり、そこでも訪ねた。垂水へフェリーで渡りそこから志布志行きのバスがあると云います。 それのほうが安くて早いと思われ、翌日にその経路で志布志に行ってきました。正解である。 後日に日南線の油津駅で志布志行きの時刻表を見る機会があったが、志布志へ行く列車は日に5−6本でした。 先の案内所で教えられたルートで行っていたら、どこかで宿泊を余儀なくされたであろう。 JRの職員の案内所であったかもしれないが、自社の利益優先の案内で、とんでもないものであった。 真に受けるのも注意したいものです。 志布志は鹿児島県といえども交通網は宮崎の影響下にあるのも事実でしょう。

 志布志城は内城、松尾城、高城、新城を総称している。


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  内城は案内板が要所に立てられているので、分かりやすい。 他の城には訪れることはできなかった。 松尾城には登り口が見られた。 行けないところもあるようである。



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   内城 縄張り図



 

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  復元模型





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  内城本丸登り口 



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  新納時久墓   矢倉場


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   松尾城登り口




 

       志布志麓 武家屋敷


 麓武家屋敷はお城近くにいくらかの通リがあって、町割りがしてあるところが多い。 ここは城近くではあってもそのようにはなっていない。

 下の写真のように門前に紫の旗が立っており、その存在を明らかに示している。 平山邸、清水邸、福山邸、天水邸、島濱邸などきれいな庭園がみられるが、 小生は指宿から来たので時間に限りがあり、その多くを見ることができなかった。



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  天水氏邸



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   天水氏庭園



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  平山氏庭園



    2023-7-28


posted by はやめ at 03:27| Comment(0) | 日記