2021年01月18日

青木城・小丸城


 因島の城 その2 

    小丸城


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  因島村上家の第2家老稲井氏の城。居館は現在の対潮院にあった。いつものように何人かの人を煩わせた。ありがとうございます。地元の人にも古い人はともかく若い人には小丸城のことは伝わっていない模様。  裏の墓地への階段を登って行く。 途中に南北朝の戦いで釣島箱崎箱崎浦合戦の供養碑があちこちにある。 海上戦とも言われる戦いで亡くなられた方がここに弔われたということであろうか。 その時に今のような墓地があったわけではなく、この城もあったかどうかは分からない。 山頂と思われるところまで墓があった。 それより歩行困難であったので終わりとした。

 ここは海岸近くというわけではなく因島の東岸や西岸への好立地であるので、求めに応じて加勢するためのものではないでしょうか。



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 墓地の裏の山が小丸城跡


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 登り口  対潮院の裏


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 あちこちにある釣島箱崎浦合戦で戦死者を弔う碑


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 本丸と思われるところ





   青木城


 一昨年に弓削海の駅でヨットの漏水事故が起きて、その修理備品を待って5日ほど滞在した。 部品を引き取りに隣の島因島マリ−ナに出かける。 行く途中で青木城の案内板を見つけたが、先を急いでいたので残念を持ったままであった。 今回は自転車でここを訪ねた。



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 青木城と付け城の馬神城



 1567年に因島村上氏6代村上新蔵吉充が向島余崎城より青木城へ移った。 吉充は信長と対戦中の石山本願寺へ兵糧を掘んだことで知られている。

 ここは三原の瀬戸を押さえる位置にある。青木城は海に囲まれた海城であった。 昔の地形が定かではないが隣の馬神島であった。海峡を隔てたそこに出城の馬神城があった。今回はそこへ訪れていない。


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 模型


 
 本丸から続く北側に大手門、東へ尾根つたいに2の丸、3の丸、搦手と続く。


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 この理容店の横を登っていく



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 青木城  標高51m



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 石垣



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 本丸の柱石



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 本丸にある竜王神社  ここで昼食する


 帰りには自慢のオリンピックで購入したフリ−パワ−の自転車がパンクした。 あいにく日曜日で修理が出来ず。 タクシ−を呼び、折りたたんで後部トランクに積み、土生港へ行き、連絡船で弓削まで帰った。



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 パンクした自転車


      2021-1-18


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2021年01月16日

美可崎城・千守城・島前城  因島


 因島の城 その1  美可崎城・手守城・島前城


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 美可崎城、千守城、島前城

 ヨットを係留した弓削海の駅より船に積んでいた自転車で因島城探索に出かけた。 上弓削よりフェリ−にて(自転車100円)因島家老へ渡る。

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 上弓削の因島家老間の上弓削 フェリ−乗場

  美可崎城

 因島東岸を走って地蔵鼻へ向かう。そこは恋人たちの聖地とかであるが、今回はそこにはいかず岬の先端に美可崎城を訪ねた。

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 美可崎城の入り口ゲ−ト


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 美可崎城図

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 本丸へ

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 本丸から向島を望む


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美可崎城  船隠し

 美可崎城は因島村上海賊の家老南氏が金山氏に通行料を徴収するための見張り城であった。 鞆の浦や尾道からの船を見渡せる位置にある。
石田造船のある道を登ってきたのだが、ここの帰りは反対側の道を一気に下って降りた。



  千守城・ちもりじょう


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  千守城

近くの千守城に向かう。なかなか登城口が分からず、いつものように地元の数人に尋ねた。安楽寺の傍から登って行く。気を付けていくようにと注意を受けたが案外と険しいものではなかった。 標高79mの地に本丸を囲んでほぼ円状に4段に築かれている。石垣の残っているものと井戸を見つけた。 山頂の本丸には社が祀られている。
南北朝の時代に竹原小早川氏の一族が居城し、戦国期には因島村上氏の家臣篠塚貞忠の居城という。


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 安楽寺


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 縄張り図


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 石垣


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 井戸


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 千守城本丸からの眺望



     島前城と亀島城(出城)

  因島南部に東岸から西岸へ島を横断する道路があり、そこを自転車で走行する。 途中大山神社がありガソリンスタンド横に釣島箱崎浦の合戦跡の碑を見つけた。 釣島は今は鶴島と呼ばれている。 新居浜大橋で述べた村上海賊の祖が死亡して娘婿と言われる今岡通任が因島へ進出、島前城に本拠を構えた。 信濃の国より村上師清は瀬戸内に下向した。讃岐塩飽を支配し能島に進出。
鶴島箱崎浦の海戦で勝利して因島に上陸し今岡方の武将を破り義弘の明晰を継いだ。この村上師清が能島・来島・因島の村上海賊の祖となる。
 

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  釣島箱崎浦合戦地図

  いつものことであるが、ここもたどりつくにに苦労した。すぐ横の崖の上にあるとわかっているのだけれど何人かの人に尋ねた。
ここだと思って登って行った山は隣の山だったようで藪を書き分け書き分けて行ったところはテレビアンテナを引いているだけの山頂であった。


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  間違えた登山口



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 島前城跡配置図。田中稔「因島史考」による


  因島市民会館と芸予文化情報センタ−(図書館)で尋ねて図書館の横の階段を上った空き地だとわかった。

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 海岸道路から見た島前城


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 本当の入り口  土生町図書館横


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 本丸


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 北西方を望む

 島前とは海峡を挟んで亀島がありそこに出城の亀島城があったがゆえの名称であろうか。

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 亀島城

 
     2021-1-16

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2021年01月09日

新居浜大島と新居浜マリ−ナ


1. 新居浜・大島

 
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 赤丸 ヨット係留地



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 旧港 連絡船乗場


  川之江から新居浜・大島へ向かう。 ヨットの係留場所は連絡船乗場のある旧港に行けばそのスペ−スは無かった。 予定どうりの新港の漁港物揚場岸壁に係留した。
瀬戸内ゆえに潮汐は3mほどの高低があるので、乗降りを考えてゴムはしごのある位置にヨットを着けた。 地元の人に係留の可否を問うたが、空いているようで3−4日はOKとのことでした。



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 新港 係留場所

 村上海賊の発祥の地ゆえ大島城と街並みを散策した。


 2. 新居浜マリ−ナ


 翌日はすぐ近くの新居浜マリ−ナへ向かう。 瀬戸内海をヨットで西航する際には小豆島や仁尾マリ−ナから弓削海の駅ないし今治海の駅へいくのが妥当な航路であると思う。従い川之江や新居浜によることは少ないでしょう。 新居浜マリ−ナでは水と電気の補給ができます。 しかし電気代が1時間100円と以上に高く、冷房でも使用するのでなければ早くバッテリ−をフルにして切り上げたいところです。 町への交通は案内所でよく聞いておく必要があります、不便です。 シャワ−の利用もできます。

 

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 大島と新居浜マリ−ナ



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 ゲストバ−ス・給油さんばし



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 マリ−ナ

 ここでは1日で3つの城跡をめぐった。


      2021-1-9

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2020年12月09日

讃岐広島




 香川県にある中部瀬戸内海の広島へ行きました。 ヨットで備讃瀬戸をよく航行したことがあるが、讃岐広島は比較的大きな島で沖から眺めるとビルもあり一度訪ねたいと思っていた。
ちなみに、発音は「ひろ↑しま↓」と発するようで広島県のは「ひろ→しま→」は平坦に発声するという。





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 丸亀沖の備讃広島



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 江の浦  赤丸は停泊位置



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 連絡船の反対側に係留



 讃岐広島は丸亀市に属するので丸亀より江の浦への連絡船がある。その反対側のフロ−テイング桟橋に今回はヨットを係留した。 1年ほど無駄に積み込んでいたフリ−パワ−の自転車をすぐに桟橋に降ろして島1周をもくろみ意気込んで、まず時計回りで東海岸へサイクルする。



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 広島案内図



 江戸時代の廻船問屋であった尾上邸を見た。 すぐに坂道が続くようであったので、早くも東岸よりにて島一周するための北上を断念して引き返すことになった。



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 城を思わせるような尾上邸



 南岸沿いに行く。 沖からからよく見えていた小中学校は10年前に廃校になっていて、どうりで校庭が静かな訳だ。 大きな島の割には人口が少なく450人ほどである。



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 元小中学校  現コミュニテイセンタ−



この島は青木石の採石で有名、あちこちに関連の施設が見られる。



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 青木石の採石場



 かって海技試験を受けてものにはなつかしい、試験によくでる問題には備讃瀬戸の航法がある。  海上交通安全法施行以前であったと思うが、「波節岩(はぶしいわ)を左舷にみて航行する」は必須の知識であった。 その岩礁と灯台が大島の南岸沖1kmにある。



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 波節岩 灯台



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 大島西岸からの風景




     2020-12-9



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2020年12月07日

プロペラ交換

  
 小生のヨットにはレース使用のゴリのフォ−ルデイングプロペラを装備しています。それはセーリング中でエンジン不使用の時には、折りたたんで水中抵抗を減じて船速を上げてくれるスグレモノです。 しかし、プロペラ効率が悪いのとアスタ−ン(バック)が効きにくいので、また、己の操縦ベタもあり、着岸作業に苦労していた。 わが艇は31fもあるにも関わらず、27fクラスのヨットに簡単に横を追い越されて不満に思っていた。

 2年ほど前に広島で上架した時、業者に3翼の固定プロペラに交換する概算を聞いたところ6万程で上架期間が少し長くなるとのことであった。 その後、係留地は岡山へ移った。そこで今秋にプロペラを交換することにした。 今春にはペラを2万円ほどの費用で取り外し、事前に計測をして秋の作業を効率よくするよう準備する。
 10月21日に上架し、ゴリプロペラとシャフトを取り外して新プロペラシャフトと新プロペラを注文。 10月30日にプロペラ交換作業終了。10月31日下架。そのため要した上下架期間は11日で、作業日数は1.5日であった。途中2日ほどで船艇塗料の1回塗りを終えたので、部品到着待ちの日数7日は幸いにもGoToキャンペ−ンを利用して岡山周辺を観光することになった。 上架中はホテル泊になりその費用も大変であったが。今回は35%引きになり助かりました。
 問題は費用が予定よりかかり過ぎたことで、宿泊代を除いても22万程要した。 シャフトやカットレベアリング2個などプロペラ以外にかかったこともある。 最初からこの費用がかかると分かっていたら、今までのバックの効きが悪い、速度が出ないのをガマンしたかもしれない。 今回のペラ交換の成果による速度上昇は0.5ノット程度であった。

 今後の反省点をまとめると
1.  事前の計測がその後の部品注文や作業日数の軽減に役立たず無駄に終わった
2.  費用の見積もり概算をはっきりとさせておくべきであった。
3.  上架中は宿泊代がかかるので、日程管理も大事である。


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 交換前のゴリ フォ−ルデイングプロペラ


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 交換後の3翼固定プロペラ


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 左から 樹脂製軸中間新カットレスベアリング、 スタフィンボックス内のカットレスベアリング樹脂製とゴム付き樹脂製


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 樹脂製 軸中間カットレスベアリングの抜出作業  ボルトナット4本で慎重におこなう


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 新しいステンレスプロペラシャフト(25mm)と交換した真鍮プロペラシャフト

 先のオ−ナ−は良くしてくれていて。今回も交換作業をやってあげる申し出があったが、その際にはプロペラの交換だけでかなり安価に出来たであろう。しかし、余り甘えるのもできずに業者に頼んだ次第である。 業者は良い人で昼も食べずに専念してくれました。 すべての結果にはオ−ナ−が負うべきものであるのでしょう。

 尚、交換したフォールデイングペラヤシャフトは船内に保管しています。もし次のオ−ナ−が必要としたときのために。
 

     2020-12-7

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2020年11月25日

2020年  秋巡航



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 秋の巡航 航路


武漢かぜの第2波が落ち着いた台風明けの10月中旬に倉敷に向かう。春巡航ではエンジン修理に時間を取られてクル−ズを逸してしまいました。 今回もプロペラをレ−ス用から巡航用に交換するために10日間余をとられる。 マリ−ナでヨットを上架中にはホテル泊になり、幸いにもGoToキャンペ−ンを利用させてもらう。 部品の受け取り待ちで作業も無かったことにより、お城めぐりや温泉につかるなどカミさん共々充分に楽しむことができました。  後半の期間はクル−ズにあて中部瀬戸(瀬戸大橋としまなみ海道橋の間の瀬戸)を航海することができた。


 訪ねた温泉

 1. 倉敷温泉ホテル

 2. 岡山温泉ホテル

 3. 湯の郷温泉ホテル

 訪ねた城跡

  岡山城と他に17城

 訪ねた歴史地区

  閑谷学校、矢掛の街並みと本陣


2020年 日程

10/16  岡山 倉敷来る
10/17  エンジン、バッテリ−点検
10/18(日)
10/19  下津井船具屋
10/20  上架準備
10/21    上架開始  プロペラとシャフト離脱、  カミさん到着、  倉敷泊
10/22  上架  船艇塗料、  倉敷泊
10/23  上架  大原美術館、  倉敷泊
10/24  上架  岡山城、   岡山泊  
10/25 (日)上架   閑谷の学校 、岡山備前の湯 泊
10/26  上架   後楽園、 バスにて   湯の郷温泉泊 
10/27  上架  美作歴史資料館、 三星城、     湯の郷温泉泊 
10/28  上架  JR姫新線と津山線にて岡山へ、 JR伯備線と井原線にて 備中矢が掛町なみ、   岡山泊  
10/29  上架 JR赤穂線と山陽線にて  備中福岡城、備前新庄山城、沼城・備前亀山城、     岡山泊  
10/30  プロペラ交換、    岡山泊
10/31   上架終了、  カミさ 帰宅  倉敷着
11/1(日) クル−ジング準備
11/2  早島城、早島陣屋、天城陣屋
11/3  クル−ジング準備
11/4  黒山城、 本太城
11/5  2020 秋巡行開始  倉敷  讃岐広島着
11/6   讃岐広島 仁尾着
11/7   仁尾泊
11/8(日)  仁尾泊  町営バス休日
11/9  仁尾 川之江着  川之江城
11/10  川之江  伊予大島  大島城
11/11  伊予大島  新居浜マリ−ナ着  富留土居城・岡崎城・金子城
11/12  新居浜 魚島着
11/13  魚島 弓削着
11/14   弓削泊  美加崎城。千守城、島前城
11/15(日) 弓削泊  小丸城、青木城
11/16  弓削  北木島着  ジブセ−ル修理渡し
11/17 北木島発 手島経由 倉敷着   2020 秋巡行終了 
11/18  タラップ制作
11/19  タラップ塗装
11/21  ド−ジャ−修理
11/22(日) ドージャ−修理
11/23    埼玉 帰る




    2020-11-25
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2020年09月17日

ヨットとWiFi



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上 Poket WiFi  、 下  Wimax2+


  
 10万トンの本船がWiFi接続のために陸に近寄り過ぎて座礁油漏れを起こすこの頃です。 インタ−ネットにつなぐことはヨットでも大事なこと・必要なことであるというのは言うまでもありません。

今まで小生はYAHOOの「pocket WiFi」と 「とくとくWIFi」を利用してきた。 それらは月に2000円から3000円強の費用でした。 無制限をうたっていたのですが、容量7ギガを超えると遅くて使い物になりません。

今年の前半は「どんなときもWiFi」などが派手な広告をして無制限をうたっていた。それらは最近は申し込み停止になっている。 利用者が増えれば使えないようですね。 テレビで宣伝しなければよいと思うに。

 小生はスマホに「OCNモバイルワン」をメインにしています。データ容量3ギガ/月ですが、未使用分は翌月に繰り越しできる。普段は通話のみなので、ヨットで使用する時には6ギガの容量のタイプを利用できます。 これでも、クル−ジング中に足りない。 今度の秋のクル−ズ用に、190円/月からの従量制で15ギガ容量まで使える日本通信・bmobile「190PAD SIM」のデ−タシムを申し込みました。
 今までは年に2-3か月のクル−ズ期間中使用に、毎月に3000円強の定額費用を支払ってきた。おまけに,どちらも縛り期間内に解約した。 これらの運用は適切とは言えなかった。  大手に入って月に6000円以上を払うつもりもありません。

 今度のWiFi契約は解約金がゼロなのでイヤなら変えられる。 家では「光」に入っているので、容量に気を使わないで済むし、ヨットのみのWiFi利用になります。 機種アップしたときの古いスマホにSIMを入れ、デザリングにしてWiFiをしています。

 GPSは現在のヨットには必須の航海機器です。 New-pecソフトをノートパソコンに入れて使用しています。 それにはGPSを内蔵していないパソコンゆえに、外付けGPSになり、そのせいもあり動作が不安定な時がみられます。 また、キャビンに降りて動作画面を見るのもめんどうで、現在の使用環境はイマイチです。 パソコンNew-pecはWIFIにつながっていなくても使えるようですね。 

 予備ナビゲ−ションとして、スマホに「NAVIONICS」ソフトも利用しています。それは入港までは十分利用できますが、九州の狭水道を通過するときには灯標位置が逆の時もありました。 それには海外チャ−トを使っているようなので、日本では完全なものではありません。

 また、コックピットでハンデイに利用するのに「海釣図V」も利用しました。これは釣りにはよいのかもしれませんが航海図としては見にくいです。沖合の定置網の位置を知るのには役立ちました。これは New-pecファミリ−のひとつでその資料・チャ−トを利用しているからです。 

 いろいろ経緯を経てきましたが、今度のクル−ズにはアンドロイド8以上で使えるNew-pec smartを使おうと思っています。 これらはその使用に電池を多く使うためか、入港間際で電池が切れたりしたことがあったので、注意が必要です。そのため、予備の太陽光で充電するサブバッテリ−も準備しています。

 C-mapもダウンロ−ドしましたが、それをこれから検討中です。 潮流もネットで探せます。気象には「Windy」。 泊地を検討するにはGoogl mapの 航空写真なども便利です。 これらの利用にはヨットのWiFiが必要です。

 特に重要なのは、何かの時には一度にすべてが利用できなくなるのも「ヨットの性」、海図や地文航法なども留意しておきましょう。



                 2020-9-17





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2020年07月31日

燃料漏れ



 昨年はオイル交換を自分でした。 今回はオイル交換と燃料フィルタ−の交換を業者に頼んだ。 クル−ズ出発日に発行前点検をしたところ、油漏れが見つかり修理をしてもらう。

 最初は燃料フィ−ドポンプの部分から垂れて漏れているように見えたので、このポンプを新品に取り換えた。

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 燃料ポンプと漏れ箇所



 修理完了までに時間を要し出発予定時刻を過ぎた。 従い下津井瀬戸の潮流が逆流になり通峡中には船速は1ノット台になったが、何とかそこを無事通航する。 それでも、目的地・白石島まで1時間ほど余分に時間がかかり入港した。

 着岸後にエンジンの点検をしたところ、ビルジ溜まりに軽油が1cm位貯まっていた。 修理がうまくいっていないようだ。 これより先のクル−ズプランを断念して母校・倉敷へ帰ることにした。 帰港してから、業者を呼んで再度修理をしてもらう。 上図にあるポンプから燃料フィルタ−に続く鉄製燃料パイプの締め付けボルトが1/4ほど緩かったので、それが燃料漏れの原因だった。
 先日の作業で燃料フィルタ−交換の際に、業者はエンジン本体より燃料フィルタ−ケ−スとそれを接続している鉄製燃料パイプをはずしてフィルタ−を交換した。 元に戻す組み立ての際にボルトの締めが甘かったようだ。1/4程ゆるかったので最後までガツンというところまでボルトナットを締めなければならなかった。

 教訓をひとつ、ポンプあたりに起こる漏れは、他の原因でもここに漏れが集まりやすい傾向がある。それを見つけた場合は、そこに至る部分からの漏れがその原因になることに留意する。

 デイ−ゼルだから軽油漏れでガソリン漏れではなかったが、漏れに火が付くことがなく幸いであった。 エンジンを普段からキレイにふき取っておき漏れに速く気が付くようにしておくことが大事だ。


    2020-7-31


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2020年07月29日

白石島

     

 北木島には「ゆうこうまりん」のセ−ルロフトがあり、昨年に楠港に着けてメインを担ぎ持ち込み修理してもらいました。 その北に白石島があります。 白石島の新港が東岸にあり係留した。 そこはフェリ−・連絡船乗り場のある旧港に比べれば広さもあります。 しかし、意外とヨットを着ける場所が見当たりません。 港内でぐるぐる航走しながら探していました。 たまた同時期に入港した漁船が見かねてポンツ−ンに駆け寄って来て、“ここへ着けよ”とモヤイを取ってくれました。 親切な地元の人に感謝です。 ここに3日間ご厄介になりました。

 到着後にエンジンの点検をしたところ、出港前に業者を使って修理してきているのに、燃料漏れが見つかる。 ビルジたまりに1cm位の軽油が溜まっていた。 従い、これからのクル−ズは断念する。 プランを変更し、気も取り直して、鞆の浦、真鍋島に行くことにした。フェリ−と高速連絡船を利用してそれらを訪ねました。 



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 白石島と北木島 地図






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 連絡船乗場 付近



 係留期間中の漁船の動きはほとんど見かけずに、現役の漁船が置いてあるようには見えなかった。 微妙な間隔で係留していて、槍付けするのならスペ−スがありそうです。このポンツ−ンの横に漁船を上げるスロ−プまでの間には横付けできるスペ−スがある。 まあこのポンツ−ンが使用可能ならベストです。




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 新港 ポンツ−ン  左の大型漁船に伴抱きも可能とのこと、 左にあるスロ−プとの間にも横付けできそうです。


 この赤いポンツンに係留






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 ヨットも3隻ほど係留している。



 ここより「連絡船のりば」へは徒歩10分くらいで行ける。 お風呂は無し、買い物は地元の小さいお店がある。 ガソリンスタンドは見かけなかった。


     2020-7-29



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2020年07月21日

真鍋島 ヨット泊地



 白石島から高速船に乗り真鍋島へ行ってきた。 真鍋城とヨット停泊地を探る目的であった。


 真鍋島・本浦港の桟橋で船を降りて、海岸沿いの道を城山方面に向かう。 途中で同じエプロンをしたお地蔵さんを数か所で見かけた。信仰の厚い島民がいるようだ。静かな佇まいで車や人に会うことは少ない。 普通船だと岩坪港に寄港する便もある。






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  笠岡諸島  白石島から真鍋島航路  (笠岡−高島−白石島−北木島−真鍋島)









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 真鍋島案内図






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 真鍋島本浦港 高速連絡船乗り場  中央緑の桟橋




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  道端のお地蔵さん




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 岩坪港 普通連絡船赤桟橋



 都会からの移住者が建てられたのか、デッキのあるシャレタ家の住民に城山への道を尋ねる。この横のみちを登って行けると教えてもらう。

 この島を支配した藤原氏を由来とする、また。島の名前にもなった真鍋氏のお墓だという五輪の塔を見る。


 真鍋島移住案内サイト
 https://manabeshima.life/





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  五輪の石塔群  真鍋氏の墓と言われる  



 そこから道なりの道を登っていくと畑のあぜ道に迷い込み、帰れるかと焦ってしまう。  何とか引き返しておばあさんに会い、道を教えてもらいました。 しばらくして案内板がある。




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 城山案内板



 さらに登っていくと、遊歩道は草に覆われて見分けがつかない。 連絡船切符売り場に用意されていた杖を借りていたので、小雨用に持っていたかさと杖を持ち両手で笹をかきわけ搔き分け分け前進する。やっとの思いで着いたところは名も知れぬお墓だった。そこも道を間違えたらしい。  城山展望台(備中城山城)断念してもどる羽目になった。 そこから遊歩道を南下して備中真鍋城も訪ねるつもりであったが、これも行くことができなかった。

 後で連絡船の関係者にこのことを話して尋ねたところ、年に1回ほど遊歩道の草刈りを実施するが、そのあと1か月くらいで草が生えてきて元の木阿弥になるのだそうだ。





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 草に隠れた遊歩道



 本浦の連絡船乗船所にもどり帰りの便まで1時間ほどあったので近くの街並みを見学した。 真鍋氏の本宅は空き地になっていて立て札があるのみであると聞き、分家の真鍋宅を訪れる。 ホルトノキが軒先にあります。




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 真鍋邸 国指定登録文化財  現在は居住していない





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 ホルトノキ 

  ホルトノキは、熱帯〜亜熱帯性の常緑高木で、暖かい海岸沿いに自生しています。
ホルトとはポルトガルの意味で、昔、果実の形がオリーブに似ているために誤認され、名付けられた呼び名という説があります。 




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  街並み





   真鍋島 ヨット泊地



 本浦港は狭いので適当なところはない、入って左側に青い県営ポンツ−ンがあり、定期船が利用していないのなら、利用していてもその反対側は着けられそうである。



 マリンドライブさんの報告では漁火で宿泊・飲食するようなら、お店の桟橋に着けられるといいます。下記にサイト添付。



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 県の公共青桟橋



 真鍋島 ヨット停泊レポ−ト  マリンドライブさんによる  漁火 0865-68-3519
 http://www.marine-drive.net/%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%94%e3%80%80%e7%9c%9f%e9%8d%8b%e5%b3%b6/


 岩坪港にはコンテナクレ−ンらしきものがあり、あまり利用していないようなので、その近辺で着けられる可能性はあります。

  

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    岩坪港 コンテナクレ−ン?



 他に島宿「三虎」に専用桟橋があるので、天気の良い時には付けられそう。


     2020-7-21



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2020年07月18日

倉敷・美観地区


 大原美術館のある倉敷へは前々から行ってみたいところであった。 ヨットの上架船艇塗りで宿泊を必要としたことから、倉敷に宿をとった。 ちょうど第1次コロナの減衰期にあたり縛りが解けたので、ありがたいことに半額でホ
テルが利用できた。 上架作業を終えて夕方より美観地区を見学する。 ここ3年程に瀬戸内に在るいろいろに街並み保存地区を小生は見てきたつもりである。規模やその質はそれらに比べてこの美観地区が高いものであると思う。 今後もここを上回るものを探しても無いと思われる。

 倉敷は天領であったので、米を倉敷川を利用して集積し、江戸に船で運んでいた。 また、玉島で述べたように、この地方は綿花の栽培地であったので維新後に倉敷紡績(クラボウ)が起業して発展した。 クラボウの社主・大原総一郎が街並み保存を思いつき現在のようになる基礎を築いた。大正の時代から保存に力を尽くしたので、これほどになったのでしょう。

 欧米の美術館も最近では比較的容易に見られる状況になり、毎年のようにそこから借りてきた作品の美術展が開催されている。それで、大原美術館の見学は今回は時間的に限られたゆえに見送った。 また、年に1度は船艇塗りを行うゆえ別の機会に譲りたいと思う。



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  美観地区入り口


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 倉敷川左岸間所の街並み


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 大原美術館


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 名の知れない裏道り


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 アイビ−スクエア入り口


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 アイビ−スクエア


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 本町街並み


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 有隣荘  大原家旧別邸


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 国指定重要文化財 旧大原家住宅



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 中橋と倉敷考古館


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 倉敷川左岸の街並み


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  倉敷館


    2020-7-18


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2020年07月17日

児島ビジタ−バ−ス



 岡山県倉敷市・児島で観光港でビジタ−バ−スの運用が始まりました。そこは今まで余り使用されていない桟橋・ポンツ−ンであったので望まれていました。

 JR児島駅の近くにあり、乗下船に便利であり、ジ−ンズの町や鷲羽山,野崎家旧宅など観光スポットがあります。

 電気と水の補給できないのは残念である。これらが整備されれば、弓削や上関のように「ヨットの聖地」と呼ばれる条件はそろてっている。ここは弓削に40マイルと好立地であリ、弓削の前の停泊地となるであろう。 また、長さが60m(喫水2.7m)あるのでメガヨットの利用も可能である。



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  観光港ビジタ−バ−ス入り口の案内板



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 ビジタ−バ−ス  ポンツ−ンの後ろ側半分のスペ−ス・3号桟橋

 

  利用には事前予約が必要である。 児島観光待合所 0830-1715受付 電話 086-473-0920、 FAX 086-473-4184(申請書) 

  係船料金 総トン数1トンにつき6.6円  (安価であるが試行料金)


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     2020-7-17


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2020年07月11日

鞆の浦


  日本最古の民家民家がある街



 初代のヨット速魚でこの鞆の浦の湊の中央位置に錨泊した記憶がある。はるか47年前のことになる。 新造した時に、造船所のある明石から係留地の宮崎・日向までの廻航途中で、とにかく初めて購入したクル−ザ−の航海ゆえ、不慣れで急いでいた。 夕方に来て朝早くには出て行く。アンカ−を上げるときにはヘドロが多く絡んきた、上陸せずであったので、この泥の記憶があるのみである。

  今度、ヨットで来るために係留場所を探してみたが、ふさわしいところは見つからなかった。 ここへ訪れたヨットマンによると、近くの仙酔島に係留して、今は帆船の形をしている連絡船で鞆の浦に来るという。 今回の小生の訪問は白石島にヨットを係留して、フェリ−(540円)で笠岡まで行き、JRで福山(240円)へ、バス(540円)にて鞆の浦に着いた。 それほど遠いとは感じなかった。

 

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 弁天島とその奥にある仙酔島


 瀬戸内の潮流はこの付近で東西からくるものが合流するといい。昔から潮待ちにふさわしい地であった。ここは古くから瀬戸内きっての湊町として栄える。 幕末には「七卿落ち」や龍馬が「いろは丸」の衝突交渉地としてこの地に立ち寄った。平賀源内の生き神様として祀った碑もある。


武田鉄矢が語る江戸期の海運と経済と龍馬といろは丸
https://www.youtube.com/watch?v=79k8yWOKhF8  30分



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  鞆の浦絵図




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  船具店の前に、知られてはいないが日本最古の民家がある。



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 日本最古の民家 秀吉の頃という 学術調査が行われた




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 龍馬滞在地、隠れ部屋があった




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 平賀源内の生祠




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  街並み その1




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 街並み その2




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 岡本家長屋門  福山城から移築された



 神功皇后が上陸された地に渡守神社御旅所がある。


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 渡守神社御旅所



 山中鹿之助の首塚とその横には悲恋斧語りの「ささやき橋」があう。

 

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  山中鹿之助首塚




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  ささやき橋  少し道路に段差がある程度で気付きにくい



 コロナの影響がまだあり、対潮楼といろは丸展示館は土日の開館に制限をしており、内部を見ることはできなかった。
 


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  対潮楼  よく紹介されて有名な場所である、ここから眺める景色はすばらしいと評判




 龍馬の乗った「いろは丸」は鞆の浦近くの海域で紀州藩の船と衝突沈没した。



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  常夜灯といろは丸展示館(中央白い建物)



    2020-7-9




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2020年07月04日

2020年 春巡航


  今年のクル−ズは5月からを予定していて、山陰へ向かい島根・鳥取・隠岐へ行くつもりでした。 武漢風邪騒動でその延期を余儀なくされ、瀬戸内クル−ズに変更しました。 しかし、エンジン故障によりそれも途中で断念することになる。 雨の日に修理・整備を中断して行く、徒歩旅行が結果的には中心になってしまいました。

 それで倉敷・玉島、津山、赤穂に行き、ヨットで行った白石島から連絡船等で鞆の浦、真鍋島へ行くことになる。 わずかヨットに乗船したのは1か月で4日余り、満足のゆくものではありませんが、雨天の旅行でも少しは楽しむことができました。



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5/30 午後  岡山・倉敷 マリ−ナ着
5/31 由加神社と蓮台寺
6/1  バッテリ−充電
6/2
6/3  上架  船艇塗り
6/4  船艇塗り、倉敷美観地区見学
6/5  プロペラ計測、 倉敷美観地区見学
6/6  船艇塗り終了
6/7  ヨット清水かけ清掃  下架
6/8  ホンダ発電機購入
6/9  オイル交換、フュ−エルフィルタ−交換
6/10  ブ−ムバング制作
6/11  玉島・倉敷訪問  街並み保存地区見学
6/12  
6/12  津山訪問  津山城、街並み保存地区見学
6/14
6/15  連れ合いのヨット乗船断念
6/16  スマホ修理
6/17  乗船用はしご 修理・塗装
6/18  赤穂訪問  赤穂城見学
6/19  
6/20
6/21
6/22  燃料漏れ見つける
6/23  修理部品注文
6/24  修理終え、 倉敷から白石島着、 油漏れ再発見
6/25  鞆の浦鞆城を見学、笠岡城見学
6/26  真鍋島見学 真鍋城見学断念、 白石島 開龍寺見学
6/27  白石島から倉敷着 燃料漏れ修理
6/28 
6/29 セ―リング
6/30  
7/1  倉敷から埼玉へ帰る



  2020-7-4






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2020年01月19日

下津井瀬戸と水島航路の横断


 瀬戸内海をヨットにて通航をする場合は、東航・西航するには備讃瀬戸や下津井瀬戸のいずれかを航海することになる。 バブル華やかしころに本船乗りをしていて、夜の宇高連絡船との行き会いは今思えば、美しくもあり緊張を伴う悩ましいものでありました。 宇高連絡フェリ−は昨年廃止されたので宇高東・西航路を航行する船は今では少ないでしょう。 当時はひっきりなしに連絡船が行き来していて、おまけに備讃瀬戸航路上にも同行・反航の内航船がゴマンとジュジュつなぎに航行しており大型船にとっては大いに注意を要した。



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 備讃瀬戸東 宇高東・西航路


 ヨットマンの聖地と呼ばれる弓削海の駅に立ち寄るヨットは多いでしょう。そこへ瀬戸内を西航する場合には、下津井瀬戸を利用できます。備讃瀬戸航路航路経由で行くときには大型外航船が多いので、それを避けたいと思うときに小型内航船の多い下津井を利用する。 下津井瀬戸は潮流が最大10ノットにのぼる時があるので流速には留意する。そのことよりも大きな問題は水島航路を横断通航することになるので、大きな注意が必要です。ここさえ抜ければあとは比較的容易に弓削に行けるでしょう。


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 下津井瀬戸と下津井瀬戸大橋


  航行・横断注意点

1. 水島航路には巨大船が航行する。進路警戒船が先導している。
2. 水島航路を横断した後でも六口島北東方向から倉敷港を出港して水島航路を通航しない本船がある。
3. 荷役待ちの錨泊船が多い。
4. 土地柄か引き船やプッシャ-が多い
5. 水島航路上船舶は優先される。こちらは航路横断船になる。行き会う船をすべてを避けるつもりで航行し、速度を調整するなどして特に航路中央での行き会い状態を避ける。
6. 70m以上の本船は行き先信号をマストに掲げている。信号所で出港・入港信号が点滅表示される。VHFでこちらに管制センタ−より指示があるときもある。VHFを備えている場合には聴取のこと。
7. 追い越される船になることが多いので追い越し船の追い越し信号に注意。後方は要注意。
8.衝突を回避するために相手船と左舷対左舷、右舷対右舷で航行する意思を早めにこちらが変針して伝えることが重要である。


 一時的にここを通航するヨットにとっては、この海域の海上交通法による法規を習熟するのは難しいでしょう。 ヨットにとって通航する際には空いたタイミングを計り通航する。また、多数の船が見えている場合でも衝突の恐れがある船は1隻であることから、それを避けていくことにより危険度の大きい船より順次対処することになる。 

 ヨットが優先権を主張してもしょうがない。何かあれば、小さいこちらに被害が及ぶだけです。


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 赤線は下津井瀬戸より水島航路横断


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行き先信号旗 汽笛を鳴らす地点 詳細は海上交通法による


  弓削から東航する場合には与島・500円と本島・笠島地区・1000円がおもしろい停泊地になる。


  2020-1-19

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2020年01月15日

海上 橋高情報



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 カタナ70  隣の我がヨットのマストと比べて倍の高さのマストですね


 「ヨットマンの聖地」と呼び声の高い弓削海の駅で70f余りのカタマランが隣に係留していました。マストの長さだけでも80f以上はあると思われる、このカタマランの米国人の青年キャプテインに、弓削島近辺の橋を通航できるのかと尋ねたところ、ほとんど不可能とのことでした。橋の架かっていない水路を航送するしかないようです。このクラスだと本船航路しか走れないのでしょう。

 チャ−トには橋の高さは記載されています。GPSの普及した今ではその一部しかヨットは持ち合わせていないので、事前にその橋の高さを知るのは難しい。 保安庁に電話して聞くのも厄介です。 橋に接近すれば橋桁の中央部分には海面からの高さの数字が書かれているのでそれをを知ることができます。 それゆえに速度を落として進み、ブリッジクリアランスより橋が高くなければUタ−ンするしかありません。

 最近では本船が大島大橋に衝突した事故がありました。
 大畠瀬戸 貨物船と橋の衝突
 http://hayame.net/custom14.html#spb-bookmark-535

 日本1周を何度もされた超ベテランヨットマンの伊藤さんが役に立つ橋高をまとめてくれました。
 
 橋の高さ グ−グルマップ
 https://blog.goo.ne.jp/oni2134/e/ceb5a7c6d4efddeb76d9c9a1cfe4fa11

   2020-1-15
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2019年11月24日

更新 ヨットマンのための海の駅と泊地


  ヨットマンのための海の駅と泊地 を更新しました。

  http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-41

      2019-11-24
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2019年11月23日

2019年 秋のクル−ズ

 東瀬戸内海をクル−ズしました。

 10/19  倉敷着
 10/20 より 整備 バッテリ−交換等
 10/24  雨のため 備中高松城 見学
 10/25-28 道板製作
 10/29  プロペラにカキ多し判明、 潜って一部取り除く
 10/30  上架してペラクリン塗装
 10/31  倉敷−北木島 メンセ−ルをロフトに持っていく
 11/1   北木島−倉敷
 11/2  整備
 11/3  ジブセ−ル補修
 11/4  カミさん到着
 11/5  下津井旧街、下津井城 見学
 11/6  メンセ−ルリペア到着設置
 11/7  倉敷発-牛窓ヨットハーバー  旧市街 見学
 11/8  牛窓-小豆島池田泊
 11/9  小豆島 見学
 11/10  小豆島−引田着
 11/11  引田旧市街、引田城 見学
 11/12  引田発−都志着「淡路島」 高田屋嘉兵衛記念館休館中
 11/13  都志発―木場ヨットハーバー「姫路」着
 11/14  姫路城 見学  カミさん帰る
 11/15  木場発−牛窓ヨットハーバー着
 11/16  牛窓発−倉敷着
 11/17  旧オ−ナ−と坂出で会う
 11/18  整備
 11/19  帰着

ほぼ1か月の期間でしたが、整備に時間をとられすぎました。 今までの記憶と違い、最近はこの台風明けのシ*−ズンは良い天候が続きクル−ズには最適な季節と言えます。 かっては11月は季節の変わり目で悪天候であったような気がしていました。

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  2019-11-23
  
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2019年11月20日

ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その3 〜セルジオとトムの冒険

 イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて   佐野

  マイケルは、セルジオの伴走を終えた後、アゾレス諸島を経由して、自分のヨットでイビサに戻る予定だったから、病身?で気力が失せたセルジオの回復を待ち、ヨットのセールをたたみ、定点で大西洋を漂っているわけにはいかなかった。4月の観光シーズン開幕までに、なんとしてもイビサに帰らなければならなかった。
オランダ人の彼女によれば、セルジオがボードに乗ったのは初めと終わり、途中で天気の良い時だけよ…ということになるのだ。お人好しのマイケルはセルジオの口車にマンマと乗せられたことのようだ。
日曜版新聞“サンデー・タイムズ”が主催した第1回目の単独ノンストップ世界一周ヨットレース(The Sunday Times Golden Globe Race;1968-1969)、当時としては斬新なトリマラン(船体の両側にフロートを付けたヨット)で出場したドナルド・クローハースト(Donald Crowhurst)が、アルゼンチンの湾に船をつけ、いかにも世界一周しているかのようにハム無線で交信し、他のヨットがケープホーンを回り大西洋を北上しイギリスに向かい始めた頃を見計らって、ドナルドがセーリングを開始した事件があった。
誰も観ている人がいない冒険、競技は、冒険を行なう者の厳しい自己規制が求められる。アラン・ボンバール(Alain Bombard)がゴムボートで、全く外からの助けなしに大西洋を横断したように、すべて独自で、外界から切り離して行うのでなければこのような冒険の意味はない。

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 カリブ海の英連邦王国の島、Saint Lucia(セントルシア)

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 オランダ王国の構成国、Aruba(アルバ)

 マイケルはカリブの島、セントルシアでセルジオを降ろし、すぐにアンティグアに向かい、そこのマリーナにヨットを預け、飛行機でイギリス経由、イビサに戻って来たのだった。 
その後、セルジオがどこで何をしているのかは知らない。キュラソー、アルバ(旧オランダ領のカリブの島)で、ウィンドサーフィンで大西洋を渡った男を売りにして、観光客相手のウィンドサーフィン・インストラクターをやっているとも耳にした。
後年、私が服部と中古のヨットを買い大西洋を横断した時、マイケルは親身になって、どこでどのような食料を仕入れるべきか、大西洋の向こう側では、どこの島の港が入りやすく、手続きも簡単であるか、などなど事細かく教えてくれた。

著者注:その後、ウィンドサーフィンで大西洋を渡った人が続出した。1993年にはTrans-Atlantic Windsurfing Race (TAWR).が発足し、伴走の船で寝、食べ、休息することが認められるようになった。どうにも、私のセルジオに対する評価は厳し過ぎたきらいがある。だが、常にサポートのヘリコプターが頭上を舞い、救援物資の投下を受けながらの極点旅行のような冒険に意味がないように思えるのと同じように、いつも伴走の船で寝て、食べて大洋を渡ることを、ウィンドサーフィンで大西洋を渡ったと呼べるのかどうか、私は認めたくない。》

 十数年後、プエルトリコのマリーナでヨット暮らしをしていた時、大きなピンポンボールに奇妙なセールを揚げた浮遊物が私のヨットに横付けしてきた。

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 大西洋単独横断最小ヨット“BEATLES”とトム

 半球型のドームを開けて、ガリガリに痩せた男が這い出てきて、大西洋を90何日かけて渡ってきたと言うのだ。私たちの重く、遅いクルーザーで23日かかった距離をだ。彼はビートルズと同じリバプールの出身で、ヨットとも呼べない浮遊物も名付けて『ビートルズ』、これぞ本物の海のカブトムシようだった。
その当時、ギネスブックものの“大西洋を渡った一番小さな船”だったが、出迎えの人影すらなかった。数日後、プエルトリコの英字新聞に小さな記事が載っただけだった。
彼、トム・マックニールは、背筋を伸ばして寝ることもできない長さの船でタダひたすら漂うように大西洋を渡ってきたのだ。水は当時出始めていた手動ポンプ式のリバースオスモシス(Reverse Osmosis;RO)浄水器で海水を純水にし、食料はフリーズドドライ、後は釣った魚……。一体、人間はどこまで狭い空間と厳しい条件に耐えられるかの人体実験に挑戦しているようなものだ。
私たちは彼をヨットに呼び、たしか簡単なスパゲッティーをご馳走し、サンミゲール(ビール)とワインで到着を祝った。その間、トムは何かに憑りつかれたように喋りまくり、何を飲み、何を食べているのかさえ分からない様子だった。
それにしても、これほど聞き取りにくい英語、これが一体英語なのかと思うほど、彼が息せき切って話すことが分からないのには閉口した。そして、それが10時間以上続いたのだった。やっと彼はイギリスの家族に無事到着の旨を電話することを思い出してくれたのだった。
電話を借りるためマリーナオフィスに同行したが、当然オフィスは閉まっており、マリーナから歩いて15分ほどの距離にあるリゾート地区、イスラ・ヴェルデの大きなホテルに連れて行き、そこからやっと電話したのだった。
トム・マックニールの船は、もしアレを船と呼ぶなら、何度もの試行錯誤の上、自分でデザインし、自分で作ったとても頑丈な浮遊体だった。キールもそれなりに重く深く、転覆、一回転しても起き上がるようにできていた。実際、トムは何度も回転したそうで、まるで洗濯機のドラムの中にいるみたいだったと言っていた。
セルジオの派手な売名行為、スタンドプレイとトムの冒険は比較するのもバカらしい程の差がある。私は偶然から“ウィンドサーフィンで大西洋を渡った初めて?の男”セルジオの出発と“最小?のヨットで大西洋を渡ってきた”トムの到着に居合わせただけだ。
トムの冒険は、船を作ることに始まり、艤装(装備などの取付)、何から何まで彼自身が作り上げたものだ。こんな小さなヨットとも呼べないモノで大西洋を渡ることにどんな意味があるのだ、何のために…何の価値があるのだ、と問うのはチャレンジ精神や冒険心を持たない者の言うことだ。
トムの航跡はすべて彼独自のものだ。トムが漂った大西洋の1マイル、1マイルは彼の足跡そのものだ。私はそこに貴重なモノを見るのだ。人間は(と大きく出ましたよ)、自然と、そして周囲の他の人間と係わり合いながら自己を築き、歩んでいくものだ。その時に独自性、最低限の自足が基本になるのではなかと思う。独立していない人間には、本当の意味での自由がない理屈だ。さらに、チト理屈っぽくなってしまうのだが、“自由とは自分自身であろうとする意思だ”と思うのだ。
イビサ物語から離れたエッセーになってしまったが、こんなこともイビサに棲んで多くの人を見て、知り合って学んだことだ…と今にして思う。

   2019-11-20

 1−3回は「のらり」より佐野の記事の転載です。


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ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その2



イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて   佐野


 ウィンドサーファーのセルジオ一行と言うべきか、スポンサーの一人になっている『エル・モノ・デスヌード』のオーナー、マイケルのグループと呼んだ方が当たっているような気がするのだが、彼らは数種類のボードやハーネス、リグをテストするため、頻繁にロスモリーノスのビーチを訪れるようになった。

 さすがに、私は彼らと一緒に初心者用のボードに小さいセールで海に乗り出すことはしなかったが、野次馬の一人として、セルジオの長く大きな浮力を持たせたラウンドビルジ(底が半円形に丸くなっている)のボードをテストするのを眺め、薄手のウェットスーツや上半身だけ被うドライスーツを、ホウ、そんなものがあるのかと感心し、呆れて見ていた。

 セルジオはゴロタ石の海岸など全く問題にせず、クルブシほどの深さから、スイッとボードを押し出し、そのままマストを立て、風を上手くセールに孕ませ、アレヨという間に沖に出るのだった。セルジオがウィンドサーフィンを操るサマはアクロバットのようだった。
まるでボードにジェットエンジンを積んでいるかのようにボードのテイルフィンだけが海面に触れ、飛ぶように走らせるのだ。タックやジャイブもヒラリ、ヒラリと軽々と新体操の選手が棒の先に付いた長いリボンを操るように舞い、即座にスピードに乗るのだった。私はただただアッケにとられて観ていた。

 その時、私自身、後年ヨットで大西洋を渡ることになるとは想像もしていなかったので、セルジオとサポート船としてヨットで伴走するマイケルに、そんなことができるんだと、ひたすら感服した。


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へレス産の最高級ブランデー、Sanchez Romate


『カサ・デ・バンブー』で彼らはサンミゲル・ビール(San Miguel)に始まり、赤ワインはマルケス・デ・ムリェタ(Marqués de Murrieta)に突き出しのチーズ、そしてコーヒーにコニャック、ブランデーはカルロス・プリメーロ(CarlosT)かサンチェス・ロマテ(Sanchez Romate)で、いつも高級ワインとコニャックを開けた。今気づいたことだが、支払いはいつもマイケルがしていた。


 セルジオが出発する前の夜には、盛大な壮行会がディスコ『パチャ(Pacha)』でやるからとマイケルに誘われた。私は店を閉めるわけにもいかず、パーティーには行けなかった。翌日の新聞“ディアリオ・デ・イビサ(DIARIO DE IBIZA)”が写真入りで報じたのを観ただけだった。


翌朝、セルジオが出港というのだろうか、イビサを離れる時には、見送りに行った。丁度その時、日本から大学時代の朋友、服部が来ていたので、一緒に出発前の記念撮影に収まったのだった。


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 左端、ピンクのTシャツがマイケル、ブームに跨っているのがマイケルのガールフレンド、
ウエットスーツ姿がセルジオ


 見送りは至って簡素だった。“ディアリオ・デ・イビサ”の記者、カメラマンは昨夜のバカ騒ぎパーティーで充分だと思ったのだろうか、来ていなかった。それどころか、スポンサーのウィンドサーフィン・メーカーもディスコの『パチャ』の関係者もいなかったと思う。


 マイケルのヨットが機送で岸壁をゆっくりと離れ、セルジオもウィンドサーフィンの鮮やかなイロドリ、まるで広告塔のようにスポンサーの名前を貼り付けてあるセールを見せながら港を一周し、ヨットの周りをヒラリヒラリと舞いながら、遠ざかって行った。


 冷静に考えれば、大西洋を横断するのにイビサを基点にするのはオカシイことに気づいてもよいはずだった。出発は当然、ジブラルタル、もしくはカナリー諸島のどこかになるべきだ。それにセルジオがいくらウィンドサーフィンのエキスパートだったにしろ、水、食料をサーフボードに積むことは不可能だし、それに睡眠はどう取るのだ? 私には冒険の基本、海の常識すら思い浮かばなかったのだ…。


 第一に、ウィンドサーフィンとヨットではスピードが違いすぎることさえ気が付かなかった。なんとなく、同じ風で走るのだからセルジオがウィンドサーフィンを滑らせるすぐ脇をマイケルがヨットを走らせる光景を想像していたのだった。これは、ドーバー海峡を泳いで渡る人に合わせた遅いスピードで小さなパワーボートが伴走するのとは全く逆で、ウィンドサーフィンの方は容易に15ノット、20ノットのスピードでセーリングできるが、マイケルのクルーザーは順風満帆でも7、8ノット、最速でも10ノットを超すことはない。ウィンドサーファーは文字通り、アッと言う間に伴走ヨットの視界から消えることになるのだ。


 翌年の春、セマナ・サンタ(復活祭;イースター)の前に、イビサに戻り、シーズン幕開けの準備をしている時、マイケルと出会った。セルジオのことを訊ねると、「アイツのことは話したくない…」と言うだけだった。


 どうにも名前を思い出せないのだが、見送りの写真に写っている金髪で水色のTシャツを着ているオランダ女性とピーターのテニスコートのオープンパーティーで会い、その後何度かテニスの相手になってくれた。その時、彼女からセルジオのことを訊いたのだ。


 彼らはアリカンテ、マルベーヤ、ジブラルタルに寄航し、カナリア諸島のテネリッフェから大西洋横断に乗り出した。契約とも呼べない約束では、食料、水はマイケルのヨットが供給し、夕暮れとともにセルジオはヨットに乗り移りそこで寝る、ヨットはセールを降ろし、定点に留まり(海流と貿易風にかなりの速さで流されるから、こんなこと、定点に止まることなど不可能なのだが…)、翌朝、日の出とともにセルジオはウィンドサーフィンを続ける……ということになっていたそうだ。


 果たしてこんなヤリカタで大西洋を渡ることに何の意味があるのか分からないしろ、そんな風に大洋を渡る約束だった。ところが、セルジオは体調が悪い、胃腸の調子が良くない、筋肉がつる、風邪気味だと、何のかんのと言い出し、ヨットを降りてウィンドサーフィン・ボードに乗り移らなくなってしまったと言うのだった。



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 カナリア諸島の島、テネリッフェ

   2019-11-20

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2019年10月12日

ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その1



イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて 第88回     佐野
 
イビサで暮らし始めて2、3年経ってからだと思うが、私は中古のウィンドサーフィンを買った。なんせ、目の前に海が広がっているのだ、1時間の暇でもあれば、自分のアパートからボードとセールを担ぎ降ろし、ウィンドサーフィンを楽しめるではないか。 ほとんど理想的な場所に住んでいるのだから、やらない方がどうかしている…と思ったのだ。加えて、トップレスでビキニの下だけ付けた細身の女性たちが身体を反らせ、まるで海の上を滑るように、飛ぶようにセーリングしていたから、ヨシ、俺も! と、気合が入ったのだった。

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夏には観光客で満杯になる人気の海岸、Playa d'en Bossa

ウィンドサーフィンのボードとセール一式は、『カサ・デ・バンブー』の常連でプラーヤ・デンボッサ(Playa d'en Bossa)の海岸でウィンドサーフィン・スクールをやってるホアンに頼み、初心者用のモノを安く譲ってもらった。
さて勇躍、海に乗り出したまでは良かったのだが…。 
ウィンドサーフィンを始めるには、初めの数時間、人に笑われる覚悟がいる上、思いっきり笑われても良いと尻をまくらなければならないと思い知ったのだ。ボードの上に立つまで何十回と落ち、やっと立ち上がっても、セールを引き上げる時、不安定なボードにヘッピリ腰で立ち、この海にべったり漬かった意外に重いセールを海面から引き離すのは、まるで海底に沈んだ大きな漬物石を引き上げるような作業だと知った。
そしてやっとセールを海面から持ち上げると、セールの下に風が入り、フワリとマストとセールが浮き上がり、スイッとマストが垂直に立つ道理だが、こちらは満身の力を込めて足を踏ん張り、前かがみの姿勢で腰と腕でマスト、セールを持ち上げるのだから、一旦垂直に立ったマスト、セールは反対側、つまりボードの上にいる本人に反動で覆いかぶさるように倒れてくるのだ。結果、派手に落水する。やっと海面に浮かび上がったはいいが、頭の上に濡れたセールが被さっており、満足に息ができないままあがき、セールを払い避けるようにもう一度潜り、セールに覆われていない海面に顔を出すのだ。
私が喜劇を演じている間、いつの間にか、崖の上にギャラリーが集まり、盛んに声援、ひやかしの罵声を送っているのだった。 
落水を際限なく繰り返すうちに、当然のことだが、私は風に流され、2キロほどフォルメンテーラ島の方向の沖に出てしまった。もうそろそろ、セールをマストに縛り付け、ボードに乗せ、腹這いになってボードに乗り、両手で水をかき、陸へ向かおうとした時、一直線にこちらに向かってくるウィンドサーファーに気がついた。フアン・カルロス先生だった(第48回:ドイツ人医師、フアン・カルロス先生)。
彼がウィンドサーフィンのエキスパートだとは全く知らなかった。フアン・カルロス先生、見るに見かねて、自分のボードを出して私を救助しにきてくれたのだった。「もし、フォルメンテーラに行くつもりなら別だけど、私のボードに乗りなよ…」と言ってくれたのだ。私は彼のボードに腹這いになって乗り、私のボードを細いロープで曳き、『カサ・デ・バンブー』の真下の石コロビーチまで不名誉な曳航を甘んじて受けたのだった。当然、野次馬の嘲笑を散々浴びたことだ。

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ロス・モリーノス海岸。ウィンドサーフィンを優雅に楽しむ…

そよ風程度、しかも静かな海面でどうにかセールに風をはらませヘッピリ腰でセーリングできるようになるまで3日はかかったと思う。しかしそれも、風に運ばれているだけで、方向転換、ジャイブかタックになるのだが、それができるようになるにはさらに2、3週間はかかった。とても、海面を軽やかに舞う乙女たちのレベルにはほど遠く、「ハ〜イ!」などと声をかけ、彼女らを追い抜くとかすれ違うのを密かに夢想していたのだが、夢また夢に終わった。それどころか、水中であがいている私に、彼女ら、彼らから「大丈夫か? 助けてあげようか?」と声をかけられる始末だった。
ウィンドサーフィンも実力に天地ほどの差があり、どうにか落ちないで乗れるようになるのが第一歩で、これはママチャリを漕いで、近くのスーパーに買い物に行けるレベルでは、あのアクロバット的なマウンテンバイクの真似事はできないし、ツール・ド・フランスに出場できない道理だ。ウィンドサーフィンもこれでなかなか奥が深いことを知ったのだった。
フアン・カルロス先生と奥さん、『サン・テルモ』のオーナーのイヴォンヌ、イビセンコの朋友ペペら、周りにウィンドサーフィン狂がかなりいたから、彼らに教えを請い、ご教授願った。一番耳が痛かったのは、「お前ね〜、当面ライフジャケットを着るか、ウェットスーツ(浮力があり、体温の流失を防ぐ)を着た方がいいぞ…」というものだった。流されても、いつもフアン・カルロス先生か他の誰かが助けに来てくれるとは限らないから…と言うのだ。
それでも、シーズンの終わり頃、10月にはヨタヨタ、フラフラしながら風を切る感覚を掴み、セーリングを楽しめるようになったのだった。秋が近づくに従って、強い風が吹き始め、新たな挑戦、戦いになった。私のアパート下の石ころビーチはイビサの町から近いこともあって、夏場は車を持たない人たち、主に地元の人が海水浴、日光浴に訪れる。秋口になると、数は少ないが、ウィンドサーファーがここに集うようになる。
イビサには格好のビーチがたくさんあるが、いずれも駐車場から波うち際まで距離がある。そこへ行くと『カサ・デ・バンブー』の眼下にあるロス・モリーノスの海岸は、車からボードとリグ(マスト、ブーム、セールなど)を降ろし、その場でセットし、海に乗り出せる地の利があった。ただ、コブシ大の石ころビーチなので、フィンやセンターボードを痛めずにスイッとばかりセーリングに移ることができる中級、上級者向けの海岸だった。サーファーたちは濡れた身体のまま『カサ・デ・バンブー』に立ち寄り、一杯引っ掛けるのだった。

イビサの港前の一等地に『エル・モノ・デスヌード』(El Mono Desnudo;裸のサル)というファッショナブルなカフェバーを開いているマイケルはガールフレンドや友達を連れ、ここからウィンドサーフィンで海に乗り出していた。そしてチョイチョイ、『カサ・デ・バンブー』に立ち寄ってくれた。
マイケルが海好きで、豪華な40フィートのスループクルーザー(キャビン付きヨット)を持っていることは知っていた。リークロス(ヨットの両舷に張るキャンバス)に目立ちすぎるくらいの大きさで“El Mono Desnudo”と船名を書いていたから、ともかくもマリーナで目立つヨットだった。何も店の名をあんなふうに宣伝しなくても、彼のバーは夜、空いた席を見つけるのが難しいくらいいつも混んでいるのだから…と思ったのだ。
観光シーズンの終わり頃だったと思う。マイケル御一行が賑やかに『カサ・デ・バンブー』に押しかけてきた。その中にセルジオがいた。
セルジオは痩せ型の筋張った体つき、肩まで届くチヂレタ髪、太陽に当たり過ぎで干からびたような深い皺だらけの顔をしたオーストリア人だった。
-…つづく

 
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  2019-10-12
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2019年10月08日

子供を政治の世界に巻き込むな




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 グレタ・トウ−ンベリ さん  2003誕生


 グレタさんが英国・プリマスより大西洋をヨットに乗り15日間で横断してニュ−ヨ−クに着いた。 国連総会にて地球温暖化の演説を世界のトップの前で演説する。 環境大臣の進次郎さんがえらくそれをホメておりました。 しかし、演説後の反響は様々です。

 テレビニュ−スで報じていた演説の一部を見ました。 全部を聞いたわけではないのですが、その時に小生が受けた印象は、彼女が激しい表情・表現をしたからかもしれませんが、紅衛兵かヒトラ−ユ−ゲントの子供たちの演説を聞いているみたいな印象を受けました。

 小生は老人ヨットマンのはしくれなので、気象は少しは詳しいつもりである。台風18号が石垣島から朝鮮半島にむけて中国沿岸に沿って進行しています。 10月にこのコ−スを通るのは普通ではありません。7月−8月の想定される台風コ−スのようです。10月初旬には大陸から寒い高気圧が張り出してきたので、日本沿岸はるか沖を台風が通ってそのシ−ズンを終えます。 18号のコ−スであると、それまでにあと2−3回台風が日本へ来ないと終わりません。
 本日10/7、 実に今度の連休に新しい台風19号が日本に接近してくる予報がでました。まだ今月中は台風シ−ズンなのでしょうか。 こう考えると気象が通常ではないと思わされます。 しかし、地球には氷河期があったように、長いスパンでみると寒暖の大きな幅があるのは事実です。 物事の説明に地球温暖化を小生も取り上げていた時期がありました。 ツバル諸島が沈んで無くなるような報道は事実では無いようです。 温暖化の問題は科学的には今でもまだ解決された問題ではないと小生は考えるようになりました。 既成の事実のように決め込まずに、もっと検討が必要でしょう。

 気候変動の問題に限らず、グレタさんのような子供をマスコミ等で大きく扱い政治利用することは止めようではないか。 ここには、彼女の写真は穏やかなものを上にのせましたが、彼女に批判的な人が取り上げている写真は、彼女の演説中の表情で口の両端にキバでもそえれば鬼のように見える写真を取り上げて、貶めるイメ−ジ操作をしています。

 世界のトップの指導者を前にして、彼らの貴重な時間を割いて子供の演説を聞かせるのは止めていただきたい。 この状況をプロデュ−ス・演出した人は誰だったのか知りたいものです。後ろにいる人は子供を利用するほど焦っているのかもしれません。

 

    2019-10-8


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2019年07月26日

九州東岸 豊後水道 日向灘 ヨット泊地

 
  杵築

 杵築漁港は漁船の数の割には広い漁港である。中央の泊地の堤防の内側に着岸した。 始めはアンカ−を打って槍付けのつもりであったが、アンカ−が効かない、とうとう舵に引っかける始末。スペ−スがあったので最初から横付けにすれば良かった。潜ってロ−プを外した。 錨の効かない原因は底質が海藻であったようだ。 着けた防波堤の外側にもスペ−スがあるが、海を覗いてみると背の高い昆布のような海藻が水面近くに見える。干潮でも着岸が難しいと思われる。 漁船は1隻も利用していない訳だ。東風の強風が吹いたけれど港内は平穏であった。避難港には良いと思われる。

 買い物もスタンドも不自由です、橋のある道路まで20−30分歩くことになる。 杵築城まで歩いたが、帰りはタクシ−を利用した。

 

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 杵築漁港



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  赤印に着岸





   日出港


 日出港には停泊していません。杵築でアンカ−が海藻の底質で効かずに潜るハメになったので、ここを忌避して別府に入りました。どっこいその入り口付近でホンダワラがペラにからみ別府でも潜らねばならなかった。

 JRで別府から陽谷駅で降り。日出城跡に行く。城下カレイで有名な漁港が麓にある。ヨット停泊にはスペ−スの問題があるようだ。その対岸に岸壁があり、ここならヨットを着けられそうです。 

 

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 日出港  赤印は予想停泊地

 

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 日出漁港と対岸の商業岸壁




   臼杵



  臼杵港の下図赤地点に着桟したが、管理している臼杵港運で尋ねたところ、その岸壁を利用する商船があるということで対岸の青地点へシフトした。 この岸壁は商業港によくある下の部分が凹んでいて、干潮時にはヨットのハルがそこへ入ってしまうマズイ岸壁であった。 おまけにウネリも入ってくる。 徹夜でのワッチを覚悟したが、地元のヨットマンが隣の漁港板知屋を勧めてくれてそこへ移動した。 まったく静かでぐっすり眠ることができた。 買い物など不便であるがオススメです。


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 青は岸壁シフトした位置



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 青色地点へシフトした岸壁   サイドアンカ-を入れる必要あり



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 板知屋漁港に舫う



   土々呂


   蒲江


     2019-7-26


 ヨットマンのための海の駅と泊地
 http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-41






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2019年07月11日

ホンダワラのスクリュ−への絡み

   
 温暖化の影響か?、今年のホンダワラの繁殖が異常に多く、他のヨットマンも同じ考えのようだ。 瀬戸内海では、まだそうでもなかった。別府に入るころより、プロペラに絡み始めて、1日おきの頻度で潜りそれを取り除く事態に陥る。

 今年のクル−ズプランでは、昨年は九州一周を西回りで計画し、台風の影響で長崎で断念したところから、東回りをすることにした。 別府から佐賀関を回って豊後水道を日向灘へむかった。 もし、昨年と同じ航路を取ったとしても、玄界灘でスクリュ−大量に絡みつき、洋上で潜って取り除いたというヨットマンの体験を聞かされたので、同様に難儀したであろう。

 シングルハンドであると、なかなか前方をワッチするのは完璧にはいかず、舷側にそれが流れていくのを見てハットすることも多い。また、それを取り除くにも、洋上で潜ることはシングルハンドでは、はなはな危険な行為である。体をロ−プで縛って流されないようにヤルとしても、波で船体に頭部をブツけたり、潜って浮き上がった時には船体から離れていることがある。 ヨットの事故で意外と多いのは、泳ぎと飛び込みに自信があるの人なのでしょう、かっこよくヨットから飛び込んで泳ごうとして、船上に上がることができずに遭難することです。 というのは、舷側がクル−ザ−では予想以上に高く、デインギ−と違いハシゴなしでは上がれませんから。 小生は港に着岸して潜ることにしています。若い頃にはオホ−ツクの海でロ−プがからみ、震えながら潜った経験がありますが、それ一度キリです。

 大分佐伯・大入島から宮崎細島を目指して航行中、豊後大島と鶴御崎の間の元ノ間海峡通過までは順調でした。前日に海の駅桟橋で潜って取り除いていたので、ペラの絡みは無しで出港した。速度が4ノット3ノットに下がっていき、深島をなかなか交わせない。日向市沖のやっと枇榔島近くまでやっと来たら、エンジン音が変わり止まりそうになる。 4-5mの大きなウネリの中でした。 また、藻が絡んだなと考えました、入港して潜らねばなるまいと。 エンジンが止まるとなると、メインセ−ルを揚げていないので、ジブだけではセ−リングが満足でない。おまけに二馬力の船外機は取り付けておらず、それにそれの始動が気ままです。大きな揺れのなかで船尾に船外機を取り付けるのは難しい。 毎日のように海藻取で潜るため、船尾ハシゴを使うことを想定して、船外機を取り付けてなかったのです。どちらかしか使えない装備です。  メ−ンセ−ルは下記写真のようにガンジガラメに縛ってあり、すぐには揚げられない。夕方になり日も暮れそうです。 絶対絶命ではなくても大いにコマッタなと思っていたところ、そこへ「どうかしましたか?」と漁船が近寄ってきて声をかけてくれました。 九死に一生を得る、絶体絶命の危機に「救世主」が間髪を入れずに現れるとは、まさにこのことです。日頃の行いが悪いにもかかわらずに。 地元の元ヨットマンが漁船の廻航業務をしていて、ジブ縁が赤い色の知り合いのヨットだと思い寄ってきたものでした、すぐに異変に気が付いてお声がけしてくれて、助かった次第です。

 今回は事故にならずに済みましたが、起きる時には二三重にミスが重なるのでしょう。 と云うより、今まで、おざなりにしてきたもの、怠けてやっていないもの、不完全や欠けた知識によるもの、こういったものがヨットでは何かのときにキッチリと詰めてくるように思います、思い知らされます。 なにせ、自然相手ですから。

 写真のように延岡・トトロまでえい航してもらい無事着岸しました。土々呂のヨットマンの人々がその後数日にわたって門川にある温泉の送迎をわざわざしていただきました。ありがとうございます。

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 えい航される


 土々呂漁港で翌日に潜り、午前中いっぱいかかって写真のように大量のホンダワラを取り除きました。 潜ったらスクリュウ−の形をとどめないほどまん丸く絡みついていた。 エンジンは12時間ほど回した関係で燃料消費が多くなり、タンクの底の燃料を使った関係で燃料供給が悪くなったのが原因と思われます。えい航中にはニュ−トラルにしていてエンジンは止まらずに回ってました。 ヤンマ−1GMがが新造時の規格で前オ−ナ−が2GMに換装しています。燃料タンクは1GM仕様で30リットルであるので、連続12時間は燃費を考えるとを廻しすぎであった。手持ちの燃料用予備ポリタンクが8リットル容量なので、5時間程度のエンジンを使用して、このポリタンクで補給すれば丁度よいと思われる。以後航海途中でも、5時間で補給することに決めた。

 他のベテランヨットマンに対策を聞きました。いずれも航海中に作業可能なもの。

1. 一番よさそうなものは写真のようにペラの上に穴を空けて、デッキから取り除く方法、ハルの形状により出来ないものもありそう。工事代金が50−60万円ほどかかるといいます。

2. 潜望鏡のような底を覗ける器具を作成して、船尾からそれで覗いて長い鎌を利用して取り除く。 これもスタ−ンの形状ヤヨットの大きさにもよる。

3. 船側からハシゴを固定して、そこに腰かけて水中のスクリュウ−を見ながら、長い鎌で取り除く。

 ご老体にムチ打って潜ることは、季節に限りもあるし、できることではない。 クル−ジングの大きな問題となっています。いろいろ自分のヨットにふさわしい方法を見つけることが必要です。

 釣り客を乗せて営業している釣船の船長さんに尋ねたところ、馬力が大きく、スクリュ−も大きい自分の船では問題になっていないとのことでした。海藻などブチ切っているのでしょう。 30年近くの間隔があるけれど、今までの2隻はロングキ−ルの船体であったのか、ロ−プの絡みいがいで潜る経験は無かった。ハルの形状も関係していそうです。

   

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 絡みついたホンダワラ 少し乾いてカサが減る


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 少量のホンダワラの時 この程度は問題なし


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  コックピットに空けたペラ穴



    2019-7-11



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2019年07月05日

スタンチュ−ブ水漏れ修理


 2019年春のクル−ズを終え、新ホ−ムポ−トへ入った後で、ビルジの点検をしてみるとバケツ2杯で多い。 前日の弓削で冷却水ポンプを交換したばかりです。 そこからの水漏れはなし。 スタンチュ−ブからの水漏れであった。 新しい係留地・岡山に来たばかりなので、修理するところののアテはない。 近くにマリ−ナがあったので、そこで聞いてみると、ここでは修理作業はしていないとのこと。 そのマリ−ナで紹介されたヤンマ−の代理店に行く、状況を見てもらえることになった。 しかし、様子を見た後で、スタンチュ−ブの修理はできないと断られる。どうも、その業者はヨットは得意でないらしい。

 地元のヨットマンの紹介で神戸の業者に修理をしてもらうことになる。 ヤマハ31フェスタのスタンチュ−ブの資料を前のオ−ナ−からは受け取っていない。製品名も分からず。 その部品はヤマハには無いようなので、新しい他社の製品を取付ることになった。 シャフト径とスタンチュ−ブ径が部品注文には必要でした、25mmと2インチと判明して、注文することになる。あいにく土日で今回も冷却水ポンプ交換の時と同じく日数を要した。

 作業はヨットの常で狭いところに頭を突っ込んでの作業。 ハンマ−を振るのにもスペ−スが狭く大変のようだった。小生は見ているだけでしたが。とても根気のいる作業です。それでも、朝から始めて4時ごろには修理を終えて、マリ−ナから係留地に戻ることができました。 費用は部品6万,作業代10万を要し老齢ヨットマンには大きな負担であった。



 作業手順

1. 旧シャフトシ−ルを取り外す

2. プロベラシャフトとエンジンとの接合をはずす

3. 旧をシャフトから抜き, 新をスタンチュ−ブに取りつける。

4. 新をシャフトへ通して、シャフトをエンジンに接合する。

 旧シャフトシ−ルを外すことと、プロペラシャフトをエンジンから抜くことが大変だったようです。シャフトを抜いて30cmほどのスキ間がないと離脱取付ができない。 プロペラと舵は同一直線状に普通はあるので、その距離が短い時は、今回の工事はどうするのだろう。舵も抜かねばならないのであろうか?


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 交換前に使用していたもの 取り外す   製品名不明

 
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 スタンチュ−ブ 2インチ(約51.5mm)、  シャフト25mm

 

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 新シャフトシ−ルを取り付けて、これよりシャフトをエンジンに取りつける


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  新しいPSSシャフトシ−ル( 02-25M-200)


 製品説明サイト

 http://www.samtech-japan.com/product/item03.html


   2019-7-5




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2019年06月29日

冷却水ポンプ交換


   クル−ジング中に、弓削海の駅に着いて、ビルジを抜きだすと、くめどもくめどもバケツにビルジが溜まります、なんと20杯にもなりました。前日の大三島・宮浦海の駅では2杯です。いつもエンジンを止めるとビルジを汲みだしているのですが、それは1杯程度ですので、大三島でも少し多いなとは思っておりました。 5時間艇程機走して弓削に着いた割には多すぎです。 エンジンボックスを上げて点検して見ますと、冷却水ポンプのエンジンに向かう接手からポタポタと海水が漏れていました。 ここだと思いビニ−ルホ−スを外してつないで止め金具を締めましたが状況は変わらず。普通はインペラの破損を疑うのですが、インペラの蓋ボルトには水漏れの気配がありません。

 他の係留しているヨットマンに尋ねると、それはアッセンブリ−の一体交換でないかとアドバイス。 的確な助言で、インペラの交換など無駄なことをしないですみました。 彼はボ−トショ−でエンジン保守の講義をしたことのある経験豊富なベテランヨットマンでした。 クル−ジングをしているヨットマンは、60代でキャリア10年以上のベテランが多く、なんでもできる人が多い。

 ここ弓削には珍しくヤンマ−を取り扱う業者がいません。隣の因島にあるマリ−ナで2GMの冷却水ポンプを取り寄せてもらうことになる。その日は金曜日でしたが、あいにくヤンマ−の研修日にあたり休日、月曜日の部品発注になりました。火曜日の昼にはそれが着いて、因島マリ−ナまでとりにいきました。往きは連絡船を土生(はぶ)で乗り継いで3時間。帰りはバスで土生へ、今治行の連絡船で弓削に到着、しめて5時間ほど要しました。待ち時間が長いので時間がかかります。マリ−ナの人もどうやって来たのだと云われました。 

 交換作業は短時間で終わりました。ビニ−ルホ−スとのつなぎには金具で締めるのみでOK、シ−リング材も必要なしです。 

 旧ポンプは予備にしてとのアドバイスでしたが、児島のヤンマ−に出しましたが、費用が新品が4万8千円なのに、4万ほどかかるということなので、それを断念しています。 冷却水ポンプの本体にはドレンの穴があり、ベアリングやシ−ルの破損でそこから大量の水漏れが生じることがあり、今回の故障の原因です。 冷却水ポンプからの水漏れに注意しなければならないと学びました。 それを取り外してみてびっくり、ベルトが首の皮1枚で繋がっていました。すぐにも切断したでしょう。さっそく交換する。ベルトの締め具合もきつく締めすぎないとアドヴァイスをいただく。本体のベアリングに負担がかかるとのことです。ヤンマ−のインペラも他社と違い1−2年では壊れないとのことです。

 
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 新旧の冷却水ポンプ

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 切れかかったベルト

   2019-6-29


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2019年06月25日

蒲江




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   赤丸 今回停泊位置 、 下の赤丸はウネリの入る時の避難位置・漁船のいないとき



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 係留位置  2−3隻は可能


 蒲江・大分県は、台風で避難したヨットもあると地元の人の話です。 しかし東よりの風が強いときはウネリが入り、今回の停泊位置では動揺する。その時はこの場所ではサイドアンカ−が必要でしょう。大きなフェンダ−を持っており助かったが、岸壁との間に浮かせていたフェンダ−が岸壁のハシゴにひっかかりライフラインを切断した。 船具屋でワイヤ−クリップを購入できて修理できた。

 東風が続いて5日ほど出られませんでしたが、ここは買い物、洗濯が便利です。おふろは近くのレストランを利用すると入浴できるという。利用しませんでした。

 佐伯にバスで行けるようですが、午後の便が見つからず行くことはなかった。

   2019-6-25


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2019年01月25日

三浦按針・ウイリアム・アダムス



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 1564-1620

 ヨットで平戸を訪ねたときに三浦按針のお墓や宅跡があり。どうしてここに足跡があるのか不思議な気がしました。召し抱えられて三浦に領地をもらったことは知っていた。 彼はちょうど関ケ原の戦いの前に「漂着した」といわれるが、そうではなく、豊後を目指してズタズタになりながらも目的地に到着しました。
大阪で豊臣政権の大老をしていた家康と謁見して気に入られ、外交顧問として重用された。英国には妻と子供がいるのだが、日本人女性と結婚して長男と長女がいる。
帰国することもかなわずに平戸で亡くなった。なお按針は水先案内人の意味である。



   三浦按針 年表

1564 三浦按針ことウイリアム・アダムスはエリザベス女王の時代にケント地方の町、ジェリンガムに生まれた。
1576 12歳のころには、船長の資格をもつニコラス・デイギンズの見習いとして12年間過ごした。
1581 オランダ独立宣言
1588 その会社と海軍で働いた後、およそ11年から12年の間アフリカの地中海北岸との貿易船で働いた。
1598年 6月 5隻のオランダ船団の1隻の航海士として乗り組み東インドに向かう。
 アフリカのギニア沿岸に停泊する。壊血病が蔓延して指揮官や乗組員の相当数が死んだ。1599年4月初め   マゼラン海峡まで達した。(注. 喜望峰周りではなく困難な航路を航海した)冬になっていたので航海が  困難で越冬をおこなう。
 9月まで釘付けになり食料も尽き多くの仲間が飢えで死んだ。やっと海峡を抜けたが、船団は離れ離れにな  る。アダムスの乗ったリ−フデ号(エラスムス号)は仲間を待つために南緯38度チリ・モカ(Mocha) 島に向かう。強風で錨を下ろすことができずに、サンタマリア島に変更した。そこで原住民の策略にかかり 船長や弟のト−マス・アダムスや同僚を失う。錨を上げることさえ難しくなる人数になる。2−3日して僚  船・ホープ号と会うことができた。彼らは同様にしてモカ島で20-30人の仲間を失っていた。このような状況 であったが、スペイン人と交渉して必要な食糧を得た。アダムスの船では互選された船長のもとで協議し、 積み荷の毛織物が売りさばくのがふさわしい地として、日本行が決定された。
1599年  11/29 日本に向けて出帆。数か月にわたって貿易風に恵まれた。北緯16度付近の島で8人が人食い 人種の犠牲になる。北緯27度から28度で風向きの一定しない嵐に遭遇した。
1600年 2/24 僚船を見失う。
 3/24 ウナコロナ島が見えた。このころには這いずっても働けるものは9−10人であった。
 4/11日本が見えた。めざした豊後であった。動けるものは24人中5人にすぎない。出港時は110人。
 4/12 小型の船で日本人が乗り込んできた。1軒の家があてがわれて、食事も供せられ休むことができた。 ポルトガル人が長崎よりやってきて、我々を海賊であり処刑を主張した。我々の事が家康に報告されて、ヤ ンヨ−ステンと2人が会見のため大阪に向かう。
 5/12に大阪に着く。家康に質問攻めにあい、交易目的で布教のためでないと理解を得る。カソリックとプロ テスタントの対立も家康に述べる。
   41日間牢に入り釈放され船に戻る。 その間にリ−フデ号は大阪に曳航さ。積荷・備品などすべてはす べて持ち去られたが、家康が戻すよう命令した。
  5万レアル相当の食糧や必需品を支給される。 江戸に行くよう命令される。
    これから2年間船に戻ること禁止された。お米と生活費を支給される。
    江戸湾に係留されたリ−フデ号が沈没する。
1602    オランダ、東インド会社設立
1603    江戸幕府
1604    伊東で80トンの帆船を完成させる
1605    オランダ、ポルトガルよりモルッカ諸島を奪う
1607    120トンの帆船を完成させる。この船はアカプルコにスペイン人遭難者を送り日本へ戻る。
1609    オランダが平戸に商館設立
1611頃  250石の旗本となる。横須賀逸見に領地を得る。オランダ船ブラック号平戸に入港。オランダが日本と交易するのに貢献した。
1613    イギリス船クロ−ブ号が通商を求めて来航した際に、家康への謁見と朱印状の交付を助けた。
      家康、全国に禁教令
     9/1 イギリスとの通商許可がおりた。 オランダ商館の手伝いを辞めてイギリス商館に勤める。
1614 クロ−ブ号での帰国許可が日英より出たが、司令官と折り合わずに見送る。
1616 4月 家康死去、 秀忠が鎖国体制を敷いたため、不遇となる。
1619  オランダ、ジャワ島にバタヴィア市建設
1620  平戸で死亡


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 貿易風の風向     赤線は三浦按針の想定日本への航路

 
      2019-1-25

 平戸、墓地から出土の人骨「三浦按針の可能性高い」 長崎新聞

  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190402-00000002-nagasaki-l42


   2019-4-2






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2019年01月01日

2019年 元旦


 今年もよいお年をお迎えください。

        速魚


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    2019-1-1
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2018年12月28日

大畠瀬戸 その2  貨物船と橋の衝突

  
 10月22日大畠瀬戸の瀬戸大橋でドイツ海運会社が所有する貨物船「エルナ・オルデンドルフ」マルタ船籍・船長インドネシア人・乗組員21名が橋桁に衝突した。送水管が破断して周防大島の全域で断水している。

 ここで大畠瀬戸で取り上げています。 ヨットで6回ほど通航しました、ここでは500トン程度の内航船と小型フェリ−と行き会うことがほとんどでした。

 かって鳴門海峡を今回のような中国の外航大型船が通航して事故を起こしたことを思い出しました。日本人船員には常識はずれの行動です。 

 日本人外航船員の絶滅した現在では、輸出入の船舶は船籍・船員・所有国が異なる便宜置籍が主力になっています。 おまけに水先法の規制もゆるいようで不慣れな外国人船長の判断で運航されている現状です。 今後も同様な事故は起こるでしょう。


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 赤線が事故船の推定航路
 
   
 ブリッジクリアランスという数値があります。プレジャ−ボ−ト・ヨットの世界でも背丈の高いものにはスペックシ−トに記載されています。大型カタマラン60f以上では70-80fのクリアランスのものがあります。この瀬戸大橋は31.9mの高さですので航行する際には注意が必要です。

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 事故を起こした貨物船 レダ−マストが後方に折れ曲がっている


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 切断され橋から垂れ下がった送水管


 ヨットで柳井へ向かう場合は山口県寄りに航行する。上関に向かう場合は周防大島・屋代島寄りを航行したほうが距離的に近い。


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大畠瀬戸の航法


    2018-12-28
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2018年11月01日

関門海峡と進路警戒船


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 初代「速魚」による通峡

 40年前に初めて関門海峡を通ってから4回目になります。しっかりと潮汐表を準備しての通峡でしたが、サイトで調べられる時代になったので、表なしで今回は通航しました。

 新門司マリ−ナを出て2時間余りで門司埼・関門大橋の近くに着きます。 そこでエンジンの音が変わったので潮に当たったのだと思いました。速度も1ノット落ちて4ノットになる。その後に池島で潜ってその原因がロ−プのスクリュ−への巻き込みだと、2週間も過ぎて判明します。余りスキルのあるヨットマンではないとバレてしまいました。

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 その時に門司埼の方向から真向かいの行き会い状況に作業艇らしきものと衝突の恐れが生じました。法令に従い舵を右に切り避航動作をとる。 相手船はそのまま接近してきて、左に寄るようスピカ−で怒鳴るように
指示される。その船は巨大船の関門海峡通航にまつわる進路警戒船であった。 彼の意図は、海峡の最も狭くて潮流の速い門司埼でのこちらのヨットと巨大船の接近を避けようとするものであったのでしょう。 指示どうり左に針路を向けて、こちらの意図しない門司埼にごく近くを通航するハメになりました。こんなに近くても門司埼を航行できるものだと思いましたが。

 警戒船が自分の意図どうりにしようと思うなら、真向かいの航法が適用されるこちらへの接近は避けるべきでしょう。ヨットに左へ舵をきらせて、右舷対右舷での通航をさせたいのでしたら、ヨットへは警戒船の右舷を見せてヨットに接近すべきである。なぜなら真向かいの航法では互いに右に舵をきるからです。

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 この警戒船ではないが、進路警戒船には赤の吹き流しを揚げているようである。

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 関門海峡 通常は右側航行であるが、100トン未満の船は門司埼に近寄って航行できる特例

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 真向かいの航法

 元船乗りで巨大船に乗ったこともあるので、舵効きが遅くサイズの大きい本船では瀬戸内海などでは、本当に進路警戒船はありがたいと実感したことがある身の上ですが、今度は指示をうける小型船に乗ってみると、適切な行動をとってもらいたいと思うものです。

  帰りにも再度逆から通峡しましたが、ブイ近くを航行していました、後ろから追い越される船にブイの岸よりの浅いところへ追い込まれそうになりヒヤ汗を掻くことになる。 峡水路の通航の際には潮止まりの時刻を狙うことが多いのですが、関門では連れの追い潮4ノットでも行けるようです。

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 下関からみた関門大橋

   2018-11-1





 





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2018年10月03日

上関 その2 長島


 テレビで大阪の拘置所より脱走した男が上関の陸の駅で万引きする場面が放映されました。 自転車旅行・日本一周を掲げていたようです。

 ここで「上関 その1 室津」が見られますが、今回の九州クル−ズでも上関に2度立ち寄りお世話になりました。 その続編となります。

 室津の防長バスの停留所から終点まで乗る。 しかしそこは何もないところで、来た道を徒歩で戻りながら番所跡を捜した。なんのことはない橋を渡ってすぐの場所であった。
室津から徒歩でも行くことができる。昔の上関の面影を期待しましたが、よく見かける瀬戸内の漁師町のひとつ。

 上関大橋で繋がらない昔は長島が上関の中心です。 長州藩の三関、上関・中関・下関の一つで海の重要な拠点であった。上関番所やお茶屋で朝鮮通信使を迎えた。

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 旧上関番所(県指定文化財) 海岸沿いにあったものが移築された


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 お茶屋跡  


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 朝鮮通信使来航図  往時の上関がうかがえる


 ここは海の要地であることから村上水軍の能島水軍の上関城があり、そこへは訪ねることができませんでした。公園となっているようです。

 ヨットの停泊地としては長島地区はスペ−スも狭く、室津地区のほうがふさわしいでしょう。


   2018-10-3
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2018年09月24日

長崎・出島ワ−フ海の駅


 長崎のヨット泊地には出島ワ−フマリ−ナがある。 そこは町の中心にあり観光に出かけるのには便利です。1泊5000円近い係留費,この料金は電気代と水道代を含む。

係留ポンツ−ンの目と鼻の先に咸臨丸のような外輪船の姿をした港内クル−ズ船が見える。その隣は大型商業施設の「ゆめタウン」です。
 下記地図にお風呂屋「日栄湯」と「コインランドリ−」を印し。 ここで小生が興味を持って訪ねた場所も表示しました。
 銭湯については長崎駅から送迎バスのあるス−パ−銭湯もあり。観光案内所で時刻表がもらうことができます。

 出島ワ−フは戦前には中国との玄関で往来する客船のワ−フ・船着き場であった。現在はレストランが立ち並びヨットを眺めながら食事をとるオシャレなパッセ−ジとなっています。


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 「ゆめタウン」と外輪船

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 出島ワ−フ地図

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 入り口にある女神大橋 ここを抜けて1時間ほどでマリ−ナへ

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 大型客船が係留


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 三菱造船所で修理中の自衛艦  かって戦艦「武蔵」も建造される



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 出島オランダ商館跡 入り口


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 オランダ商館を望む


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 マリ−ナから見た夜景


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 外輪船の夜景


    2018-9-24



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2018年09月22日

宗像 大島


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 沖ノ島と関連遺産群は世界遺産になっています。 ヨットで沖ノ島へ行った猛者もいるようですが、そこへ上陸する許可は普通ではおりないようです。天気の良い日に接近することは出来ると思います、そこへは対馬へ行く途中のプランとなるでしょう。

 関門海峡を抜けて福岡に向かうには大島は良い中継地になる。 「うみんぐ大島・海の駅」もあります。31fで4000円の係留代は高いようにも思えますけれど、そこで他の係留場所をさがすのも大変です。艇長の判断になりますね。「うみんぐ」では電気はとれます。 買い物は農協で可能ですが、品数も少なく弁当も無かったので、無理と思い事前に用意しておいた方が良いでしょう。

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 うみんぐ大島海の駅 桟橋


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 フェリ-乗り場  宗像市神湊−大島

 この島では宗像神社中津宮と沖津宮遙拝所が世界遺産になっています。中津宮には行きましたが、静かなもので他の参詣者はおりませんでした。


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 宗像神社 中津宮


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 宗像三女神の次女神・湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る神社


 散歩がてらに買い物できる場所をさがしていると、夢の小夜島を見つけました。
連歌に歌われた島で恋人たちに何かありそう。
 
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 夢の小夜島  干潮時に陸と続がる


 道を尋ねた子供たちが農協まで私達を連れて行ってくれました。途中で「休みますか?」と、こちら・爺婆へ気を使ったお声がけ。自転車に乗ったばかりなのか左右に揺れながらも先導をして案内する。春前には幼稚園生だったに違いない子どもたちであるのに、やさしい気の使いよう! さすが神の島の子供です。 この島に訪ねて良かったと思えました。

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 神の子たち


   2018-9-22
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2018年08月23日

門司港レトロ地区


 天候待ちでマリ−ナ停泊が3日目になります、マリ−ナからの市内までの交通が不便なので、タクシ−代が毎日6000円余りかかり合わせて高めのマリ−ナ代の支払いは、年金ヨットマンには痛いところです。

 今日はすでに下関と小倉へ行ってきましたので、門司港にあるレトロが売りの場所に来てみました。 今はJR門司港は終着駅になっており、関門トンネルができるまでは、本土から九州への始発駅でした。現在は門司駅から下関方面への直通運転又は乗り継ぎになっています。

 幕末の馬関・維新戦争の華やかしころには門司港はありませんでした。NHKの朝ドラ「あさが来た」の女主人公・あさが炭鉱を買い、その積み出しに門司港を開発したのだといいます。それまでは下関の方が圧倒的に発展していた。 明治22年に国の特別輸出港に指定されて以来急速に発展する。 昭和17年にトンネルが開通したことや大陸貿易が途絶えたこと、荷物のコンテナ化が進んだことで、港がさびれてレトロな建物が残ったのです。

 バナナの叩き売りはドラマの世界でしか見かけませんが発祥の地です。労務者が好んで飲む、酒屋で飲む角打ち商法が今でも繁盛しているといいます。

 観光案内所は駅近くの旧三井倶楽部にあります。そこで地図をもらえば、徒歩1時間ほどで見てまわることができます。

 ヨットマンにはありがたいことに旧JR九州本社ビルに海事広報展示室があり、関門海峡の通狭の相談ができます。潮流速や転流時など航法も教えてもらえます。

 残念なことはレトロなことが点在する建物に限られ、町の一体感が乏しいことです。さらに跳ね橋を抜けると良い泊地があるのだけれど、長崎の出島ワ−フのようにヨットが着けられれば、レトロな建物とヨットとの風景になり、より風情がでるのでは。 ヨットマンには町に近くて便利な潮待の泊地となるのではないかと思います。


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 門司港レトロ地図


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 門司港駅


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 関門海峡と大橋


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 旧門司三井倶楽部


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 旧大阪商船


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 旧門司税関


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 九州鉄道記念館


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 国際友好記念館


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 三宣楼


    2018-8-23


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2018年08月07日

壱岐 郷ノ浦フィシャリ−ナ


  福岡と呼子から、また長崎と平戸からの良い係留地です。 少々の時化と強風には安全に停泊できます。 

 連絡先 090-1979-2578 林田さん

 停泊費用もきわめて安価です。 ポンツ−ンは3個あり、中央をすすめられます。入り口近くは大型船を想定しているようです。

 オフロはフェリ−タ−ミナル近くのホテルが利用できる。 ス−パ−はあるけど奥まった感じで、近くにいても見つからず、地元の人に聞きました。

 コインランドリ−はバスで10分ほど、観光案内所の美人のスタッフが親切に教えてくれた、ス−パ−とホ−ムセンタ−と併設されている。


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 壱岐 フィシャリ−ナ ポンツ−ン3台あり


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  郷ノ浦  フィシャリ−ナ 最初のポンツ−ンに着けた


 フィシャリ−ナから町まで徒歩10分位かかるのでフェリ−タ−ミナル横の岸壁を着けることができる。


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 フェリ−タ−ミナル横  別の係留地



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 入浴できる ビュ−ホテル壱岐 500円


 ホテルの裏手に春一番で遭難した記憶を留める碑がある。五島沖の喜三郎曽根へ はえ縄漁船はここから出漁していた。幕末安政6年・1859に春一番で53名が遭難する。冥福を祈るためこの碑を建てた。旧2月13日は休漁にしているという。

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 春一番の海難碑


  2018-8-7


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2018年07月31日

平戸海の駅



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 ポンツ−ンからみえる平戸城


 西日本のヨットの聖地と聞き及ぶ停泊地は弓削・上関・平戸でしょう。それらは料金が安くて便利、しかもオフロがとれるところです。また、中継地としてふさわし地理的な位置を占めるのも聖地としての条件でしょう。

 平戸海の駅は3日間まで利用でき、観光案内所に届けが必要ですが無料です。電気は500円・日で1隻のみ使える。

 ポンツ−ンハメインとサブの2か所ある。 メインは案内所近くで、サブは湾奥になる。
 詰めれば総計10隻ほど係留できる。

 お城や観光ポイントは近くにまとまってあり、ガソリンスタンドやコインランドリ−も近い。
お風呂はオランダ商館の坂を登ったホテルが800円で利用できる。 夜6時より開く、角打ちの酒屋さんで楽しい一時を過ごせた。

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 メインポンツ−ン、 この右側には大型フェンダ−があり大型船に向く

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 サブポンツ−ン  湾の奥に位置する


   2018-7-31



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2018年07月30日

功山寺


 関門海峡を抜けるために、新門司マリ−ナに滞在した。 あいにく東風の強風が続き、玄界灘は海況が悪く4泊することになった。そこで下関、小倉、新門司を訪ねる。

 下関の観光の目玉の一つは思いもよらぬ高杉晋作であった。 功山寺は長府の街にあり、下関からバスで訪れた。 長府は5万石の長州の支藩である。 訪れてみると町並みに風情があり、小さくまとまった、お勧めできる良いところです。


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 国宝 功山寺仏殿

 維新のタ−ニングポインントである高杉晋作の功山寺挙兵については、奇兵隊すら賛同されない中で、わずか80人で挙兵した地である。 詳しくは、ここですでに取り上げています。 
 
 功山寺は長府藩祖毛利秀元の菩提寺であり、毛利元就に追われた大内義長が自刃した地、坂本龍馬の護衛を勤めた三吉慎蔵の墓もある。 また、京都から落ちた五卿はここに滞在したことがある。


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 総門


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 境内にある晋作騎馬像


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 長府藩士 三吉慎蔵の墓

   2018-7-30


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2018年07月12日

池島 旧池島炭鉱跡



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フェリ−桟橋の反対側に係留 2隻のヨット


 平戸と長崎の中ほどにあるので中継港としては良い位置です。小生は五島の有川から出て、ここを利用しました。 軍艦島が有名ですが、ここも同様に池島炭鉱の島として栄えました。2001年に廃坑になる。
 小さな島にもかかわらず、廃墟のビル群が遠くからヨットで眺めることができる。 トロッコで廃坑に入るツア−も行われているようです。

 歩いて坂を登って、住宅跡の中心地を見にいきました。連絡船の到着時間に合わせて、100円のコミュニテイバスがある。バスを利用して高い地点まで乗っていけば、楽をできたと思われる。
 ヨットマンにはありがたいことに、低額(200円?)で夕方から銭湯があります。 買物や燃料は補給できない。 人口100有余人の割には連絡船の便が多いのでそれに乗って買い出しができるかもしれません。

 ビジタ−の係留は連絡船桟橋の反対側になります。工事船や警備船が着くこともあり、一番奥が推奨です。

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往時の説明をした案内板


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積み出しロ−ダ−



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トロッコ



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住宅跡


  2018-7-13
posted by はやめ at 23:59| Comment(0) | 日記

2018年07月11日

海の浮遊物沈下物の巻き込み


 懸念していたプロペラへの異物の巻き込みが今回の九州クル−ズで2回起きました。昨年も三机の港内でありました。 

 関門海峡を通峡するため門司埼に近付いたその前に、急にエンジンの音が変わり速度が落ちました。機関の後進と前進を繰り返し、応急措置をして海峡を通過する。追い潮の時期での通航プランを立てていましたので速度低下は気になりませんでしたが、振動がいつもと違います。まだ、巻き付いたのかの確信が持てませんでした。玄界灘は潮の影響が強いのかと考えていました。潜るのがイヤで都合の良いように思っていたのでしょうね。

 40年前にオホ−ツクで取り除くために潜ったときの海水の冷たさが今でも憶えています。シングルハンドだと沖合で潜ることは危険といえます。70才を過ぎた体力が落ちている身ならのさらでしょう。 雨の後や春から夏の海藻が根を離れて浮遊している時期などは避けたいものです。しかし、この時期はク−ル−ジングに良い時ですので難しいところです。

 GPSやレ−ダ−装備などヨットでも近代化が進みました。こればかりは体力勝負の昔のままです。

 考えられるヨット対処法は

1. プロペラカッタ−を取り付けて切断してしまう。
取り付けている艇は見たことありますが、その効果は知りません。
2. プロペラシャフトを折り曲げにして、引き揚げて取り除く。
漁船でやっているものがありますが、大型化していますので、最近はどうでしょう。
3. エンジンをインアウト又は船外機にしてペラを持ち上げ取り除く。
インアウトのヤンマ-はあるが新造時でなければ無理か。30Fを越えると船外機は珍しい。
4. ペラの上にあたるコックピットにバウスラスタ−シェルを利用した穴をあけ、そこから取り除く。
取り付けているヨット有り、工事費と設置場所が可能化の検討が必要。
5. 予備の船外機の利用や帆走でハ−バ−まで引き返す。ハーバ−で取り除く。

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絡みついたロ−プ

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絡みついた海藻とビニ−ル

 夏の時期以外だと、潜るにはウエットス−スが入りますが、まだ購入していません。地獄をみるぞと言われそうです。

 瀬戸内では冷却水取り入れ口からの海藻のツマリも他のヨットマンより指摘されていますが、ストレ−ナ−取付も必要ですが、これも未対処です。

 他にも良い方法があると思います。

  2018-7-11
posted by はやめ at 06:24| Comment(0) | 日記

2018年07月05日

下関の白石正一郎宅を訪ねる


玄界灘の東風に悩まされマリ−ナに3泊することを余儀なくされた。そこで下関・小倉・新門司を訪ねる。

JR下関近くの中国電力のビルの一角に白石正一郎の宅跡がある。そこには奇兵隊発祥の地の石碑と白石の石碑があるのみです。

最近の大河ドラマ「西郷どん」の放映されたなかで西郷弟の信吾が白石から三〇両の資金を得ることが描かれていました。信吾、後の西郷従道はそれを遊興に使ってしまうのですが、白石は求められれば志士に支援をしていた。
維新後に政商にもならず、自宅も残ることはなかった。

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中国電力敷地内

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白石正一郎の石碑

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奇兵隊発祥の地の石碑
 正一郎は弟とともに奇兵隊に加入する。

 維新後には赤間神宮の宮司になるのだが、訪れてみても彼記を記載したものや顕彰したものはみつけられなかった。

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赤間神宮


 2018-7-5
posted by はやめ at 03:45| Comment(0) | 日記

2018年07月03日

熊本城・震災復旧工事中


 台風の発生と鹿児島の梅雨入りなので、ヨットの南下クル−ズを断念した。 6月17日に長崎からJRで熊本に行き、熊本城を見に行く。 20日に「元太鼓櫓」が倒壊したとの報道がありました。 城内にはまだ見学に入ることができず、周りから眺めるだけの現況になっています。 加藤神社から天守の工事の様子がよく見えた。
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 石垣の高さといい、本丸以外の櫓にも他城では5層の本丸かと思えるようなものがありその城規模と造りには驚かされた。現存する宇土櫓の他に5基の五階櫓があったという。
その堅城ぶりは他には大阪城しかないように思われる。 復旧に何年かかるかわからないけれど終えた時には再訪したいものである。

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宇土櫓

以下震災被害の写真です。

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戌亥櫓

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今度崩れた元太鼓櫓・西大手門

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飯田丸3階櫓

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未申櫓


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北十八間櫓

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長塀  西南戦争で活躍した塀が崩壊していた

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       2018-7-3
posted by はやめ at 05:26| Comment(0) | 日記

2018年07月01日

潜伏キリシタン関連遺産 世界遺産に登録 ヨットでいきたい!


 昨6月30日に世界遺産登録決定しました。 ヨットでの今回のクル−ズで五島列島の目標は4つの登録された教会をヨットで訪れることでした。

1. 野崎島旧野首教会
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 無人島にある教会でヨットで訪れました。潮位と進入方向に注意。
小値賀島より2便の連絡船あり。

2. 頭が島(かしらがしま)天主堂
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 入域制限を実施しており、事前の申請が必要。1日3便の路線バスで行く。
連絡先0959-42-8118 ヨットでの訪問は行政の許可があれば可能かもしれない。


3. 奈留島 江上天主堂
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 タクシーと海上タクシ−を使用したツア−が有川と福江より行われている。
半日コ−スで1万円弱。天候不順のためこのツア−を利用。

4. 久賀(ひさか)島 旧五輪教会
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 タクシーと海上タクシ−を使用したツア−が有川と福江より行われている。

 宇久島より野崎島に立ち寄り有川にヨットで到着。北風の天候不順が続いて、3と4はツア−を利用しました。

 おそらくヨットでの世界遺産初訪問をねらいましたが、断念することになりました。

   2018-7-1


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2018年06月30日

九州クル−ズ 2018年


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 関門海峡

 昨日広島から長崎へのクル−ズを終えて我が家に帰りました。 道中連れ合いも同乗しましたが、もう我慢の限界とかで、3週間で平戸より下船して帰りました。船酔いするなかで少しは楽しんでくれたことを祈ります。他のヨットマンから「乗ってくれるだけ良い」とお言葉をいただきましたが。

 九州一周を目指して出たのですが、台風やら梅雨入りで長崎で断念して引き返すことになりました。全期間四〇日あまりですが、帰りは八日で帰る。七一歳の体力の限界なのか、到着した日には半日ほど両足がけいれんして大変でした。 それは、前方確認のために立ち上がってその姿勢で艇の動揺を支えるからでしょう。 二度潜ってスクリュ−にからまったロ−プ・海藻・ビニ−ルを取り除いたこともあります。ヒヤリハットは何度もあり、無事に事故なしですんだことも幸いであった。

 日程

  下記のHPでは個別の話題にリンクされています
  http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-465



2018年

5/17  広島発 柳井着  柳井港泊 柳井観光
 18  柳井発 上関着 陣屋跡見学
 19  上関発 下松着 グリ−ンヤマトマリ−ナ泊
 20  下松発 新門司着  新門司マリ−ナ泊
 21            新門司マリ−ナ泊  下関観光
 22            新門司マリ−ナ泊  小倉観光
 23            新門司マリ−ナ泊  新門司観光
 24  新門司発 関門海峡 宗像大島  うみんぐ大島泊
 25  宗像大島発 博多着 マリノアマリ−ナ泊
 26            マリノアマリ−ナ泊 博多観光
 27  博多発  船越着  船越漁港泊
 28            船越漁港泊 唐津城見学・姫島訪問
 29  船越発  名護屋着 名護屋漁港泊 名護屋城見学
 30  名護屋発  壱岐着  郷の浦フィシャリ−ナ伯
 31             郷ノ浦フィシャリ−ナ伯
6/1  壱岐発  平戸着  平戸伯  平戸城見学
 2            平戸伯  生月島観光
 3            平戸伯  平戸観光
 4  平戸発  宇久着  宇久フィシャリ−ナ伯 妻下船
 5            宇久フィシャリ−ナ伯
 6            宇久フィシャリ−ナ伯 佐世保市宇久島観光
 7  宇久発  有川着  有川港泊 野崎島観光
 8            有川港伯 頭が崎教会見学
 9            有川港伯 青方大曾教会見学
 10           有川港拍  観光ツア−・旧五輪教会・江上教会参加
 11           有川港泊 青砂浦教会見学
 12           有川港泊 鯛の浦教会見学
 13  有川発 池島着  池島泊 旧池島炭鉱見学 
 14  池島発 長崎着  出島ワ−フマリ−ナ泊
 15           出島ワ−フマリ−ナ泊 長崎亀山社中見学
 16           出島ワ−フマリ−ナ泊 近藤長次郎墓見学
 17           出島ワ−フマリ−ナ泊  熊本城見学
 18  長崎発 池島着  池島泊
 19  池島発 平戸着  平戸泊
 20           平戸泊 宝亀教会・紐差教会見学
 21  平戸発 博多着  博多漁港泊
 22  博多発 宗像大島着 うみんぐ大島泊
 23  宗像大島発 関門海峡 新門司着  新門司マリ−ナ泊
 24  新門司発 上関着 上関泊
6/25 上関発 広島着  

   2018-6-30
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2018年02月12日

家庭用蓄電池の価格破壊

  驚くべきことが起こっていました。 太陽光発電と絡めて蓄電池4kw程度を家庭に設置できれば、電力問題解決して、原発段階廃止に持ち込めるとのではと。 4kwのバッテリ−で50万位に値下がりすればできるとも思っていました。


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テスラ パワ−ウオ−ル2


 テスラの電気自動車のために、パナソニクスとテスラが米国に大規模な電池工場を設備増設しています。テスラの普及型タイプがイマイチ売れていなくて、バッテリ−が余剰になっているのでしょうか? 13.5kwで61万7千円で直販モデルがあるという下記サイトを目にして驚いています。

 家庭用蓄電池 価格破壊
 https://www.tainavi-switch.com/contents/37434/

 比較サイトで日本のメ−カ−の価格が分かります。30万から70万くらいの補助金を差し引いても平成26年度の購入価格はメ−カ−で違いがありますが、100万から200万です。4.4kwで1,024,000が最安値になります。テスラは13.5kwで61.7万ですので4.4kwに換算すると20.1万ですので他社と比べて問題にならず、しかし太陽光の問題解決となりました。

 電力各社が送電網につなぐことを余力がないと抑えにかかっていますが、最近の報道で余力有りとされています。 例え送電網につないで風力・太陽光の不安定な発電を懸念しなくても、各家庭で蓄電池とソ−ラ−をつないで家庭での余力を送電網につなぐようにすれば、解決できるのではないでしょうか? 


 比較サイト 家庭用蓄電池
 http://www.shouene.com/battery/maker.html

 予算の使い方も各メ−カ−の生産を支えることが目的で、効率的な運用・戦力の集中になっていない。行政も考えてほしい。テスラ応援はパナソニックの合弁電池企業なので国産イジメになっていない。この価格なら補助金も必要ないですが。

  今後太陽光を考えている人、すでに設置されている方には考えられてはいかがでしょう。

 また、北朝鮮のミサイルを心配されている方がおられるでしょう。原爆を撃ち込まれなくても通常弾頭で日本の原発を破壊されたら、それで日本は終わりますが、家庭に蓄電機能を持たせて、原発を無くす方向にすることは意義があります。明るい日差しが垣間見えました。

  現在ヨットで100wと60wのソ−ラ−パネルの接続に悩んでいる程度の小生が述べることではありませんが、専門家の方の世間へのこれらの周知を望む次第です。

 ヨットでも小型の1kw程度のものが製品化されれば革命的です。現在120kgの重さがあり、これの低減も望まれますね。

    2017-2-11





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2018年01月02日

岩城島


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高速艇 今治−岩城−弓削−因島・土生など島々を結ぶ

 弓削から320円で高速船に乗り岩城島に着きました。現在はフェリ−で行く孤島ですが平成30年代前半には「ゆめしま海道」とつながる架橋工事がおこなわれている。

 さっそく自転車を借りて島を回りました。レモンの島とも云われ青いレモンが有名です、春には桜の名所でもある。村上海賊の砦・亀山城や甘崎城の支城と言われる岩城新城といわれる城跡も見た。


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温泉ホテルと造船所の宿泊施設 入浴は夕方より

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いわき海の駅  冬の季節風を防ぐには良い係留場


 江戸時代には伊予松山藩の島本陣が置かれていた。現在は岩城郷土館として見ることができます。

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岩城郷士館

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邸内1

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邸内2



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岩城造船 他にも3社があり


 今回は冬で見られませんでしたが、桜の季節には積善山に3千本の桜が見られるという名所がある。

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    2018-1-2
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2017年12月29日

木江・きのえ


 ゆたか海の駅で冬の季節風・西風が強く出発を伸ばして、ここ大崎下島より隣の島大崎上島へ行きました。フェリ−320円で明石へ渡れます。徒歩で温泉のある中の鼻灯台隣接の清風館に向かいました。沖浦にある大崎上島海の駅も見てみようと思う。ここは料金が高いのでパスですが。まだまだ距離がありそうなのでバス100円に乗りました。入浴時間まで間があり、清風館で自転車を借りて木江を見てきました。

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大崎上島海の駅


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中の鼻灯台 清風館隣  明治20年築造


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清風館駐車場より大崎上島と大三島との海峡を眺める





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 木江は先代のヨットで40数年前に停泊したことがあります。若いころで元気もあり、ここの歴史も知りませんでしたが。夜にフェリ−が終わったころにヨットを岸壁へ着けて、始発のフェリ−が使用するまでに出発するチョイ借りでお邪魔しました。しまなみ海道が出来てフェリ−が廃止されたところがあり、今となってはどこなのか確認できませんでした。

 大崎上島にある木江をご存知の人はすくないでしょう。大三島にある大山祇神社の対岸にある。古くは御手洗のように潮待風待ちの港としてにぎわった。明治30年以降にできた造船所が木江に25軒もあった。最もにぎわいの有った時期は大正のころで、第1次大戦中の造船バブルでこの島の造船業はロンドンタイムスに広告を掲載するほどであった。その名残として木造3階建て大きいのは5階建てのたてものが現存する。

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往時のにぎわい


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木江の造船所


 ご多聞に洩れず潮待風待ちの港町には御手洗のように遊郭が栄えた。3階建ての建物はそれだといわれている。ここは国指定の町並み保存地区にはなっていない。空き家も目立つので行政の保存活動を惜しまないように望みます。
 大正6年の造船ブ−ムで鋼材が不足し木造船の需要が高まり、木造船技術が木造5階建てを可能にしたといえよう。 また木造船の板をつなぐ防水材料としてのマキハダの生産も日本一であった。

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木江の街並み



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往時の木造5階建て様子 造船所が船主の接待に建てたもの


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現在も残る木造5階建て



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ふれあい郷土資料館




   2017-12-29
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2017年12月28日

鼻栗瀬戸


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 瀬戸内海を東西に航行する場合に、大型商船は主に来島海峡を、数たまに三原瀬戸を通峡する。ヨットの場合は上図で赤字で表したように、4航路がある。

1.三原の瀬戸 潮の影響が少ないが距離が長くなる
2.鼻栗瀬戸  500トン位までの小型船舶
3.船折れの瀬戸 急潮であるので100トン位が航行
4.来島海峡  大型船が順中逆西により航路規則がある。

 今度の年末クル−ズで鼻栗瀬戸を往復しました。幸い最狭部で行会い船に合うこともなく、無事通峡できました。どちらも2ノット位の追い潮をねらって通航する。帰りの弓削から御手洗に向けて通峡したときは、冬の季節風の強い日で、通過すると海面が真っ白の向かい風になりました。通常なら機帆走でも2ノット程度に下がり、引き返す判断になりそうな状況でした。連れ潮で4ノット程度GPSが示していたので続行、30分くらい頑張ると少し収まり、予定より少し遅れる程度で目的地に到着できました。 真向かいの風でのヨット航行で自分にとっては貴重な体験となりました。さすが瀬戸内の潮流です。

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鼻栗瀬戸

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手前の大三島にある 潮待に使えそうなポンツ−ン

 いつも潮流推算を使用して潮流時をサイトで調べますが、ここ鼻栗瀬戸は、それでははっきりしないので
MIRCマリン情報の潮流予測を見ました。

 4つの瀬戸を航行しましたが、ここはオススメです。

   2017-12-28







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2017年12月27日

弓削海の駅


  冬の季節風と繁忙期対策

 ヨットマンの聖地と言われて愛されている泊地です。瀬戸内の中央に位置していることから絶好の中継地となっています。 古くは町立で商船学校を設立し、今では国立の弓削商船高専学校になりました。伝統的に船に理解がある行政が海の駅を支援しています。今年には海の駅の建物を新築しました。トイレ・シャワ−・ランドリ−を設備しています。

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新築された事務所


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満杯になったポンツ−ン

6隻の停泊スペ−スがありますが、大型艇が2隻分を占めることがあり、折角訪れても満杯でポ−ンツ−ンに着岸できないこともある。
 実際冬の12月に訪ねたときは1隻分しかなく、わがヨットでフルでした。夕方に空きが無いとなると困った事態です。 そこで周辺の泊地を調べてみました。

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1.岩城島海の駅  2隻ほどのスペ−スだが空いていることが多い
         冬の西風強い時は弓削よりこちらが良い
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2.佐島港 ポンツ−ン  1隻ぐらいなら置けそう
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3.生名島東岸 物揚場  4−5隻のスペ−スあり
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4. 生名島スポレク公園 ポンツ−ン  1隻分あり うねりがはいりそうです
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5. 弓削島東岸 日比漁港  温泉に行くと眼下にみえる。
              3隻ほどヨットが停泊、 この東海岸には漁網が全域に
              渡って設置されているので航行に注意
              西風強い時には良い泊地
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 弓削の海の駅の冬の天候は季節風が強く西風系が吹く。ポンツ−ンにつけていてもうねりもあり、気持ちよいものではありません。ぐる−と見渡すと小山が周囲を囲んで防ぎそうなものですが、海の駅には防波堤が無い構造ですのでそうさせるのでしょう。
 万一の場合は錨泊スペ−スもあるようですのでアンカ−を打って、エンジンスタンバイでしのぐい手もあるかもしれません。 小生の場合風速6-7m(予報だから実際はもっと強い))の状況で風下側の着岸でしたので、ありたけのロ−プをつないでしのぎました。

 夏の混雑時だったら上記のすべての泊地は調子が良いといえます。冬には岩城島がオススメです。

  2017-12-27
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2017年12月23日

ゆたか海の駅


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  穏やかな安芸灘はセ−リングを愉しむのには最適です。ここには航行を邪魔する養殖いかだや航行船も少なく、存分に楽しめます。

 安浦海の駅が廃止になった今ではここはオススメの泊地になります。 ただし35F以下で喫水の深くないヨットの利用になります。
 スペ−スは2席ほどで限りがあり、今回利用したバ−スの他は水深が50-60cmほど浅いので注意が必要です。事前に予約したほうがよいでしょう。 無料で給電も無料です。潮の影響も少なく、諸風を防ぎ冬のに風の季節風の待機には都合が良い。おまけにスタッフも親切です。

 徒歩10分ぐらいで歴史的町並み保存地区の御手洗の見学もおすすめです。 時間があれば320円のフェリ−で大崎上島へ渡りバス100円で温泉につかりに行くこともできます。
 海の駅とびしま館では昼食・宿泊とシャワ−が利用できる。

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左のボ−トは常時占有しているようで、ヨットと隣のバ−ス2隻が利用できます。


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中の島を挟んで2つの橋はヨットで通航できます。


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干潮時には旧港設備が見え、そこは浅いので避けて航行する。

    2017-12-23





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